――――一番古い記憶は、幼稚園を卒園してすぐだったと思う。
怖い夢を見て、夜中に起きてしまって。
再び寝付けなくなってしまい、トイレにでも行ってごまかそうかと思った。
だけどいざ出てみれば、出迎えた真っ暗な廊下が余計に恐怖を駆り立てて。
幼い心は、すっかり怖気づいてしまって。
「――――何してんの?」
そこへ話しかけてきたのが、同じく起きてしまったらしい姉だった。
途端に、もう小学生になるのに、『怖い夢で眠れない』なんて恥ずかしくなってしまって。
つい、なんでもないと口にしてしまったけど。
姉にはお見通しだったらしい。
「わたしは見ちゃったんだぁ。『小学生のお姉さん』でも眠れなくなるような、とびっきり怖い夢」
なんて言い訳をして、ついてきてくれた。
用が終わった後で、『お母さん達には内緒ね?』と。
小さめのコップにジュースをくれて、二人でこっそり乾杯もしたものだ。
「ついでだし、このまま一緒に寝てくれる?一人じゃどうも眠れそうになくて」
そのあとの歯磨きで、そう提案してくれたから。
わたしは少し強がって、『しょうがないな』なんて言ってオーケーして。
一緒にかぶったお布団の中で、ささやくように歌ってくれる子守歌。
優しい歌声に安心して、その日はぐっすり眠れたのだった。
――――三年前。
そんな優しかった姉に、災難が降りかかった。
生きていることを責められ、知っている人からも知らない人からも『死ね』と怒鳴られ。
その渦が家族を巻き込んでしまったのをきっかけに、姿を消してしまった。
思いやりのある優しい性格なのは子供ながらに理解していたし、だからこそいなくなったんだというのも分かっていた。
もしかしたら、姉の問題はまだ片付いていないのかもしれない。
だからあの夜、妹である自分を見るなり逃げてしまったのかもしれない。
(――――それでも)
――――それでも。
幻を見てしまうほど、会いたいと思っていたから。
何度も夢を見るほど、会いたいと願っていたから。
だから、
「よしっ」
――――先日氷柱で破壊されてしまったものとは、また違う神社。
小さな社の物陰で、もろもろの準備を再確認。
最終チェックを終え、ぐ、と手を握る。
・・・・学校をバックレたのがバレれば、ただではすまないが。
覚悟の上だった。
「いくぞーっ!」
ポケットに大切にしまったメモ紙は、再会した幼馴染のお姉さんが教えてくれた住所。
逃げられてしまうのなら、こちらから突撃してしまえと。
少女は、一時の冒険に旅立つ。
◆ ◆ ◆
「あのバカに妹ねぇ・・・・」
S.O.N.G.本部、シャワールーム。
クリス、翼、マリアの三人は、並んで汗を流している。
水が体を伝って流れ落ちていくのを見送りながら、クリスがどこか憂鬱な声でつぶやいた。
「置き去りにした負い目、でしょうね・・・・あの時、とても尋常ではない様子だったから」
並んでシャワーを浴びるマリアが思い出すのは、ガリィを討ち取った日の夜のこと。
未来を伴って買い出しにいったはずの響が、この世の終わりのような表情で駆け戻ってきた。
何事かと話しかけても、泡食ったように支離滅裂な言動を繰り返し。
目に見えて錯乱していた響。
翼がやむなく意識を刈り取ったところで、戻ってきた未来が説明してくれたのだった。
「今日、あいつは?」
「いつも通り、そこがかえって心配だけど」
マリアが思い浮かべたのは、今日の響の様子。
何食わぬ顔で笑みを浮かべ、書類仕事や訓練をこなしていたものの。
表情を必死に取り繕っているのは、探るまでもなくわかることだった。
「・・・・これまでの恩もある、力になりたいところだけど」
『普通の家庭を知らないから』、と。
マリアはやや自嘲気味に笑った。
「いや、並みの家庭ではないのは私も同じだ。たとえ親が健在であろうとも、な・・・・」
隣から、翼はそんなマリアをフォローする。
しかしその声もまた、同じく自嘲に満ちたものだった。
◆ ◆ ◆
『
『
本来は存在しないはずの『響の妹』こと、『
年の差五つと、大分離れていたものの。
わたしを姉と慕いながら後ろをついてくる姿には、よく和ませてもらっていたものだ。
『本来の響』のように、おっちょこちょいで天真爛漫。
だけどお父さんによく似た、思いやりのある子。
『将棋の香車のように、目標へまっすぐ進む子になってほしい』
両親のそんな願いの通り、無垢に素直に育っていってくれていた。
――――はずだった。
言うまでもなく、わたしの所為だ。
あのライブをきっかけに始まった迫害。
当然、妹である香子にも牙をむいた。
叩かれたりからかわれたりはしょっちゅうで、時にはものを隠されたこともあった。
ひどい時には川に落とされ、全身ずぶ濡れで帰ってきたこともある。
泣いてない日はなかったと思う。
一緒に眠る布団の中、『おねえちゃんだってつらいのに』って言いながらしゃくりあげたことは、数えきれない。
何とか涙を止めたかったわたしに出来たのは、ただただ抱きしめてあやしてやることだけだった。
そんなギリギリの状態にとどめを刺したのは、お父さんの蒸発だった。
お母さんはうなだれていた。
おばあちゃんは震えていた。
妹は、香子は。
声を上げて、わんわん泣いていた。
――――現実を、叩きつけられたようだった。
重たく大きな鈍器で、力任せに、暴力的に殴られたような。
お前が生まれてきたからこうなったんだと。
お前がしゃしゃり出たからこうなったんだと。
卑しい異物に、居場所なんてないんだと。
そんな事実を、叩きつけられた気分だった。
だから、逃げた。
突っ立って鼓動を打って呼吸しているだけで、罪悪感に苛まれてしまうような場所から。
味方だと思っている人達が、敵に回ってしまうのが怖くなって。
だから、背を向けた。
その先が、地獄だって分かっていても。
◆ ◆ ◆
「あっつ・・・・」
都会の暑さを舐めていた。
ヒートアイランド現象がこんなに体を蝕むなんて・・・・。
生乾きの汗で肌がべたつき、着ている衣服を不快な布に変えてしまっている。
持ってきた水は飲みほしてしまった。
財布に余裕はあるものの、不幸にも自販機やコンビニが見当たらない。
「ぃ・・・・」
頭が痛い。
脈打つような鈍痛が、頭を侵している。
ズキズキと意識を蝕む痛みに、とうとう膝をついてしまった。
申し訳ないと思いつつ、家の塀にもたれかかる。
狭い日陰へ何とか身を寄せるも、アスファルトの照り返しの前には意味がなかった。
蝕む暑さが、じりじりと意識を削っていく。
逃げられるのがいやだったから、黙ってやってきたのだが。
どうやらそれが仇になってしまったらしい。
――――鈍痛が激しくなる。
脳みそがまるごと暴れているようだ。
ゆっくりゆっくり、視点が下がって。
とうとう座り込んでしまったのに気づく。
どこか、冷房の効いた建物の中に入るべきなのだろうが、そんな体力はとっくの昔に尽きている。
(少しだけ、少しだけ・・・・)
静かに目を閉じて、ゆっくり呼吸をして。
「ねえ!君、大丈夫?こんなとこでどうしたの!?」
掴まれる肩、ゆらされる体。
人が来たことに安心して、意識を手放してしまった。
安易にオリキャラをぶっこむ。
悪い癖だと自覚しています。