「はーあ!足湯気持ちよかったねぇ!」
「うん、何だかお肌もつるつるになった気分」
――――ごたごたが落ち着いてきたある日。
『たまにはゆっくりして来い』と、香子含めた一同から後押しをもらったわたしは。
未来とお泊りデートに出ていた。
場所は、とある温泉街。
夏休みシーズンというだけあって、結構な人だかりだけども。
久しぶりのゆったりとした時間に、羽を伸ばさずにはいられない。
「夏の温泉街も、なかなか乙なもんじゃないの」
「弦十郎さん達にも、お土産たくさん買っていこうね」
「うんうん!」
とはいえ、熱中症が心配になるほど暑いことに変わりはないので、水分補給でもと辺りを見回すと。
「飲める温泉?」
「あ、美肌効果があるって」
「へぇー」
ちょっと汲んで触ってみると、冷たいとは言えないけど死ぬほど熱くもない感じ。
なんだろう、ほんのり温かいぬるま湯的な・・・・。
とはいえ、せっかくなので飲んでみることに。
「んー、どうだろう。響はどう?」
「水道水じゃないことくらいしか分からないね。あ、でも、布で越した泥水よりはおいしい」
「もう、なんて冗談言ってるの」
とはいえ喉も潤ったし、これはこれでよかったのかも。
文面ではたしなめてる未来も、楽しそうにはにかんでいる。
うーん、かわいい!
「面白いものがあるもんだねぇ」
「ねぇ、温泉飲むなんてなかなかないよね」
後ろに並んでいた人に柄杓を渡して、また二人で当てもなく歩き出したところで。
そういえばお腹が減ってるのを思い出した。
「お腹が減って来たなぁ、未来は?」
「実は、わたしも。この辺、お蕎麦がおいしいみたいよ」
「へぇ、じゃあお蕎麦のお店探してみようか」
人込みを避けて、道端でスマホをぽちぽち。
よさげなお店を見つけたので、そちらに向かうことに。
はぐれないようにって、手を握ってきた未来にきゅんきゅんしながら歩くこと、しばし。
それらしいお店に到着、醤油とお出汁のいい香りが鼻をくすぐる。
これは期待できそうだ・・・・!
「いらっしゃいませー!」
「二人ですけど、入れます?」
「大丈夫ですよ、カウンターへお願いしまーす!」
大分混んでいたから心配になっちゃったけど、開いてるとこがあった。
よかった・・・・。
一緒にのぞき込んだお品書きから、かき揚げ蕎麦ときつね蕎麦を頼む。
ところで、こういう『和』な雰囲気のお店って、『メニュー』よりも『お品書き』って言いたくなるよね。
「未来はきつね蕎麦とかのお揚げって、先に食べる?それともとっとく?」
「うーん、考えたことなかったかなぁ。あ、でもてんぷらはサクサクのうちに食べたい」
「ああ、分かる」
なんてとりとめのないことを考えつつ、未来と何気ない会話をする。
聞こえそうで聞こえない有線と、厨房のせわしない物音をBGMに。
時間がゆったり流れていて。
はぁー、こう。
まったりした時間を過ごすのって、久々すぎる気がする。
前に過ごせたのはいつだったか・・・・。
・・・・大分昔な気がする。
ここの所、色々ありすぎたんだよなぁ・・・・。
「お待たせしましたー」
と、ネガティブになりかけたメンタルを打ち消すように、頼んだものが来た。
「お、ありがとうございまーす」
ほかほか湯気を立てている二杯のお蕎麦。
かき揚げがわたしで、きつねが未来。
いただきますして、早速てんぷらをがぶり。
うんうん、やっぱりてんぷらはサクサクがうまいよなぁ。
順番は気にしないと言っていた未来も、隣でお揚げをぱくり。
じゅわっとかすかに聞こえた音から、あの味が容易に想像できた。
「んん~!」
「うんまぁ~・・・・!」
もちろんメインのお蕎麦も最の高。
これは、本当にいいお店を当てたなぁ・・・・。
耳を澄ますと、揚げ油とはまた違うジューッという音。
漂ってきた香りから、『かけ』を作る過程の、熱した鉄を醤油に入れるあれだなと分かる。
なるほど、本格的。
「おいしいねぇ」
「うんうん!」
舌鼓を打ちながら、つゆまで飲み干してしまった。
「次はどこ行く?」
「この近くに、安全祈願の神社があるらしいけど?」
「あー、行っておこうか・・・・職業的に」
「ふふ、そうね」
お腹も満たされたところで、次の目的地に行こうとした時だった。
「キャーッ!引ったくりーッ!」
喧騒を一時停止させる、布を裂くような悲鳴。
はっとなって見れば、人込みを猛然と進むそれらしい人物が。
走るルートを予測しつつ、ささっと移動。
「どけぇッ!!」
怒鳴りながら掴みかかって来る手を軽く弾いて、ひっつかむ。
そのままわたしの向きを変えて、
「どっせい!!」
「う、おおおッ!?」
派手に背負い投げを喰らわせてやった。
受け身もまともに取れない引ったくりは、背中を思いっきり打ち付けて。
きゅう、と意識を飛ばしてしまった。
「す、すみません。それ、私の・・・・!」
「ああ、どうぞ。念のため中身を確認してください」
引ったくりが持ってたバッグを拾い上げて、砂を払っていると。
持ち主らしい女の人がやってきたので、普通に渡した。
ごそごそまさぐったバッグの中身は、財布やスマホを始めとした貴重品共々無事だったらしい。
よかった。
「警察です!大丈夫ですか!?」
そんなこんなのうちに、お巡りさんが駆けつけてきた。
もうここにいる理由はないね。
「それじゃあ、私はこれで」
「え、そんな。せめてお名前だけでも」
「ナナシノゴンベェ」
未来と合流して、引き留める警察とお姉さんを置いてけぼりに。
すたこらさっさと立ち去ってしまう。
空に茜色が残っているうちに、宿泊している旅館へ戻ってきた。
取っている部屋にはなんと、貸し切りの露天風呂が着いている。
今日のお風呂はもちろんそこで済ませちゃうことにした。
「あ、見て。星が」
「ほんとだ、天の川!」
体も頭も洗って、二人で湯船に浸かれば。
見上げた夜空に、満天の星。
時折吹いてくる夜風が、のぼせる心配も一緒に吹き飛ばしてくれていた。
「はあー、いーいお休みだぁ。ゆったり観光して、温泉にも入れて・・・・」
「ふふ、ここのところ忙しかったもんね」
「ねぇー・・・・」
口元までお湯に浸かって、ぶくぶく。
『行儀悪い』と怒られてしまったので、すぐにやめたけど。
あがるついでに、未来を抱き寄せたりしちゃったり。
「もう、人目がないからって・・・・」
「えへへー、未来分は補充できるときに補充しとかないとねー」
テンションのままにぎゅっぎゅしてると、ふと。
未来が悩まし気な顔をしていることに気付いた。
「未来?」
「っえ?う、ううん・・・・何でもない」
なんでもなくない感じなので、未来が見ていただろう場所を見てみて。
ああ、と納得した。
もうだいぶ薄くなっているけど、古傷や生傷で全身ボロボロだったからだ。
いや、後悔があるわけじゃないんだけども・・・・。
それでも、悲しそうな顔をした未来に、何も思わないわけじゃない。
思い出せば、この部屋を取ったのは未来だ。
こんなわたしを見られたくないと思ったのか、それともわたしがほんのり気にしているのを察してくれたのか。
・・・・どっちなんだろうなぁ。
「響こそ、どうしたの?ぼーっとしちゃって」
「んー、未来が愛しいなって」
「もう、調子のいいこと言って。誤魔化さ――――」
お小言を言いかけた唇を、遠慮なくふさいだ。
「――――誤魔化しって言われるのは、ちょっと寂しいかなぁ」
「・・・・ばか」
未来が愛しいのはもちろん、かわいいなとかは常日頃から思っている。
むしろ日々更新されていると言ってもいい具合で考えてるので、嘘じゃないもんね。
ってなわけで、かわいい反応に上がったテンションのまま、何度か食み続ける。
・・・・『トンネルと抜けると』で有名な本の中では。
薄明りに照らされた女性の唇を、『輪を描いたヒル』と表現するらしいのを。
ぼんやりと思い出した。
「ん・・・・ひ、びき、ここ外・・・・!」
「っは・・・・中ならいいの?」
「そういう話じゃない・・・・!まだ起きてる人だっているのに、誰に聞かれてるか・・・・!」
顔を真っ赤にして抗議してくる未来。
んー、まあ、はしゃぎすぎた自覚はあるから、このくらいでいいかも知れない。
ご飯だってまだ食べてない。
「あはは、それじゃあ」
・・・・でも、『はい、わかりました』と引き下がるのも、何かなぁと思ったので。
耳元に口を寄せて、
「続きは『寝るとき』にね」
――――反撃の水飛沫は、甘んじて受け止めた。
ここの売りは、食堂で食べられるビュッフェ。
旬のお魚や、新線な野菜、普段は手を出しにくい良いお肉を。
凄腕のシェフが調理してるって話だ。
「だから、曲げたへそを戻してほしいなぁ、なんて」
「節操無しのお願いは、しばらく聞いてあげない」
「そこを何とか・・・・!」
お揃いの浴衣を着て、並んで廊下を歩きながら。
つーんとそっぽを向いてしまった未来を、なんとか宥めようとしていると。
「あれ?小日向?」
後ろから、声。
しかもなんかやな感じ。
振り向くと、心臓が一瞬だけ締まる。
・・・・中学の同級生達が、そこにいた。
防衛本能というやつなのか、名前はどう頑張っても思い出せない。
でも、顔だけはどうやっても忘れられないようだった。
「やっぱそうじゃん、何してんのこんなとこで?」
そのうちの一人、『高校デビュー』でもしたのか、髪を派手に染め上げている奴が。
見下しながら近寄って来る。
っていうか、わたしをわざと無視してるなこいつら。
「何って、旅行だけど」
「旅行ねぇ?」
ちらりと嫌な目をわたしに向けた、髪が派手な奴。
「援交の間違いじゃないか?」
案の定、そんなとんでもないことを口にした。
「ああ、二人とも家出したもんね。それくらいしか生きる道なさそう」
同調するように、一緒にいた女の子がにやにや嗤う。
・・・・いじめっ子って、反省も何もしないと聞いていたけど。
なるほど、これは救いようが無い。
いや、きちんと反省して改心する人もいるんだろうけど。
それをふまえても、これは酷い。
「・・・・こんな往来で、会うなりそんなこと言うなんて。マナーがなっていないんじゃない?」
「ははは!援交女にそんな言われても!なあ!?」
派手野郎に同調して、嫌な嗤い声が響く。
どうやら連中の中では、わたしと未来は援助交際をしているので確定しているらしい。
「どうせこの後そういうことすんだろ?どこの誰?」
「・・・・知ってどうするの?」
「俺達も混ぜてよ、一人二人増えたところで変わらねぇだろう?」
・・・・未来がからかわれているのに、さっきからイライラしている。
でもここは旅館で、ほかにお客もいるからと我慢していたんだけど。
これは、ちょっと、無理っぽい。
一緒にいた女子達の、『やぁだぁ』なんて口だけの態度もさらに助長して来て。
「金は払うからさぁ」
そうやって伸ばされた手が、トリガーになった。
未来を庇いながらばしんと打ち払って、顎をひっつかむ。
「なっ、がっ・・・・!」
「いじめっ子が反省も何もしないっていうのは聞いてたけど、品性も失うとはね」
顎を握り砕くつもりで力を入れながら、睨みを利かせる。
「援交だのなんだのと、そんな発想しか出来ないの?そんなことで笑えちゃうの?お前らの脳みその程度が知れるな」
「ご、ぉが・・・・」
「ああ、それとも新手の自己紹介だった?だったらごめんねぇ、流行りは分からん上にあんまりにも下品だったから、全ッ然気づかなかった」
殺気も当てながら、逃げたくってたまらないと言いたげな目を、逃がさないように見据えてやる。
「でも安心しなよ?わたしはお前らが思う以上に乱暴者じゃないし、っていうか、ちょうどいいから言っておくけど、あの頃お前らが言ってきたのは全部言いがかりだから」
「は、はあ!?じゃあ今のこれは何なの!?」
「お前は今まで何を見ていた?まさか、自分達がやったことをすっぱり忘れたと?こんな短時間のことを?なんとも都合のいい脳みそだ」
めり、とさらに力を籠めれば、くぐもった悲鳴が上がった。
すっかり怯え切っているのをみて、頃合いだなと判断。
「ぐ、うわッ!」
「ついでに、その貧相な脳みその叩き込んでおきな」
派手野郎を、物を放るように突き飛ばして。
未来をぎゅっと抱き寄せて。
「これ、わたしのだから。イカ臭い手で触んな」
仕上げの一押しに、また殺気を当てれば。
連中は押し黙ってしまった。
が、面の皮だけは厚い連中だ。
顔を真っ赤にして、目を吊り上げて。
「ふざけんな!!」
「家出女の癖してかっこつけてんじゃないよ!!」
大声で口々にまくしたて始めた。
もういっそ清々しいくらいの態度に、強風を受けている心持になる。
騒ぎを聞きつけて、ほかの宿泊客も集まってきた。
どうしたもんかと、考え始めた時。
「もうやめてください!」
横合いから、そんな声。
見ると、昼間引ったくりにあっていた大学生くらいの女の人が。
お友達なのか、後ろに同い年くらいの2・3人の男女がいる。
「この人は、ひったくられたバッグを取り返してくれました!あなた達との間に何があったかは分かりませんが、恩人を悪く言わないで!!」
「ずっと見てたぞ!酷い言いがかりつけやがって!」
「あんたら、早く行きな。ここは俺達が引き受けるから」
「昼間はありがとうね、友達を助けてくれて」
同級生達との間に、あっという間に割り込んだ彼らは。
連中を抑え込みながら、わたしと未来を遠ざけるべく向きを変えられて、背中を押された。
・・・・こっちの面倒ごとを押し付けるようで、申し訳なかったけど。
奴らから離れられる絶好の機会なので、遠慮なく離脱することに。
「すみません、頼みます」
「ありがとうございました!」
「うんにゃ、こっちこそー」
大学生さん達に手を振りながら、そそくさと廊下を歩いて行っちゃう。
「助けられちゃったね」
「うん、大丈夫かなあの人達」
「大学生だし、やばくなったら旅館の人呼ぶくらいはするでしょ」
「そうだといいけど・・・・」
角を曲がったところで息を整えていると、未来が手を握ってきた。
指が振れたことでやっと、わたしの手が震えていたことに気付く。
「大丈夫?」
「今は少し・・・・ご飯食べて、ぐっすり寝たら収まるかも」
「・・・・そう」
気遣うように撫でてくれる手が、すごく温かかった。
◆ ◆ ◆
「・・・・ん?」
まどろみから目覚めた未来は、なおもぼんやりとした後で。
朝の澄んだ空気を感じ取り、ゆっくり身を起こす。
気怠い身体と乱れた布団、そして、はだけた浴衣から覗くキスマークが。
昨晩の出来事を、如実に物語っていて。
今度こそ覚醒した未来は、ぽっと顔を染めた。
羞恥から逃げようと、姿の見えない響を探すと。
露天風呂の方から、水の音。
どうやら、乱れた体を清めている様だった。
望んで合意したとはいえ、未来の体も負けないくらいにどろどろだったので。
布団は後で整えようと考えながら、風呂に入ってしまうことにした。
「・・・・やっぱりここにいた」
浴場に入ってみれば、まだ日は登っていない様だ。
大分白んだ空の下、右手を見つめる響がぼんやりとしていたが。
「・・・・ん?ああ、未来」
「おはよう、響」
ほどなくこちらに気付くと、『おはよう』と笑いかけてくれた。
響は手抜きしてかけ湯だけにしたということなので、未来も倣って、主だった汚れを洗い流すだけにとどめた。
浴槽に入ると、なんとなく響に寄りかかる。
「どうしたの?」
「ふふ、なんとなく」
「そっかぁ」
肩に頭をのせると、水面から出てきた手が撫でてくれる。
優しい指使いに愛しさを募らせながら、さらに頭を摺り寄せれば。
そっと抱き寄せられた。
近くなった唇にそっと自分のを重ねると、驚きながらも受け入れてくれた。
「は・・・・珍しいね、本当にどうしたの?」
「・・・・なんとなくよ、本当に、なんとなく」
嘘だ。
本当は、さっき浴室へ入った時に見た。
痛みを堪えるような表情を、自分の罪悪感を掘り返してしまっている姿を。
どうしても放っておくことは出来なくなって。
だから、せめて独りにしないように。
過去に呑まれないでと、伝えるために。
「お、日の出かな?」
響の声に空を見ると、塀の向こうからまばゆい光が一条。
朝焼けをまっすぐ両断している。
「今日もいい日になるといいねぇ」
「・・・・そうね」
嗚呼、願わくば。
この人が、くすぶる罪悪感で焼き尽くされませんように。
もうのんびりする機会はこなさそうですからね。
存分にいちゃついてもらいました。