ふたりの恋愛前線【完結】   作:Kohya S.

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 十二月に入った、ある寒い日。僕が天気原稿を担当する日だった。

 

 前日、東シナ海にできた低気圧が発達しながら日本の南を東に向かっていた。いわゆる南岸(なんがん)低気圧というやつだ。南岸低気圧は複雑な進路を取ることも多く、ときには急発達する場合があった。

 また、ちょうど北極圏の寒気が南下していた。この寒気が低気圧の影響を受けて、引きずり込まれるような形でさらに南に下がると、上空の気温が低下して雪になる可能性があった。

 

 その日、挨拶する曜の息もすっかり白くなっていた。

 どんよりと曇った空と鈍色(にびいろ)の海を見ながら、僕は予報が難しいことを話した。

 

「思ったよりも南に進んでるから、たぶん降らないと思うんだけど。降るとしたら雪になりそうだから、慎重になるね」

「雪かー、ちょっとロマンチックだね」

 

 そういってから曜ははっとしたように僕を見て、あわてて顔をそらした。僕は気づかなかったふりをして続ける。

 

「曜さんは、どう思うかな?」

「うーん、どうかなあ。でも、前に話したっけ。今日は来る途中、淡島(あわしま)がかすんで見えたから、たぶん一日、持つんじゃないかな」

「そうか、意見が一致したね」

「あ、でも、責任は持てないからね」

 

 曜はそういって笑った。僕はうなずく。

 

「大丈夫だよ。いまは、ほとんど数値予報だから。文章をちょっと変えるだけさ」

「ならいいけど」

 

 曜と別れて会社につくと、僕は本社から送られてきた予報を確認した。予報では曇りになっていたがやはり今日の天候は難しいらしく、わざわざコメントが添えられていた。

 

 僕は原稿を「曇り空の一日になるでしょう」と締めくくり、先輩社員に提出した。

 

「ふむ、田嶋君は降らないと見たわけだね」

「はい、本社からの予報もそうなっていましたし」

「でも、難しいんだよね、こういう条件だと。特に内浦は、南東に伊豆半島が伸びてるし」

 

 先輩はじっと原稿を眺めた。

 

「『低気圧の進路によっては雪になる恐れがあります。念のため最新の情報に注意してください』って追加しようか。ちょっと残念だけどね」

「わかりました」

 

 僕は素直に従った。

 

 それから僕は日常業務をこなした。

 昼が近づいてNHKの気象情報を確認すると、気象予報士は予報が難しいと僕たちと似たようなことを話していた。

 

 昼休みになり、僕はコンビニまで弁当を買いに行った。朝よりもすこし気温が下がっているようだった。

 空を見ると雲が恐ろしい速さで流れていて僕はなんとなく悪い予感を覚えた。

 

 午後になると社内は(あわ)ただしくなった。

 低気圧が予想よりも少しだけ北側に進路を取って、日本海の寒気が影響し始めていた。その寒気が流れ込むと低気圧が急速に発達する恐れがあった。

 

 僕は鳴り始めた電話に対応したり、影響のありそうな関係先をリストアップしたりといった作業に追われた。先輩社員は本社と連絡を取りあっていた。

 

「田嶋君、修正予報を出そう」

 

 先輩がそういったのは午後半ばだった。

「ない」と予報した現象が起きてしまう――すると顧客は準備をしていないので被害が大きくなる。見逃(みのが)し予報といって一番まずいパターンだった。

 

「いま原稿を書くから、田嶋君はでき次第、送信してくれ」

 

 僕はうなずいた。

 原稿を任されなかったことが、なにより予報が外れたことが(くや)しかった。

 

 そのとき僕は曜のことを思い出した。そして曜が降らないといったことを、ほんのわずかだが、たしかに(うら)んでしまった。もちろんすぐに打ち消したのだが――少しでもそう思ってしまったことは、僕をさらに気落ちさせた。

 

 先輩の書いた原稿を僕はシステムに入力し、顧客(あて)に配信した。

 

 夕方になって白いものがちらつき始めた。平年よりもずっと早い初雪だった。支社の電話はひっきりなしに鳴った。

 結局、僕はその日、支社長と先輩に申し出てそのままひとり会社に残った。

 

 夜になるとさすがに電話は鳴りやんだが、僕は念のためそのまま会社で過ごした。

 

 零時近くなったころ僕のスマートフォンが軽快な音を立てた。メールの差出人を見て僕の胸はずきりと痛んだ。曜からだった。短い本文には次のようにあった。

 

「ごめんなさい。予報、はずれちゃった」

 

 謝りたいのは僕のほうだった。でも、そんなことをしたら曜を混乱させるだけだろう。僕は気にしないでほしいと書いてから、思ついて「おやすみなさい」と追加し送信した。曜からも「おやすみなさい」とすぐに返信があった。

 

 雪は未明にかけて続き、この時期としてはかなりの積雪になった。

 

        ・

 

 翌朝、出社してきた先輩に仕事を引き継いで僕はいったん帰宅することにした。物的な被害はこれから明らかになるが、人的な被害が出なかったのは幸いだった。

 時刻はいつも出社するときとほぼ同じで、僕は防波堤へ回った。

 

 雲は東に抜けて青空が広がっていたが、低気圧の引き込んだ寒気のせいで震えるほどの寒さだった。ところどころに雪が積もっていた。

 

「おはよう、曜さん」

「あ、おはヨーソロー」

 

 逆方向から現れた僕に曜はびっくりしているようだった。

 

「もしかして、夜勤だったの?」

 

 会社のほうから来た上に頭もぼさぼさで、ごまかしようがなかった。僕はうなずいた。

 

「そっか……。それって、予報が外れたせい?」

 

 僕はもう一度うなずいた。

 

「ごめんね、私、けっこう自信、あったんだけど。迷惑かけちゃったね」

 

 曜はつらそうに話した。こんな素直な子にあんな気持ちを抱くなんて。僕はもう一度、自己嫌悪に襲われた。

 

「いや、予報を出したのは僕だから」

 

 僕は無理やり笑顔を作って続ける。

 

「数値予報も同じだったし。それに、そもそも天気予報なんて外れるものだから」

「そう? ならいいけど」

 

 曜はおずおずと笑った。その微笑みに僕はいくらか救われた気がした。

 

「うん、いい経験になったよ。また天気の話、一緒にしよう」

「わかった。……それじゃ、私、そろそろ行くね」

 

 曜は県道に戻り、千歌の家のほうへ走っていった。

 

 曜に会ったのはその日が最後だった。

 

        ・

 

 次の日、僕に急な異動の話が持ち上がった。県内の別の支社で気象予報士の社員が急病で倒れ、資格を持った社員が必要になったらしい。社内で一番融通が効くのが僕だった。

 

 異動でばたばたして、何日か曜に会うことができなかった。アパートの荷物も業者が片付けることになり、その週の終わりには僕は新しい土地で働いていた。

 

 引っ越しの前後、僕は何度か曜に、メールでも電話でもいいから連絡を取ろうとした。しかし、曜の告白に応えられなかったことが、外れた予報のことがどうしても引っかかっていた。

 

 もうこのまま会わないほうがいいのかもしれない。曜に会う資格なんてない。

 

 僕は自分自身にそういい聞かせて、自分の行動を正当化していた。曜のことも考えずに――。

 

 曜からも連絡はなかった。いま思えばわかるが曜はきっと、あのときの言葉以上に責任を感じていたのだと思う。そして僕からの連絡がないことが、それを補強したのだろう。

 

 そしてそのまま――一年半が過ぎた。

 

 このあいだに曜は、千歌たちとAqours(アクア)を結成してスクールアイドルを始めた。僕は彼女の活躍をまぶしく感じながらずっと追いかけた。やはり僕がいなくて正解だった。そう思いながら。

 

        ・

 

『まもなく、三島です。お出口は、左側です』

 

 新幹線の車内アナウンスが流れて僕は長い回想から覚める。背を伸ばしてスーツケースを棚から下ろす。

 

 先日、倒れた社員が療養から復帰して、僕は四月からふたたび内浦に配属になっていた。車もしばらく前に内浦に移してあった。

 

 内浦に着いた翌日の朝、僕は天気図を印刷してアパートを出る。アパートは部屋の号数まで以前と同じだった。

 月の頭からの異動のはずが本社で臨時の作業を依頼され、二週目にずれ込んでいた。

 

 僕は少し悩んでから防波堤へ足を向けた。曜がいるとは期待していなかった。――いや、自分を(いつわ)るのはやめよう。僕は曜に会いたかった。

 

 ただ、もし曜がいたとして、どんな顔をすればいいのか、そもそも話しかける勇気が出るのかは、わからなかった。

 

 僕の目の前をバスが通過していった。僕は速足になる。

 

 県道に出た僕の目は防波堤へと、海を見つめる制服姿の少女へとくぎ付けになった。

 

 風に揺れるアッシュブロンドの髪、均整のとれた体のライン、すらりと伸びた脚。最初のときと同じだった。――いや、少し背が伸びただろうか。

 

 胸に熱いものがこみ上げてきて、僕は自然に彼女のほうに向かっていた。車にぶつかりそうになってあわてて避ける。

 

 防波堤のたもとで僕はしばらく立ち尽くした。なにをいえばいいのだろう。それに彼女は――。

 ふと、彼女の右手がなにか白い紙を手にしていることに気づく。見慣れた記号。国際式天気図だ。

 

 一年半――それは意外に短いのかもしれない。

 

「おはよう、曜さん」

 

 彼女の背中に僕は声を掛ける。曜の全身がはっと固くなるのがわかる。

 

「お、おはヨーソロー!」

 

 曜はこちらを見ずに、つっかえながらいった。僕は彼女の隣に立つ。

 曜はごしごしっと左手で顔をこすってから僕のほうを向いた。

 

「えっと、その、ずいぶん遅かったね」

「……ごめん、いろいろあって」

 

 曜の目尻が下がり唇が嬉しそうに緩んだ。無防備なその笑みに僕は一年半を後悔する。

 僕の視線に気づいたのか曜はあわてて顔を逸らした。その直前、僕はたしかにその目に光るものを見た。

 

「今日は晴れるかな」

「うん、間違いないよ」

 

 僕は大きくうなずいた。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。ご感想、ご評価などお待ちしております。書き終えての所感は活動報告に書きたいと思います。

追記:アニメ一期と二期の間に書いたため、浦の星女学院は存続しています。ご了承ください。
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