20時を過ぎた秋葉原の街は暗い。秋葉原には家電や電機パーツの店が軒を連ねているが、そのほとんどが20時には店を閉めるため、メイド喫茶やチェーン経営の飲食店の明かりがまばらに灯っているのみである。
そのうちの一つ、秋葉原でも老舗と称されるメイド喫茶に、真姫は花陽と来ている。この店はμ‘sのメンバーであった南ことりが高校時代にアルバイトをしていた店で、数年ぶりに秋葉原に来たのだから、昔を懐かしみたいという花陽の希望で足を運んだのだ。時計はすでに21時を回っており、客がまばらということと、店の雰囲気が相まって、静かでゆっくりとした時間が流れている。
「まさかあんなところで会うなんて、本当にびっくりしたわ」
コーヒーを前に、真姫が口を開く。
「うん・・・私もびっくりした。真姫ちゃんがお医者さんになっているのは知ってたけど、病院までは知らなかったから」
応える花陽の前には、ティーセットが置かれている。
高校卒業後の花陽は、東京の大学には進学せず、日本有数の米どころである新潟の農業大学に進学した。スクールアイドルに打ち込んだ後に彼女が選んだのは大好きなお米であり、「美味しいお米を食べるなら、他人に作ってもらうよりも、自分でもっと美味しいお米を作りたい」という思いから、学部卒業のタイミングで就職することはせず、あえて大学院へ進学したのだ。いまは博士課程に籍を置いている。
先刻、真姫が病院で見た花陽のプレゼンテーション内容は素晴らしいものだった。緊張のせいで顔は紅潮し、口調はたどたどしいものであったが、患者にとって栄養があり、かつ美味しい食事を、栄養学だけではなく農学、心理学のアプローチまで盛り込んで提案していた。どうやら花陽は研究者として確実に成果を出しているらしかった。
「私も花陽が新潟に行ったところまでは知ってたけど・・・まさか大学院まで進んでいるとは知らなかったわ。それに病院で会うなんて」
「病院食の改善プロジェクトはね、研究室の先生がプロジェクトリーダーになっていて、私も参加させてもらったの。病気やケガで入院している人に美味しいお米を食べてもらうことで、少しでも元気になってもらえるなら、それはとても素敵なことだと思ったから」
高校卒業後も、花陽が穏やかで心優しい女性であることに、真姫は懐かしさと心地よさを覚えた。加えて、彼女が病院で見せた、人前に出ると極端に緊張してしまうところにも。
「そう・・・それにしても、μ‘sのメンバーに一日で二人も会うなんて、すごい偶然だわ」
「え!?私以外にも会ったの?誰?」
「凛よ。今日、空港に行く用事があって、偶然そこで会ったのよ。アメリカから帰ってきたんですって・・・花陽、聞いてなかったの?」
花陽と凛は幼馴染で、高校でも二人一緒にいることが多かったため、真姫は、花陽と凛であれば今でも連絡を取り合っているものと思い込んでいた。
「凛ちゃんとは、私が学部生の頃はよく連絡してたんだけど、大学院に進学してから、研究が忙しくて・・・ぜんぜん連絡を取れてないの」
そう言う花陽の表情は明らかに曇っている。真姫はその表情から、幼馴染といつの間にか疎遠になってしまったことを悔いている、花陽の思いを理解した。
「そうなの・・・てっきりまだ連絡を取っているんだと思っていたわ。凛、ミュージカルの日本公演に出るんですって。それでアメリカから帰ってきてるのよ」
「ミュージカル!?すごい!凛ちゃん、夢が叶ったんだね!私も会いたいなあ・・・」
「しばらくはリハーサルで忙しいらしいけど・・・連絡先は交換してあるから、花陽が東京にいる間に、三人で会いましょう」
花陽は表情をぱっと明るくし、大きく頷いた。大学が冬休み期間に入っているため、今日からしばらくの間、彼女は実家に帰省する。二人で病院から秋葉原へ向かう途中、真姫はそれを彼女から聞いていた。
「μ‘sの一年生が揃うのって、10年ぶりだよねえ。とっても懐かしいなあ。真姫ちゃんは立派なお医者さんだし、凛ちゃんはアメリカで頑張っているし・・・なんか気おくれしちゃうなあ。私だけ地味な感じで」
花陽が人懐こい笑顔で言う。これは彼女の本心からの言葉であるが、真姫には素直に喜べず、むしろ普段抱いている劣等感を思い起こす。医者として未熟な、不甲斐ない自分。いまの凛と花陽は、真姫にとっては輝かしい存在に見える。
「そんなことないわよ。凛はともかく、私は・・・むしろ、花陽のほうが立派よ。好きなことに精一杯取り組んで、ちゃんと結果が出せている。病気やケガの人のことまで考えてくれてる。私は・・・正直、自分が医者に向いているのか、最近よく分からないの」
「真姫ちゃん・・・」
「ごめんなさい、これはいま話すようなことではないわね。話題を変えましょう。ところで花陽、あなた、アイドル・・・」
太田に命じられた「μ‘s再結成」について話題を切り替えようとした瞬間、店のドアが開いた。客が来たらしく、メイドが対応する。すると、聞き覚えのある声が真姫と花陽の耳に届く。
「こんばんはー。わあ、アンジェリカさん、お久しぶりです。メイド長さんになられたんですね」
「ミナリンスキーさんも、お元気そうで何よりです」
アンジェリカというメイドが懐かしそうに応える。
「え?ミナリンスキー?」
聞き覚えのある声に続き、μ’sの元メンバーであれば忘れないであろう単語を耳にして、真姫は驚き、同じく驚いた表情の花陽とともに、店の入り口に目をやる。
赤いロングコートに黒のタートルネックセーター、足元はヒールの高いロングブーツ。明らかにファッション業界の人間という風体の女性。
洋服のテイストは高校の頃に比べるとかなり変わった感があるが、紛れもなく、その女性は南ことりであった。
すいませんまたしてもご都合主義的展開です。ことりちゃんがどうして日本に?フランスにいるはずなのに?それは次回にて。
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