誠にありがとうございました。
――――空気が肌を撫でている。
続いて、耳に呼吸の音が聞こえた。
ぼんやりしているうちに、目蓋が動くようになって。
光に痛む目を宥めながら、ゆっくりゆっくり開けてみる。
広がったのは、もう見慣れそうになってきたS.O.N.G.の医務室。
「――――ッ」
・・・・『知らない天井だ』って口が動きそうになって、慌ててつぐんだ。
がっつり知ってる天井だよ、これ。
また少しぼんやりしてから、ゆっくり体を起こしてみる。
・・・・重たッ!?
なんか、胴体全部に錘を括ったような感じ。
あとあれ、肩とか手首とか、節々が痛い・・・・。
「・・・・はあぁ」
どーっこらしょ、なんて起き上がって、ため息。
あー、お年寄りになった気分・・・・。
ここまで来ると、正直まだ寝てたい気分なんだけど。
そうもいかなそうだった。
どことなく重たい空気。
扉の向こうは、もっと張り詰めたオーラが滲んでいる。
・・・・もしかしなくても、緊急事態だろう。
だから、立ち上がる。
肘や膝の痛みを何とか押して、ベッドから降りる。
「・・・・行かなきゃ」
体をやや引きずるようにして、歩き出した。
◆ ◆ ◆
「二人とも、よくやった!」
「後は任せろッ!!」
それぞれの得物を構え、前を見据える翼とクリス。
後ろでは、駆けつけたエージェント達が調と切歌を回収していた。
もちろん上着を羽織らせ、素肌を十分隠している。
当然のように襲おうとするアルカノイズを、手始めに片付けて。
改めてミカを睨む。
ノイズの群れはまだ健在。
上等だと身構えて、ほぼ同時に駆け出した。
翼が三つ斬り捨てれば、クリスが九つ撃ち抜く。
刃の軌跡と、銃弾の残響。
瞬きの間に、十、二十と数を減らしていく。
その様、まさに『
もちろん、活躍の裏には、エルフナインや技術班達の努力があることも忘れてはならない。
アルカノイズの発光部位に触れても、ギアが解けないのが何よりの証拠だ。
「――――にははっ」
ミカはにんまり楽しそうに笑うと、手から結晶を射出。
アルカノイズが全滅したタイミングで、握り締めて走り出す。
一方は翼が振りかぶった剣へ叩きつけ、もう一方でクリスの弾丸を捌いていく。
言うまでも無く、この程度で怯む二人ではない。
「はああああああッ!!」
弾丸の群れを背負い、翼が駆け抜ける。
クリスは応戦し始めたミカの脇に回りこみ、追加の群れを解き放った。
何度も何度も木霊する剣戟と銃声。
一進一退の互角に見える攻防は、まるで嵐のようであったが。
所詮人為的なものであるそれに、やがて限界が訪れる。
「だあああッ!!」
翼がタイミングを見切って手首を捻る。
剣が翻り、ミカを弾き飛ばす。
大きくがら空きになるミカの胴体。
「うおらぁッ!!」
すかさずクリスがグレネードを打ち込めば、ボールのように吹っ飛んでいった。
間髪いれずに、翼は剣を放り投げる。
続けて自らも飛び上がり、足の推進器を吹かして蹴りを入れる。
降下し始めた翼へ、クリスはありったけのグレネードとミサイルを添える。
そんな猛々しい『銃剣』の一撃は、見た目相応の威力を以って。
ミカに、とどめを刺す。
――――はずだった。
「―――――めんぼくないゾ」
「いや、手ずから防いで分かった」
金属音と硝煙の中から聞こえたのは、未だ健在の敵の声。
身構える翼とクリスが目を凝らせば、ミカを庇うように障壁を張るキャロルの姿。
煙を払いつつ障壁を納めた彼女は、じろりと二人を見据えて。
「オレの出番だ」
はっきり言い切った。
「ご苦労だった、もう下がれ」
「委細承知だゾ」
そうして、キャロルに従い戦線から去っていくミカ。
「待てッ!!」
翼もクリスも、見逃すつもりは毛頭なかったのだが。
追いかけようとした鼻先に、風の刃を放たれた。
目をやれば、両手に緑の陣を展開したキャロルが睨んできている。
そちらを無視するわけにもいかなくなり、やむを得ず向き合う。
「お前たちの相手は、オレだと言っている」
「おいおい、そんなナリで戦う気かぁ?」
クリスが煽るように言った途端。
一瞬平静を保ったキャロルは、次の瞬間笑みを刻み付けた。
「なるほど、ナリを理由にされてはたまったものではないな」
言うなり、手元に陣を展開するキャロル。
光が収まる頃には、大きなハープが握られていた。
警戒する二人に、改めて凶悪な笑みを浮かべたキャロルは。
次の瞬間、その弦を無造作にかき鳴らす。
するとどうだろう。
ハープから無数の弦が解き放たれ、キャロルへ絡みつく。
そして、まるで立体を編み上げるように集合して。
張り付くスーツと、鎧へ変化していった。
キャロルの体もまた、大きな変化。
十に届くか届かないかの肢体が、しなやかに、艶やかに成長していく。
そうやって現れたのは、ワインレッドの装束に身を包んだキャロル。
「これだけあれば、不足はなかろう?」
成熟した女性に様変わりしたキャロルの体。
挑発するように胸に触れる様子から、よほどのパワーアップをしたのが見て取れた。
「ッ大きくなったところで!!」
「張り合いは望むところだァッ!!」
キャロルが大きくなった程度で、怯む二人ではない。
剣を払い、銃口を重々しく向けて。
強く強く地面を蹴り、飛び出していく。
◆ ◆ ◆
「ダウルダブラの、ファウストローブ・・・・!!」
ほんの少しだけ遡って、S.O.N.G.指令室。
キャロルが纏ったシンフォギアのような装備に、エルフナインが呆然と呟く。
「ファウストローブ?」
「錬金術版のシンフォギア、と考えればいいわ。聖遺物に歌以外のエネルギーでアプローチした結果なの」
疑問符を浮かべた藤尭に、了子が解説をしているところへ。
指令室のドアが開く音。
見守っていた未来を始め、余裕のある面々が振り向けば。
「いい時に起きたみたいだね」
痛むらしい腕を抑えて立つ響。
起きてすぐに来たのか、入院服のままだった。
「響、動いて大丈夫なの!?」
「うん、ちょーっとだるいけど、そんくらい」
案じてくれる未来へ、へらりと笑いかけた響は。
しかし、一度閉じた目を開く頃には、表情を引き締めていた。
「・・・・状況を、教えてください」
不安げな未来も視界に収めながら、弦十郎はモニターを見た。
「御覧の通りだ、翼とクリスくんが交戦中。しかし・・・・」
顔を渋めれば、文字通り大きくなったキャロルに苦戦している二人。
首魁を務めるだけあって、キャロル本人も『やり手』らしい。
無数の弦を操って、翼達を追い込んでいた。
◆ ◆ ◆
クリスが弾幕で牽制する間、反対側に回った翼が『蒼ノ一閃』を放つ。
一瞬反応が遅れたキャロルだったが、うまいこと体をひねって回避。
ワイヤーを固めてドリルを形成すると、近くにいたクリスへ肉薄。
迫ってきた翼もまた、同じくワイヤーで剣をいなす。
ついでに蹴りを加えて距離をとると、ダメ押しと言わんばかりに炎と風の陣を展開。
暴風と熱波に、思わず顔を庇う二人。
すかさず隙をつかれ、いくつもの雷光が降り注いできた。
どうにか避けられたものの、さらに離れた距離が力の差を表しているように見えて。
翼もクリスも、目に見えて苦い顔をした。
だが、希望が潰えたわけではない。
「やるか、イグナイトモジュール・・・・?」
「櫻井女史とエルフナインが付けてくれた、新しい力・・・・」
強化にあたって、シンフォギアに新たに付け加えられた力。
運用を一歩間違えれば、自身も滅ぼしてしまう。
諸刃の『剣』。
「――――ハ」
その程度で二人が足踏みするかどうかといえば、『否』である。
「お試しなしのぶっつけ本番、上等じゃねぇか!!」
「ああ、全く以て同感だッ!!」
未だ健全の敵を前に、不敵に笑いあった翼とクリス。
装いが新しくなった胸元へ、揃って手を伸ばす。
「――――イグナイトモジュールッ!!」
「――――抜剣ッ!!」
『――――Dainsleif!!』
――――イグナイトモジュール。
魔剣・ダインスレイフの欠片により、装者自身が抱える心の闇を増幅させ。
暴走状態を意図的に発動。
そのうえで制御し力と変えるシステム。
しかし、途方もない破壊衝動に身を焼かれ続ける代償もある。
濁流のように押し寄せる
――――一瞬の暗転。
翼が意識を取り戻すと、戦場だったはずの立ち位置が様変わりしていた。
一見何も見えないように思えるが、薄暗い中に見える輪郭から、ここがライブ会場であることを察する。
すると、スポットライトが翼を照らした。
急に明るくなった視界。
眼球に痛みを覚えた翼は、思わず顔を庇った。
光に怯んでいる間に、会場全体の照明が点灯する。
「―――――ッ!?」
見えるようになった観客席を見て、絶句する。
所狭しと並び、彩を加えている観客は。
「ノイズ・・・・!」
まさしく人っ子一人いない状況。
呆然と見渡した翼。
見開かれた目は、みるみる悲痛に歪んで。
あふれた動揺が、膝をつかせた。
――――やっと、夢を。
世界で歌ってみたいという夢を、叶えられたと思っていた。
その矢先の、今回の事件。
剣という使命に誇りがあるのは、偽りのない事実。
それでも、自分の歌を聞いてくるのは敵だけというのは、とても堪えた。
「――――ッ」
照明が完全に落ちて、新たに点く。
そこにいたのは、父と、幼い日の自分。
「――――お前が娘であるものか、どこまでも穢れた風鳴の道具に過ぎん」
幼心に深く刻まれた
そうだ、始まりは承認欲求だった。
冷たい言葉が信じられなくて、どうしても撤回してほしくて。
だから、無我夢中で剣として鍛錬を重ねてきた。
でも、その果ては。
「奏・・・・?」
また新たなスポットライト。
照らし出されたのは、もはや懐かしい姿形。
振り向いた奏は、翼に気づくと。
ふっと笑みを向けてくれた。
「奏・・・・!」
すがるように駆け寄り、抱きしめる。
瞬間、奏はぶつ切りとなって崩れ去る。
「――――剣の身では、誰も抱きしめられない」
それどころか。
足元に転がる、大切な人のように。
わなわな震える指を握りしめ、喉から慟哭を絞り出した。
クリスが目覚めたのは、リディアンの教室。
幼い頃から焦がれた、温かい日常の風景。
クラスメイトとおしゃべりをして、勉強に頭を悩ませて、家族と慎ましい時間を過ごす。
誰もが持ち得て、何よりも尊い時間。
地獄を知っているからこそ、クリスは大切にしようという気持ちがひとしおだった。
だが、そんな決意をあざ笑うように、景色が一変する。
吹き荒れる風、舞い上がり押し寄せる土埃から顔を庇って、目を開けなおせば。
火に包まれ、瓦礫が散乱する地獄へと。
「ああッ・・・・!」
歩き出そうとした足元。
転がる瓦礫以外のものに気づいて、短く悲鳴を上げる。
そこにあったのは、決して浅くない怪我を負った了子。
いや、了子だけではない。
調や切歌、響に翼にマリア。
弦十郎や、緒川、友里や藤尭といったS.O.N.G.職員達まで。
クリスが守りたいと、大切だと思っている人達が。
傷だらけで所狭しと倒れていた。
――――クリスは知っている。
地獄はすぐそこにあることを。
大切な人達は、いなくなる時は呆気なくいなくなることを。
その恐怖は、常日頃から傍にいることを。
「ぅ、あ・・・・!」
フラッシュバックする。
炎の中で、事切れた両親が。
親のように慕っていた
怖い、怖い、怖い。
また、失ってしまうのが。
たまらなく怖い・・・・!!
「ああああああ・・・・!」
上がる悲鳴が、止められない。
抜けそうな腰を必死に保ちながら、一刻も早く距離を置きたくて。
クリスは背を向け、駆け出そうとして。
「――――!?」
何者かに、手をひっつかまれる。
我に返る。
現実に戻った意識で改めて見渡すと、しっかり握られた自分の手が見えた。
「すまんな、雪音」
握られた手を追いかければ、苦しそうながらも笑う翼。
「こうでもしないと、自分を保っていられない・・・・!!」
ぎゅう、と、さらに強く握られる手。
熱いくらいの温もりが、吹き飛びそうな両者の意識を繋ぎとめていた。
やがて不発を判断したシステムが、強制終了する。
体力と気力を一気にそぎ落とされ、翼とクリスは雪崩れ込むように倒れ伏す。
イグナイトの初運用は失敗。
だが、暴走という最悪な結果だけは免れた。
「ふん・・・・」
その様を見ていたキャロルは、なぜか面白くなさそうに鼻を鳴らす。
そして徐に懐からアルカノイズの結晶を取り出して。
「向かってこないというのなら、その気にさせるだけだ!」
まるで見せつけるように、盛大にばら撒いた。
「聞くがいい!死にゆく者たちの、悲鳴を!!」
砕けた結晶から次々現れたアルカノイズは、たちまち散開。
あっという間に人間を探し当て、片っ端から赤い塵にして殺していく。
上がる悲鳴は、翼とクリスにも聞こえていた。
このまま倒れ伏している二人ではない。
しかし、イグナイト失敗の反動は凄まじく。
足を張って立ち上がるだけでやっとだった。
(早く、一刻も早く立ち上がる力を・・・・!)
(牙を突き立てるだけの、力を・・・・!)
膝は笑い、胴体は鉛を埋め込まれたように重い。
動かなければと焦るほどに、四肢はどんどん鈍っていく。
「・・・・」
そんな二人の様子を、キャロルはやはり面白くなさそうに見ていた。
◆ ◆ ◆
「・・・・」
「・・・・行くの?」
戦闘を静かに見守っていた響。
未来はその横顔へ、確信めいた問いを投げる。
もうしばしモニターを眺めた響は、返事代わりに困った笑みを向けた。
「・・・・本当は、まだダメだっていうのは、分かっている」
だけど、と。
改めてモニターを見る。
悲鳴が連鎖する中、立ち上がろうと足掻いている翼とクリスがいる。
目の前にいるキャロルは、何故か行動を起こしていないが。
もし起こしたとしたら、簡単に二人を仕留められる位置にいた。
「だけど、こんなのを見てしまって、引きこもっていられるほど・・・・いい子じゃないから、だから」
ぐぐ、と音を立てて握られる拳。
その意思の硬さを目の当たりにした未来は、しょうがないといいたげにため息をついた。
「響さん」
「ん?」
そんな響の目の前に、エルフナインが歩み寄ってくる。
おずおずと差し出した手を開けば、シンフォギアのマイクユニットが。
ガングニールのシンフォギアがあった。
「わたしのも改修してくれてたんだ?ありがとうね」
「いえ、そんな・・・・わわわっ」
お礼とともに頭を撫でた響は、踵を返す。
「――――無理だけは禁物だぞ、泣かせたくないのなら、な」
その背中へ、弦十郎が忠告を投げれば。
響は背を向けたまま、二本指を投げた。