太田と凛を乗せて、真姫は空港から聖堂大学医学部附属病院へとベンツを走らせている。真姫は最初の予定通り、太田だけを乗せるつもりだったが、凛の実家が病院に近いことから、同乗させてくれるように凛にせがまれたのだ。太田も、せっかくの二人の再会なのだから、ということで凛を後押ししたため、真姫は凛の同乗を承知した。
久々の日本、東京に来た凛のテンションが高いせいか、車内での会話は凛と太田との間だけで盛り上がっている。真姫は蚊帳の外に置かれた感があるが、凛が太田に失礼なことを言い出さないか神経を尖らせつつ、ハンドルを握っている。
「休暇も兼ねて1か月ほど日本に滞在されるんですね。僕と同じか、それよりちょっと長いくらいの滞在ですね。公演はいつからですか?」
「五日後になります。公演の後は二週間ほどお休みなんです。久々の日本なので、いろいろ見て回りたいです」
お互い自己紹介は済ませているが、初対面の相手のせいか、凛は語尾に「にゃ」をつけない。
「それにしても光栄です。こんな世界的なお医者様が、μ’sのこと、今でも好きでいてくれるなんて」
「世界的でもなんでもないですよ。いまも修行中の身です。それに10年前の僕は、駆け出しの医者でした。つらいことがたくさんありましたけど、μ’sの曲に励まされたので、あなた方のことを応援したくなりました」
μ’sの曲に太田が励まされていたということより、天才の名をほしいままにしている太田にも苦労が絶えない時期があった。その事実が真姫にとっては意外である。凛は太田に興味津々であるらしく、会話は続く。
「いま着ているTシャツ、これって私たちの最後の公演のやつですよね。10年前のものを今でも着てくれるって、とってもうれしいです」
「ああ、これ、同じものを10枚持っているんですよ。いま着ているものは7枚目です」
ハンドルを握りながら、真姫は目を丸くした。世界的な天才脳外科医が、同じTシャツを10枚も買うような熱心なファン、「ガチヲタ」であるという事実に驚愕したのである。
「じゃあ、このTシャツ、いつも着てくれてるんですか?もう7枚目だなんて」
「μ’sもそうですが、アイドルのTシャツはよく着ますよ。仕事のときにテンションが上がるんです」
凛の無邪気な問いにも、太田は落ち着いて笑顔で応えている。μ’sとして活動した10年前から現在まで、真姫はμ‘sのファンをたくさん見てきたが、メンバーを前にして、ここまで落ち着いたファンに出会ったのは初めてである。解散してから10年も経っているとはいえ、自身が熱烈に応援していたアイドルグループのメンバーを前にして、こうも落ち着き払っているというのは、現在の太田の頭の中には仕事のことしかないからだろうか。真姫はそんな想像を巡らせた。
凛と太田の会話、というよりも、凛の太田に対する一方的な問いかけは、車が病院に近づくまで続いた。先に太田を病院で降ろし、次に凛の実家に車を止めた。去り際に凛はハンドバッグから封筒を取り出し、真姫に渡した。
「これは凛が出る公演のチケット。二枚あるから、太田先生と見に来るといいにゃ」
不敵な笑みを浮かべながら、凛は車のドア越しに真姫にささやいた。
「え、そんな関係にはならないわよ・・・さっき会ったばかりの人よ?」
「真姫ちゃんは相変わらず人付き合いが苦手みたいだから・・・代わりに凛がたくさん太田先生のことを聞いておいてあげたにゃ。仲間と仲良くならないと、仕事って上手くいかないと思うにゃ。このチケットも、それに役立てるといいと思うにゃ」
そう言うと、凛は実家のドアを開け、中に入っていった。真姫は、一枚上手の旧友に心の中で感謝し、病院に車を戻した。