「石矢魔に女子が、帰ってーーー」
「キタアアアアアアアアアア!!」
「うぜぇ…」
男鹿にそんなことをいわれようが知ったことではない。古市は今、廊下を行き来する女子に猛烈に感動していた。
というのも、古市達が、つまり1年生がこの高校に入学して以来、女子達は全学年纏めて姿を消していたのだ。
必然、今日初めて古市は石矢魔の女子をめにするわけで。
「ふおおおおお!!」
「うるせえよ!!」
そして、古市がここまで感動しているのにはもう1つ理由がある。
「だってクイーンだぞ!!石矢魔に入ってきてからずっと小耳に挟んでいたあのクイーン!!大和撫子のクイーンが!今!この石矢魔に!いるんだぞ!」
そう、
入学してからずっと気になっていたクイーン。そのクイーンが今同じ高校にいるとなれば古市のとるべき行動は1つであった。
「よし、見に行くぞ男鹿」
「行きたきゃ勝手に行け。なんで俺がそんな」
「いいから来い!」
「うぉおい!!」
早速実行に移す。思い立ったが吉日である。
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クイーンが帰還したという噂は瞬く間に校内を駆け巡り、2年校舎の廊下には一目見ようと多くの生徒が集まっていた。その真ん中を歩くのは葵以外にもう2人、ほぼ側近の寧々と千秋だ。
「ったく、相変わらず胸糞悪いねここは」
朝からずっと不快な視線に晒されて、寧々はかなりのストレスと苛立ちからそう吐き捨てる。実際その視線のほとんどが自分ではなく葵に向いているものなのだが、寧々は逆にそちらの方が何倍も頭にくる。
「気にしないの寧々。こんな奴らにいちいちイラついてたって時間の無駄よ。どうせなにもできやしないんだから」
言動からかなり寧々がイラついてることがわかったのか、葵がそう諭す。それにより寧々の気分はいくぶんか落ち着いた。
しかし、それと反比例するように周りの男共の機嫌はみるみる悪くなっていった。
普段心の底で女子を見下している彼等にとって、女子が幅を利かせている現状は不快で仕方がない。ましてやその女子に「こんな奴ら」や「なにもできやしない」などと言われて我慢できるはずがない。
が、行動を起こすものは1人もいなかった。
普段直情的な彼等がそうまで言われてそれでもなお行動を起こさない。いや、起こ
しかし、何事にも例外はつきもの。それがここ石矢魔となれば、なおさらだ。
ほとんどの男達が何かしてやろうと思い、寸前のところで思いとどまる中、群衆の中から悠々たる足取りで、真正面から葵に向かっていく男がいた。
「やあ葵ちゃん。グッナイ」
グッドナイト下川の名で恐れられる、2年連合の下川である。葵や寧々とは同級生ということになる。
「……下川…。なんのようかしら?」
「なんのようかとはつれないなあ。ほら、前の約束のことだよ」
前の約束と言われて葵は数瞬思案してみるが、なにも思い出せない。というか、自分とこの下川になにか接点があったかすら怪しい。
「悪いけど覚えてないわ。私なにかあなたと約束したかしら?」
「おいおいおいおい、きっちりしたでしょ。俺と葵ちゃんで勝負して、俺が勝ったら葵ちゃんと付き合うって、さ」
「あぁ!?」
葵と下川が付き合う。それを聞いて真っ先に反応したのは葵ではなく寧々だった。
眉間に何本もの皺ができ、これでもかというほど鋭い目つきで下川を睨む。
「なんでうちの姉さんがてめえみてーな小者と付き合わなきゃいけねえんだ?あぁ!?」
女とは思えないほど低い声と覇気をだす寧々。石矢魔の男でも怯んでしまいそうなその迫力に、しかし下川は平然としていた。
「あー、君は確か寧々ちゃんだったかな?君もなかなかいいけど、残念。嫉妬してくれるのは嬉しいけど俺は葵ちゃんにしか興味がないんだよね。」
キラキラの笑顔で「ごめんね?」という下川に対して、ブチっという音と共に寧々の中で何かが切れた。
「なるほどな。てめーが死にてえってことはよくわかった。こいよ、姉さんが出るまでもねえ。私が殺してやる」
寧々が自身の武器である鎖を構える。
「ふー、やれやれ。嫉妬もここまでくるとめんどくさいね。」
対する下川も寧々の喧嘩をかうらしい。
すこし身構えたあと、両者が地面を蹴る。
そしてお互いの攻撃が相手に迫り、あとすこしで当たるというところで、2人の攻撃は強制的に中断させられた。
他でもない、葵の手によって。
「いい加減にしなさい2人とも」
両者がぶつかる寸前、その間を葵は木刀で一閃した。圧倒的なまでのその速さに、2人は行動停止を余儀なくされたのだ。
「下川、あんたの目的は私でしょ?約束とやらは覚えてないけど、仕方ないから相手してやるわ」
木刀を振り抜いたままだった姿勢を戻し、葵は硬直状態の下川にそう言った。
「………え。い、いやー。ちょっと今日は急用を思い出したかな。いやー葵ちゃん、今日は会えてよかったよ。いやーほんとね。でも帰んなければならなくなってしまった。いやー残念だなー。いやーほんとに」
少ししてやっと思考能力が回復した下川はえらくアタフタした状態で後ずさり、踵を返して速足で何処かへ消えてしまった。
「なんなのよ…」と思いながら暫く下川の後ろ姿を見ていた葵だが、姿が消えると寧々の方に向き直った。説教タイムである。
「いい寧々?私の為に怒ってくれたのは嬉しいけど、いちいちあんなのに噛み付いてたらきりがないでしょ?」
「……はい」
先程まで、まるで全てに噛み付かんとする狂犬のようだった寧々が、今はその姿は見る影もない。飼い主に怒られシュンとなっている忠犬のそれだ。
「私達の目的はただ1人のはずでしょ?言ってみなさい」
「男鹿辰巳っす…」
「そう!男鹿辰巳!」
普段ならば、葵は寧々が誰と喧嘩しようと介入するつもりはない。寧々は介入されたことに文句は言わないだろうが、それ以前に介入する意味がない。
しかし、ならば何故今回はわざわざ介入したかといえば、それは今しがた会話に出た通り、「男鹿辰巳」の存在が絡んでいた。
佐々木の存在が男鹿の蛮行をある程度抑圧してはいるが、それでも男鹿が石矢魔に入ってきてから起こした問題は数知れない。それこそ、遠征中だった葵の耳にも届くほどに。
最初は「まあ、生きのいい1年もいるだろう」と考えていたが、日に日に報告される事件の数は増え、先日等々東邦神姫である神崎と姫川が討たれたという知らせが耳に届いた。
そうなってしまえばもはや野放しにはできない。
葵は石矢魔の、主に女子生徒の為に一刻も早く男鹿に制裁を下す必要があった。
「あんな凶悪な男を野放しにしていいはずないわ!一刻も早く見つけ出して…」
固く拳を握り、己の胸中を宣言しようとしていた葵の裾が誰かに引かれる。
見ると、そこには先程まで黙っていた千秋がいた。
「?なに千秋。どうかしたの?」
その問いに対し千秋はゆっくりと手を挙げ、廊下の向こうを指差した。
「男鹿辰巳が来たらしいです」
「なあ!?」
葵の反応は当然のものだろう。自分達が見つけてやると意気込んでいた男が、まさか自ら自分達に挑んでくるとは。これは間違いなく喧嘩を売りにきている。
周りの反応からして、男鹿辰巳が来たというのは本当らしい。
葵はその事実に怒りのボルテージが急速に上がっていくのを感じた。
「へえ、そう。東邦神姫である私を倒そうってわけね。随分なめた1年ね…」
口調は穏やかであるが心中は全くの正反対。
葵は決めた。調子に乗って自分に挑んで来る1年を八つ裂きにしようと。そして、2度と調子に乗れないようにしようと。
神崎と姫川を倒したというのは本当らしいが、事実神崎と姫川
「上等じゃない!男鹿辰巳!今日があんたの命………日…?」
もうすでにそこまで来ていた男鹿に対し、木刀を突き立て宣言する葵。
しかしまたしても、それは途中で遮られた。
男が2人いるが、子連れ番長という名から判断して、黒髪の男が男鹿で間違いない。なので、そこは問題ではないのだが、問題は……
その男が以前に公園で会ったことがある男と同一人物であったこと。
葵の思考が一瞬止まり、そこから急加速を始める。
(え、あれ。どういうこと?この男が男鹿辰巳ということ?いやまあそうなんだろうけど。えっとどうしようかしら。めっちゃみたことある顔なんですけど。ていうか本当に同一人物?悪い奴には見えなかったけど)
この間普通に10秒。
葵は噂で聞いた『男鹿辰巳』と自身が公園で会った『男鹿辰巳』の不一致さに混乱していた。公園で見た限りでは悪い奴ではなかった。というか、少しいい奴とも思っている。
故に問答無用で制裁はとても下しにくいのだが、それはそれで問題である。
周りがざわざわとざわつき始める。ここで急に踏みとどまれば、周りからは『男鹿にビビった』と判断されるだろう。そうなってしまえば東邦神姫としての自分の名に傷をつける。それはイコールで石矢魔女子の危険度が上がることにつながる。
そして何より、自分の後ろでは部下である寧々と千秋が不安そうにこちらを見ていた。
もはや引き返すことはできない。葵はそう腹を括った。
「赤ん坊を下ろしなさい男鹿辰巳。それじゃあ戦えないでしょ?」
葵は戦うことに決めた。多少心は痛むが掛かっている天秤の重さが違う。
対する男鹿は急な宣戦布告に対し、慌てた様子は一切なかった。
自分の頭の上に乗っているベル坊と葵を交互に見た後、そのまま構えをとる。
「必要ねえ。このまま相手してやる」
その言葉で葵の中で何かが吹っ切れた。赤ん坊を盾にしているのか、自分を舐め腐っているのか。
どちらにしても、ぶっ飛ばさなきゃ気が済まない。
葵は地面を蹴り一瞬のうちに男鹿に肉薄した。そしてそのまま腹にめがけて突きを繰り出す。常人では動きすら追えない。何もわからぬうちに沈むだけだ。
しかし、
「はえーな」
男鹿は見事に無傷だった。制服であるシャツは破れているが腹にそれらしい傷は一切ない。つまり、ギリギリでかわされたのだ。
(なるほど、確かに強いわね。神崎と姫川をやったってのも納得だわ)
しかし余裕でかわされたのにもかかわらず、葵や戦いを見ている寧々と千秋に焦りはなかった。
(なら、これはどうかしら)
その技で沈むと、確信があったから。
(心月流抜刀術 弍式 百華乱れ桜)
身体中のすべてのバネを使い、縦横無尽の斬撃を繰り出す。それはまるで暴風の中を舞う桜の様に、四方八方全てから襲いかかる。
過去に一度もかわされたことのない葵の技。
寧々も千秋も、この技で沈まなかった相手を今まで見たことがない。
(嘘でしょ…)
故に、信じられない。
(全て……かわしている…)
校舎の壁や床が大破している中で、目の前の男は、どこまでも無傷だった。
加えて制服には、命中はおろか掠った気配すらない。葵も手応えを一切感じていない。
となれば、男鹿が全てをかわしたというのは疑いようもない事実。
「「!?」」
これには余裕をこいていた寧々や千秋も驚嘆せざるを得なかった。
男鹿は何を思ったか、しっかりとした足取りで葵との距離を詰めた。
葵が咄嗟に構え直そうとするが、先程の一件の衝撃により反応が遅れてしまい、結果男鹿に両肩を押さえられる。こうなってしまえばもう葵に取れる手段はない。
甘くみていた。油断していた。舐めていたのは自分の方だった。
様々な後悔が葵を襲う。
しかし、予想に反して男鹿からの攻撃はなかった。疑問に思った葵は伏せていた目を男鹿に向ける。
そこには、顔面蒼白で葵のやや後ろを見て硬直している男鹿の姿があった。
そこで初めて気付く、周りの異変。
先程まで自分と男鹿を中心に取り囲んでいたギャラリー達が、1人もいない。そして何処と無く感じる、妙な重圧。
葵はこの空気を知っている。この光景をよく知っている。長らく石矢魔を離れていたせいで、すっかり忘れていた。
「覚悟は、できてんだろうな」
この高校には、決して怒らせてはいけない男がいたことを。
その声は、唐突に千秋の背後から響いた。
『!?』
あまりの突然さだったが、流石は葵の側近を務めてるだけあって千秋の反応は迅速かつ正確だった。
しかし、的確ではなかった。
千秋は足のホルスターからエアガンを引き抜く。
「っ!!やめなさい!ちあ…」
咄嗟に制止した葵の声も虚しく、千秋は振り返りざまに正確にその男の顔面めがけて引き金を引く。
千秋のエアガンは改造により、もはやエアガンとは呼べないものにまでなっていた。
法の下にそれはありなのかという疑問はあるが、石矢魔において法などなんの意味も持たない。
秒速200メートルの弾丸が、男の顔面に向けてまっすぐ飛んでいく。
軌道的には男の眉間を正確に貫くはずのその弾は、
「……また問題児か」
その男に、難なく掴まれていた。
『!?』
「「やめなさい千秋!」」
驚嘆した千秋が己の最高である4丁拳銃へと手を伸ばした時、今度は葵と寧々から叫びにも近い制止の声が飛んできた。伸びかけていた手を、ゆっくりと戻す。
「なんでですか。この男は絶対危険です」
何故自分を止めたかわからないといった様子で、千秋は2人に尋ねる。視線は男から離さないまま。
「そうだった。千秋は1年だから知らないのも無理ないわね。」
そう言ってから葵は体勢を男の方に向け、ペコッと頭を下げた。
「あの、お久しぶりです。佐々木先生」
佐々木。
その名を聞いて千秋の目が見開かれる。
確かに姿は見たことなかったが、名前なら何十回も聞いている。石矢魔において、その名を知らぬ者はいないと言われている男。
カースト制度の外側。実力は最強とまで言われる。
そんな男が目の前に立っている。般若のような顔をして。
「挨拶なんてのは今はいい。それより、覚悟はいいかと聞いている」
そういえば、と、千秋はいつか聞いた佐々木の話を思い出した。曰く、喧嘩には寛容だが、校舎を壊すと一変。人間ではない何かに豹変するとのこと。
視線を葵の方に向けてみればそこには大破した校舎の壁。
ーーこれはまずい…。
千秋は本能的にそう悟った。
「い、いやあのですね。これには訳が」
「んなもんねえだろ。それに、あったとしても関係ねえ。壊したことは事実だ」
拳を鳴らしながら葵へと近づいていく佐々木。そこに、待ったをかける者がいた。
「っ寧々。何してるの」
佐々木の前に立ちはだかる寧々。冷や汗を額に浮かべながら佐々木と対峙した。
「ぜ、ぜってえ。ぜってえ姉さんは
「いや別に殺される訳じゃないと思うけど!?」
己を鼓舞するように叫んだ寧々に、佐々木の般若顔がゆっくりと向く。
「ひっ」
これには寧々であろうと怯む。
「どけ、大森。庇い立てすんならてめーも同罪だ」
「っ、やるんなら私を」
「寧々!」
寧々が何か決心しようとした時、横合いから葵が叫ぶ。
「先生、今回の件やったのは私です。覚悟はできています」
「ね、姉さん…」
葵のその言葉に佐々木は無言で応える。そして寧々の横を素通りし、葵の前で拳を構える。
「これに懲りたら、もうアホな真似すんじゃねえぞ」
そして葵の脳天に拳骨が突き刺さった。
数分後、まだ痛みが取れずに脳天を抑えている葵と、寧々と千秋が正座していた。目前には腕を組んだ佐々木が3人を見下ろしている。
「だいたいお前ら、いくらここが不良校の石矢魔だからって、しっかりと留年制度や退学制度は存在するんだぞ。お前ら、欠席日数かなりやばいからな。」
「「「……はい」」」
「北関東征圧?それもいいがお前らこのまま卒業できなくていいのか?」
大体の内容は以上の通り説教だ。
3人とも全く反論もできないのでバツが悪そうに目をそらすことしかできない。
しかし、その状況がすこし気に入らなかったのか寧々が口を尖らせて多少の抵抗を試みる。
「別に、私らの勝手だろ。てめーは関係ねギャフンっ」
「佐々木先生だタコ助野郎。」
しかし一瞬で制圧される。
「何が関係ないだこの野郎。お前らが好き放題校舎壊したり落書きしたりしてんの、いったい誰が直したりしてると思ってんだ?先月なんて窓の修理費半額俺の自腹だぞ。」
「え…」
先月の話は寧々たちには関係ないが、要は石矢魔の生徒としての話だと佐々木は付け加えた。
「いいか、教師にはお前らガキの面倒を見る義務と責任がある。私らの勝手ってのはな、もっと成長してから言うもんなんだよ。」
「「「……」」」
「それがわかったら校舎を壊すのをやめるように。それとしっかり出席するように。
特に大森、お前は少しあぶねーからな。しばらくは毎日登校しとけ。じゃねーと……」
「な、なんだよ…」
「家に電話するぞ」
「ひっ。わ、わかったよ!」
「それがわかったらさっさと授業行け」と言われて3人はそそくさと自分達の教室に戻る。が、その後の授業でしっかりと佐々木と遭遇した。
佐々木と千秋の拳銃との距離を50センチメートルと仮定すると、佐々木に弾が届くまでにかかる時間は0.0025。
まあ、そういう作品だし…。