それは、何回目かの検査のときだった。
機器から解放された響は、その時に限って何やら考え込んでいて。
検査用の薄着のまま、手のひらをゆっくり閉じたり開いたり。
時折指先や手のひらの縁を摘んだりして、その様子をじぃっと観察していた。
「どうしたの?何かお悩み?」
「え、ああ・・・・その」
了子が問いかけてみれば、現実に引き戻されたようで。
我に返った彼女は、苦笑いを取り繕う。
「愚痴くらいなら聞けるわよ?
毎日のように出動している
実際、彼女は貴重な個体。
だから、簡単に潰れてもらったら困るというのは、紛れもない本音だった。
話しかけられた響は、大分長い間口ごもっていたが。
やがて了子の粘り強さに負けたのか、観念したように小さく息を吐いた。
「――――知り合いが言っていたことを、思い出して」
「知り合い?」
「はい」
こっくり頷いた響は、再び自分の手に目を落とす。
「『痛みだけが、人を繋ぐ』って、その人はそれを信念にしていて」
「・・・・そう」
覚えしかないワードに、了子の胸が跳ねた。
声に動揺が出ていないか心配になり、同時にこんな当て付けの様な話題を振る響に恨めしい思いを抱く。
「――――確かに一理あるわね」
違和感の出ない程度に、一呼吸置いて。
了子は口火を切る。
「乱暴な言い方してしまえば、人間だって所詮は獣。言葉で分かり合うのはもちろん人間のいいところだけど、時には暴力で教え込んだ方がいいときもあるもの」
「あはは、それはよく分かります」
了子の言葉にしっかり頷く響。
『暗がり』を歩いてきただけあって、『力尽く』には覚えがあるらしい。
「それで、響ちゃんはその言葉のどこが気になっているのかしら?」
「いや、そのですね・・・・」
『フィーネ』を意識しながら、見下ろす。
監視カメラは天井のみ、この目は見上げる響にしか見えていない。
目の前の少女は、そんな鋭い視線を真っ向から見つめ返しながら、また苦く笑った。
「人間が痛みでしか繋がれないのなら、『痛み』を感じないわたしは、誰とも一生分かり合えないのかなって・・・・ふと、そう思っちゃいまして」
「――――」
また、胸が跳ねた。
動揺ではない。
試験の答案が帰ってきた時、完璧だと思っていた回答に綻びを見つけたような。
そんな感覚。
「さすがに考えすぎですかねぇ?ちょっと前ならともかく、今は違いますし」
「・・・・ええ、そうね」
そう呑気に頭に手をやって、誤魔化すように笑う響。
了子もまた、目を伏せて。
努めて柔和に微笑みながら、響の頭を撫でる。
「それ、弦十郎君や未来ちゃんの前で言わないようにね?きっと怒られちゃうから」
「わーい、怖い顔が想像出来ちゃうやー」
フィーネの基準からすれば。
どこまでも他人を思いやれる、そこそこ好感を持てる連中のことだ。
きっと鬼気迫る顔で、『そんな寂しいこと言うな』と怒鳴りつけることだろう。
響もその様が容易に想像できたらしく、どこか遠い目をしていた。
そんな様子が面白くて、先ほど浮かんだ恨めしい思いに関しては、これで手打ちにしようと結論付けた。
「それで、今日この後は?」
「訓練も
「はーい、了解」
――――報いとは、こういうことを言うのだろう。
あちこちで自己主張する鉛玉を感じながら、彼女はほくそ笑む。
血の海に沈むこの身は、すでに満身創痍。
指の一本すら動かせない。
『手前勝手が過ぎたな』と、屈強な男達が乗り込んできたのがほんの十分ほど前。
何も備えていなかった体は、あっというまに蜂の巣にされてしまった。
女性が受ける最大の『暴力』を施されなかっただけマシだが、それでも痛いものは痛い。
追っ手がかかっていようがいまいが、後は二課の連中が勝手に構って連れて行くに違いない。
そして
(・・・・どう、して)
状況を整理した次に思うのは、これまで。
『どうして、何故』という疑問が、頭から離れない。
・・・・ただ一つ。
人間が生きていくうえで、当たり前の感情を。
『あなたが大好き』という想いを抱いただけだ。
相手は余りにも遠い場所にいた、だから至れるように塔を作り上げた。
塔を砕かれ、罰として言語を引き裂かれた時はさすがに参ってしまって。
言葉に頼らぬ意思疎通方法を、いくつも研究して編み出して、人々に提供した。
そうすれば『あの御方』も許してくれると信じていた。
――――なのに人間達は、与えた技術で相手を
想いを伝えられたあの頃へ、人々が分かり合えたあの頃へ戻したいだけだったのに。
一度『分からない』という恐怖を覚えた人間達は、当たり前のように戦いを繰り返した。
永い永い年月の中で、『あの御方』に届くのは統一言語のみだと知った。
それでも想いを止められなかった。
(どうしてっ・・・・!)
ただ一言、たった一言を伝えたいだけなのに。
どうして、こんな。
失敗ばかり。
邪魔、ばかり・・・・!
『――――まだ生きていたのか』
足音。
目だけで見上げれば、集団のリーダーが誇らしげにデュランダルを担いでいた。
『案ずるな。カ=ディンギルに統一言語・・・・世界の統合は我等が果たす』
盗品で何をと思いかけたが。
そういえば元々盗品だったなと、場違いなことを考えた。
相当弱っている自分に、内心苦笑を零す。
『全ては祖国の恩恵を受け、そして祖国のために動くのだ』
実質世界征服じゃないかとか、絶対反乱が起きるなとか。
そんなことが頭を過ぎったが。
黒光りする先端を向けられて、思考が嫌でも区切られた。
(
目を伏せる。
次に期待するしかないが、連中の好き勝手が成就していることを考えると、気落ちする一方だ。
『さらば、老いさらばえた巫女よ』
引き金に、指がかかる。
上げて落とすスタイル。