魔王・遠呂智がこの世に降臨した。
その瞬間、時空の理は破られ、三國と戦国の世界は、異界の継ぎ目で融合した。天地の道理が崩れ、英雄たちは混沌に呑まれ、群雄は砂の城のごとく潰えた。各地に散らばる武の者らは、突如として現れた異形の軍勢──遠呂智軍に抗しきれず、次々と飲み込まれてゆく。
だが、すべてが絶望に染まったわけではない。
抗う者はいた。
九州の地では、島津家がこの混乱に乗じて覇を唱え、統一へと軍を進めていた。しかし、彼らの道を阻む異質な存在があった。
――ザビー教団。
異界より流れ着いた奇怪な教義と強烈な洗脳術を用いて民を支配する、この新興宗教は、遠呂智とは異なる意味での"災厄"であった。
その教団の魔手は、大友家の領内にまでも及んでいた。大友家の重臣にして、立花家を継ぐ女武将――立花誾千代は、領内に広がる不穏な気配に心を痛めていた。
「民を守るは武門の誇りよ。ならば、この身が刃となろう」
そんな折、堂々たる軍容を率いて九州の地に現れたのが、かの織田信長である。
「イワシの頭も信心から――だが、所詮は烏合の衆に過ぎぬ。まだぬるいな」
まるでこの混沌を愉しむように嘯いた信長の言葉に、誾千代は打たれた。
見上げれば、その眼には将たる器があり、乱世を駆ける鬼神の風格が宿っていた。
信長は誾千代に命ずる。
「ザビー教団を、掃え」
自らは九州に割拠する諸勢力の取り込みに向かい、誾千代にはザビー教の掃討を一任した。
そして、誾千代の軍に加わった一人の少女がいた。
かつて明智光秀の娘として京に生を受け、今はこの九州に漂着し、誾千代に保護されていた少女――ガラシャである。
「ほむ。父上の行方も大切じゃが、恩を忘れるは女の名折れよ。わらわ、戦うのじゃ!」
まるで戦場を遊戯のごとく語るその声に、誾千代はわずかに鼻で笑った。
「その在り方、まこと立花に近い」
鉄砲を自在に操る傭兵にして、ガラシャの友、雑賀孫市の姿は今ここにはない。だが少女は、自らの力を信じ、戦場へと歩を進めていた。
ザビー城――その異様な城構えは、和と洋を無理やり貼り合わせたような、悪趣味の権化であった。天守には十字架めいた意匠が掲げられ、その下で踊る信者たちは、狂信の色に目を染めていた。
その城を取り囲むのは、木瓜紋を翻す立花軍。先陣に立つはガラシャ。肩には朱塗りの大袖を背負い、腰には鋼鉄の鉤爪を帯びている。彼女の眼には、戦慄と興奮と、そして遊戯を愉しむ子供のような光が宿っていた。
「出番じゃな!」
そう言うが早いか、ガラシャは城門へと駆け出す。
正面の虎口は罠であった。輪郭式の構造により、進むほどに道は錯綜し、討伐兵は曲輪の迷路で翻弄されていた。
だが、ガラシャは立ち止まらない。
「道がなければ、壁ごとぶち壊せば良いのじゃ!」
高笑いとともに、彼女は壁を拳で砕く。腕に纏った鋼の鉤爪が敵の兵板を裂き、裂け目から戦場へと道が拓かれる。敵は驚愕し、慌てて声を上げる。
「ラーブ・アーンド・ピィーッス!」
唱和とともに、信者たちがわらわらと押し寄せる。
その数は百、いや二百か。しかし、ガラシャは一歩も引かない。
「ほむ――ならば、拳で愛を教えてやるのじゃ!」
拳が唸る。
胴を貫かれ、歯が砕け、骨が軋む。
彼女の一撃は、まるで天災のようだった。倒れた信者の懐からは小判がこぼれる。金で集まった者もいたのだ。愛と平和の皮をかぶり、欲に塗れた醜悪なる者たち。
「偽りの愛など、叩き直してくれる!」
戦場を駆ける少女の姿は、まるで神懸かりであった。
そして、遂に本丸に至る。
そこには、全身を金ピカに塗り、十字架を背負った狂気の男がいた。
「ブッコロ……いや、アイシマース!」
ザビーである。
狂信の偶像は、腕を振り上げ、ガラシャに殴りかかる。
「右のホッペを殴られたら、左のホッペを殴り返しマスルゾォーッ!」
巨体から繰り出されるその一撃は、まさに破壊の一撃――だが。
「その教え、間違っておる!」
ガラシャの身体は流れるように回転し、打撃を躱し、肘を突き上げてザビーの顎を砕いた。
悲鳴のような金属音。ザビーは膝から崩れ落ちる。
「偽りの神に支配されし者よ、その魂、今こそ自由にしてやろう!」
拳を掲げ、振り下ろす。
その瞬間、ザビー教団は瓦解した。信者たちは呪縛を解かれ、狂騒の舞台は終幕を迎える。
彼女は振り返り、焼け落ちるザビー城を背に、光の中を歩いていた。
その背には、ただ一つの旗印――立花家の義、そして自由を愛する者の誇りがあった。
ザビー城は炎に包まれていた。
燃え上がる尖塔。崩れゆく礼拝堂。遠呂智の異界の力とザビーの妄信が融合した魔窟は、いまやただの灰燼と化していた。
瓦礫の上に立ち尽くすガラシャの髪が、炎の風にそよいで揺れる。
その瞳には、燃え上がるものとは別の炎が宿っていた。誾千代が見据えるその背には、もはや少女の頼りなさはない。
武者の矜持と、戦を愉しむ異端の輝きがあった。
「やったな。ガラシャ――お前は、まこと立花に似てきた」
「ほむ……そうか? わらわはわらわなのじゃがな」
誾千代は呼吸を殺して笑う。
だが、その安堵の間も束の間であった。
地の底から、うねるような呻き声が響いてくる。
ザビー城の地下。封じられていた何かが――否、誰かが、今まさに目を覚まさんとしていた。
「遠呂智……?」
誾千代が呟くより早く、地面が砕け、暗黒の瘴気が吹き上がった。
その中から現れたのは、鎧を纏い、背に三対の刃を生やした異形の武者である。
その姿には見覚えがあった。否、記録にある伝説の鬼神――蘆屋道満。
「まこと、愚かなる人の子らよ……偽神を討ったとて、真の闇は、これより顕現する」
地に這う者の声が、空を裂いた。
その瞬間、残存する立花軍の兵らは恐怖に膝を折った。誾千代すらも、咄嗟に槍を構える。
だが、ガラシャは笑っていた。
「面白きこと、面白きかな! ならば、次もわらわが相手致す!」
鉄爪を構え、ぴたりと前へと一歩を踏み出す。
「立花の娘にして、明智の血を引く者。名をガラシャ。わらわが天の代行者となりて、その闇、打ち破ってくれようぞ!」
炎はなお燃え、城砦の奥より怪物たちが姿を現す。
だが、それを迎え撃つ少女の眼は、勝利の先をすでに見据えていた。
――戦いは、まだ終わらぬ。
刃が鳴る。風が唸る。
そして、戦場がまた一つ、幕を開けた。