重雷装高速輸送________工作巡洋艦 北上 作:わりばし殺し
九
《即墨、爆発炎上、沈没しました……》
潮の声は、あまりの出来事に唖然としているのが無線越しでもわかるほど、弱々しいものであった。
「雷撃の可能性あり。デカブリスト、対潜警戒急いで!」
《あの、あの、北上一士が……!》
《潮、まず目の前の敵を片付けよう》
三隻が残った戦場には、もはや海上には守るべきものもなく、ただ、水面で燃え盛る燃油と、沈んでいった即墨の破片が散らばるばかりであった。熱と煙が立ち上るその光景は、どの時代どの場所の戦場にもよく見られる地獄。
北上と深海棲艦の戦闘により引き寄せられた敵は、先程より遥かに大きな戦力であった。不測の事態が連続したため、大淀も予定を変更し現場に降り立ったが、重量の関係上、正面切って戦うだけの艤装は機内に持ち込んでいなかった。
辛うじて二基六門の主砲だけはどうにかなったが、あとは自前で用意した装備は機銃程度しかない。載っていた北上の装備をいくらか借りてきたものの、そもそもが空挺強襲用の装備であるため有効活用もできそうにない。それでも、何もないよりは心象的に幾分かはマシである。
「哨戒機より入電! 更に出現! 一〇時より三、一二時に五、一五時から二! 航空機は確認できず!」
《空を気にしなくていいなら、いけるさ》
「まだ増えるわ! 囲まれる前に右から叩く!」
大淀ははるか遠くに見える豆粒のような敵に向かって砲撃を開始する。人間離れした距離感での人間離れした戦闘は、「艦娘の勘」がものを言う。幸いなことに大淀は、その中でも索敵と情報処理能力に殊更並外れた「才能」を持った新鋭艦であった。砲弾は一斉射で交叉し、すぐさま第二射の砲撃準備へと入る。
経験と身のこなしを活かした古参たちのインファイトとは対象的に、大淀の戦いは実に軍艦然としており安定感のあるものである。むしろ、本来軍艦である艦娘にとって、北上たちの人間に近い距離感での戦闘のほうがイレギュラーですらある。艤装の性能を考えれば、軍艦として真っ当な戦闘に関しては大淀に絶対的な強みがあった。
しかしながら、それはすなわち艤装の運用上の限界を引き下げるという事にもつながる。真っ当でない戦闘における適応能力の低下は、特に近距離での数的不利のある状況についていくことが難しくなるということでもある。
「命中、敵駆逐艦一、炎上中!」
《だ、だめ、このままじゃ敵が多すぎて!》
「潮! 落ち着きなさい!」
近づかれる事があれば間違いなく押しつぶされるであろうことは全員理解できていた。この状況において有効であるのは、撤退しつつ、敵の有効射程外からでも十分命中の見込みのある大淀の砲撃を軸として敵戦力を削ることであることも共通認識であった。
深海棲艦が狙っているのは、沈んでいった即墨と、この周囲の熱と重油である。臭いに引き寄せられて来る敵は、艦娘への攻撃を目的とはしていない。有利に戦おうとすればいくらでもできる。この場を明け渡し、集結する深海棲艦に火力を収束させればいい。
もっと言えば、わざわざ戦う必要などないのである。大淀が直接的な指揮権を有している以上、いつでも撤退が許されているのである。ましてや、この現場にはもはや守るべき人間は一人もいない。船長が一人沈んだところで、艦娘たちはすでに十分役目を果たしたのである。誰にも責められる事などないのだ。
しかし彼女たちには、この場から離れることができない理由があった。それは意地で、虚勢で、なけなしの誇りで、またあるいは信頼であるとも言えた。
「あなたはなぜ、ここにいる! 何をなすためにここにいる!」
敵艦砲のどよめきが響くたび、付近に水柱が巻き起こるたび、恐怖はより大きく膨れ上がる。無線の通信のみが、その心を和らげることができる唯一の救いであった。多勢を前にしても怯まず毅然とした態度で振る舞う大淀の声は、潮の心を再び奮い立たせる。
《……一滴でも、多くの血を救うため》
「そう、あなたは艦娘として生を受け、幾多もの戦場を潜り抜け、幾多もの血を救う盾となってきた! あなたなら救える血がある! あなたの力にこそ、艦娘にこそ救える血がある!」
戦場に砲声が反響しあい、その渦を切り裂くように砲弾が飛び交う。一二.七センチの連装砲は決して強力とは言えないが、それでもそれを手足のように扱えるのは、人間にとっての悪鬼か、海神だけなのだ。
「
大淀は張り上げ、吼える。自身の主砲に負けじと吼え、その声を、その電波を潮へと伝える。
「あなたの血もまた赤い! それは
御国の四方を守る盾は、その同胞をも守り得る。鉄を纏いし
たとえ絶望的な状況にあっても、かつて
他ならぬ潮の放った一二.七センチの徹甲弾は、緩やかに山なりに飛翔した後、吸い込まれるようにして、敵の駆逐艦へと命中した。
もはや、恐れない。人々の希望たる盾は、朽ちることなどないのだ。
《……命中、敵駆逐艦中破。……やります! 守ってみせます!》
――――――――――
「……ほら、今ちょっと低いのが聞こえたでしょ? これが一五.五なのよ」
「……余裕だな、随分。この状況で」
「まーねえ、どうせ沈むんなら今更なんかしたって無駄だからさあ。だったらあたしゃ、なんか面白いほうが好きなんだわ。おっさんも、申し訳なく思うくらいならちょっとくらい協力してくれていいんじゃないの? ……あ、ほら、また低い音。これがさ、さっきから話してるあいつの主砲なんだよね」
「……わからん。たいして変わらない」
「あ、そう? まーいいんだわそれは。まーその、さっき言ったそいつがさ、最近ようやく、らしくなってきたって感じでね。チビどもにいっちょ前にさあ、『ワレワレのナンタルカ』なんて説いてんの。ホント、笑っちゃうわ。いつの間にそんなの覚えてきたんだって感じよ。初めの頃なんてもうぺえぺえで何にもできなかったのに、あっという間にもう三正。こちとら二〇年近くずっと一士やってんのにさ、偉くなっちゃってまあ」
「……嬢ちゃんは、後輩が成長して嬉しいのか」
「そらそうでしょーよ。あたしゃ教育係なんだからね。実習じゃあ……」
――――――――――
水柱と砲声の間隔は次第に近くなる。近付く敵から撃ってはいるが、戦火が激しくなるに連れて深海棲艦も多く浮かび上がってくる。幸いなことにここは沿岸まで遠くなく、襲撃が一方向に限定されているためになんとか持ちこたえられていた。
「潮、一番、右に五厘。四番、やや手前!」
《はい!》
友軍機からの情報と、自前での観測を組み合わせての指揮。この身体に生まれながらの本能が生み出す力。潮の放った砲弾は迷いなく敵に突き刺さる。大淀自身、ここまでできるとは思ってもみなかった。
《三正、敵潜水艦確認できず。即墨を沈めたのは雷撃ではないらしい》
「了解、引き続き対潜警戒怠らないで!」
《……破片はさほど多くないから音の乱反射は少ない。いくらか気になる
響の含みのある連絡に大淀は眉をしかめたが、それが彼女なりに希望を持たせようとした物言いであることに遅れて気付いた。
「……断裂した船体、大きく残っているのね?」
《ああ、綺麗なままだ。重油だとか
この縁起でもない言い方は、響が冗談を口にするときによくある皮肉だと大淀は理解していた。
《漁礁って……北上一士が……》
聞こえの悪い言葉だけを受け取った潮がうろたえるも、大淀は真意を把握していた。
「逆よ、潮。きれいに沈んだから、船内に空間が保たれているはず!」
《じゃあ、一士は、まだ……》
《要救助者はともかく、生き残っているよ。あの人なら、確実に》
響の鼻で笑うような声をマイクが僅かに拾う。大淀にとってそれが安堵から来るものにも聞こえたのは、彼女自身もそう思っていたからに他ならないだろう。
小さな黒い影を捉え、六門の一五.五センチが火を吹く。砲口が吐き出す熱が、水柱に混ざった重油を燃え上がらせては、爆圧に吹き飛ばされて消えていく。遠くで、同じように黒い影が消える。
この場を死守せねばならない。敵を全て撃滅し、北上を救うまで。
北上が斃れるわけがない。それは現実感を失った世迷い言のような思い込みではなく、確信へと変わった。
――――――――――
「ま、実際ダメダメよ。新鋭艦がなんぼのもんよって感じでさ。何がダメって、動きがぎこちない。わざわざ人の体して、徹頭徹尾
「……嬢ちゃんとは真逆か」
「そうそう。あいつが今あたしと同じ状況だったら、おっさんすぐ死んでておかしくないわ。自沈なんてさせる前にさ」
「そもそも、ここまで来ないだろうに」
「そりゃどうかね。付き合いもそこそこ長くなってきたからか、最近妙な部分が似てきてね。もしかしたら、同じことしてたかもしれないよ。……ま、あたしのことばっか話しても仕方ないし、今度はニシナ、あんたの番だよ」
――――――――――
《……二人とも、聞こえるかい? 大淀さんは言わずもがなだけど。 このチャンネルなら、艦娘以外に聞かれる心配はない》
大淀の通信機能を勝手に間借りした回線を使って響は発信した。大抵、わざわざこういった事をする時は、あまりまともな内容ではないというのが常だ。
《えっと、潮、聞こえます。感明良好》
「デカブリスト、要件は何。戦闘中よ」
《階級で呼んでないことで察してほしいな。これはただの私語さ。少しの間許してほしい》
「……そう。わかったわ、
マイクが拾うまばらな砲声が、直に聞こえるものと合わさってステレオを奏でる。大淀がその気になれば、この回線から響を弾くことすら可能であるが、それよりも、今は繋がっている事による精神的な安定感の利点の方が大きかった。
《……大淀さん、さすがにこの状況は想定外だろうね》
「あなたと北上さんが、無茶やってくれたおかげでね」
《あの……ごめんなさい》
「いいのよ。潮に責任はないわ」
《違うさ。当初の台本になかったことが、あまりに多すぎて困惑してるはずだ》
嫌にストレートに話題を振ってきたものだと、大淀は一つため息をついた。響が「知っている」のはわかっていたが、隠す気もなく探りを入れてくるとは。
《即墨の沈没直前の爆発は、私の位置からは内側からのものに見えたよ。反対側にいた大淀さんはそれを雷撃による爆発と判断し、私を対潜警戒にあてた。……水上戦で不利な状況にもかかわらず、しかも
「……それは、ブラフではない?」
《ああ、たしかにそう見えたよ。はじめは私も台本の内かと思って黙っていたけれど、大淀さんの慌てかたから察するに、これはホンモノだと確信してね》
「……そうね、あなたの想像通りよ」
《えっと、いったいどういう話を》
一人置き去りにされた潮に、響は噛み砕いて、直接的に説明する。
《この事故は、どこかの偉い人が意図的に仕組んだものだよ。空挺装備の実地試験のために用意された舞台なんだ。大淀さんはそれを知らされていたけれど、守秘義務で私たちに伝えることができなかった》
《そんな……じゃあ、船員さんたちは……》
《米軍がよく使う手口さ。昔からね。私達も北上さんも、大淀さんだって、これに巻き込まれたにすぎない》
大淀は臆せず、自らの口から堂々とその実態を白状した。ここに来て隠す必要など存在しなかった。
「弁解はしないわ。……私が知っていたのは、手頃な貨物船を危険海域まで誘導し、何らかの方法で攻撃を加えることで停船させ、それを餌に深海棲艦をおびき寄せるということだけ」
《なるほどね、合点が行ったよ。空挺装備がうまく作用し、北上さんが普段みたいに魚雷で全部沈めていれば、災害救助における有用性が認められて、大々的に、それも合法的に配備できる。もちろん、米軍も》
「けれど、どうやらその手頃な貨物船というのが曲者だったみたいね。響の話が本当なら」
大淀の想像以上のやり取りが、見えないところで進んでいた。文字通り、水面下で。
――――――――――
「……じゃあ、つまり、ニシナのおっさんは、アカからでっかい前金貰って、この船の船長請け負ったってことね」
「そういうことだ。船は新品が初めから用意されていた。送られてきた資金で船員を雇い、何の変哲もない貨物を載せ、地球を半周して、あとは船ごと向こうに引き渡す手はずだった」
「変哲ありまくりの貨物はここだけってことか。で、アカのこと知ってるのもあんただけ。勘付かれて臨検なりなんなり受けたときにはこの中に入って分離すれば、盗んだものには気付かれず、更には口止めにもなるって算段か」
「そういうことだ。……もっとも、本当に使うことになるとは思わなかったがな」
「……ガッカリすると思うからあんまり言いたかないんだけど、多分、あんた、ハメられてるよ。向こうに着いたら着いたでさ、難癖つけて殺されてたよ。洗脳じゃなく、金で雇ったやつだもん、情報漏洩する前に、潰しておくのが正解だし。金もどうせ没収だよ。何一つ残りゃしないって」
「知っていた、そんなこと。初めからわかってやっていた」
「それじゃ意味なんてないじゃない。綺麗どころでも侍らせて、酒でも飲んでずっと遊んで暮らしたいから、みんな大金ほしいんでしょうよ。……ああ、もしかして、もう使っちゃったとか?」
「そんなところだ」
「いいねえ。思い切りいいのは嫌いじゃないよ。満足してから死ぬんだから、船乗りにとっては最高の最後の旅だろうね」
「だが、うまくは行かなかったな。米軍が沖合を航行しろと言ってきたもんでな、素直に従ったらこのザマだ」
「この船が不審船だってこと、ヤンキーには筒抜けだったってことね。……船体に空いてた穴、ありゃ潜水艦の主砲だよ」
「つけられていたか……。そして、カイブツの餌にされた」
「だからまあそもそも沈んでも大して構わんってことで、都合よく、あたしらの事情に巻き込まれたってオチさ。こっちもこっちで、色々あるもんでね」
「大変だな、嬢ちゃんも」
「そうでもないよ。振り回されて痛い目見るのは慣れてるし」
「……それだけ肝が座っているところ見れば、納得できるさ」
「あんまり、うれしかないね」
「そう言うな。さあ、今度はまた嬢ちゃんの番だ」
「あー……じゃあねえ、あいつの初陣について話そっかな。あいつの初陣は運の悪いことに……」
――――――――――
時が経つごとに、深海棲艦の数は増え、飛び交う砲弾の数もそれに比例する。あまり増えては見切ることも不可能になり、弾が逸れる事を期待するしかなくなってしまう。
そうなれば、単純に押し切られる。数の暴力だ。
《ひぃっ! し、至近弾! 機銃損傷!》
《向こうもだいぶ寄せてきた。潮、怯まず動き続けるんだ》
「魚雷、撃ちきって! 誘爆する前に身軽になって!」
潮は言われるがまま、敵の密集している方向に向けて九本の雷跡を海原に引く。無駄のある使用法だが、相手は一直線にこちらへ向かってきているため、命中の見込みはないわけではなかった。
撃ちきった発射管は分離され、剥がれ落ちる。艤装の換えはきいても、艦娘に代わりはいない。
「デカブリスト、あなたも!」
《遠すぎる。少し近付いてから放ちたい》
「危険すぎるわ! 今私たちはこの熱に囲まれているから具体的な位置を悟られていないの! 前に出れば、正確な射撃があなたに集中するはずよ!」
《……わかった。仕方ない》
次いで響もまた全ての魚雷を放った。これで一八本。本来であれば、この面子は全ての魚雷を撃ちきったことになる。しかしながら、実際にはあと一六本残っていた。
《それで、三正のそれは?》
響の言う「それ」は、大淀の両の足に片方二基ずつの計四基装着されていた。本来雷装をしない大淀が、PBYから持ち出した北上の空挺艤装の一つであった。
《それって、北上一士の……》
「︙︙試製対地噴進迫撃砲」
《やっぱりただの魚雷じゃなかったね。……使い方によっては、一網打尽にできるのでは?》
「それがね、弾頭が演習用の信号弾のままなの」
《ふうん……》
《そんな……》
露骨に潮が落胆する。だが、大淀の頭にはこの大きな花火の使い道がはっきり頭の中にあった。そして間がよく、ちょうどその実力を発揮する機会が訪れた。
《発、舞鶴 対艦特警航空隊。宛、横須賀 大淀三正。応答せよ》
通信士であろう若い隊員の声に遅れて、遠くからPBYのプロペラ音が響いてくる。増援を載せた二機の飛行艇が、低空を飛翔していた。
《ようやく、お出ましだ》
《やった! 響ちゃん、これで勝てるよ!》
「こちら大淀、応援感謝致します!」
《状況は本部より伺っています。貴官の西、三カイリに着水――》
言い切る間もなく、気付いた深海棲艦が対空砲火を打ち上げ始める。機銃の曳光弾が途中で落ちていくのが見て取れるが、それよりも砲撃により発生する水柱が問題であった。引っかかれば、一発で撃墜である。
《対空砲火過密につき着水不能! 一旦引き返し地点を定め直します!》
「いいえ、進路そのまま! 今安全にします!」
大淀は向きを変え、噴進砲の発射準備を整える。雷撃は北上の監督による実習以来だ。緊張から、やや肩に力がこもっていた。
激しい炎と音を立てて、花火玉は飛んでゆく。一六本の白い筋は、PBYの着水地点とは真逆、東側へと少しずつ広がる。
「囮弾、放ちました! 着発まであと二〇秒!」
《……了解! 突っ切ります!》
PBYは速度を落とし、対空砲火は更に激しさを増す。完全に着水態勢に入り、機首を上げながら、水柱の高さよりももっと低くまで高度を下げた時、辺りは、まばゆい光に包まれた。
《わっ、花火……すごく、きれい》
《玉屋、だね》
大海原に、北上特製の花が咲く。他の艤装の調整ついでにこちらにも手を加えていたようで、以前のものよりも更に大きく、眩しく咲いた花だった。やがて、大きな音が響く。戦艦の主砲か、それ以上か、とにかく、空が割れそうなほどの振動が衝撃となって耳をつんざいた。
PBYに向かっていた全ての対空砲火が、途端に花火を標的にし始める。より強い熱と光を発する物に向かって、深海棲艦は鉾を向ける。大きく綺麗な花火に釘付けになるのは、なにも人だけではない。
《これって、大きな音と熱で敵の目を……》
「そう、潮。北上さんのお手製花火。……まさかこんなに大きいなんて、私も知らなかったけど」
《艦娘引退して、花火師になった方がいい出来だ》
つつがなく、PBYは着水する。あとは艦娘を展開し、海域を離脱するだけである。
後方の一機は、停止することなくスムーズに小さな影を二隻下ろしてタッチアンドゴーで去っていく。しかしどういうことか、もう一機はハッチを開けたままその場で停止してしまった。
先に出た二隻は早速戦闘行動を開始したようで、元気に主砲を響かせているが。もう片方は動きもしない。
「こちら大淀! 問題発生ですか!?」
問いかけに答えたのは、通信士ではなく艦娘であった。若さの割に落ち着いた声は、響にも通じるものがあった。
《初霜一士補です!》
「初霜!? 酒匂はどうしたの!? 現場責任者は!?」
《それが……先程の対空砲火によって恐慌状態です。そのため、指揮権を私が引き継ぎ、載せたまま送り返そうかと》
目眩がした。本来勘定には入れてないとは言え、頼みの綱の軽巡がこの体たらくである。しかしながら大淀には同情する気持ちもあった。おそらくは初陣であろう。深海棲艦を何度も見ているわけでもなく、近くに砲弾が落ちたこともない。その中で、責任を背負って出なければならないというのは、あまりに酷である。
だが、ここは現場である。時には冷酷な判断も必要となる。
「……初霜一士補、あなたには大変心苦しいお願いをするわ」
《なんでしょうか……?》
「酒匂の頬を、一発、強く叩きなさい。それから、私と交信するよう言って。あなたは機外に出て、PBYを守りなさい」
《……承知しました》
しばらく後、ハッチから小さな影が出ていった。それから、先程の交信より遥かに強い出力で、小さく、弱い声が鳴く。
《……さかわ、です》
「聞こえているわ、一士」
すすり泣く声は、大淀は以前も聴いたことがあった気がした。
たぶん、きっと、それは、自分の声だ。
《ごめん、なさい》
「一士、いい? よく聞きなさい」
自分の声だからこそ、どうすればいいかは、よく知っている。
大淀は、いつからか自分の声に艦娘の意思を左右させる力があることに気付いていた。指揮の鼓舞。それが「連合艦隊旗艦」から来る力なのか、あるいはまた別の何かかははかりかねていたが、それこそが自分の持ちうる最大の能力であると自負していた。
故に、かつて初陣で自分が心砕かれた後、すぐに立ち直った時と同じく、酒匂にも、決意させることができるのだ。
「あなたの頬を叩いた者の背中だけ、近くでよく見ていなさい。そうすれば、全て教えてくれるから」
返信もなく、少しだけ大きな影が、ハッチから弾のように飛び出していく。
初霜の背を、ただひたすらに追いかけて。
――――――――――
「でまあ、現場で腰抜けて震えながら泣いてやがるもんだから、これじゃ逃げることも何も出来ないってもんで、あたしゃねえ、一発頬を叩いてやって、『余計なこと考えず背中だけ見てついてきな』って言ってやったのさ」
「……嬢ちゃん、恥ずかしくなって、少し照れ隠ししてるだろう」
「そうかね。あたしゃそんな柄でもないと思うけど」
「いいや。嬢ちゃん、その時きっといい顔してたに決まってる。今みたいに、緊張感なくヘラヘラしてるんじゃなくてな、頼れる先輩の顔してたんだろうよ」
「ひょっとすると、そうかもね。そうじゃなきゃあ、あいつが未だにあたしのケツ追っかけてる理由がわかんないから。……ん、海底かな? 沈むの止まったね」
「結構揺れたな……ここが墓場か」