――――冬が近くなった風の中、両者は向き合う。
擦り傷、砂汚れ、すす汚れで全身をまみれさせた二人は。
誰がどう見ても満身創痍だった。
しかし、決して弱く見えないのは、間に流れる剣呑な空気ゆえか。
「・・・・・これ以上、何になるの?」
先んじて口を開いたのは、響。
かつての同級生から、目を背けない。
「フロンティアは崩壊した、月の落下もナスターシャ教授が食い止めてくれる。何よりこんだけ暴れたのなら、あんたの言う罪人共も、ちったぁ目を覚ますだろう」
一度区切って、よりいっそう強く、睨み付ける。
「もう、戦う理由なんて、ないはずだよ」
一方のジャッジマンは、目を伏せて沈黙を保った。
響の言葉を飲み込んでいるようにも見える。
やがて彼は、ゆっくり目を開いた。
「――――それが、どうした」
出てきたのは、拒絶の言葉。
「だからなんだ、それじゃあ、この感情はどうなる?この無念はどうなる?この怒りはどうなる?」
胸元を引っかくように握り締める。
うずく痛みを抑えるように、爆発しそうな怒りを抑えるように。
「そうやって乗り越えた気で忘れていくんだろう、無理やり終わらせた気で過ごすんだろう?」
声を、絞り出す。
「――――ふざけるな」
目が、ぎらついた。
「忘れさせるものか、逃がすものか、許すものか・・・・!」
本人からすれば押さえ込んでいるのだろうが、体の震えは抑えられていない。
「今回はお前たちの勝ちだろう、ああ、そうだろうよ!!だが、いずれ皆が思い知るさ!!正しかったのは、いったいどちらだったかと!!」
とうとう抑え切れなかった怒声が、木霊していく。
再び降りる沈黙。
ほどなくして、響はまた口を開いた。
「・・・・意地、だね。完全に」
「・・・・そうだ、これは意地だ」
ジャッジマンは、響を、響の後ろにあるものを睨み付ける。
「間違っているのは俺じゃない、狂っているのは俺じゃない・・・・!」
拳を握り締める。
真っ白になった指の間から、血が零れる。
「間違っているのも、狂っているのも、全部、全部、全部・・・・・・・!!」
顔が上がる。
修羅のごとき形相で、ありったけの怨念を、
「 て め ぇ ら の ほ う だ ぁ ッ ッ ッ !!!!!!!!!!」
かつて通っていた、中学校の校舎と、こちらをのぞいている生徒たちへ。
叩き付けた。
対する響にも、その勢いは手に取るように分かった。
体全体に、暴風を浴びたようなプレッシャー。
しかし、ひるむほどかと言えば、そうでもない。
「――――そうだね」
一歩、踏み出す。
「あの頃は誰も彼もが狂っていたんだと思う。けど、少なくとも今は違うでしょ」
毅然と背筋を伸ばして、地面を踏みしめる。
「時間は流れるものだ、この世の誰もが追いつけないものだ。残酷だけど、でも、それだけじゃない」
今度は、響が胸に手を当てる。
先ほどのジャッジマンとは対照的に、思いを込めるように、そっと。
「考える時間をくれる、寛容なものでもあるんだ」
そんな響はとうとう、ジャッジマンの目の前に。
拳を簡単に叩きこめそうな距離に、立ちはだかる。
「それに、意地ならわたしにもある・・・・・お前の好きにさせたくない、意地がある・・・・!」
拳を握る、構える。
ジャッジマンもまた、応える様に構えた。
風が吹く。
砂埃が舞う。
目に見えるわけではない、だが、空気が張り詰めているのが分かって。
動いたのは、同時だった。
「――――っぶ」
「――――ぐほっ」
重たい拳が、互いの胴体に突き刺さる。
響は吐血、ジャッジマンも肺の空気を噴き出す。
間髪入れず動く。
正拳をいなし、蹴りを避け。
幾つもの殴打を交わす。
ジャッジマンが飛ぶ、響の顔面に向け蹴りを繰り出す。
腕を交差させて防いだ響は、その足を引っつかんで投げ飛ばした。
途中で身を翻したジャッジマンは、肉薄。
首を傾けた響の頬を、拳が掠めていく。
舐めるなといわんばかりに反撃。
胴体にボディーブローをかまして怯ませ、胸へ三発叩き込んだ。
踏みとどまって耐えたジャッジマン。
突き出された拳を軸に飛び上がると、両手を組んで、振り下ろす。
落下の衝撃も加わった重たい一撃に、響の腕が鈍い悲鳴を上げた。
響はすぐさま振りほどき、拳を叩き込む。
繰り出した拳が、払われた脚が。
相手の頭を同時に穿つ。
同じようにふらつく両者。
直ちに持ちこたえた後、再び相手に飛び掛る。
ジャッジマンが繰り出した拳を避け、その背中を転がって背後へ。
振り向こうとした横っ面を殴り飛ばし、怯んだ鳩尾へ指を突き刺す。
「っがああああああああああああ!!」
そのままあばらを掴むように握りこめば、ジャッジマンが悲鳴を上げた。
しかし、やられてばかりの彼ではない。
悲鳴を飲み込むと、体を仰け反らせて頭突き。
怯んだところへ掴みかかり、押し倒す。
数度地面を転がる両者。
回転の勢いを利用し、響はジャッジマンを振り払う。
振り払おうとして、首元を引っつかまれて叶わない。
そのままマウントを取られる。
拳が響の顔面向けて、何度も叩き込まれる。
防御に回した腕が軋み、メキメキと嫌な音。
体を捻って、相手の背中に膝を叩き込む。
怯んだ隙に上体を上げ、拳を突き刺して今度こそ引き離した。
◆ ◆ ◆
「――――あの、大丈夫ですか!?」
戦いを見守っていたマリアに、話しかける者があった。
振り向くと、教師らしき者達が数名。
こちらに駆け寄ってきている。
「怪我しているじゃありませんか、早く病院に・・・・・!」
「ああ、ありがとうございます。けど今は、まだ」
身を案じてくれる職員に、首を横に振って答え。
視線を戦場に戻す。
「この戦い、最後まで見届けたいんです」
それっきり目を逸らさないマリア。
教職員達の中には、二人を知っている者もいることだろう。
思うところがあったらしい彼らもまた、同じ方を見た。
◆ ◆ ◆
殴る、殴る、殴る、殴る、殴る。
蹴る、蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。
指が砕ける、腕に皹が入る、筋が千切れる。
それでも、打撃の応酬を止めない。
何度殴打を打ち込んだろう、何度蹴打を叩き込んだろう。
もう響もジャッジマンも、後のことなど考えていない。
いや、後のことどころではない。
何故戦っているのかも、何を成したいかも、人間性も、信念も。
何もかもをかなぐり捨てて、相手に喰らいついている。
考えることも、望むことも、ただ一つ。
今目の前にいる、この相手を。
完膚なきまでに、倒したいッ!!
「っああああああああああああああ!」
「がああああああああああああああああッッ!!!!」
咆哮を上げる。
両者共に、獣のように喰らいつく。
血反吐を零しながら、体中を軋ませながら。
砕け切った指を握り締めて、振り払う。
顔への殴打を防ぐ、腹への殴打を受け止める。
頭への蹴撃をかわす、わき腹への蹴撃をひっつかむ。
渾身の力で振り上げて、叩き付けた。
「ッあが・・・・・!」
頭を揺さぶられた響。
打撃をすくい上げるように避けて立ち上がるも、依然ふらついたまま。
それが仇となり、ジャッジマンの接近を許してしまう。
直撃する拳。
視界に星が飛び、ついでに意識も飛びそうになる。
当然持ち直す暇などくれない。
激流のように、次々殴打を浴びせられる。
顎を穿つ、頬を穿つ、鼻っ柱を穿つ、額を穿つ。
口や鼻から血を迸らせながら、響はそれでも目を逸らさない。
その目に虫唾を走らせたジャッジマンは、攻撃を更に激化させる。
重々しい殴打の音が、グラウンド中に響き渡る。
途中から防御の構えを取ったとは言え、響が満身創痍なのは確実だった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!」
終わり時を悟ったジャッジマン。
大きく拳を引き、その顎を砕きぬこうと振り抜いて。
――――想像以上に、軽い感覚。
見下ろせば、体をかがめている響。
ぎらつく眼光に射抜かれ、彼女がこれを狙っていたことを察して。
「ぅ終わりだッ!武永あああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」
次の瞬間、胸に衝撃を感じた。
――――風が吹く。
残響が残り香を残して、消えていく。
一秒、一分、一時間。
長いのか、短いのか、分からない間。
三度沈黙が、場を支配して。
「――――お前は、許すんだな」
「そうだよ」
ふと、ジャッジマンが口を開く。
その目が映すのは響ではなく、忌々しい思い出が濃く残った母校。
「彼らがいたからか」
「そうだよ」
「ならば、世界は彼らが救ったのだな」
「当たり前じゃん」
「・・・・そうか」
打てば響くように、答えが返ってくる。
何度目か分からない静けさ。
響もジャッジマンも、見守っていたマリア達も。
誰も彼もが、何も言わないまま。
風だけが吹いていて、
「―――――あぁあぁ」
震える息が、吐き出される。
「―――――俺も、許されたかったなぁ」
刹那、乾いた崩壊音。
見送る響の目の前で、確かに存在した体が塵と消える。
足元に出来た山は、風にさらわれ、今にも消えそうだった。
「――――」
響は、何も言わない。
肯定はない、だが否定もしない。
ただ、地面に吸われる雫を凝視したまま。
ぴくりとも笑わない顔で、突っ立っていた。
これにて、決着にございます。
後はエピローグやら閑話やらを上げて、二章はおしまいですね。