重雷装高速輸送________工作巡洋艦 北上 作:わりばし殺し
七
大淀の不満は限界に達していた。命令のことごとくを無視し、挙句の果てに絶体絶命の危機に陥っている北上に対してほとんど失望にも近い念を抱いていた。
「北上一士、応答せよ!」
マイクに向かって何度語りかけても返事は帰ってこない。窓から双眼鏡で覗いても、よく見えるのは派手に対空砲火を打ち上げているホ級くらいで、北上の姿はどこにも見えなかった。
そのまま、目を皿にして探していると、即墨の艦首に手旗を持った水夫が立ち、PBYに向けて信号を送り始めた。
「……タ、イ、キ、セ、ヨ、……キ、タ、カ、ミ」
見れば、要救助者の中に混じって艤装を背負った艦娘の姿がある。これではあまりにも締まらない。
大淀はそれに対し発光信号で「ウゴクナ」とだけ返す。もはやこれ以上、場をかき乱されるのはごめんである。
「機長、一旦目標よりより離れ、私を降ろしてください」
響が信頼できず、北上も頼りないとなれば、自らが出るのは当たり前のことであった。しかしながら冷静さを欠いていた大淀は、その命令を実行するだけの余力が自分たちに残されていないことを完全に失念していた。
機長は極めて冷静に、その申し出を断った。
「……承認しかねる。安全に離着陸できる場所まで移動している間に敵の増援が来るだろう」
隣に座っていた若い副機長も、小さく頷いて同調した。
「そう、ですね……。申し訳ありません」
大淀は呟いて、頭を抱えた。
万事休す。いや、なにかあるはずだ。北上は魚雷を残している。相手は手負いの一隻のみなのだから、最悪二番機を強行着水させることだってできるだろう。
だが、それには大きな危険と責任が付きまとう。覚悟が出来ていたとしても、未だ新米扱いされる大淀に、その決断は重すぎた。
あまりに情けないと、大淀は落胆した。背伸びしたがるのは響や北上だけだと思っていたが、これでは、まるで自分自身もではないか。
そんな大淀を嘲るかのように、ヘッドフォンがビープ音を鳴らす。チャンネルを合わせると聞こえてきたのは、いつもの幼いあの声だ。
《三正、あなたと二人だけで話をしたい。この通信以外の全てを封鎖していただきたい》
いつの間にか、窓の外には、着水準備のために高度を下げていたはずの二番機がぴったり横に着いていた。
コックピットから、響の顔が覗いている。
砲口を、機長の後頭部に押し当てて。
――――――――――
「バカやるもんだ。俺ぁ、生きた心地がしねえ」
口ではそう言いつつも、カイゼル髭の機長は実に嬉しそうな顔をしていた。艦砲を頭に突きつけられているにも関わらず。
「クロキ、すまないね」
「なあに、貸し一つ返すまでよ。それにバカは好きなんでなあ」
そう言って豪快に笑う。つられて、副機長と通信士も破顔した。物騒な状況とは裏腹に、コックピットには和やかな空気が満ちていた。
「響ちゃん、言われた通り主砲と錨だけ台座から外して……え?」
詰め寄ってきた潮は荒唐無稽なその様子に固まった。それを見て一同はまた一笑する。
「大丈夫、弾は入っていないよ」
「そ、そんなこと言ったって、砲口を向けていいのは敵だけじゃ……」
「おお、そうかそうか、なら俺は今から敵だ」
男たちの上品とはいえない笑い声におどおどしながら、潮は持っていた二基の連装砲を片方手渡す。響は相変わらずクロキの頭に自前の砲を突きつけながらそれを受け取ると、小さく、感慨深く呟いた。
「これで二度目か」
「ちょうど、同じこと考えてた」
「……ありがとう。じゃあ次は、錨鎖を巻いてもらえるかな? 私の右肩と、君の左肩をしっかり固定するんだ。絶対離れないように」
潮は頷くと、響の言葉に疑問すら覚えず背中合わせになり、互いの身体に鎖を巻きつける。この時点で、潮はこれから何をするのかを説明されていなかった。わかっていたのは、今から響がなにか大事なことをするということと、それに自分は必要不可欠な存在であるということだけであった。
《……大淀です。二番機へ。この通信は低出力で発信しており、傍受されることはありません。どうぞ》
大淀からの通信がコックピット内に入ってくる。通信士は同じように無線の出力を下げてから、響にマイクを手渡した。
「やあ、ありがとう」
《……何が望み?》
「単刀直入に言おう。あなたのやり方が気に食わない」
いつも通りのあまりにもストレートな物言いに、男たちは思わず苦笑する。潮は相変わらず状況を理解できないでいたが、ただ響を信頼して固唾を呑んでいた。
《だから、どうするというの? 気に食わないから、作戦行動から離脱するの?》
「実のところ私に代替案があるのだけれど、君は承認しかねると思ってね。まず機長に相談してみたら、やはり断られてしまったんだよ。だからこうして、暴力で屈服させているのさ」
響が何か言うたびに男たちは盛り上がる。ただ、機長のクロキだけは、「俺は断ってなんてねえぞ」と不満そうな目で背後の響を睨んだ。
《……その、代替案は?》
響は一番機から覗いている大淀を窓越しに見て、にやりと不敵な笑みを零しながら、あえて大淀が拒絶反応を起こすような、あまりに言葉足らずな返答をした。
「単純さ。機上からホ級を撃つ」
それを聞いて、コックピットは更に笑いで一杯になる。おそらく男たちの声は大淀にも聞こえているであろう。双眼鏡をこちらに向けていた大淀が頭を抱えているのは、おそらくはそういうことである。
《……バカなこと言わないで》
「バカじゃないさ。賢者はシンプルに解決するものだ」
《デカブリスト、それは物理的に不可能よ》
「PBYに艦砲の反動を許容できるだけの強度がないということだろう?」
《わかっているなら何故? 空中分解は確実なのに》
「可能だからだよ、私と潮なら」
背中合わせの潮が小さく振り向いた。響も首を動かし、視界の端で互いを確認しあう。正直、機上から撃つと聞いた時点での潮は絶句していたが、この言葉で我に返り、再び盲目的な信頼を寄せた。
「砲の反動を相殺する。私がホ級に向かって撃つと同時に、潮もその正反対の方向に同じ砲を撃つ。無反動砲の要領だ」
響の理論は間違ってはいなかった。あまりにバカバカしいことを除けば、完璧な代替案であった。
しかしながらそれでもバカバカしい理論を抜け出せていないのは、それが普通のやり方では実現不可能であるからだ。
《……機体を足場にしている限り、たとえ完璧なタイミング、完璧な同一直線上で撃っても、あなたたちの脚を介して機体に衝撃が伝わるわ》
「そしてそもそも、正反対の位置を保ち続けるのが不可能だ。そういうことだろう?」
《そうよ。ふざけている時間なんてないの。遊びはここまでにしなさい》
だがバカバカしい理論を実践することができるだけの素材を響は持ち合わせていた。まず一つ、同型艦であり、自分に絶大な信頼をおいてくれている潮が乗り合わせていたこと。そしてもう一つ、熟練の機長とそれ以下の乗組員が響を「先輩」として信頼していたこと。
これだけ揃っていれば、バカをやるのを恐れる必要など何もなかった。
「では、浮こう。既に私と潮の身体は錨鎖で固定してある。後は機体に足を付けなければいいだけだ」
《落下でもするつもり……?》
「少し違う。機内を空間として相対的に落下させるんだ。つまり――」
大淀は食い気味にマイクに向かって呟いた。
《急降下……》
「そう、ご名答。機長にはしばらくの緩上昇から合図で急降下に移行してもらい、数秒間擬似的な無重力状態を作り出してもらう。その間に私たちが『正しく』撃てば、何ら問題なくこの事態を解決できる」
《……》
スピーカーは押し黙った。あまりにとんでもない作戦であったが、大淀は今、藁にもすがる思いなのは間違いないであろう。だが、その迷っている間にも刻一刻と事態は悪化していく。
数秒間の思案の後、大淀は一つ指示を出した。
《……機長に代わりなさい》
「ああ」
響はマイクをクロキに渡す。主砲は変わらず、彼の頭を狙ったまま。
「クロキ三正だ。見ての通り本官は現在人質に取られている」
《冗談は終わりにしましょう。お遊戯会の片棒担ぎはここまでです》
「冗談なんかじゃないんだがなあ。こんな危険な行為、誰が進んでやるんだってんだ。この俺の後ろにいるちびっこいのに脅されてるに決まってるだろうが」
《……そうですか、ならばその体で。私はデカブリスト三士の代替案を承認しません。二番機は、即刻着水待機に戻り、元の任務に就きなさい》
「そりゃ無理だ。本官と乗組員の命に関わる。こいつの命令に逆らえないんだ」
《だから彼女に従うのですか》
「ああ、もちろん」
クロキは振り返る。航空学校を出て、入隊したときから全く変わらない姿の響に、彼のツケの数は両手でも数え切れない。互いに歯を見せて笑いながら、響は貸しが一つ返ってくることを、クロキは借りを一つ返せることを喜んでいた。酷く、悪巧みな目をしながら。
「二番機機長、クロキ三正より大淀三正へ。本官は警備隊法二十二条の特例第四項の二に則り、艦娘による指揮を拒否する! これより二番機は、デカブリスト三士の脅迫によって『止むを得ず』原隊を離れ、独自の行動へ移行する!」
二番機のコックピットにバカしかいないことは、大淀も理解していた。そのバカたちが、大いに湧き上がっている。不可能を可能にしようと、ありえないことをしでかそうとしている。男たちの鬨の声は電波に乗る。自らの危険すら省みずに。
《……クロキ三正、最後にお聞きしたい》
「なんだ女の好みか? 俺ぁこれでも妻子持ちなんだがな」
《……なぜそこまで、デカブリストを信頼できるのですか》
「そんなもん、響の姐ちゃんは四〇年も前からこの海を守ってるからに決まってるだろ。ハナタレのガキだった俺らの、昔っからの夢なんだよ」
《……わかりました。貴官の今後の行動について、私はその責任を認知しません》
「ああ、任されろ」
《……お心遣い、染み入ります》
「先方にもそう伝えとくぞ。では、交信終わり」
交信が終わったコックピットには、幾ばくかの静寂が訪れた。今から行うことがどれだけ危険であるか、知らない者は誰もいない。しかしそれは恐れから来るものというよりは、ある種の武者震いに近いものであった。
響は突きつけていた主砲をようやく下ろすと、すぐに一礼いれた。
「ありがとう。これで言質が取れた」
「姐ちゃんも不器用だな。もっとわかりやすく優しくしてやるべきだろう」
「アレは真面目で、自分に厳しすぎてね、そのくせ誰かに優しくされると傷付くようなタチだから、安易に手を差し伸べちゃ駄目なんだ。……それに、私はもう昇進なんて出来ないが、政治家の息がかかってる彼女はこれから出世街道まっしぐらだ。そんな相手に貸しを作っておくのも、悪くはないと思ってね」
「そうやって、照れ隠しするところがまた不器用だな。媚び売るなんて柄じゃねえだろうが」
「……そうかもね。さあ、始めよう」
ケタケタ笑うクロキを尻目に、響は前かがみになり、背中合わせの潮を背負った。突然のことに潮は大きく震えたが、すぐにそのまま身体を預け、機体後方へと担がれていく。
「いいかい、潮。後部ハッチが両方とも開く。私は右、潮は左に撃つんだ。砲門は私が二番、潮は一番」
「合図は、誰が出すの?」
「機長が出してくれる。五秒から秒読みが始まって、二、三秒前くらいで足が離れるはずだ。腕はまっすぐ、体幹と直角を保って。方位や角度は、浮いている間に私が体ごと動かして調整する。いいかい?」
「……わかった。やってみるよ」
「よし。上手くいけば北上さんに一つ貸しだ。メイシーズのサンデーでも奢ってもらおうか。駆逐艦全員にね」
位置につくと、副機長がレバーを引いて艦娘展開用のハッチを開く。いつもはこの門をくぐってからが仕事だが、今日だけは別だ。
「すまないね。君にまで危険なことをさせて」
響の言葉に、潮は振り返らずただ首を横に振る。きっちりと縛り付けた背中が、言わんとする事を全て伝えていた。
「大丈夫。だって、響ちゃんの、二番目の名前」
「ああ」
Верный.
彼女は亡国の民の信頼を背負った一番星。八洲の海の守り神。
《さあ、やるぞ。コースに入った。一発で決めてくれよ》
「当てるさ。目標、五〇〇〇。準備完了、宜候」
PBYはエンジンを唸らせて頭を下に向ける。信頼の錨鎖で繋がれた二隻の駆逐艦娘はGから解放され、今、共に空に浮かぶ。