「お使いに行ってきてくれないかしら?」
母親にそう言われ、花の整理をしていたアカツキは振り返った。
ここは町の花屋さん、"フラワーリンク"。
店内には色んな種類の花が咲き誇り、かぐわしい香りを放っていた。爽やかな香りを放つものや、甘く濃厚な香りを放つものなど様々だ。どの花もいきいきと花弁を開かせている。
「配達の仕事? いいけど、場所はどこ?」
「町の郊外に大きなお屋敷が建っているでしょう? そこの娘さんから、お花の注文が来たの」
具体的な住所を言われ、アカツキは訝しげに眉をひそめた。
「……もしかしてそこって、ドラキュラ屋敷って呼ばれてる所?」
アカツキの暮らす町には、ドラキュラ屋敷と呼ばれる建物があった。
その建物は町の郊外にひっそりと佇んでおり、うら若き娘と、年老いた執事風の男が二人で住んでいるという話だった。
だが日中に少女や老執事の姿を見かけることは滅多になく、たまに日が落ちてから高級そうな黒い車に乗って外出する姿が目撃されるのみだった。
その際少女は、夜だというのに日傘を差し、夏の暑い日でも長袖の真っ黒な服を身にまとっていたという。
側に控える老執事は、"こうもりポケモン"のクロバットを連れていたらしい。
まるで太陽の光を避けるように暮らしている少女と老執事。
そして二人の頭上を飛び回るクロバット……。
いつしか子供たちの間では、二人は実は吸血鬼で、時折り夜中にこっそりと出掛けては人間の生き血をすすっているのではないかと噂になっていた。
母親はたしなめるような口調で言った。
「あのお屋敷にそんな名前がついていたの? 駄目よ、あんまり人様の家に変な呼び名をつけちゃ」
「でも、みんな言ってるよ。行ったら血を吸われるかも……」
アカツキが不安そうな顔をすると、母親は快活に笑った。
「十二歳にもなって何言ってるのよ。バカなことを言ってないで、配達お願いね」
そう言うと、母親はさっさと自分の仕事に戻ってしまった。鼻歌などを歌いながら、切り花の長さを切りそろえる作業を始める。
アカツキは手渡された商品を見下ろした。
それは、よくプレゼントなどに用いられるタイプの花束だった。薄紫や乳白色の花でシックに統一されていて、すっと鼻に抜ける爽やかな香りを放っている。
届け先の名前は、ユヅキとなっていた。
「どうしても行かなきゃ駄目?」
物憂げな口調で尋ねてみたが、「どうしても行かなきゃ駄目」とにべもなく返事がきた。
「お花を必要としている人にお花を届けること。それが私たちの仕事よ」
アカツキはハァと重いため息をついた。
仕方ない。仕事は仕事、噂はただの噂だと割り切って配達に出かけることにしよう。
自分のパートナーのポケモンに声をかける。
「ヒマナッツ、君もおいで」
店先の台に乗り、売り物の草花に混じって一緒に日光浴をしていたポケモンが振り向いた。
"たねポケモン"のヒマナッツ。
体長三十センチくらいで、まるでひまわりの種から双葉がにょきっと生えたような外見をしていた。アカツキの大切なパートナーである。
『ヒマー?』
気持ちよさげに日光浴をしていたヒマナッツは面倒くさそうにこちらを仰ぎ見た。
「配達の仕事に行くよ。ついておいで」
再度声をかけると、しょうがないなぁという顔をしてピョンピョン跳ねながらやって来た。彼には手足がないので、基本移動はジャンプである。
アカツキは胸の前でヒマナッツの体をキャッチし、自転車の前カゴに入れた。大切な届け物である薄紫の花束は荷台の箱の中にしっかりと固定し、蓋をする。
「それじゃあ行ってきます」
母親に声をかけ、アカツキは自転車を漕いで店を出た。
* * * * *
屋敷に向かっている道中、学校の友達と遭遇した。
前方からズルズキンとブルンゲルを連れた二人組の男の子が歩いてくる。
アカツキの存在に気付き、二人は声をかけてきた。
「よう、アカツキ。これから一緒に遊ばねぇ?」
「ごめん、今店の手伝い中なんだ」
自転車を止め、ポンと荷台の箱を叩いてみせる。
「配達の仕事中か。どこに届けんの?」
「実は……」
アカツキが場所を告げると、二人は「ドラキュラ屋敷ぃ!?」と素っ頓狂な声を出して大仰に驚いた。
ズルズキンを連れた友達が険しい表情を浮かべながら、警告するように言った。
「おいおい、自分から吸血鬼の住んでる屋敷に行くなんて正気かよ? エサにしてくださいって言ってるようなもんだぞ」
ブルンゲルを連れた少年も深刻な顔をして相槌を打った。
「そうだよ。血を吸われたら、吸血鬼の眷属にならなきゃいけなくなるんだよ」
「十字架や聖水は持ったか?」
「白樺の杭や、銀の銃弾も用意しておいた方がいいよ」
真顔で心配され、アカツキは表情を曇らせながら情けない声を出した。
「お、脅かさないでよ……」
何だか本当に行きたくなくなってきた。
しかし、不安を振り払うようにアカツキは胸を張って答えた。
「まあ、いざとなっても僕にはヒマナッツがいるからね。こいつに守ってもらうよ」
自転車の前カゴに収まっているヒマナッツの頭をポンポンと撫でる。
友達二人は互いに顔を見合わせ、気を遣うというか、憐れむというか、なんとも言いがたい表情をしながら言った。
「……でも、ヒマナッツじゃ戦っても勝てないんじゃないか?」
ヒマナッツは未進化の”たねポケモン”である。
手足が生えていないので機敏な動きはできないし、攻撃力も防御力も貧弱だし……不名誉なことに、あのコイキングよりも弱いのではないかと世間では噂されていた。
「吸血鬼相手にヒマナッツがどう戦うんだよ?」
「頭の葉っぱを引きちぎられて一発で倒されそう」
友達にまで好き勝手なことを言われていた。
自分のことをバカにされたと思ったのか、なんだとぉ! という風にヒマナッツが前カゴの中でピョンピョン跳ねた。『ヒマ、ヒマッ!』とかしましく鳴く。
二人は笑いながら謝罪した。
「ははっ、ごめんごめん。……でもアカツキ、こいつのこと進化させないのか? 進化したら、少しは戦えるようにもなるだろう」
アカツキは渋い顔をしながら答えた。
「うーん……前々から進化させたいとは思っているんだけど、なかなか"たいようのいし"が手に入らなくてね」
一口に進化と言っても色々ある。
特定の場所に連れていかなければ進化出来ないポケモンや、懐かせないと進化しないポケモン、人と交換することで初めて進化するポケモンなど様々だ。
そしてヒマナッツは、"たいようのいし"という特別な石に触れさせることで始めて進化するタイプのポケモンだった。
昔は友達の連れているポケモンもズルッグとプルリルだったのに、今や未進化のポケモンを連れているのはアカツキだけである。
アカツキは腕時計に目を落としながら言った。
「……っと、そろそろ行かなくちゃ。配達の指定時間に遅れちゃう」
「ああ、引き止めて悪かったな」
「血を吸われないように気をつけてねー」
人事だと思って楽しげに脅す二人に見送られ、アカツキは再び自転車を漕ぎ始めた。
進むごとに家々の間隔は広がっていき、辺りは閑静になっていった。
町の郊外までやって来る。
前方に森のようなものが見えてきた。木々が鬱蒼と生い茂り、風が吹くたびにガサガサと木の葉がこすれ合う音を立てている。
その森の中に、一軒の洋館が建っていた。まるで木々に覆われるようにひっそりと佇んでおり、建物の外壁にも植物のツタが絡みついていた。まるで緑に飲み込まれているかのようだ。
まだ日も高い時間帯だというのに、全ての窓には分厚い黒いカーテンが引かれていた。
ただでさえ建物は木々に囲まれて日陰気味になっているのに、まるで陽の光を恐れるかのように、廊下の小窓にまで隙間なくカーテンが引かれている。
……ここはドラキュラ屋敷だと意識しているせいだろうか? なんだか屋敷全体が重々しく不気味な雰囲気で包まれているように見えた。
屋敷の屋根に止まっていたオニスズメたちがバサバサと音を立てて飛び立っていき、思わずビクッと首をすくめてしまう。
「……じ、じゃあ、行こうか」
アカツキは屋敷の雰囲気に飲まれてしまわないように気を張りつつ、ヒマナッツに声をかけて自転車から降りた。
届け物の花束を持って屋敷の敷地内に入り、玄関のチャイムを鳴らす。
軽やかな音色が屋敷に響く。
しかし、一向に返答がなかった。誰も人が出てこない。
「あれ、留守なのかな?」
配達の時間を指定しておいて留守なのかよと思いながら、何気なく周囲を見回してみる。
と、視界の隅に何かが映った。
二階の窓際に、何か物陰が見えたのだ。
「ん……?」
改めて見上げてみたが、そこには何もなかった。
しかし、微かにカーテンが揺れているので誰かがいたのは間違いない。
「こんにちはー、花屋"フラワーリンク"の者ですー。ご注文の花をお持ちしましたー」
もう一度チャイムを鳴らして呼びかけてみたが、やっぱり誰も出てこなかった。
正直花だけ置いてさっさと帰りたかったが、サインを貰わないと帰れない。
「どうしたもんかな……」
花束を持って扉の前で困っていると、業を煮やしたヒマナッツがピョンとジャンプし、玄関のドアノブに飛びついてしまった。頭の葉っぱを器用に使い、ドアノブを回そうとする。
「ああ、駄目だよ、ヒマナッツ!」
アカツキは慌てて止めようとしたが、果たして、ドアはカチャリと小さく音を立てて開いてしまった。外開きに扉が開く。
「開いちゃったよ……」
アカツキは恐る恐る室内を覗き込み、もう一度声をかけた。
「ごめんくださーい、"フラワーリンク"の者ですー」
電気がついていなかったので室内は薄暗く、カーテンを閉めきっているせいもあって屋敷の奥の方は完全な闇になっていた。内部がどうなっているのか見通せない。
じーっと目を凝らすと、玄関の棚には高級そうな調度品の数々が並んでいるのが分かった。傘立て一つとってもお高そうで、凝った彫金が施されている。黒い日傘が数本立てかけられている。
「すみませーん、誰かいませんかー?」
再度声をかけると、二階の方で微かに物音がした。
何かを感じ取ったのか、ヒマナッツもピクッと顔を上げる。
『ヒマ、ヒマッ』
まるで二階を指差すようにヒマナッツが頭の葉っぱを動かして二階を指し示した。やはり二階に誰かいるようだ。
どうして出て来ないのだろう?
来客に気付いていないのか、あるいは手が離せない状態にでもあるのか……。
ヒマナッツが二階に行ってみようぜという風に葉っぱを動かしたが、アカツキは二の足を踏んだ。
「勝手に入るのはまずいよ。それにもし、本物の吸血鬼がいたらどうするんだ」
『ヒマーッ!』
その時は俺が退治してやるぜ、とでも言いたげに強気に胸を張るヒマナッツ。
アカツキは苦笑しながらパートナーのポケモンを見下ろした。
「お前は相変わらず図太い性格をしているな」
案外、こいつは将来大物になるかもしれない。
注文の花は手渡さなければならないし、吸血鬼が怖くて逃げ帰ったと後でみんなに思われるのも癪だ。悪いとは思いつつ、思い切って二階に上がってみることにした。
「お邪魔しますよぉ……」
若干声を潜めつつ二階の方に声をかけ、家の中を進み始める。
室内は薄暗かったのでまずは明かりをつけようと思ったのだが、明かりのスイッチの場所が分からなかった。仕方なくヒマナッツに助けてもらうことにする。
「ヒマナッツ、"フラッシュ"の技を使ってくれ」
ヒマナッツがぐっと体に力を入れるような素振りをすると、彼の体が懐中電灯のようにピカーッと光りだした。バトルでは相手の目をくらませる効果がある技だが、実生活でもなかなか役立つ技である。
ヒマナッツを明かり代わりに肩に乗せて、慎重な足取りで階段を登り始めた。
二階にやって来た。
流石に大きな屋敷だけあって二階も広く、部屋数も多かった。二階の廊下の窓にもカーテンが引かれており、夜のように真っ暗である。
さて、物音はどこからしたのだろうと辺りをキョロキョロと見回す。
まさか吸血鬼が棺桶から這い出してきた音じゃないだろうなと想像し、ちょっぴり背筋が寒くなった。ぶるるっと体を震わせる。
「も、もし本当に吸血鬼が出てきた時は頼んだよ、ヒマナッツ」
その時、右手の方でガタッと再び物音がした。
見ると扉が薄く開いている部屋があった。どうやら音は、この中から聞こえてきたらしい。
「こ、こんにちはー……」
若干震える口調で声をかけ、恐る恐る部屋の中をうかがってみた。ヒマナッツの放つ光が室内にうっすらと差し込む。
部屋の壁際に、お城のお姫様が使うような天蓋付きの大きなベッドがあった。
毛布がこんもりと膨らんでいて、それが微かに上下している。
誰かがベッドで眠っているのだ。
アカツキは小声で独白した。
「……吸血鬼ってベッドで寝るの? 棺桶でなく?」
ここまで来たのだから顔も見てやれと思い、慎重な足取りでそっとベッドの側に忍び寄った。寝ている人物の顔をこっそりと覗き込む。
ベッドに横たわっていたのは、雪のように白い肌をした少女だった。
長いまぶたをぴったりと閉じて、静かに寝息を立てて眠っている。
綺麗に整った眉毛をしていて、唇は小さくピンク色をしていて……寝顔だけでも美人だと見て取れた。
魅入られたようにぽけーっと寝顔を見下ろしていると、ヒマナッツの放つ光に気付いたのか、少女は眩しそうに顔をしかめて「ううん……」と呻った。もぞもぞと体を動かす。
しまった! と思って慌てて離れようとしたのだが、時すでに遅かった。
パチリと少女が目を覚まし、ぴたりと目と目が合ってしまう。
「あっ……」
「あら……?」
少女はベッドの側に突っ立っているアカツキを見て驚いたような顔をしたが、すぐに表情を改めてにこやかに微笑んだ。
「こんばんは」
「…………」
「いいえ、まだこんにちはの時間かしら?」
可愛らしく小首を傾げる。
アカツキは狼狽しながら助けを求めるようにヒマナッツのことを見やったが、彼は他に気になることでもあるのか、キョロキョロと薄暗い室内を見回していた。
少女がうーんと伸びをし、天蓋付きのベッドから出てきた。
淡い金色がかった長い髪を手で払い、ベッド脇に降り立つ。
少女はアカツキよりも少し背が高く、年上のように見えた。十五、六歳といったところだろうか? 長袖のネグリジェを着用しており、その寝間着に包まれた体はとても細く、華奢だった。
「ところであなたはどなたかしら? じいやのお知り合い?」
少女は血を吸うためにアカツキに襲いかかってくるでなく、勝手に室内に入ってきたアカツキを怒るでもなく、ごく普通に話しかけてきた。
アカツキの肩に乗っている"フラッシュ"発動中のヒマナッツを眺め、物珍しげにしている。
「ずいぶんと光り輝かしいものをお連れですわね。なんですの、それは?」
「こ、こいつは僕の相棒のヒマナッツです……」
「ヒマナッツ? ポケモンですの?」
「はい。で、僕は花屋の使いで……ご注文の花をお届けにあがりました」
おずおずと紫の花束を差し出す。
少女はしばらくの間瞳をパチクリとしばたたかせていたが、思い出したようにポンっと手を打って答えた。
「まあ、そうでしたわ! すっかり忘れていました!」
「は、はあ」
「でもおかしいですね? ちゃんと配達の時間には起きていられるように、目覚まし時計をセットしておいたのに……」
ベッド脇のナイトテーブルに置かれていた瀟洒な時計を手にとって不思議そうに眺める。
何かに気付いたのか、少女は「あっ」と小さく声を上げた。
「どうしました?」
「……時間は合わせていたものの、鳴るようにセットするのを忘れていましたわ」
「…………」
もしかしたらこの人、案外天然なのかもしれない。
「と、とにかくご注文の品をお持ちしました。……注文主のユヅキさんですか?」
「はい、わたくしがユヅキですわ」
「勝手に上がり込んでしまってすみません」
「いいえ、こちらこそすぐに出てあげられなくてごめんなさい。じいやが出かけている間にこっそり届けてもらって驚かせてやろうと思っていたのに、長々と眠ってしまいましたわ」
「受け取りのサインを頂けますか?」
「はいはい、ちょっと待って下さいね」
ユヅキはナイトテーブルの明かりをつけ、伝票にさらさらとペンを走らせた。
アカツキに手渡す。
「これでいいかしら?」
「……はい、大丈夫です」
形式的なやり取りを行い、代わりに紫の花束を手渡した。
ユヅキは花束を受け取りながら嬉しそうに微笑んだ。
「まあ綺麗。それにいい香り……きっとじいやも喜びますわ」
アカツキは伝票をしまいながら、何気なく質問してみた。
「……その花は、どなたかへのプレゼントですか?」
「ええ。じいやがうちに勤め始めてから五十年になりますの。だから日頃のお礼とお祝いのために贈り物をしようと思って」
「じいや?」
「わたくしの世話をしてくれている執事ですの。でもじいやったら、いつまで経ってもわたくしのことを子供扱いしますのよ。勘弁して欲しいですわ」
不服そうにぷくぅと頬をふくらませるユヅキ。
子供扱いしないでほしいと言いつつ、そのリアクションは何だか妙に子供っぽくって、つい笑ってしまった。自然、警戒心がふっとほどける。
寝顔を見た時は美しい人だと思ったが、話してみると、美人というより可愛らしい人といった印象を受けた。
ユヅキが質問してきた。
「あなたのお名前は何だったかしら? うかがってもよろしくて?」
「アカツキです。花屋"フラワーリンク"の店主の息子です」
「まあ、お家の手伝いでお花を届けてくださったの? まだ若いのに偉いですわ」
「そんなことないですよ」
ユヅキはパソコンを使っている時に偶然うちの花屋のホームページを見つけ、注文してくれたらしかった。
「わたくしはあまりお花には詳しくありません。どの花がなんというお花なのか、説明してもらってもよろしいかしら?」
「はい、分かりました」
アカツキは一つ一つ花の名前やその特徴、花言葉なんかを教えてあげた。
「……この花にはそういう意味がありますのね」
説明するたびに彼女は熱心に聞き入り、興味深そうに頷いてくれた。
次第にこちらも興が乗り、それぞれの花の伝承や有名なエピソードなんかも語ってしまう。
饒舌に語り続けるアカツキを見て、ユヅキは微笑ましげに目を細めていた。
「アカツキくんはすごくお花に詳しいのですのね。大変勉強になりました」
「あっ、すみません、聞かれてもないことまで喋ってしまって……」
同級生の男の子たちはこの手の話にはあまり興味を持ってくれないので、つい調子に乗って話し込んでしまった。
「いいえ、あなたはお花のことが大好きなんだなということがよく分かりましたわ」
「……まあ、実家が花屋さんですからね」
和やかで楽しげな会話が続いていく。
なのですっかりアカツキの警戒心も解け、油断が生じてしまっていた。この人は吸血鬼なんかじゃないなと確信し、頭を掻きながらぽろっと零してしまう。
「いやぁ、ユヅキさんが優しそうな人で良かったです。本物の吸血鬼が出てきたらどうしようかと思ってましたよ」
その言葉を聞き、ユヅキは不思議そうに小首を傾げた。
「吸血鬼?」
「あっ……」
思わず口が滑っていた。頭を掻いた姿勢のまま、ピタリと体が固まってしまう。
ヒマナッツが、何やってんだよお前……という顔をしてこちらを見ていた。
ユヅキが尋ねてきた。
「吸血鬼って、なんの話ですの?」
「え? いや、えっと……それはその……」
必死に頭を働かせてなんとか誤魔化そうと思ったのだが、ユヅキは前屈みになって、無邪気に顔を近付けて追求してきた。
「うん?」
長くしとやかな髪がサラリと揺れた。
彼女の整った顔がすぐ目の前にあった。
子猫のように純粋な瞳をして、じぃっと顔を覗きこまれてしまう。
「い、いや、だから、それはその……」
「はい、何でしょう」
アカツキは視線を逸らしつつしどろもどろになり……ついには頭を下げて謝罪していた。
「その……ごめんなさい!」
「えっ?」
突然謝られ、びっくりしたように目を丸くするユヅキ。
アカツキは申し訳無さそうに説明した。
「えっと……このお屋敷って、いつもカーテンが閉まっているじゃないですか? それに日中にユヅキさんたちの姿を町なかで見かけることがないし、執事の人はこうもりポケモンのクロバットを連れているし……。この屋敷には吸血鬼が住んでいるんじゃないかって、子供たちの間で噂になっていたんですよ」
「まあ、そんな噂が立っていましたの? 初耳ですわ」
「あ、あの、あまり気を悪くしないでください。みんな冗談で言ってるだけで……」
慌てたようにそう付け加えると、彼女は「構いませんわ」と言って小さく笑った。
「それにしても、吸血鬼、ですか……」
ここまで言ってしまったのだからいっそ最後まで質問してしまおうと思い、アカツキは思い切って尋ねてみた。
「あの……どうしていつも屋敷中のカーテンを閉めっぱなしにしているんですか?」
昼寝をしていたのだからこの部屋にカーテンを引いているのは分かるが、他の部屋や廊下の窓にまで一日中カーテンを引いている理由が分からない。
そう質問すると、ユヅキは少し困ったような表情というか、憂鬱というか……なんとも言いがたい複雑な表情を作った。にこやかだった彼女の表情に初めて影がさす。
「……そうですね、皆さんに変な誤解を与えないためにも、説明をしておいた方がよいでしょうか」
「教えていただけたら幸いです」
「実はわたくしは、ある病気を抱えているんです」
「病気?」
「そう……わたくしは、太陽に嫌われているんです」
言っている意味がわからず、アカツキはヒマナッツと顔を見合わせて訝しげな表情を浮かべた。
「太陽に……?」
「今はまだ、太陽が出ている時間ですよね?」
困惑するアカツキをよそにユヅキは窓辺に歩み寄り、これからマジックを披露するマジシャンのように「見ていてくださいね」と言って、閉ざされているカーテンに手をかけた。遮光性の高い分厚い黒いカーテンを少し開ける。
室内にさあっと太陽光が筋となって差し込んできた。
眩しくなり、一瞬目がくらんだ。思わず手でひさしを作る。
ユヅキはネグリジェの袖をまくり、差し込んでくる光の中に自分の左腕をゆっくりと差し入れた。
一体何が起こるんだろうと黙って見守っていると、変化はすぐに訪れた。
ユヅキは白い肌を……それはそれは雪のように白い肌をしていたのだが、陽の当たっている部分の肌が、少しずつ赤くなり始めたのだ。
日陰になっている部分はそうでもないのに、日光の当たっている部分だけが徐々に赤くなっていく。まるで夏の海で日焼けしていく様を早送りで見せられているかのように。
日焼けはみるみるうちに酷くなっていき、ブツブツとした赤い湿疹のようなものに変わっていった。まるで炎で炙られているみたいに炎症を起こし始める。
その様子を冷たい視線で見下ろしながら、淡々とした口調でユヅキは語った。
「太陽光の中には紫外線というものが含まれているのですけど、どうやらわたくしの体は、生まれつきそれを受け付けない体質らしいんです。だから陽の光に当たってしまうだけで、こうなってしまう……」
「えっ……?」
「だから日中は眠りにつき、夕方や夜に起き出すという生活を送っているんですの」
アカツキは目の前の光景をただ呆然と見詰めていた。
そうしている間にも炎症の範囲はどんどん広がっていき、彼女の綺麗な白い肌をじりじりと侵食していった。
これ以上陽光を浴びるともっと酷いことになってしまうのではないかと思い、アカツキは慌てて窓辺に駆け寄ってカーテンを閉じさせた。
「も、もういいです!」
日差しが遮られ、室内が薄暗くなる。
二人ともしばらくの間何も喋らなかった。室内に重苦しい沈黙が流れる。
ユヅキは腕の炎症を隠すようにネグリジェの袖を下ろし、電気をつけた。パッと室内が人工的な光で満たされる。
「……変なものを見せてしまってごめんなさい。驚いたかしら?」
「い、いえ……」
「太陽の光を浴びると弱っちゃうだなんて、まるで本物の吸血鬼のようですね」
彼女は自虐的に言い、寂しげに少し笑った。
アカツキは躊躇いがちにおずおずと質問した。
「その日焼けみたいな痕は……治るんですか?」
「ええ、二、三日もあれば腫れも引きますわ」
ユヅキは何でもないような口調で答えたが、逆に言えばそれは、二、三日は治らないということだった。たった数分、ちょこっと日光を浴びただけなのに。
『チュリィ……』
その時、どこからかポケモンの鳴き声のようなものが聞こえてきた。
見るとベッドの影から小さなポケモンがこっそり顔を覗かせて、心配そうにこちらを見上げていた。
ユヅキは弾んだ声を上げた。
「あらチュリネ。姿が見えないと思っていたら、そんな所にいたのね」
屈んでよいしょと抱き上げる。
それは"ねっこポケモン"のチュリネだった。
ヒマナッツと同じ草タイプのポケモンで、まるで緑色のてるてる坊主というか、植物の球根に葉っぱが生えてたような外見をしている。
チュリネは心配そうにユヅキの腕を見詰め、頭に生えている葉っぱを器用に使ってネグリジェの袖を捲り上げた。
炎症を起こした部分を露出させると、んーっ! と呻って何かを絞りだすような動作をする。
直後、チュリネの頭の葉っぱの部分から、心を落ち着かせるような心地よい香りが漂ってきた。
それはポケモンの技"アロマセラピー"だった。
この技にはポケモンの状態異常を治す効果がある。
少しでもユヅキの負担や痛みを和らげてあげたくて、使用したのだろう。
ユヅキは優しく微笑み、いい子いい子をするようにチュリネの頭を撫でた。
「ありがとう、チュリネ。心配させてごめんなさい」
アカツキはチュリネを見下ろしながら尋ねた。
「その子は?」
「わたくしのポケモン、チュリネですわ。ほらチュリネ、ご挨拶して」
ユヅキはアカツキたちに紹介するようにチュリネを差し出したが、チュリネはあせあせと慌てたように体を動かし、ユヅキの手から飛び降りてしまった。ユヅキの背後に回りこみ、足の隙間からこっそりとこちらのことを見上げている。
『ヒマー』
ヒマナッツがアカツキの肩から飛び降りて挨拶するように声をかけたが、恥ずかしそうに体を隠していた。
ユヅキは苦笑しながら言った。
「ごめんなさいね。この子はどうやら、照れ屋さんな性格をしているようですの。……駄目よ、チュリネ。挨拶くらい出来るようにならないと」
たしなめられたチュリネは母親に叱られた子供のような顔をしてユヅキのことを見上げていた。
『チュリィ……』
人見知りではあるものの、主人のユヅキにはよく懐いているようだった。大好きなご主人様に叱られて悲しそうな顔をしている。
確かチュリネはメスの個体しか発見されていないポケモンである。だから多分、この子も女の子なのだろう。ちなみにアカツキのパートナーのヒマナッツは、オスである。
「他にもポケモンを飼っているんですか?」
「じいやがクロバットを持っていますが、今は一緒に出掛けているはずなのでいませんわ」
ということは、二階の窓際のカーテンを揺らしたのはこの子か。来客に気付いたものの自分が応対に出ることは出来ず、かといって気持ちよさそうに寝ているご主人様を起こすことも出来ず、今まで隠れていたらしい。
ヒマナッツが先程から辺りをキョロキョロしていたのも、多分この子のせいだろう。人間のアカツキでは気付かないチュリネの気配や匂いを感じ取り、姿を探していたのだ。
時計を見ると、大分時間が経っていた。長いこと話し込んでしまったが、配達の任務も終わったしそろそろお暇しなくてはならない。
「じゃあ僕はそろそろ……」
そう切り出すと、ユヅキは口元を手で覆って謝った。
「まあ、長々とお引き止めしてしまってごめんなさい」
チュリネを抱いて一階の玄関先まで見送りに来てくれた。
しかし、ユヅキは玄関の扉からかなり離れた所で立ち止まった。
どうしたんだろうと思って振り返ると、彼女は申し訳無さそうな表情をしながら答えた。
「扉から光が差し込んで日光に当たると危ないから、ここから失礼しますね」
「ああ、はい……」
そうか、そこまで気が回らなかった。
アカツキはペコリと頭を下げた。
「わざわざお見送りいただきありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ綺麗なお花を届けてくださって感謝ですわ。きっとじいやも喜びます」
「そうだといいですね」
アカツキはもう一度会釈をし、玄関の扉に手をかけた。なるべく室内に日光が入り込まないように細く扉を開け、さっと素早く外に出る。
そのまま扉を閉めようとしたのだが、ユヅキが躊躇いがちに「あのっ!」と声をかけてきた。
「あ、あの、アカツキくん……!」
チュリネを胸に抱いたままもじもじと言い淀んでいたが、思い切ったような口調で彼女は言った。
「少しの間でも、あなたと一緒におしゃべりが出来て楽しかったですわ! もし、またお花の配達をお願いしたら……また、届けに来てくれますか?」
扉からは太陽の光が差し込み、床に白い線を走らせていた。
ユヅキはそのギリギリの部分に立っていた。
そこが彼女が近付ける限界ギリギリの境界線だった。
それ以上足を踏み出せば、太陽の光に焼かれてしまう……。
アカツキは面食らったようにしばしの間沈黙していたが、不安そうな瞳をしている彼女の顔を見詰め返し、にこやかな表情をして答えた。
「ええ、もちろん」
二作品目です、よろしくお願いします。
この作品はフィクションであり、実在する人物、団体、病気等とは一切関係ありません。
ポケモンの生態や技については独自の解釈があります。
そのうち出てくるバトル描写については、ターン制のゲーム基準ではなく、アニメやポケスペのような感じなのだと思ってください。
ちなみに、サン・ムーンの話というわけではありません。