矢澤にこ。μ’sが活動を終了しても、彼女は秋葉原から離れることはなかった。
高校卒業後、大学には進学せず芸能事務所に所属し、秋葉原を拠点としてアイドル活動を続けたが、芽が出なかった。
しかし、アイドル活動を通して、彼女は芸能界と秋葉原に人脈を作っていた。芸能界を引退した後もアイドルの輝きを人に届けたいと考えていたのだ。.
いま、彼女はその人脈を駆使して、スクールアイドルだけでなく、アイドル全般のグッズを販売する店を秋葉原に構えている。この店は彼女の人脈から得られるレアなグッズが多く、アイドルファンの間ではかなり有名な店になっている。
にこが高校を卒業した後、真姫は彼女のアイドル活動を作曲という形で幾度か手伝っていた。半ば強引に巻き込まれる形ではあったが、引っ込み思案な自分のところにぐいぐいと突っ込んできてくれる強引さが、真姫には心地よかった。にこがアイドルを辞めてからも、真姫はたまに彼女に会い、親しい仲にのみ許される憎まれ口を叩きあっている。
「今日はたまたま早く帰れたのよ。そんなことより、相談に乗ってほしいことがあるの」
「私に相談なんて珍しいじゃない。なあに?にこにーお姉さんに恋の相談かしら?」
にこは両手で両頬を挟み、首をやや傾げ、ぶりっこめいた口調で冗談を言うが、真姫はそれを無視し、続ける。
「MADAっていうグループのこと、教えてほしいのよ。特に北方マリアって子のこと」
「おや・・・スクールアイドルの話なんて珍しいわね。どういう風の吹き回しかしら・・・ん?北方マリアは病気療養で活動休止って聞いたけど、まさか、あんたの病院に・・・」
「そのまさかよ」
「えええっ!」
にこは驚愕の表情を見せた。
「医者が病院の患者さんのことを部外者に話すのは禁止なのだけど、今回は彼女のことをよく知る必要があるのよ。彼女、ちょっと大変な患者さんなの」
そう語る真姫の表情は真剣そのもので、ガールズトークにありがちな華やかさをまるで感じさせないものだった。にこはその表情を見ると、店の奥にあるカウンターから出て入口に行き、ドアにかかっている「OPEN」の札を「CLOSED」に変え、ドアを閉めた。
「そういうことなの・・・にこにーお姉さんで力になれることがあれば、なんでも相談なさい!」
真姫のほうを振り向いて、にこは力強く言った。真姫は、数少ない味方の笑顔に救われた気がして、口外厳禁という前提のもとで、病院でのマリアとのやり取りを彼女に話した。
「まず、いまのMADAを知る必要があるわね。最新の情報があるわよ。先週の日曜日にあったラブライブ!関東大会ね。それを見たほうがいいわ」
真姫の話を聞き終えると、にこはカウンターに戻り、内側の引き出しからDVDを取り出してレコーダーに入れた。壁面にかけてある液晶の画面に、関東大会の模様が映し出された。ちょうど、関東大会に出場する5組のグループがパフォーマンスを披露するところだった。
「ここに来る前にネットをチェックしたけど、これは動画が上がってなかったわ」
「そりゃそうよ。先週末の話だもの。それに最近は動画撮影の取り締まりも厳しいからね」
ラブライブ!は、真姫たちが引退した後、人気がさらに隆盛し、今や関東大会に出場するための予選会でさえ映像が市販されている。
「そんなものを、どうしてにこちゃんが持ってるのよ」
真姫の表情は訝し気である。
「ふっふーん、編集前の映像を運営さんにもらったのよ。にこにー人脈でね」
にこは不敵かつ得意げな笑みで応えた。
MADAのパフォーマンスは参加5組のうちで最後だが、真姫とにこは早送りせず、先の4組すべてのパフォーマンスを見た。どのグループもかなりレベルが高いが、病院でチェックしたMADAのパフォーマンスに比べると数段落ちるというのが真姫の素直な感想だった。
「次がMADAよ。北方マリアはいないけどね」
にこが言う。
画面に女性が四人現れた。どの子も手足がすらりと長く、そして美しい。すぐに始まった彼女たちのパフォーマンスを見て、真姫は驚いた。
「これって・・・」
「気づいた?そう、北方マリアがいなくても、彼女たちは他と比べて格段にレベルが高い。簡単に優勝を持って行ったわ。全国大会でも、間違いなく優勝するでしょうね」
そう言うと、にこはスマートフォンを取り出し、真姫に見せた。SNSの画面が表示されており、MADAについてのコメントがたくさん書かれていた。
「ひどい・・・これって・・・」
真姫は思わず口にした。そこには、「北方マリアがいなくてもMADAは最強」「北方は不要」等、MADAのパフォーマンスそのものより、北方に対する悪口のほうが多く書かれていたのだ。
「彼女、あまり評判良くないのよ。歌もダンスも、スクールアイドルの中では突出して上手い。プロのアイドルやシンガー、ダンサーよりも上手いかもしれない。でも・・・」
「でも?」
「とにかくファンに冷たいし、グループでも孤立しているみたいね。性格がキツイって、もっぱらの噂よ」
にこは続ける。
「自分が抜けたMADAが楽々と優勝しなければ、まだ彼女のプライドも救われたかもしれないけど・・・こうもあっさりと優勝してしまえば、彼女のプライドは少なからず傷ついているんじゃないかしら」
マリアは病気だけではなく、スクールアイドルとしての自分の境遇さえも苦にしていて、だからあそこまで悲観的になっているのではないか。真姫はそんな思いを抱いた。
「そっか・・・大変ね、これ。本当に大変」
自分の担当患者の境遇を知り、真姫はため息とともに言った。どうすれば自分の患者、北方マリアに前向きに治療を受けてもらえるのだろう。さらに問題が積み上がったような気がした。
「医者は病気を診るものじゃなくて、人を診るものなんでしょう?西木野先生」
にこは微笑みつつ言った。
「にこちゃん・・・」
「そう落ち込まないで。にこで力になれることがあれば、いくらでも協力するから」
にこの優しさに、真姫は一瞬泣きそうになったが、気を取り直して言った。
「MADAの運営の人に、連絡とれるかしら」
「お安い御用よ。まっかせなさい!」
そういうと、にこは自分のスマートフォンを手に取り、連絡先を探し始めた。
仕事がようやく暇になって、趣味に没頭する時間ができました。
おっかなびっくりで書いていますが、まだまだ頑張ります。よろしくお願いします。