重雷装高速輸送________工作巡洋艦 北上 作:わりばし殺し
三
太陽とは、地球上のありとあらゆる文明にとってかけがえのないものであって、豊穣、繁栄、活力、あるいは猛々しさを以ってしてその神秘性を匂わせる世界最大の信仰対象である。
ことさら、今は日本共和国とも呼ばれるこの極東の列島一帯においてはそれが顕著であり、たとえ天が崩れようが地が裂けようが、あるいは国家としての自立性を揺るがされようが、空が澄み渡り太陽さえ昇ればそれで万々歳であり、「天晴」「脳天気」とはまさにそんな民族性を表現するに的確な言葉であろう。
そういうわけで、大地の裏側で息を潜めていた太陽が再び顔を出しさんさんと光りだす早朝という時間帯は、あらゆる価値観や道理や個人的感情などを力技で捻じ伏せて「清々しい」だとか「希望の」だとか、なぜか必要以上に明るく着飾らされて迎えられてしまうのだ。
さっきまでは欧州を、次はアメリカを、次は日本を。ぐるぐる回りながら精一杯照らして、終わりかと思えばまた次が来る。黄道という知恵の輪の上を、不眠不休で、ただひたすら。
先述のようにそれを手放しで敬拝するのが太陽を神格として捉えている世間一般なのであるが、銀輪回して岸壁沿いを行く女生徒姿の一隻(ひとり)の工作巡洋艦に関してはその例外であった。
徹夜明けで疲れ果て霞がかった頭なら、休む暇なく働くお天道さまに親近感が湧くのも別段おかしなことではない。自分はこれから眠るつもりだというのに、太陽は世のため人のため輝き続けなければならないのであるから、たいそう気の毒に思うのも、神格ではなく人格として捉えていれば理解できるのだ。
真っ赤な旭日を背に、北上はなんとか朝から逃れようと宿舎へ向かって足取り重くペダルを漕ぐ。いつもの朝は濁った灰色だが、芯から疲れた今日の朝は、逆に頭のブレーキが壊れていて、思いつくことが片っ端から花火みたいに弾けていく。
腹が減った。眠い。肌寒い。
定まらない思考は、飲酒した時にたまに出てくるような、脳ミソの端っこの方で渦を巻きながら音を立てつつ光っている嵐に似ている。
あるいはこうして目を閉じた時に瞼の裏に現れる三原色の粒子か――。
そんなことに意識を持って行かれた瞬間、たちまち均衡は崩れ、自転車は大きく傾く。慌てて舵を取り直した瞬間だけは確かに目覚めているのだが、しばらくすると、また波が来る。
そうやって蛇行運転をしているうちに、向こうから小さな影が一つこちらに向かって走ってきた。
影は北上に気が付くとその場ですぐに立ち止まり、背筋をピンと伸ばして敬礼した。駆逐艦 雪風。丹陽
「北上一士! おはようございます!」
肩で息をしながら、白い歯を見せて元気よく挨拶した。どうやらこんな早朝からランニングらしい。その爽やかさと言ったら全くもって神格化された太陽であった。
「あぁ」
自転車はその脇を歯牙にも掛けず通り抜ける。単純に面倒なのであった。
「おはようございます! 一士も、今日は三文の得ですね!」
軽く流されたにも関わらず、雪風はニコニコしながら踵を返して着いてくる。起床ラッパ前からなぜこんなにも血圧高くいられるのか北上には不思議でしかたないが、ならばいっそ眠気覚ましの相手にしてしまうのが今は一番都合が良かった。
「はいはいおはようおはようグッモーニン。あたしゃ早起きしすぎてね、もう百文くらいは得してるよ」
「雪風の、三十三倍、早起きですか!?」
「……適当言っただけだよ。任務で寝てないってことさ」
「深夜哨戒でしたか! お疲れ様でした!」
「いいや工作艦の仕事さ。昨日の朝からさっきまでずっと」
「そうだったんですか!? それは、あの、お疲れ様でした! ほんとうに!」
上がった息の合間の快活な声は、過敏になった鼓膜によく響く。
あまり必死なのも見ていて心地いいものではないので北上が速度を緩めてやると、雪風もそれに合わせながら呼吸を整える。
「まあ、そうねえ、ホントお疲れだわ。一段落ついたから、今日のところは夕方までぐっすり寝てていいんだけどさ。明日からは手付けられずにいた駆逐(あんたら)の艤装をなんとかしなきゃあ」
「整備のお仕事をしていたわけではなかったのですか?」
「一口に工作艦って言ってもやることいろいろあるのさ。整備はそのうちの一つでしかないのよ」
「はー、なるほどー、いろいろなんですねー」
きちんと理解しているのかどうかいまいち把握できないが、雪風は相槌をうちながらコクコクと大きく頷く。並走しながらこっちを向いて楽しそうにしているのは散歩中の犬にも似ていて、北上は見えない尻尾を振り回す音まで聞こえる気がした。
雪風はしばらくそうして感心していたが、急に何かを思い出したように、小さく「あっ」と声をあげた。
「ん?」
見れば、大きく目を見開いて、これ以上ないくらい輝く瞳で北上を見つめている。
「もしかして、お仕事って、空を飛ぶ……!」
北上はその言葉に思わず渋い顔をしそうになったが、これだけ期待されていてはそれを壊すのも忍びなく、ひとまずそっぽを向いてから、雪風には見えないように顔をしかめた。
空挺用艤装のことはまだ機密である。件の公開演習に関しても中身については出回っていないはずなのだ。しかしどうしてか、北上の隣のこの駆逐艦はそれを知っているのである。
「……それ、誰から聞いた?」
よもや大淀が口を滑らせるわけもなく、自分も漏らすはずがない。しかし現に木っ端の駆逐艦がそれを知り得ているからには出どころを掴む必要があった。
雪風はその問いに対し、これまた元気よく答える。
「はい! 安陽(アンヤン)ちゃんと慶陽(チンヤン)ちゃんです!」
「あぁ、おとなりさんの……」
艦名を告げられたところですぐ出てくるほど北上は顔が広いわけではないが、雪風の行動範囲と交友関係から察するに横須賀米軍基地の艦娘だろうと結論付けた。どこからともなく飛んできた噂話が伝染したのである。
しかしそれはあまり芳しい事態ではなかった。なにせ駆逐艦である。頭数が多い分、噂が広まっていくのは一瞬だろう。
「ここの巡洋艦の人が飛んだって聞いたんです。だから一士じゃないかって思って!」
「ああ、そうねえ、まあその、ねえ」
北上は返答に困っていた。機密だと言えば雪風は素直に従うであろうが、流行病となった噂はもはや横須賀一帯に箝口令でも布かない限り止まらないであろう。
いずれにせよ面倒なことになる。まず間違いなく聴取もあるはずだ。であれば、ここは自分ではないということをキッパリ表明するのが責任逃れには一番いいが、そうなると今度は大淀がとばっちりを受けることになる。
ならばいっそ、その伝染経路を利用して抗体を流しパンデミックを阻止すべきである。そのためにはフネが空を飛べるという、冷静に考えればトンデモなお話を否定する必要がある。
「でもでも、どうやって飛ぶんだろうって思ってたんです! みんな不思議がってて!」
まだ肯定もしていないのに、羨望と尊敬の眼差しは北上に突き刺さる。下手に反応してしまった以上、誤魔化すのも容易ではない。
ここまで夢見ている雪風を頭ごなしに否定するのも良心が痛むので、北上は苦し紛れに逃げの一手を打つのであった。
「そうねえ、酸素魚雷の推進力を三〇〇倍にしてみたらなんか飛べたのよ。この前は海面スレスレの超低空雷撃で戦艦空母をバカスカ沈めてやったのさ。あたしゃ『重雷装高速輸送空挺工作巡洋艦』の北上様だからねえ」
あまり深刻に落胆されるのは嫌なので、いっそ全部冗談にしてしまえば笑い話で済むはずであると、適当に大ホラ吹いたのだ。
さすがにこれだけ胡散臭い話にしてしまえば、いくら純粋無垢がすぎる雪風であろうと気付くであろう。
そんな甘えた考えが後に厄介事を引き起こすという事に、北上はこの時点では気付いていなかった。
「なーんてね、適当言っただけさ。軍艦が空なんて飛べるわけ……」
途絶えた足音に気付いて脇を見れば、さっきまでくっついていた駆逐艦がいない。
不審がって自転車を止めて後ろを振り返れば、そこには畏怖にも近い表情で立ちすくむ雪風の姿があった。
「す、すごい……!」
北上は確信した。小さな顔の大きな黒目は、もはや自分の言葉ですら聞き入れないくらいに信じ切った、あまりにも強情すぎる瞳であると。