「天使様、私のことはどうか、イリスとお呼び捨てくださいませ。親しき者にはそう呼ばれています。それから、天使様は私の主君なのですから、敬語などはお止めください」
「――――クレイストさん、その・・・」
「天使様、イリスでございます。敬語はお止めくださいませ」
「―――・・・イリス、鼻血・・・出てるよ?」
「はい♪天使様♪これは天使様への熱い忠誠の迸りです♪」
息を荒くしながら頬を赤く染め、鼻血を流し、忠誠の迸りと言うのなら、世の中の変態は皆さん忠誠心の塊なんだろう。嫌な世界だなそれは・・・。
イリスが街中で号泣し、偶然か作戦勝ちか、彼女の望み通りに僕の騎士へと収まった後―――。
僕らはイリスの実家の屋敷へと向かっていた。何でも自分の仕える君主の紹介をしておきたいとのことで、僕としてはイリスの両親が認められないと言ってくれることを期待していた。
「天使様にご足労させてしまい申し訳ないのですが・・・」
「いやいや、全然構わないよ。イリスのご両親に会っておきたいからね!」
「―――~~~!?そ、そそそそれは・・・どどのような意味ででしょうか!?はぁはぁ」
「はぁはぁしないでね」
「はい♪天使様♪自重します♪」
普通の両親であれば、こんな何の権力も金も持たない子供に騎士になった自分の子を仕えさせるなんて絶対にあり得ないだろう。しかも相手は貴族だ、尚更認められるはずはない。
そう、難しく考えることは無かったのだ。確かに先程はイリスの望み通りの展開になったが、この先はそうはいかない。
流石のイリスも両親を泣かせてまで僕の騎士をするとは言わない・・・と信じたい。
僕は彼女の両親を全力で援護するつもりでいた。
途切れ目の見えないほど長い塀に囲まれた豪奢な大きな門が開かれると、大きな庭園が広がり、その中央の道は屋敷まで2、3百メートルはあろうかと言うほど長い。
近くで見る屋敷は見上げるほど大きく、洋館というよりも石造りの博物館か何かかと思える造りになっていた。これだけ見るだけでもこの貴族がどれ程凄いのかが分かる。
門先から案内役として僕らの前を静かに歩いていたメイドが応接間の前で足を止めた。
「旦那様、奥様、お嬢様とお連れの方がいらっしゃいました」
「うむ、入って頂きなさい」
「あらあらまぁまぁ。どうぞ~」
入室の許可を待って、両開きの大きな扉が、扉の前に控えていたもう一人のメイドと一緒に開かれる。
応接間は広々とした空間が広がっており、中央にテーブルを囲むように座り心地の良さそうなソファが備えられていた。頭上には大きなシャンデリアがきらびやかな装飾をされ吊るされており、こちらから見た正面の6つの大きな窓は開け放たれて春風を運んでいる。
窓からは庭園の美しい景観を一望出来る、素晴らしい間取りだと思う。
中央の正面の大きなソファに腰を下ろしている男女がイリスの両親だろう。
父親のほうは簡素であるもののきっちりとした騎士服を身にまとい、その顔は威厳と風格の中にどこか人の良さそうな柔らかさを備えていた。
「随分と早く見つけたのだな、イリス・・・。初めましてだね、私はイクトル・フォートリア・クレイスト。ユライリスの父親だよ」
「初めまして、クレイスト卿。イツキ・神代と申します。この度の急な来訪の許し、ありがとうございます」
「あらあら・・・まぁまぁ・・・まだ子供でしょうに、礼儀のなった方ですわねぇ~」
おっとりとした母親の言葉に、うむ、と綺麗に切り揃えた口髭を撫で付けるイクトル。
「私は妻のベルティアと申しますわ、宜しくお願いしますね、イツキちゃん」
「こちらこそ宜しくお願いします、クレイスト夫人」
ベルティアは少し癖っ毛の髪を肩に付く辺りまで伸ばしている。その髪の色はイリスと同じアンバーで、イリスくらいの母親とは思えない若々しく、それでいて可愛らしい顔立ちをしていた。
着こなしているルームドレスは貴婦人らしさをより引き立てている。
「――――・・・フッ」
そっと隣に目を遣ると、物凄いドヤ顔をしているイリスの顔が視界に入り、イラッとする。
きっと私の天使様は凄いでしょうとか思っているに違いない・・・。
だがしかし、今の僕はイリスの敵でありイリスの両親の味方なのだ、その顔を歪ませてくれる。
イクトルがソファを勧め、僕らが腰を下ろすと直ぐにメイドが紅茶を用意してくれた。
それから軽い自己紹介も兼ねて自分の生い立ちやイリスの家柄についてなどの会話を行った。
「どうですか!私の仕える天使様は!素晴らしいお方でしょう!?礼儀正しく、そして神聖的で、お優しく、この愛らしく美しいお顔!何より、天使様は
「ほう、
「なっ!何を仰って――――」
「ええ、クレイスト卿。僕もそれを思っていました。僕は普通の生活を営んでいて危険などは無かったのです。貴族というわけでもない一般の子供に騎士が付くなど到底あり得ないことですよね」
言葉を重ねつつもイクトルに僕は目線を遣り小さく頷くと、彼もまた口髭を押さえながら目配せをし同じく頷く。この時僕と彼は完全に利害が一致したと認識した。
「て、ててて天使様!?にゃ、にゃにを!?」
「うむ、それに騎士として付くのであれば仕えられる側は騎士に対し報奨を用意せねばならんだろう。無償で仕えるのは騎士ではない・・・それはただの奴隷だ」
「お父様!!私は天使様に仕えることで至上の栄誉をうけ――――」
「イリス~ちょっと黙っててね」
「はい♪天使様♪黙ります♪」
基本的にイリスの忠誠心は本当に高く、ちゃんとお願いするとそれを遵守しようとしてくれる。
そういうことで彼女は僕らの会話に横槍を入れることは出来なくなったわけだ。
「そうですね、そして僕はユライリスさんに主として支払える報奨を用意できない・・・。これでは僕は彼女を騎士として迎え入れることはとても難しいですね・・・」
「そうだね、しかし君はまだ若い。いつかその知性で身を立てることも出来るだろう。そう、その時を待っても遅くはないのではないか、私はそう思っているのだよ・・・」
「クレイスト卿・・・。ありがとうございます。僕はそのお考えに心打たれました・・・」
イクトルと僕はとてもいい笑顔でがっちりと両手で相手の手を包むように握手を交わした。
その姿をベルティアは微笑ましく、イリスは父を睨みつけるように見つめていた。
「うむ、イツキ君は確かに素晴らしい子だ。イリスの言う通りな、だがまだ時期尚早という事が分かっただろう?」
「あ、イリス、もう喋っていいよ」
「はい♪天使様♪―――お父様っ!?お気は確かですか!!私は女神様の天啓を受けたのですよ!?それを無視するおつもりですか!それは神に対する背信行為ですよ!!!」
「はっはっは、何を言っているんだ。私はまだ早いと言っただけで、認めないとは一言も言っていないじゃないか?なぁイツキ君」
「ええ、勿論。イリスだってその天啓は何時騎士になると明確に指定したものじゃないんだよね?」
「て、天使様ぁ~~っ!天使様は私のお味方をなされないのですかぁぁっ!?」
残念ながら僕は最初からイリスの敵だったのだ。よってこれは当然の結果、先程の街中での屈辱晴らさせてもらう。――――最後に勝つのは僕だ。
「何を言っているの?イリス、僕は何時か君の主として相応しいと認められるようにこれから頑張るって言っているんだよ・・・?それまで待っていてくれるよね・・・?」
「うむ!流石は女神様の天啓だな!素晴らしい子ではないかーはっはっは。困ったことがあったら何でも言いなさい、イツキ君。私の出来る限りのことをしようじゃないか」
「~~~~っ!?うーーーーっ!!ううーーーーーっ!!」
「あらあら、まぁまぁ。皆さん楽しそうですわねぇ~うふふ」
もうイリスに手札はないはずだ。これ以上僕の騎士だとまとわり付くのはただの我儘にしかならず、父親からも今は諦めよと言われ、忠誠を誓った主からは何時か迎えに来るとまで言われては彼女は完全に詰んだはずだ。これで―――――。
『ご~主~人~。遊びさ来たっちゃよぉ~』
「――――・・・」
窓が開いてたのか、何ていうタイミングで来るんだこの精霊は・・・。
僕の首に腕を回して頬ずりをするシルフを驚愕の表情で見つめるイクトルだったが、まぁ初めて精霊を見たらそういう感じになるのか・・・と、安易に思ったその思考は完全に間違いだった。
イクトルは、勿論この時初めて精霊を目にした。だが、その驚愕の表情の理由は全く別のものだった。
「イリス・・・」
「わぁ天使様は精霊さんにまで好かれているのですね~流石ですっ!私初めて見ました!」
「イリス!!!!」
「ひゃわ!?な、何ですか!?・・・お父様?」
僕と僕に抱きつくシルフを切なそうな、慈しむような視線で見つめていたイクトルは、イリスを強く呼び、先程とは比べ物にならない真剣さで口を開いた。
「イリス、クレイスト家の騎士として・・・身命を賭して、イツキ・カミシロ様をお守りしろ・・・これはクレイスト家の大恩に報いる悲願であるっ!!」
「えっ――――・・・」
「お父様!!勿論です、もとより私の全ては天使様に捧げた身!騎士として永遠の忠誠を!!」
「な、何を・・・っクレイスト卿・・・?」
『こん人らなんしよんね?ご主人・・・?』
急に先程とは真逆の事を言い出したイクトルに困惑しながらも僕は問いかける。
イクトルは僕に微笑みを浮かべ、済まなそうに口を開く。
「済まない、イツキ君。我がクレイスト家は、初代当主により爵位を国王から賜った・・・。だがその過程には、初代当主の死を救い、祝福を与えてくれた精霊様の存在があったのだ・・・。それから我々クレイスト家は精霊様の大恩を忘れること無く、代々そのことを語り継がれてきた・・・」
「―――・・・」
「その精霊様が寵愛されるお方を守らずして・・・クレイスト家足り得るか、クレイスト家の騎士かと・・・我が家の悲願に付き合わせるのは非常に心苦しい・・・だが、分かって欲しい・・・君は精霊様の寵愛を受けし御方・・・ならば我がクレイスト家はその御身を命を懸けて守らねばならない」
―――何てことだ。つまりはこのポンコツ精霊の出現で僕の評価が超重要人物に格上げされてしまったのだ。これは覆しようのない最悪な状況だということが・・・分かってしまった。
「イリスは少々危なげではあるが、剣の扱いは一流と評価されている。それにイツキ君のことを心酔している様子・・・きっとその身をお守りしてご覧に入れるはずだ」
「勿論でございます!お父様!私は、天使様の身を必ずやお守り致します!!」
「―――・・・」
ダメだ、ダメだダメだダメだ諦めるなッ・・・。このポンコツ精霊の出現の中、唯一反応が鈍かった人がいる、もしかしたら味方になってくれるかも知れない・・・。一縷の望みを賭けてベルティアへと話しかける。
「クレイスト夫人?貴方はどう思いますか?何の後ろ盾もない僕に大事な娘様が仕えるなんて・・・おかしいと思いませんか?」
「――え?私?私は、イツキちゃんはいい子ですもの~・・・安心しておりますわよ~ふふふ」
ブルータスお前もか・・・。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
つまりはもう覆しようがない事柄であることが理解できた・・・。
クレイスト家の長年の悲願のために僕は礎となるべく、その身を捉えられたのだ・・・。
「その・・・イツキ君・・・行く行くは娘と婚姻を結ぶというのも・・・その悪くないと思っているのだよ・・・騎士とその主が婚姻を結ぶというのは珍しくはないものなのだ・・・」
「あらあらまぁまぁ、いいわねぇ・・・イツキちゃんが私の息子になるのですわねぇ~」
『はぁ~?こやつら何を言うんじゃろねぇ~わたすのご主人がこげな乳臭い貧乳の娘を嫁にとるわけがにゃーじゃろがい!ね~ご主人~?』
「お父様もお母様もななな何を言ってるのですかぁ・・・わ、私と天使様が・・・ここ婚姻だなんて・・・ふひっ・・・んっ!全く・・・し、失礼ですよ!?私の君主様なのですから!!」
何だろうこれ・・・。僕は何をしていたんだろう・・・。夢?夢じゃないのかこれは・・・。
「クレイスト卿・・・」
「ん、なんだね?おぉそうだ!そんな堅苦しい呼び名は止めて欲しい。これからは、おじさんでもお義父さんでも好きに呼びなさい。はっはっは」
「え~貴方ったら、ずるいですわ~。だったら私はね~名前で呼んで欲しいですわ。あっでも~お義母さんがいいですわね~・・・」
今や僕と彼らの温度差は砂漠の昼と夜くらいはあるだろう。冷え切った心が未だに首に抱きついているシルフですら温かいと感じさせる。メイドが静々と新しい紅茶を用意して一礼して下がり、僕はその紅茶を一口飲み、喉を湿らせる。
「イクトルさん・・・これからどうなさるのですか・・・」
「うむ、そうだね。―――イリスを君の家の常駐騎士として置いてやって欲しいのだが、空き部屋はあるだろうか・・・?そうだ、我が家に君のご家族全員で移り住んで頂いても―――」
「いえ、空き部屋ならありますよ・・・」
「そ、そうかい?ん、ごほん。勿論、当家の事情に付き合わせるのだから報奨は必要ない。当面の宿泊費、生活費はこちらが用意させてもらうよ。月々の生活費もイリスとイツキ君の分を毎月届けさせる―――それから、君のご両親に当家の事情と陳情を兼ねて一筆
「僕の分は・・・必要ないですよ・・・」
「い、いやいや。こちらが迷惑をかけるのだ、それくらいはさせて欲しい・・・その、済まない」
死んだ魚のような目をしている僕のことを彼らはどう思っているのだろう・・・。
先程から事情を説明して欲しいとまとわり付いて鬱陶しい精霊と、僕の隣で物凄いテンションの高さで喜んでいるイリスが・・・何か凄く遠い。
「それじゃあ・・・僕は、帰って良いですか・・・」
「う、うむ。直ぐに用意するので
「ええ・・・分かりました・・・待ってます・・・」
「―――――・・・・・・イツキ君・・・ほ、本当に済まない!では準備を、イリス!お前もさっさと身支度を整えなさい。着替えは数日分でいい、後々届けさせる」
「は、はい!では天使様、少々お待ち下さいねっ」
「ごゆっくり・・・」
二人が大慌てで応接間を後にするのを横目に、紅茶をじっと見つめるしか出来なかった。
ベルティアは優雅な所作で紅茶を一口運び、にっこりと微笑みを浮かべ言った。
「大変ですわねぇ~。イツキちゃんも~」
「あはははは・・・そうですねー・・・・」
『ご主人~ご主人~無視はやめるっちゃ~構って~わたすをかまぐほぇ・・・あ、あひ・・・鳩尾は・・・ダメれっしょ・・・ご、ご主人・・・じゃけど、何かすげく・・・・・・イイッ」
構って構ってと煩い精霊の鳩尾に誰にも見られないように肘を打ち込んでおく。
「あははは・・・」
「あらあら、まぁまぁ。うふふふふ」
応接間には僕の乾いた笑い声とベルティアの朗らかな笑い声が響いていた・・・。
両親はイクトルから預かった手紙を読み終わり、テーブルに丁寧に折り畳み置くと深い息を吐く。
それから父が突っ立ったままの僕とイリスに視線を移して口を開いた。
「ふむう、そういう事情があるのか・・・。クレイスト卿には仕事を回してもらったりと色々と恩義もあるからなぁ。娘さんを預かるのは特に問題ないが・・・どうしてイツキはそんな魂が抜けたような顔をしているんだ・・・」
「いえ・・・これからのことを思うと不安で・・・」
「天使様!これからは私がいるのです!不安など感じることもなくなるでしょう!」
「――――イリス、おすわり」
「わん♪」
僕の声にイリスは馬鹿正直に犬のように床に両手を突いた。
自分達の息子が何故か帰ってきたら豹変していたと、二人は困惑した表情で僕を見つめている。
それはそうだ、僕だって普段ならこんなこと言ったりするはずもない。しかも相手は貴族の子女なのだから。この時の僕はどうしようもないくらいに心が荒んでいたのかもしれない・・・。
「ん、んん。何があったかは深くは聞かないことにするよ・・・」
「ありがとう。父さん・・・」
「しかし・・・その、まるで忠犬といった感じだね・・・彼女」
「はい!私は天使様の忠実なる騎士!犬にでもなる所存でございます!!」
「あら~そうなの。じゃあ犬小屋作らなくちゃねー・・・?」
「母さん、一応イリスは貴族の子女だよ・・・犬小屋は・・・いや別にいいか」
「イツキ!?じょ、冗談よ?し、しっかりして!?」
僕の肩を両手で掴みながら心配そうにする母を見つめ返し思う。
これからのイリスという騎士を交えた新生活を―――。
それは期待に胸踊らせる素晴らしいものであるはずもなく――――――。
――――――諦めと不安が
これからの展開にかなり迷っているので更新が遅くなると思います。
2章からは1章と違った物語ですが、楽しんで頂けているでしょうか。
ご意見ご感想お待ちしております。
読んで下さっている皆様に感謝を。
にゃー1。