梅雨の季節に似合わないほどの快晴に恵まれていた6月のある日。時期的にはジューンブライドに当たる頃。そんな何事もない日の話である。
「~♪」
そんな日の夕方。赤みがかった髪色をした一人の女性がキッチンに立っていた。時間的に夕食を作っている途中なのだろう。その女性の左手の薬指には銀色の指輪が光っていた。
その女性の名前は海藤梨子。かつて絶大な人気を誇ったスクールアイドルであったAqoursのメンバーであり、元々は桜内梨子という名前だった。
「そろそろあの子も起こさなきゃなぁ…パパを出迎えるんだって聞かないんだから」
その女性は優しい笑みを浮かべながら寝室で眠る女の子に声をかける。
「
「ん…ままおはよう…」
「あ、やっと起きたね。もうすぐ夜ご飯の時間だよ」
「ほんと?」
七星と呼ばれた女の子は母親についていきながらリビングへ向かう。
「あれ?ぱぱはまだなの?」
「パパはお兄ちゃんのお迎えに行ってくれてるから少し遅くなるかな?それに七星がパパをお出迎えしたいって言ってたでしょ?」
「うん!」
夕食を作りながら娘とお喋りをしているとしばらくして家のドアが開いた音とそれに続いて男性の声が聞こえた。
「ただいまー」
「あ!ぱぱだ!」
梨子と七星が玄関へ向かうとスーツを着たやや長身の男性と一人の少年が立っていた。
「ぱぱおかえり!」
「よしよし。今日もママの言うことを聞いていい子にしてたか?」
そう言いながら娘の頭を撫でる男性の名は海藤龍吾。梨子の夫であり、現在は教員として浦の星学院に勤務している。
「おにいちゃんもおかえり!」
「うん、ただいま!」
「
「すごく楽しかったよ!今日はみんなでバスケしたんだ!」
太陽みたいな笑顔を浮かべる少年、大輝は今年で五歳になる。父親の影響で幼稚園に入る頃にバスケを始め、上達の速さは大人も驚くほどだ。
「お父さん!ぼくにもっとシュートとか教えてよ!」
「シュートも大切だけどお前は守りも覚えなきゃダメだなぁ…」
学校でもバスケを教え、家でも息子にバスケの技術を仕込む。全盛期が過ぎた後も龍吾の頭はバスケでいっぱいだった。
「ふぅ…梨子、ただいま」
「あなた、おかえりなさい!」
そう言って梨子は龍吾の手を握る。龍吾の左手にも梨子とお揃いの指輪が光っている。
「ご飯はもう少しかかるから先にお風呂入ってもらってもいい?」
「わかった。七星と大輝も一緒に入れてくるよ」
「うん、ありがとう♪」
龍吾は子供達の手を引き、風呂場へ向かった。梨子はそんな家族のことを優しく見守っていた。
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子供達が寝静まったあと、龍吾と梨子は夫婦の静かな時間を楽しんでいた。
「今日もお仕事お疲れ様♪」
「ありがとう…」
龍吾はお茶を飲みながら答える。
「ここまで早かったな。この前大輝が生まれたばかりだと思ったのに」
「歳を取ると時間が過ぎるのが早く感じるって言うでしょ?」
「おいおい、俺を年寄り扱いするのはやめてくれよ。まだギリギリ20代なんだから…」
二人はそんな夫婦水入らずの時間を楽しんでいた。すると龍吾がこう切り出した。
「あ、君に渡す物があるからさ、ちょっと待っててくれよ」
「え?うん…」
そう言って龍吾は自室に入り、ある物を手にして再びリビングへ戻ってきた。
「梨子、今日は結婚記念日だね。いつも俺のことを支えてくれてありがとう」
龍吾は感謝の言葉と共に持っていた薔薇の花束を梨子に手渡した。
「あなた、こちらこそありがとう♪」
梨子は目に涙を浮かべながら龍吾の頬にキスをした。
「今年で七年目だっけ?大学卒業して
「そうね。Aqoursのみんなでお祝いしてくれたからね」
「あれから七年か…」
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七年前、それは今日とよく似た日のことだった。親戚への挨拶を済ませ、準備室に戻った俺は結婚式用の衣装に着替えていた。
「ううん…やっぱキツいなこりゃ」
「いや、よく似合ってるぞ」
白いタキシードに身を包み、いつもと髪型を変えた俺は緊張で落ち着くことができないまま新婦である梨子のことを待っていた。
「やべぇ緊張してきた…今まででこんなに緊張したことなんかあったっけ…」
「とりあえず深呼吸しとけ。新郎のお前がそんなんじゃ梨子さんも不安になるだろ」
龍吾は隣に座る実の兄である
「俺の隣に座ってる誰かさんは自分の結婚については考えなくていいのですか?」
「俺は仕事で忙しくてな。なかなか良縁に恵まれん。結婚のことは急いで考えることもないし自分が生涯添い遂げたいと思える女性に出会えるまで待つさ」
「そうか。兄貴もちゃんと考えてんだな」
「あったりめぇだ」
二人で今までの思い出話や将来について話しているとドアが数回ノックされた後開かれた。
「龍ちゃん?準備出来てる?」
「こっちは大丈夫だ。梨子の方は?」
「準備OKだよ!」
「いよいよか…」
ついに式が始まる。今日は俺がしっかりと梨子のことをエスコートしてあげなければな…
「あ、これから梨子ちゃんのとこ行ってみる?梨子ちゃんも龍ちゃんのタキシード姿を早く見たいって言ってるし」
「行ってこいよ。俺は式の時間まで父さん達と待ってるからさ」
「そっか。それじゃ行ってみますか」
俺は千歌に連れられて梨子のいる部屋の前にやってきた。その部屋のドアをノックすると中から梨子の綺麗な声が聞こえた。
「どなたですかー?」
「梨子ちゃん!龍ちゃんを連れてきたよ!入っても大丈夫?」
「え?海藤くん?ち、ちょっと待ってて!」
そんな声のあとは中から賑やかな笑い声などが聞こえてきた。俺も千歌はその音を聞きながら二人で笑いあった。
「海藤くん?入っていいよ…」
しばらくしてから梨子の合図で部屋に入った俺が目にしたのは…正しく天使だった。
「ど、どうかな…?変じゃない?」
純白のドレスに身を包んでいつも以上にしっかりと化粧をした梨子の姿はとても美しかった。恥ずかしさからなのか少し顔を赤らめているのもとても可愛らしい。
「全然変じゃないよ…すごく綺麗だ…」
「そう?嬉しい…」
そんな梨子の姿を見ていると今までの出来事が脳裏に蘇ってきた。出会った瞬間からお互いを意識してたこと。スクールアイドルとして輝く彼女を支えながら愛を育んできたこと。それぞれの進路のことで悩んだこと。大学卒業と同時に俺からプロポーズしたこと。
今まで楽しかったり辛かったり色々なことがあったけどどれも俺達の大切な思い出。これからも二人ならどんなことも乗り越えていける。
「…ッ!梨子…!」
龍吾は無意識のうちに涙を流していた。今までのことを思い出しているうちに言葉にならない愛おしさと幸せがこみあげてきた。龍吾はそのまま梨子のことを抱き締める。
「もう…私より先に泣いて…私のことエスコートしてくれるんじゃなかったの?」
「ごめん…梨子…」
ここで伝えなきゃ…今までの感謝の気持ちをまっすぐに
「梨子、今日という日を君と迎えることができて本当に幸せだよ。今日まで俺のことを支えてくれてありがとう。こんな俺だけどこれからも一緒にいてくれると嬉しいよ…」
「海藤くん…私の方こそいつもお世話になっています。これからも迷惑とか沢山かけちゃうかもしれないけど…ずっと一緒にいることができたら幸せです。大好きだよ!」
「梨子、幸せになろうね!」
「うん♪」
梨子もいつの間にか目に涙を浮かべていた。本当にこの人と一緒になれてよかったなぁ…
「あのぅ…この場に私達がいるってこと忘れてませんか…?」
「いやぁ良いものを見させてもらいましたよ…私にもこういう日が来るといいなぁ…」
すっかり忘れていた…俺達の後ろには千歌や曜達がニヤニヤしたり顔を赤くしたり様々な表情で立っていた。
「今のは忘れてくれ…」
「うーん…あんなにお熱いのを見せられたら忘れることなんかできませんねぇ…」
「もう…絶対幸せになりなさいよ!」
旧Aqoursのメンバーから様々な言葉を貰い、昔話に花を咲かせていると式の時間が近づいてきていた。
「そろそろ時間だね。私達は席に着かなきゃいけないからまた後でね!」
「おう、ありがとな!」
そう言って千歌達はぞろぞろと部屋から出ていく。広くなった部屋は俺と梨子の二人だけになっていた。
「やっと二人っきりになれたね」
「そうだね…えへへ♪」
梨子は俺の肩に体重を預けてきた。
「海藤くんと一緒だと落ち着くなぁ…」
「それならよかった。そういえば君はいつまで俺のことを海藤くん♪って呼ぶつもりなんだい?今日から君も海藤さんになるじゃないか」
「あ、確かに…」
ていうか梨子は付き合っている時もずっと苗字呼びだったよね。下の名前で呼ぶのが恥ずかしいとかなんとか言ってた気もするが…
「梨子さんは俺のことをなんて呼んでくれるんですかね?」
「じ、じゃあ………あ、あなた…」
「………それは反則///」
式の前にこれはやめとこう。刺激が強すぎる…
「ごめんね?それよりそろそろ…」
「俺達の出番だね。会場に行こっか!」
「うん!」
二人は手を取り合って式が行われる会場へ向かう。これからの人生は二人で切り開いていくんだ。どうなるかなんてわからないけど俺達なら大丈夫!
そんなことを思いながら二人は家族や友人達の待つ会場へと…
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「懐かしいなぁ…もうそんなに経ったんだね。そういえばみんなは元気かな?千歌や果南姉さんとは家も近いしすぐ会えるけど 」
「うん。Aqoursのみんなもそれぞれの道へ歩んでいったよね。だけど私はこうやってあなたとゆっくり過ごせるのが一番幸せだよ♪」
「そっか。それはよかった」
二人はまた笑い合う。
「あなた…」
「どうしたんだい?」
「仕事で忙しいのは仕方ないけど最近あまりかまってくれなくて寂しい…」
「あー…今は授業も大変だしこれから大会もあるからねぇ…寂しい思いさせてごめん。明日は休めるから埋め合わせはするよ」
「ほんと?えへへ…」
龍吾は擦り寄ってくる梨子の頭を優しく撫でながら言う。
「本当に君は変わってないなぁ…」
「だって…あなたは私のものだもん…」
「可愛い嫁さんに愛されて俺は幸せものですよ。それに俺も君が一番大切だからね?」
すると龍吾に撫でられ続けてスイッチが入ったのか梨子が甘い声で言った。
「だったらこれからもっと甘えてもいい?それにそろそろ三人目も欲しいかも…」
「え?ちょ、流石に今の収入じゃキツいし…それに七星も生まれたばかりじゃないか!」
「大丈夫。何かあったら私も協力するから…」
梨子は龍吾を抱き締め、耳元でこう囁いた。
「あなた………大好き♡」
結局三人目については保留ということになったが、これからの人生設計に悩む龍吾だった。
一度でいいから梨子ちゃんにあなた♪って呼ばれたい人生だった…
それではまた。