始まりの混乱
――――鎮座するは、翡翠の法螺貝。
まるで何かを訴えるような様は、言葉足らずな幼児の如し。
「留守は任せた」
「ええ、武運を」
「お前らも、無茶すんじゃねーぞ」
「クリス先輩こそ!」
「気を付けてくださいね」
その前に立つは、三人の『歌姫』。
仲間達の激励を受けながら、装備を纏って進んでいく。
「――――いってらっしゃい」
「うん、いってきます!」
最後の一人が、駆け寄って。
◆ ◆ ◆
さてさて。
アレクサンドリア号の事件から二週間。
後始末の終わりも見えてきて、S.O.N.G.にはいつも通りの雰囲気が戻りつつある。
ついでにわたしの顔面噴火も落ち着いてきた。
あれ以来大きな事件もないので、平和かと思うけど。
割とそうでもないのです。
と、いうもの。
「了子さーん、響ちゃんのご家族に出すお菓子。これでいいですかー?」
「あら、それとっておきのサブレじゃなかった?」
「お客には出し惜しみしない主義でしてー」
了子さんとスタッフさんの会話で、『もうそんな時間か』と顔を上げる。
パソコンで疲れてきた目頭をぎゅっと押さえてから、さらに伸びもする。
――――めでたく退院したお父さんから、『相談がある』と連絡があったのは二日前の事。
なんでも、香子が変なものを拾ったとか何とかで。
わたし達に調べてほしい、ということだ。
見た目は犬っぽいんだけど、影から出たり入ったりできるらしい。
ばっちり目撃した家族みんなは、十中八九こっちの案件だろうと考えたそうな。
専門家のわたし達ですら『出たり入ったりってなんだ・・・・?』ってなるのに、そっち方面に明るくないお父さん達の困惑は相当だったと思う。
なお、例の犬モドキは、今のところ敵対するようなそぶりは見せていないらしい。
むしろ、疑うのがバカらしくなるほど、香子にがっつり懐いているんだとか、何とか・・・・。
・・・・お姉ちゃん的には、すぐに死ぬみたいな緊急性のない案件でほっとしているかな?
いや、それはそれとして、何か変なことに巻き込まれてないかって心配はあるんだけどもね?
「響ちゃんも、そろそろデスクワーク上がっていいわよ。無いと考えたいけど、万が一に備えて頂戴」
「りょーかいでーす、あ、出来た書類そっちに送りました」
「確認しました」
エンターキーをタンッと押して、終わらせたかった分を送信。
ちゃんと届いたのを確認してから、待機に移った。
とはいえ、さすがにまだ時間はあるようなので、もはや恒例となった休憩スペースでお茶でも飲んでいることに。
てなわけで、足を運んでみれば。
「あ、響!お疲れ様!」
「おや、響さん」
「未来・・・・と、緒川さん?」
談笑していたらしい未来と緒川さん。
未来の格好は、装者に支給されているトレーニングウェアだ。
もういくらか動いた後なのか、汗でしっとりした肌が艶っぽい。
・・・・いや、どこ見てんのわたし。
なんて自分に突っ込みいれつつ、自分の分の飲み物を取って座った。
「もうお仕事は終わったんですか?」
「いやぁ、この後香子達が来るんで、念のための待機です」
「そっか、相談事なんだっけ」
「うん」
会話の傍ら、最近緒川さんにあれこれ教わり始めたんだっけというのを、『そういえば』と思い出す。
攻撃よりも足さばきを主に習っているらしいけど、被弾が確実に減っているとか。
その辺はわたしも確認しているし、何より未来の怪我が減るのは嬉しい。
せっかくきれいな肌してるもんね、傷が付いちゃもったいないってもんよ。
「・・・・変な事考えてない?」
「うーんにゃ、何にも」
危うくバレそうになったので、何とか誤魔化した。
と思ってたら緒川さんには見抜かれていたようで、微笑ましいような、たしなめているような目を向けられてしまった。
サーセン、気を付けるッス。
なんて、未来から見えないところで舌をペロっとしたタイミングだった。
けたたましいアラートが響いたのは。
「――――ッ!!!」
「えっ・・・・!?」
ぶわっと全身に緊張が走って、体を飛び出させていた。
未来がワンテンポ遅れて来てるのを背中に感じながら、艦橋へ駆けつければ。
案の定慌ただしく動いている面々が。
「来たか、二人とも!」
「状況は!?」
「何が起こっているんですか!?」
「市街地に未知の反応を確認!」
「加えて、反応地点にて火災が発生!規模の拡大スピードが著しく、消防から応援要請が来ています!」
表示されたマップには、観測されたっていう反応の大まかな位置と。
火災の発生ポイントが映し出されている。
・・・・もしかしなくても、その出てきた輩が放火魔やってるように思えるんだけど。
「現場のカメラに接続完了!映像出ます!」
すっ飛んでいきたいのはやまやま何だけど、先に現場がどうなっているかだけでもチラ見しようと考えて。
同じ結論に至ったらしい未来と一緒に、モニターを改めてみてみれば。
「――――えっ」
――――瞬きを、忘れた。
だって、そこに映っていたのは。
肩や、手、あるいは尻尾から、炎を噴き出している。
「燃えるノイズだとォッ!?」
さらに連中が通った後には、いっそ懐かしさを覚える真っ黒な塵の山が。
「ま、さか・・・・分解ではなく、本当に燃やして・・・・!?」
そんな、オペレーターさんの震える声が聞こえた。
「ッ未来、行くよ!!」
「ぅ、うん!」
いつまでも突っ立っているわけにはいかない。
思いっきり怒鳴りつける形になったけど、未来はしっかり頷いてくれた。
本部から飛び出して、待機していたヘリコプターに乗り込む。
オペレーターさんの声はちゃんと聞こえる状態だ。
『ノイズの中に混じって、高エネルギーの反応を確認!』
『これは、アウフヴァッヘン波形!?』
『ッ波形パターン、照合します!』
飛び上がるヘリの中で、ずっと報告に耳を澄ませていると。
指令室に駆けつけたらしい了子さんの声。
・・・・このやりとり、どっかで聞いた気が。
いやいや、まさかそんなこと・・・・。
『天ノ羽々斬に、イチイバル!?』
『そして、ガングニールだとォっ!?』
―――――あったぁ!!!?!??
◆ ◆ ◆
「どうしよう・・・・!」
熱気の中を走り回る。
時折足がもつれそうになりながらも、懸命に膝を上げて、つま先で地を蹴った。
「くぅーん・・・・」
「ッ大丈夫だよ、きっとお姉ちゃんが助けてくれるよ」
腕の中、『相談事』である黒い子犬を見下ろして。
怖がる自分の心を、何とか鼓舞しながら。
せめて火の手が少ないところを目指した。
伝う汗をおざなりに拭って、ひとまず海を目指そうと進路を定めたところで。
「ぐるるるる・・・・」
「クロ、どうしたの?」
『クロ』と名付けた子犬が、牙を剥いて唸りだした。
尋常ではない様子に、香子も倣って視線を追うと。
――――巨大な『黒』がいた。
熱にやられてしまったかと目をこするも、風景は変わらない。
大型トラックもかくやというサイズの、巨大な『犬』が。
まばたき一つせず、ただただ害意を以って睨みつけていた。
「がるるッ!がうっ!がうっ!がうっ!」
「く、クロ、だめ、逃げよ・・・・ぅわ・・・・!」
飛び出したクロを引き留めようとすると。
大型にもほどがある動物に、目に見えた敵意を向けられた腰が。
呆気なくあさっての方向に飛んで行ってしまった。
熱されたアスファルトの上に、力なくへたり込んでしまえば。
獲物の無力化を悟った『犬』が、ゆっくり歩いてくる。
軽く開かれた大きな顎は、剣のような牙がずらりと並んでいて。
香子の小さな体など、一噛みで仕留められるだろうことは。
想像に易かった。
「がうっ!がうがうがうっ!」
クロの懸命な吠え声も何のその。
とうとう『犬』が、香子の目の前にやってくる。
近づいたことで、奴の体に電気が走っているのが見えた。
いや、見えたところで何になる。
どうせこのままでは、自分はおろか、子犬まで死んでしまう。
「あ、う・・・・ぁあ・・・・!」
だというのに、この体は動いてくれない。
立ち上がってくれない、走ってくれない。
声を張り上げるべき喉は、情けない音を漏れさせるだけ。
「ぐるるるるるるうぅ!!」
パニックに陥りかけた思考を繋いだのは、効かぬと分かってもなお懸命に吠える声。
ひゅっ、と音を立てた喉に、力が戻ったのが分かって。
だから、ここぞとばかりに叫ぶ。
「――――たすけて」
「――――助けてッ!お姉ちゃんッ!!!!」
『犬』が飛び出したのは同時。
立ち向かうクロごと飲み込もうと、その大あごを存分にかっぴらいて。
「ッだああああああああああああああああああ!!!!!!」
人の咆哮、何かの衝撃。
吹き飛ばされ、頭を打った香子が見たのは。
今まさに呼んだ、『お姉ちゃん』の背中だった。
どーっちだ?