太陽と月と花束と   作:オオルリ

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2 彼女の世界

 

 翌日、学校でズルズキンとブルンゲルを連れた友達二人に詰め寄られた。

「大丈夫だったか、アカツキ?」

「よく無事に帰ってこれたね」

「やっぱり屋敷には吸血鬼が住んでたか?」

「血ぃ吸われた?」

 矢継ぎ早に質問攻めにされる。

 

 

 しばし考え、アカツキは「普通の人間が住んでいたよ」と答えた。

「日中に寝て夜に起き出す夜型の生活を送ってるから、日中でもずっとカーテンをしているみたい」

 病気のことは気安く他言することでもないと思い、ぼかしていた。

 二人は真相を聞かされ、がっかりしたようにため息をついていた。

「なんだ、つまんねぇの」

「やっぱり噂はただの噂かぁ」

 ドラキュラ屋敷の話は早々に切り上げられ、話題は別のものに移っていった。

 

 

 学校が終わった後は、またお店の手伝いをした。花の鮮度を保つために水を替えたり、バラの花のトゲを取り除く作業をしたりする。

 一息ついた所でアカツキはユヅキのことを思い返した。

 病気のせいで日中出歩くことが出来ないというなら、友達にもなかなか会えないだろう。そもそも夜型の生活を続けている彼女に、友達がいるのだろうか?

 アカツキは店内の草花を見回してみた。

 今日も今日とて、ヒマナッツは売り物の草花に混じって軒先で日光浴をしていた。気持ちよさげに瞳を閉じてまったりしている。 

 

 

 ここにある草花やヒマナッツにとっては、太陽の光はエネルギーの源だった。

 日光がなければ成長が出来ず、枯れてしまう。

 人間だってそうだ。太陽に当たらずに部屋に閉じこもっていたら元気がなくなってしまうよと、よく母も言っていた。

 でもまさか、その太陽の光が毒になってしまう人がいるだなんて……。

 

 

 アカツキは軒先に出て空を見上げた。今日も頭上ではお天道様がサンサンと輝き、地上を明るく照らしていた。

 手のひらを太陽にかざしてみると、次第に手のひらがじーんと暖かくなっていき、気持ちが良かった。体を走る血管が透けて見える。

「……わたくしは、太陽に嫌われているんです」

 そう言った時のユヅキの横顔を思い出す。

 日光に当ってはいけない生活とは、一体どんなものなのだろう?

 考えてみたが、アカツキにはうまく想像できなかった。

 自分は室内よりも屋外で遊ぶ方が好きだし、季節で言えば太陽が一番輝いている夏が好きだし……。太陽のない生活なんて考えられなかった。

 

 

  * * * * *

 

 

 しばらく経ったある日、店のパソコンに再びユヅキの所から花の配達の注文が届いた。

 前回はじいやのお祝い兼日頃の感謝を表すための花束の注文だったが、今回の注文は、そのまま部屋に飾れるフラワーアレンジメントのバスケットだった。

 パソコンの画面を覗き込みながら、アカツキは母親に言った。

「ねえ、このアレンジメント、僕が作ってみてもいい?」

 以前から両親が忙しい時は、アカツキも花束やアレンジメント作りの手伝いをしていた。これは注文があったもののテンプレートの通りに花を飾り付けていけばいいだけだし、うまく作る自信はある。

 そう申し出ると、母は笑って許可を出した。

「ええいいわ、やってみて」

 

 

 よーしと気合いを入れてアレンジメント作りの準備を開始した。

 どうせなら特別いいものを持って行ってあげようと、出来るだけ鮮度が良くて長持ちしそうな花を選んでやる。

 ピンク色の花の枝をカットし、フォームと呼ばれるスポンジ状の土台に突き刺していった。時々母に見せてアドバイスをもらいながら作業を続ける。

「こんな感じで大丈夫かな?」

「うん、いいんじゃないかしら」

 作業を続ける息子を見ながら、母は微笑した。

「この間は吸血鬼が住んでるかもしれないって怖がっていたのに、ずいぶん張り切っているのね」

「べ、別にいいだろ」

 照れたように赤くなって言い返す。

 

 

 崩さないように慎重な手付きで花の刺さったフォームを木製のバスケットの中に収め、リボンを巻いておしゃれに飾り立てる。

 アレンジメントが完成した。

 再度母親に見せて確認してもらうと、「なかなかいい出来じゃない」とお墨付きをもらうことが出来た。これなら彼女も喜んでくれるだろう。

 

 

 配達の指定時間は夕方となっていたので、日が傾くのを待ってから自転車で出発することになった。もちろん相棒のヒマナッツも一緒である。

「おいでヒマナッツ。ユヅキさんの所にお花のお届けだ」

 沈みゆく夕日を惜しむように日向ぼっこをしていたヒマナッツは華麗にジャンプし、自転車の前カゴに飛び乗った。

 出発前、アカツキは思い出したように母に声をかけた。

「ああ、そうだ。もしかしたら帰りが遅くなるかもしれないけどいいかな?」

「今日はもうお店を閉めるだけだし、構わないわよ」

「分かった。じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 母親に見送られながら店を出た。

 

 

 夕日の中、自転車を漕いでいく。

 ヒマナッツが気持ちよさげに頭の双葉を風になびかせていた。

 しばらくして屋敷の前に到着した。

 以前来た時は吸血鬼が住んでいるかもしれないと思って不気味に感じられたものだが、真相を知ってから改めて眺めてみると、ただの小洒落た洋館にしか見えないから不思議である。

 アカツキは荷箱からアレンジメントを取り出し、玄関に向かった。チャイムを鳴らす。

 

 

 しばらくして、老いた執事風の男が出てきた。

 年は重ねているもののスラリと背は高く、矍鑠(かくしゃく)としており、柔らかな威厳のようなものが感じられた。チェーンの付いたメガネをかけている。

 この人がユヅキの言っていた執事のじいやさんだろう。

 老執事の背後には、こうもりポケモンのクロバットがパタパタと四枚の羽を羽ばたかせて浮いていた。

 アカツキは挨拶した。

「こんにちは。花屋"フラワーリンク"の者です」

 

 

 話は通っているのか、老執事は微笑しながら会釈した。

「お疲れ様です。先日はお美しい花を届けていただき、誠にありがとうございます。大切に部屋に飾らせていただいています」

 子供相手なのにとても慇懃な態度だった。思わずこちらもかしこまってしまう。

「い、いえ、こちらこそ……。こちらが今回の花になります」

「ほぉ、これもまたお美しい……。どうぞ中にお入りください」

 老執事はアカツキを家の中に招き入れ、扉を閉めた。

「クロバット、お嬢様を呼んで来てください」

 命令されたクロバットは音もなく飛翔し、二階の奥の方に飛んでいった。

 

 

 しばらくして二階の手すりの所にユヅキが現れた。

 アカツキの姿を見て、パッと花が咲いたように笑みを浮かべる。

「まあ、お待ちしておりましたわ!」

 パタパタと小走りに階段を駆け下りてきた。

 今日はネグリジェ姿ではなく、ちゃんとした服装に着換えていた。いざという時の紫外線対策だろうか? 長袖にロングスカートの服を着用している。

 

 

 アカツキは彼女にアレンジメントを差し出した。

「ご注文いただいた花をお持ちしました」

 内心少しドキドキしながら付け加える。

「実はこのアレンジメントは、僕が作らせていただきました」

「まあ、アカツキくんが?」

「気に入ってもらえるといいんですけど……」

 それぞれの花の名前や特徴なんかを教えてあげる。

 

 

 ユヅキはアレンジメントのバスケットを受け取り、しげしげと眺めた。

 愛おしげに目を細め、香りを嗅ぐ。

「わたくしにはお花のことはよく分かりませんが、とても綺麗で華やかですわ。彩りも美しく、匂いも上品で良い香り……。とても気に入りました!」

「あ、ありがとうございます。喜んでもらえて何よりです」

 足元のヒマナッツが、やったなという感じでこちらのことを見上げていた。頭の葉っぱを器用に折り曲げ、グッ、とサムズアップのようなサインを送る。

 

 

 ユヅキがおずおずとした口調で言った。

「ところで、あの……この後お時間よろしいかしら? 少しお話していきませんか? その、お花の事とか色々聞きたいですし……」

 まるで飼い主のご機嫌をうかがう猫ポケモンのように、チラチラと上目遣い気味にこちらの様子をうかがっている。

「構いませんよ」

 そう答えると、彼女はすごく喜んでいた。嬉しそうにぴょこんと跳ねる。

「良かったですわ! ではわたくしの部屋に参りましょう。じいや、後でお茶を持ってきてください」

「かしこまりました」

 老執事は恭しく頭を下げて退いていった。

 

 

 ユヅキの後に続いて二階に上がり、彼女の自室に向かう。

 この間は色々あってじっくり観察する暇がなかったが、改めて見ると、彼女の部屋は広かった。家具などは白色で統一されており、清潔感があって整理整頓が行き届いていた。

 相変わらず窓辺のカーテンは閉まりっぱなしだったが、壁にはたくさんの風景画や写真などが飾られており、そこまで閉塞感は覚えなかった。

 

 

 部屋の一面には大きな本棚が建て付けられていた。ぎっしりと本が詰まっていて、まるで町の本屋さんのようだった。圧倒されて感嘆する。

「すごい数の本ですね」

「わたくしはあまり外に出られませんし、部屋で本を読んで過ごすことが多いですから」

「へえ……」

 多分、自分には一生かかっても読み切れないに違いない。

「アカツキくんは本はお好きですか?」

「ま、漫画なら……」

 そう答えると、彼女は微笑まし気に目を細めていた。

 

 

『チュリィ……』

 ベッドの影からユヅキのポケモンのチュリネが顔を出した。こっそりとこちらの様子をうかがっている。

「そんなところに隠れていないで出ていらっしゃいな」

 ユヅキがチュリネを捕まえてこちらに連れてきた。

「ほら、またアカツキくんたちがお花を持ってきてくれましたよ。ご挨拶しましょう」

 ずいっとアカツキやヒマナッツの方に差し出してくる。

 しかしチュリネはビクッと震え上がり、ユヅキの長い髪の毛の中に隠れるように体を潜りこませてしまった。髪の毛の間から、警戒しながらこちらを見ている。どうやら慣れるにはもう少し時間が必要なようだ。

 ヒマナッツが挨拶するように鳴いたが、チュリネは驚いて余計にユヅキに体をすり寄せていた。

 

 

 申し訳無さそうにユヅキが謝った。

「ごめんなさい。この子はあまり外に出たことがないから、他の人やポケモンが珍しくて怖いんだと思うんです。ヒマナッツもごめんなさい。あまり気を悪くしないでくださいね」

「大丈夫ですよ。うちのヒマナッツは割りと図太い性格をしているから。ちょっとやそっとのことではへこたれませんから」

 実際ヒマナッツは特に気にした様子もなく、構わんよという風に明るく鳴いた。

「まあ、頼もしい」

 

 

 ユヅキはチュリネを膝の上に乗せて椅子に腰掛け、アカツキにも座るように勧めた。

 何気ないおしゃべりを始める。

「アカツキくんのお店では、どんなお花を扱っているんですか?」

 おしゃべりや質問の内容は多岐に渡り、お店のことやアカツキが通っている学校のこと、いつも友達とはどんなことをして遊んでいるかなど色々と尋ねられた。

 

 

 ユヅキは病気のせいでほとんど学校に通ったことがないらしかった。友人と呼べる者もおらず、週に何回か家庭教師の先生が来るから、勉強はそこでしているらしい。

 アカツキは決してしゃべりが得意な方ではなかったが、彼女はアカツキのつたない話も大変興味深そうに聞き入っていた。

 話をしながら、アカツキはちらりと彼女の左腕を盗み見た。

 長袖を着ているので分からなかったが、あの傷は、もう癒えただろうか?

 

 

「アカツキくんは好きな女の子とかいるんですか?」

 そういった突っ込んだ内容の質問もされてしまったが、その辺は適当にぼかしておいた。

「……そういうのは内緒で」

「どうしてですか?」

「や、プライベートな事なんで」

「ケチですわ」

 ユヅキは楽しげに笑っていた。人とおしゃべりすること自体が楽しいといった感じである。

 

 

 膝の上に乗っているチュリネは時々こっそりとヒマナッツのことを見詰めていた。直接顔を合わせるのは怖いし照れくさいけれど、同じ草タイプのポケモンということで気にはなっているらしい。チラチラと様子をうかがっている。

 それに気付いたヒマナッツが頭の双葉をくるくると竹とんぼのように回転させてアピールしたが、驚かれてユヅキの膝に顔を埋められていた。

 

 

 ユヅキがヒマナッツを見下ろし、体をうずうずさせながら言った。

「……アカツキくんのヒマナッツ、わたくしも撫でてみてよろしいでしょうか?」

「いいですよ。構わないよな、ヒマナッツ」

 ヒマナッツは快く返事をした。

「では失礼して……」

 おずおずと手を伸ばすユヅキ。

「こいつは頭の葉っぱの部分を撫でられるのが特に好きみたいです」

「まあ、わたくしのチュリネもですわ」

 ユヅキはなでなでとヒマナッツの頭を撫でた。

 草タイプのポケモンを扱うのはチュリネで慣れているのか、ヒマナッツは気持ちよさげに目を細めていた。

「ふふっ、大変可愛らしいですね」

 

 

『チュリ、チュリ!』

 このままではご主人様がとられてしまうとでも危惧したのか、私も撫でてという風に膝の上のチュリネが鳴いていた。

「あなたも激かわですわ、チュリネ」

 くしゃくしゃと頭を撫でてやる。

 

 

 部屋の扉がノックされ、老執事がティーセットの乗ったお盆を持って入ってきた。

「失礼します。お茶をお持ちしました」

 高級そうなカップがテーブルの上に並べられ、優雅な手付きで紅茶が注がれる。

 さっそくテーブルの上の飾られているアレンジメントを見下ろしながら、老執事が言った。

「やはり花が一つあるだけでお部屋の中が華やかになりますなぁ」

「これはアカツキくんが自分で作ってくれたそうですわ」

 まるで自分の手柄のように胸を張って自慢気な表情を浮かべるユヅキ。

 老執事は物腰柔らかく微笑んだ。

「大変結構な出来でございます」

 改めて褒められて、アカツキは若干頬を赤らめつつ頭を下げた。

「あ、ありがとうございます」

 

 

「さあ、冷めないうちにいただきましょう」

 ユヅキに促され、アカツキは紅茶に手を伸ばした。カップを落としてしまわないように注意しつついただく。

「……美味しい」

 香りが高く味もまろやかで、とても美味しかった。子供心にきっと高い茶葉を使っているんだろうなぁなどと愚考する。

 老執事がおかわりを注ぎながら言った。

「そういえば世の中には、お茶の中で咲く花もあるそうですな」

「お茶の中で咲く花?」

 ユヅキは不思議そうに小首を傾げたが、アカツキには覚えがあった。

「もしかして工芸茶のことですか?」

 

 

 茶葉が花の蕾のような形に固められていて、それをお湯の中に入れると熱で徐々に茶葉が開花していき、ティーポットの中で美しい花を咲かせるのだ。花茶の一種である。

 そう説明すると、ユヅキは瞳をキラキラと輝かせた。

「まあ、世の中にはそんな楽しそうなお茶があるんですの? わたくしもぜひ一度飲んでみたいですわ」

「確かうちのお店でも取り扱っていたはず……。何なら今度持ってきましょうか?」

 アカツキがそう言うと、彼女は好奇心いっぱいの顔をしてアカツキの手をぎゅっと握ってきた。

「本当ですか? ぜひお願いします!」

 にこやかに微笑まれる。

「その時は、ぜひアカツキくんもご一緒してくださいね」

 

 

  * * * * *

 

 

 何気ないおしゃべりを続けていると、老執事が懐から懐中時計を取り出し、口を挟んできた。

「ご歓談中失礼します。そろそろお食事の時間ですが……」

 その言葉を聞き、ユヅキはパンっと手を打ち鳴らした。

「せっかくですので、アカツキくんも召し上がっていってくださいな」

「え? でも……」

 自分は注文された花を届けに来ただけなのに、いいのだろうか?

 

 

 遠慮しようとしていると、老執事が頭を下げながら言った。

「お嬢様ならそう仰るだろうと思い、予めアカツキ様の分のお食事も用意しております」

「え?」

「このままではせっかく用意した料理が無駄になってしいます故、ぜひ召し上がって行ってください」

「さすがじいや、グッジョブですわ」

 このお嬢様は基本的には上品で丁寧な言葉遣いをしているのだが、一体何の影響なのか、時々言葉遣いがおかしくなっていた。グッ、と両手の親指を立てている。

「え、でも……」

 戸惑っている間に話はトントン拍子に進んでいき、結局、アカツキもここで夕飯をごちそうになっていくことになった。

 

 

「あー……それじゃあ電話をお借りしてもいいですか? 家に連絡しないと」

 遅くなるかもとは断ってきたが、飯を食ってくるとは言っていない。

「そうですね。じいや、案内してあげて」

「かしこまりました。こちらでございます」

 廊下の電話の所に案内された。

 

 

 電話を済ませ、食堂に向かう。

 そこは映画やドラマに出てきそうな豪華な作りの食堂だった。横に長いテーブルが部屋の中央に置かれており、白いテーブルクロスがかけられている。十人は余裕で並んで食事できそうだ。

 しかし現在、その広いテーブルにはユヅキ一人しか腰掛けていなかった。「こっちですわー」と手招きしている。

 アカツキはユヅキに質問した。

「このお屋敷って、お二人の他に誰か住んでいるんですか?」

「いいえ、わたくしとじいやの二人だけですわ」

 こんなに広いのに、二人しかいないのか。

「ああ、後はわたくしのチュリネと、じいやのクロバットも一緒に暮らしておりますわ」

 老執事が食事を運んできた。

 どれも高級レストランに出てきそうな料理で、とても美味しそうだった。

 

 

 老執事に尋ねられた。

「ヒマナッツ様のお食事はいかがいたしましょう?」

「ええと、こいつは水があれば大丈夫です」

 アカツキが答えると、ユヅキが驚いたように声を上げた。

「水だけ? そんなのでいいんですの?」

「もともと野生のヒマナッツは、葉っぱの裏側に溜まった雨露や水分だけで生活しているんですよ」

 植物と一緒で、基本的に水と日光と二酸化炭素があれば生活できる。日中の日向ぼっこが彼らの食事なのだ。

 もちろん栄養補助のためやおやつ代わりにポケモンフーズなどを与えることもあるが、ヘタに変なものを与えるよりも適度な水の方がよく育つ。

 そう説明すると、ユヅキは関心したように熱心に聞き入っていた。

「そうなんですか。勉強になりますわ」

 

 

 老執事は皿に水を張って持ってきてくれた。ヒマナッツがそれに口をつける。

 ヒマナッツは驚いたように目を見張っていた。

『ヒマ! ヒマヒマッ!』

 やはり金持ちのところは出てくる水もうまいのか、世の中にはこんなにもうまい水があったのか! というような顔をしてゴクゴクと飲んでいた。その飲みっぷりに感心し、チュリネが自分の分の水も差し出していた。

 ユヅキは二匹のやり取りを見て微笑ましげに目を細めた。

「では、わたくしたちもいただきましょう」

 

 

 料理はどれもすごく美味しかった。きっちりデザートまで頂いてしまう。

 

 食事中もユヅキはよくおしゃべりをしていた。

 楽しい歓談が続く。

 

 

 時計を見ると、いつの間にか夜の九時を回っていた。名残惜しいけれど、そろそろ帰らなくては。

 そう申し出ると、ユヅキは残念そうな表情を浮かべた。

「まあ、もうそんな時間ですか。楽しい時間は過ぎるのが早いですわ」

 奥の方に声をかけ、引っ込んでいた老執事を呼ぶ。

「じいや、アカツキくんを家まで車で送ってあげて」

「え? いいですよ。自転車もありますし」

 アカツキは辞退しようとしたが、ユヅキは言って聞かなかった。

「夜道の一人歩きは危ないですわ。わたくしのせいで遅くなってしまったのだし、送らせてくださいな。いいわね、じいや」

「かしこまりました、お嬢様」

 老執事は一礼をし、さっさと車の用意をしに行ってしまった。仕方なく、ご厄介になることにする。

 

 

 ヒマナッツを連れて玄関に向かった。

 太陽と共に起床し、太陽と共に眠りにつく習慣のあるヒマナッツはすでに眠たそうにしていた。目がとろんとし、頭の葉っぱも垂れ下がり気味になっている。

 玄関の扉を開き、外に出る。

 ユヅキが日傘を差してついてきた。

 

 

 アカツキは驚きつつ尋ねた。

「外に出ても大丈夫なんですか?」

 なんとなく、彼女は絶対に屋敷の外に出れないと思い込んでいたのだ

 ユヅキは微笑みながら答えた。

「夜でも紫外線はあるにはあるんですが、日中よりも大分マシですから。最も、これは手放せませんけどね」

 黒い日傘を持ち上げてみせる。

 

 

 ユヅキは傘を傾け、夜空を見上げた。

「今夜は満月ですね。とても美しいですわ……」

 釣られるようにアカツキも空を見上げた。

 流れる雲の波間に、ぽっかり月が浮かんでいた。

 

 

 夜だというのに、日傘を差している少女。

 日傘がなければ、外に出られない彼女。

 

 

 太陽の光をほとんど浴びたことがないその肌は恐ろしいまでに白く、月の光を浴びて淡く輝きを放っているように見えた。

 ひどく幻想的で、美しくて、それでいてどこか寂しげで……まるで月の世界のお姫様のようだ。

 しばらくの間ぼうっと見惚れてしまう。

「どうかしました?」

 視線に気付き、ユヅキがこちらを見た。

 アカツキは「何でもないです」と慌てて首を振って視線を逸らした。

 

 

 屋敷の正面に老執事の運転する車が到着した。

 黒塗りの高級車で、ポケモンのマッスグマのように車体が長かった。多分紫外線対策なのだろう、窓に遮光性の高い濃いめのスモークが貼られている。

 老執事は手早くアカツキの自転車をトランクに収納し、後部座席のドアを開けた。促されるままに車に乗り込む。

 

 

 ユヅキが窓際に近寄ってきたので、アカツキは窓ガラスを下ろした。

 若干前屈みになり、長い髪の毛を耳に引っ掛けながら彼女が言った。

「またお花の注文をすると思うので、その時はよろしくお願いしますね」

「はい、分かりました。おやすみなさい、ユヅキさん」

「おやすみなさい、アカツキくん」

 

 

 車は音もなく走りだした。

 角を曲がって見えなくなるまで、日傘を差したユヅキはこちらのことを見送っていた。

 しばらくして、運転しながら老執事が話しかけてきた。

「お花の配達だけでなく、お嬢様のおしゃべりにまで付き合っていただき、ありがとうございます」

「え? いえ、こちらこそ夕飯までごちそうになって……」

「お嬢様はああいう体質ですので、満足に外出することも、お友達を作ることもままなりません」

「…………」

「あんなに楽しそうにしているお嬢様を見るのは久しぶりでございます。ご迷惑でなければ、また話し相手になってあげてください」

 背中越しに頭を下げる老執事。

「迷惑だなんてそんな……」

 

 

 車は夜道を静かに走り続け、じきにうちの前に到着した。

 迎えに出てきた両親は、家の前に止まっている黒塗りの高級車を見て何事だと目を丸くしていた。

「夜分遅くまで大切なご子息をお預かりして申し訳ありませんでした」

「ええ? いえいえ、こちらこそ……」

 大人同士のやり取りをしている。

 

 

 その後アカツキは風呂に入り、二階の自室に戻った。

 ユヅキの部屋に比べれば全然狭いし雑然としているが、サッカーボールやら野球のグローブやらがある、遊び盛りの子供らしい部屋だ。

 ヒマナッツはすでに自分のお気に入りのクッションにうずくまり、すやすやと寝息を立てていた。

 アカツキはベッドの上に寝転がり、窓から月を見上げながら考えた。

 ユヅキは日中に眠り、夕方から起き出す生活をしていると言っていた。

 別れ際にアカツキはいつもの癖でおやすみなさいと挨拶してしまったが、ユヅキは今から、長い一日が始まるのだ。

 

 

 夜の世界はとても静かだった。

 風が木々を揺らす音や、ホーホーや虫ポケモンたちの鳴き声がどこからか聞こえてくるのみである。

 今、彼女は何をしているだろうか?

 チュリネと一緒に遊んでいるのか、一人で本でも読んで過ごしているのか。

 彼女の世界に少しでも近付きたくて夜遅くまで起きていようと考えたが、十二歳のアカツキのまぶたはどんどん重くなっていき、しまいには、いつの間にか眠ってしまっていた。

 

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