昨日の心労は、一晩の睡眠程度では十分に癒されることはなかった。
心身ともに疲労を感じながら、真姫は朝のカンファレンスに参加している。今までと異なるのは、昨日から病院にやってきた太田の参加である。
昨日、真姫が病院を出た後に、太田は脳の疾患で救急搬送されてきた二人の患者を救った。どちらも救命は困難な容体であったが、太田は二件とも緊急手術を提言した上で自ら執刀医としてメスをふるい、手術を成功させた。この話はすぐに脳外科の医局員に伝わり、「天才脳外科医・太田」の名声は伊達ではないことを誰もが認識した。それと同時に、太田が手術室に流させた音楽がアイドルソングらしきものであったことも話題となり、太田がアイドル好きらしいことについても誰もが認識した。
二人目の手術が終わったのは朝5時、カンファレンスが始まったのは朝の7時30分。太田はおよそ2時間程度の睡眠を取っただけでこのカンファレンスに参加しており、いまは医局員それぞれが説明する患者の容体や治療方針に対し、鋭い突っ込みや助言を行っている。医局長の国東は、自分が連れてきた太田がさっそく活躍していることに満足しているようで、穏やかにその様子を眺めている。曽根香世子は畏敬と僅かばかりの嫉妬を混ぜた視線を太田に向けている。
真姫はというと、太田の敏腕とタフさに驚くと同時に、医師としての圧倒的な実力差に劣等感を覚えている。経験の差はあれど、自分が太田と同じ年数を経たとき、太田のようになっていられるだろうか。昨日、高校時代を共に過ごした仲間たちの輝きを目の当たりにしたばかりの真姫には、とてもそのようになれるとは思えなかった。
太田の存在によって通常よりもハードなものとなったカンファレンスが終わり、医師たちはそれぞれが担当する患者の回診に向かった。真姫が受け持っている患者は、今朝からは一時的に太田が担当するが、回診は研修医の重要な研鑽の場であるため、真姫は今後も太田に付き添う形で参加する。真姫が受け持つ5人の患者のうち、4人までが終わり、最後が北方マリアである。
昨日、太田と話してから、マリアは治療に対して前向きになっていた。入院当初は食事すら拒んでいたが、昨晩からは食事を摂るようになっており、検温などの日常的な検査を拒むこともなくなった。看護師たちは急な変貌に驚いていたが、「病気をこれ以上悪化させない」という太田の言葉と、マリア自身に残っているであろう「輝きたい」という思いがそうさせているのだろうと真姫は考えた。
「おはようございます、北方さん」
そう言って二人が病室に入ると、マリアはベッドの上に体育座りで、ヘッドホンをつけて食い入るようにノートパソコンの画面を見ていた。二人に気づくと、ヘッドホンを外す。
「おはようございます・・・」
昨日まで反抗的な態度をとっていたせいか、マリアには照れがあるらしい。その声は小さく、目線は二人から逸れている。
「昨日紹介したけれど、こちらの太田先生、今日から私と一緒にあなたの担当になります」
「手術のことはとりあえず忘れて、昨日も言ったけど、治す方法を考えていこう。改めてよろしく」
「よろしく・・・お願いします」
太田がにこやかに言うと、マリアは俯き加減で応じた。マリアが見せる照れ臭さが真姫には可愛らしい。いくら気勢を張っても、やはり16歳の高校生なのだ。
「体調は問題ないようだから、今日も普段通りに過ごしていい。ただし、気分が悪くなったらすぐに看護師に知らせるように。それと、腫瘍が視神経を圧迫しているはずなので、あまり目を使いすぎないように。動画を見すぎると、頭痛が出やすくなる」
「はい・・・気を付けます」
太田の話に、マリアは素直に頷く。
「ところで、何を見てたんだ?すごく熱心に見てたようだが」
「それは内緒・・・あ、というか、西木野先生に聞いてほしいことがあるの」
「え?私?」
今まで反抗されていたマリアから指名されたことが余りに意外で、真姫は驚いた。彼女は相変わらず俯き加減だが、長めの前髪から覗く目はしっかりと真姫を見ている。
「ほう、これはガールズトークってやつかな。それは俺の担当外・・・西木野先生、よろしく頼んだよ」
何かを悟ったのか、太田はおどけた調子で病室を出た。置き去りにされた真姫は、太田の身のこなしの早さにあっけにとられたが、気を取り直して、マリアに向き合う。
「なに?聞いてほしいことって」
「これ・・・見てほしいの」
そう言うと、マリアは細くしなやかな両腕でノートパソコンを持ち上げ、画面を真姫に向けた。それは矢澤にこの店で見た、ラブライブ!関東大会でのMADAの動画だった。嫌な予感がした真姫は、思わずマリアから目を逸らす。
「どうして、これを私に?」
「この子たちに足りないものは何か、どうすればもっと輝けるようになるか、教えて」
「でも私、アイドルじゃないわよ」
「それはウソ。西木野先生、μ'sの西木野真姫さんでしょ」
「うっ・・・」
マリアは現役のスクールアイドルであるから、真姫は自分が「μ'sの西木野真姫」であったことにいつかは気づかれるだろうと覚悟はしていたが、ついにその時が来てしまった。最初にマリアに会ったとき、彼女は気づいていないようだったので少し安心していたが、その日は早く来てしまった。
「あなた、知ってたの?一昨日も昨日も気づいてなかったのに」
「昨日の夜、調べたの。西木野って名前、なんとなく聞き覚えがあって。ネットで西木野って検索したら、μ'sが出てきた」
マリアはさらに続ける。腫瘍の影響で口調は緩やかだが、目は真姫を真っ直ぐに見て、しっかりと話している。
「私、ほかのグループに全然興味なくて、μ'sも詳しくは知らなかったの。けど、調べてみたら先生がいて、動画を見てみたら全部がすごくて、輝いていて、こんなグループがあったんだって感動したの」
「そ、そう・・・それはありがとう・・・」
気づかれたショックと過去を褒められたことによる照れ臭さとで、真姫はどう反応してよいのか分からず、気のない返事が精一杯である。マリアの目を見ることもできない。
「MADAもこういうグループになってほしい・・・でも、私はもうMADAには戻れないし、次があるかも分からない。だから、残った子たちにはもっと輝いてほしい。μ'sみたいに」
この言葉は真姫の心を強く打ち、同時に真姫は気が付いた。マリアは、μ'sにいた頃の自分に似ている。みんなのためになることをしたいと思っても上手く表現できず、素っ気ない態度を取ってしまう。マリアがメンバーに厳しく接していたのは、メンバーのためを思っての裏返しなのだろう。真姫の場合は、東條希をはじめとするメンバー全員が真姫のことを理解してくれていたから衝突が起きずにいたが、マリアの場合はそうではないのだろう。
真姫が今朝まで感じていた心労。それはいま吹き飛んだ。真姫は、医師として未熟な自分でも、患者のためにできる最高の治療をしようと決心した。
真姫は、逸らしていた目をマリアの目にしっかりと合わせ、マリアの両肩を両手でやさしく掴んだ。
「北方マリアさん」
「え?」
「輝くってどういうことか、いまはちゃんと伝えられない。けど、必ず伝えるわ。だから、それまで少し待って頂戴」
そう言うと、真姫は病室を出た。廊下には午前のさわやかな日差しが差し込んでおり、真姫をさらに勇気づけた。
実に4か月?くらいの更新になります。
待ってくださっていた方がもしかしていらっしゃいましたら、本当にすみません。
本業が忙しく「起床→出勤→退勤→夕食→風呂→就寝」のサイクルが数ヶ月続いていたため、ものづくりの気力を仕事に吸い取られておりました。これからは週に1話を最低限として更新していきたいと思います。
これまで「太田に言われてなんとなくメンバー集めしていた」真姫ちゃんですが、ついにヤル気を出します。次回以降はまだ登場していないメンバーを続々登場させていきたいと思います。
ご意見ご批判、どしどしお寄せください。よろしくお願いします。