長くなってしまいました、それでは本編へどうぞ
「ゔあ゛〜やっと終わったっす…」
「声が大きいです。まだ完全には終わってませんよ。」
「そんなこと言われたって〜…声の一つや二つ出したくなるっす〜」
「境守山葵、私語は慎め。」
「言わんこっちゃない。」
「うへぇ…」
夏が終わり、ここぞとばかりに空に溢れかえっていた蜻蛉も、いつの間にかそのほとんどが姿を消した。緑の葉を付けている広葉樹はもうどこにも見当たらず、少しずつパサパサになった葉を落とし始めている。第一海軍学校の三年生達にとって、いよいよそれぞれの目標に向けただひたすらに歩き続けなくてはならない時期だ。頻繁に行われるようになった試験は、この日も多くの生徒達の体力をごっそりと削った。しかし、そうおちおちへばってはいられない、また次の試験に向けすぐにでも復習を始めて備えなくてはならないのだ。
「あーどうしよ、語学やらかした…」
「お前は別にいいだろ、どうせ技術科志望だし。」
「他もやばいからせめて点が取れる語学でカバーしないといけないんだよ。」
「ちょっと頭悪いくらいなんてことないだろ、大事なのは腕なんだから。」
「技術科ったってなぁ、最近妙に倍率上がってきてるらしいから頭も周りと差を付けておかないと厳しいんだぞ?それに最近は海外艦増えてきてるから、まともに意思疎通出来ない奴は余程地方じゃない限り蹴られるし。」
「へぇ、色々あんだな。」
「お前はどうなんだよ、通信科って物凄い倍率高いって聞くぞ?」
「そこはそれ、この卓越した打電速度をとくと観よ!」
「今時モールスなんてどこで使うんだ…」
「随分意識の持ちようが変わりましたね。」
「そうっすね、これも委員長のおかげってやつじゃないっすか?」
「別段何もしてませんよ、みなさんが自ら向かう姿勢を確立したに過ぎません。」
「またまた、紫君が勉強会やってくれてたからモチベを維持できたんじゃないっすか。」
そういうものなのかと聞くと、そういうものなんだと山葵は答えた。後半面倒になって何度も丸投げしてたのであまりその事を恩に感じられるのは気まずいのだが、まあその事もプラスに向いたなら結果オーライということにしておこう。改めて自分が力添えした事になっているクラスを見渡す。前の学校にいた時よりも、言葉を交わした人数が段違いに多いメンバー達は、不本意とは言え以前の環境への回帰を望む心を忘れさせてくれた、それなりに思い入れのある面々として紫の目に映った。皆一様に海軍を讃え、身を粉にしてでも役に立ちたいと願う者達ばかりで、最初はそんな統一された思想を気味悪がったものだった。けれど、殊学級委員長というのは妙に人の話を聞く機会が多いと言うかやたら教員が相談役の任を放棄するせいで相談事が頻繁に持ち込まれてくる。だからその時に思い切って、込み入った話を聞いてみた、そしてそれぞれがてんでバラバラな動機を持ってこの場にいることがわかった。ある者は親の期待を背負い、ある者はその反対に親の呪縛から逃げるため、またある者は復讐に燃えていたり、またある者は他に目指すべきアテを失ったからだと言った。中には代々海鎮家を崇拝しており、半ば盲目的な忠誠心を糧として励む者までいる。
話さなくてはわからないことが沢山あるものだと改めて感じた反面、今度は自分の事がよく分からなくなった。厄介な呪いを身内から遠ざけるために、そして持て余すのには勿体無い、深海棲艦を討ち取れる力を振るう場所を求めてここに来たが、どれも必要に迫られてのことで自らの意思とは無縁だ。さほど愛国心が強いわけでもない、富や権力にもあまり関心がわかない、人の役に立ちたいなんて偽善めいた台詞を言い続けられる程他人主義でもいられない。今更ながら、在るべき場所を間違えたかのような感覚に襲われた。しかし、いつも自分が欲するままの立ち位置を手に入れられるわけではないことは重々承知だ。時として他人の立場を羨みながらも自分のいる道を進まなくてはならない場合もある、今がその時なのだと思っていればこの時はそれで良かった。
教室の清掃を手早く済ませ、未だ引き継ぎが行われることなく活動を続けている生徒会に出席するべく、生徒会室に向かう。普通秋にもなればとっとと下級生に役割を引き継いで上級生に勉強の時間を与えるものだが、どうもこの学校は目下の人間が目上の人間の上に立つというのを嫌うらしく、生徒会の代替わりは卒業と同時に行うのが習わしとなっているらしい。他の学校では将来人々を牽引する器を育てるのどうのと早いうちから何でも中心となって行うことを推すが、軍の駒を養成するここは上下関係の重要性を叩き込むことを重視するのだと黒条は言っていた。器はごく一部だけで事足りるとも。
いつもと代わり映えしない話し合いの場が終わると、その報告を持ち帰りに新聞部の部室へ向かう。これまたいつもと代わり映えしない一連の流れ。だが、この時ばかりは何の因果か慌てた様子で廊下を走る古鷹と道中遭遇した。
「紫さん!青葉見ませんでしたか!?」
「いえ、今日は一度も……また何か?」
「お手洗いに行くっていなくなってから、ずっと戻って来なくて…寮にも戻ってないみたいですし、心当たりは全部探したんですけど…」
「わかりました、僕も他の人に声をかけつつ探してみましょう。まだ時間的に敷地内の出入りは禁止されています、それに居なくなったのが昼過ぎであれば敷地内にいると見て間違いありません。今日中には見つかりますよ。」
「ありがとう…なんか、紫さんには助けられてばかりですね。私はもう少し中で探してみるので、何かあったら教えてください。」
そう言って再び駆け出した古鷹の背中を見送る。心なしか先ほどから嫌な予感がするということは、そういう事なのだろう。
「…仕事だよ、【ゆかりの鬼】」
ここ最近、腰に下げるだけでほとんど抜くことが無かった刀を抜き、中の悪魔に語りかける。人探し程度でそう気安く使えるような燃費のいい代物ではないが、あまり時間をかけずに済む。それに、もしもの時はすぐにこれで暴れることが可能だ。
【あ〜あ、久しぶりの外の空気だ。ったく、少しは手入れくらいしろよな。】
「海水かけたままでも錆びないし、どうせ別に必要ないでしょ?」
【気分の話だって、少しは無駄なことをすることも覚えろよな。】
「御託がそれだけなら、始めるよ。」
【あいあい、好きにしろ。】
刀を中断に構え、目を閉じる。五感のうち四つを全て遮断して聴力を限界まで高め上げる。微かに流れる空気の音、遠くを飛ぶ鳥の声や寄せる波の音、敷地内にいる何百もの人間達の声が一音一句一人残らず耳に入ってくる。暴力的に脳に押し寄せる情報量を処理し、必要な数人の声だけを引き揚げる。会話の内容、場所、声の主を特定したら、あとはそちらに向かって動き出すだけだ。
「あの人も以外に骨があるな……それが望みなら、また叩き潰すか。」
聴力に全振りされていた各種身体機能のステータスをリセットし、運動機能へ振り分け直してから窓の外へ躍り出る。今いる階層が三階だろうと、柔軟性にも優れさせた体は傷一つつかない。風を纏って浮かび上がるような感覚さえ覚えるこの身軽さも、心許ない体力を削ってやっと実現する幻でしかないのだが、しかしその代わりに、狭い学校の敷地内、何処へだろうと一分とかからずに辿り着ける。その脅威の速度をもって、初めてこの学校に来た時手厚い歓迎をした男の元に紫は向かって行った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「久しいですね、一度きりでしたが君の顔を忘れてはいませんでしたよ。」
「そりゃこっちのセリフだ、俺の顔に泥を塗ったてめえの胸クソ悪い顔を忘れた日は一日だってねぇ。」
如何なる表情も似合わない強面に、重鈍そうな肉の鎧を纏った巨漢の男子生徒。初めてこの学校に来た時、カーストを押し付けようとして絡み、逆に紫に叩き潰された
「まったく、復讐のために関係の無い青葉さんを隠すなんて、汚い手を使いますね。」
「てめえが来る理由を作ってやったんだ。」
「まあいいです、君の道徳心に関してとやかく言う気はありません。青葉さんに手を出してはいないでしょうね?」
「当たり前だろ?俺はてめえにしか興味ねえからな。」
「見上げた執着ですよ……取り敢えず早く青葉さんを解放してください。面倒なのは嫌いです。」
「奪い返せよ、そのための人質だ。」
すると、物陰から下っ端らしい生徒が拘束された青葉を連れて出て来た。それに続くように他の下っ端もわらわらと青葉を取り囲むように姿を現わす。ざっと20人、よく集められたものだ。
「取り返してみろ、とは言いますがね、この状況で僕が動けば青葉さんを傷つけるなんてのは無しですよ。」
「俺は知ったこっちゃねえな、あいつらの勝手だ。」
20人分のやらしい笑い声が響く、群生するカエルの輪唱のようで不快ながらもどこか懐かしかった。まあそれはさておき、このまま包囲網を縮めてタコ殴りにするつもりらしい。常人ならピンチだ、玉砕するかとっとと土下座して許しを請う他あるまい。が、怪物を相手取る上で、彼らは青葉の居場所を自ら教えるという愚策を取ってしまった。隠して時間制限を設けなるなりすれば良いものを、効率性に欠けること甚だしい。
「まあ、知ったこっちゃありませんけどね。」
「あ?てめえ何一人で…」
その言葉を聞き終わる前に、下っ端が5人程吹き飛んだ。それから動揺が完全に伝わる前にまた5人、青葉を捕らえていた下っ端が10m程後方に吹っ飛ばされた段階で、ようやく下っ端は状況を理解した。そして残りが臨戦態勢を取った瞬間にはもう青葉は紫の手の中だった。瞬く間の出来事で判断力が追いつかなかったのか、奪還された青葉を見た一部は異様に猛り狂って猪突してくるが、焔揺らめく刀の一閃であっという間に散った。
「峰打ちくらい、見ればわかりますね……ああ、乙女の口にガムテープですか、やる事が一々酷いですね。」
気を失っているのか、退屈のあまり寝てしまったのかは判別できないが、取り敢えず意識のない青葉の口からテープを剥がしてやる。ちゃんと唇を巻いていたようで、皮が剥けることはなかったが、テープの跡は残ってしまった。古鷹に見せたら激怒するかもしれない。
「残念でした、君たちは相変わらず甘く見過ぎです。」
「……そいつはどうだろうな?」
松野が急に不敵な笑みを浮かべたかと思えば、急に足元の枯葉が隆起した。咄嗟にその場を離れようとするも、せり上がった葉の壁があっという間に四方を囲み閉じ込めてしまう。青葉だけでも逃がそうと外へ放り投げたものの、紫はそのまま浮かび上がった地面ごと閉じ込められてしまった。
「うっははははは!こうも簡単に引っかかるのかよ!甘く見てんのはどっちだって!」
「ほんと、こんな古典的な罠に掛かるなんて自分でも驚きですよ…」
どうやら知らない間に、大きなネットの上に立たされていたらしい。かの有名な落ち葉を敷き詰めて隠された網を急に持ち上げて一網打尽にする、旧時代なんかじゃほとんど笑いのネタとして使われる罠に紫は見事に嵌っていた。もう少し早いタイミングだったら簡単に回避できたのだが、生憎スタミナ切れで思うように体が動かない。それに刀の能力を使うのも久しぶりで、体が超高速の負荷を堪えきれなかったらしい。
先程投げ出された衝撃で目が覚めた青葉にすぐさま逃げるよう伝えると、彼女は戸惑いながらも一言「すみません」と言って逃げていった。それに一安心していると、ようやっと無防備になったことに喜んだ松野は下っ端を集めて意気揚々と縛り上げ、袋叩きにする準備を始める。鉄のサックやらバットを持ち出して来た下っ端もいて、心配事が青葉が途中で捕まりやしないかということから、首から上の原型が留めておけないのではないかということに移る。
「そうだ、こいつは預かっておかねえとな。」
「待って!それに触れるな!!」
「んなこと言ったってよ、また暴れられたら敵わねえ。ほら、これ持ってろ。」
「うわ重!すっげえ、俺日本刀持つの初めてだ!」
松野はガサツな手つきで紫の腰から刀を引っこ抜くと、それを少し離れた所にいた下っ端に放り投げた。すぐにその場に捨てることを訴えかけるが、その周囲までオモチャを貰った子供のようにはしゃぎ始めて、聞く耳を持たない。
「松野君!今すぐ言ってこれ以上触らせないでください!」
「はあ?何だよ、俺の思い出に触るなってか?」
「ふざけてる場合じゃないんです!早く捨てさせて!でないと…!」
スラッと音がして、黒い鞘から鈍色の刀が抜き放たれる音が聞こえる。くすんだ刀身の色に難色を示す下っ端は、しかしすぐにその美しい直刃に魅せられてさらにご満悦だ。おどけて素振りまで始め、大気を切る音を楽しんでいる。
「なんだ、何にもねえじゃねえか。下らねえ時間稼ぎしてくれたなぁおい。」
しかし紫の目はしっかりと、刀を持った下っ端の眼球が刻々と紅く発光し始めているのを捉えていた。そして、彼の中で負の感情が唸りを上げて膨張しているのも、ハッキリと肌で感じていた。
「ふへへ…ああこれ本当にいいわ。」
「なあ、俺にも持たせろよ。」
「やだね、これさえあれば俺は無敵だ…へへ、ふへへへ」
「なんだよ、ケチケチすんな…っておい、その目…」
「早く逃げろ!!殺されるぞ!!」
「…もう遅い」
「ガハッ…!?」
刀の移譲を強請った生徒の脇腹を細く焔が通り過ぎたかに見えた次の瞬間、その跡をなぞるように鮮血が吹き出してその生徒は絶命した。衝撃的な瞬間を見た他の者たちは、地べたに倒れ伏した生徒のおぞましい姿を見てその場に凍り付いてしまう。
「へへへへ、ふへへへ、でへへへへへ!人間ってこんなに簡単に斬れちまうんだなあははははは!!」
奇声を声高らかに発して笑うその姿に、平生の彼を知っているであろう者たちは皆困惑した。たった今一人の命が目の前で尽き果てたというのに、多くが現状を受け入れきれないでいた。その隙を突いて、獣と化したかの生徒は次々と周囲の人間に手当たり次第襲いかかり、鮮血で枯葉の大地を濡らした。阿鼻叫喚の地獄絵図は、たまたま通りかかった他の生徒によって拡散され、それに刺激されて興奮した剣鬼は、校舎の中にまで、血の道を繋げるべく駆け込んで行く。
「あいつ、一体全体何が…」
「自らの負の感情に飲み込まれて、人間性を失っています。今すぐ止めなければ、戻ってこれないでしょうね。」
「どういうことだよ…ただ光るだけの刀じゃねえのかよ!?」
「災いの火種にしかならない最悪の刀です、君がとっとと捨てさせなかったからほら…聞こえますか?この悲鳴と断末魔が。彼はもう殺人鬼を通り越して悪意そのものに成り果ててしまった、生きとし生けるもの全てを根絶やしにしようとその身が朽ち果てるまで殺し続ける殺戮マシーンですよ。」
「なんだよそりゃ…どうすりゃ止まるんだよ!」
「彼から刀を奪えば、まだチャンスはあります……けど、もう不可能です。残念ながらあれを手にした者に勝てる人間なんていない、銃弾だろうが容易く躱してしまう怪物にどうやって勝てと?そしてあの刀から力を借りていた僕も、彼に対抗する手段がありません」
取り返しのつかない事をした、その自覚が松野に芽生えたのか、彼は膝を突いて呆然と虚空を眺めていた。やがて絶え間なく響く叫びを聞くのに耐えきれなくなったのか、耳を塞ぎ蹲ってしまう。一方紫は、現状に対し何もできない無力感を噛み締めながら、いつの間にか雲が覆い始めた灰色の空を見上げる。
「……君に他人を救う願望があるなら、手を貸してください。」
「俺と組めってことかよ…」
「その通り…嫌だと言うなら、せめてこの縄を解いてください。」
「さっき無理だって言ったのはどこのどいつだ…?」
「僕一人なら、間違いなく返り討ちに遭いますね。墓に彫る名前が一つ増えるだけです。けど…」
「俺とならどうにかできるってか?けっ、気持ち悪い。」
「どちらかは死ぬことになるでしょうけどね。死ぬリスクが怖いならこれ以上協力を求めません。」
「……止められんのか?」
「止めます、策もあります。」
「……ちっ、あいわかった。いつまでもダセェ奴でいるわけにはいかねえ。尻拭いされるのも気に食わねえしな。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「けっへへへ、隠れてもす〜ぐわかっちまう…ぜ!!」
「いやああああああ!やめて!殺さないでええええ!!」
「ふへへへ!ざぁ〜んねんでしたぁ!」
一人、また一人と、校舎に取り残され、隠れる他生きる術が無い生徒達が狩られていく。壁の向こう側まで透視しているかのように的確に生存者を見つけ出しては命を奪う殺人鬼の様は、ホラー映画よりも余程タチの悪い恐怖の権化として映った。
「あと少しで50人いけるかなぁ?ふへへへ、テロリストも真っ青だぜこりゃあ……でぇ?縄解いてもらったのか、紫ぃ?」
流石、刀に憑かれただけのことはあるようだ。蜂の巣を突いたような大騒ぎの中、数十メートル離れていても衣擦れの音だけで感知できるらしい。けど、本来の持ち主である紫でさえあらゆる感覚器官の機能を止めないと難しい芸当、負の感情に心が染まりきっているとは言え相当量を食い潰しているはずだ。そう遠くないうちに、自滅するだろう。
「けへへへっ、俺が怖いか?怖いのかぁ?ならなぁんにもできねぇなあ!ふへへ、ふへへへへへっ!!今からちょっと面白れぇことすんだよぉ、止めたきゃ屋上にくるだなぁ!!」
そう言い残して、瞬く間に消えた悪魔を追うため屋上に向かう。面白いことと言っていたが、まさか多くの生徒達が屋上に取り残されているようなことはあるまい。でなけりゃとっくに向かっているだろうし、逃げ場の無い場所に立て篭もろうと考えるほどここの生徒達は愚か者はないはずだ。普段滅多に使わない屋上への階段を駆け上がり、蝶番ごと切断されたドアを退けて外に出る。果たしてそこには、全身から負感情をドバドバと溢れさせた、人相の悪い四白眼の悪魔が海の方を向いて立っていた。
「ふ、ふへへ、ふへへへへ、ふへへへへへへへへへへへへへへへへへへ、ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!ああ、感じる…海がどんどん汚くなっていく…ああいいぜ、お前らも一緒に楽しもうぜぇ!?げへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ!!!」
奇声が木霊すると同時、海岸線に沿って青い海がドス黒く変色したかと思うと、次々と悪意の塊が顔を覗かせた。人を喰らい、母なる海を奪った人間の怨敵、名の通り深き海より生まれ出でた怪物達が、産声のような雄叫びを上げて咆哮する。夥しい数の深海棲艦の群れが怒濤のように、それこそ巨大な津波と化して我先にと上陸し始めていた。
「ヒュ〜、最高だなぁおい。さあどうすんだ、英雄さんよお!!」
その言葉が終わる前には、たった今の出来事で膨れ上がった憎しみと怒りで擬似的に刀の権能を発動した状態を作り上げ、悪意に肉迫していた。だが、体力の残りが心許ない上に質の悪い付け焼き刃の負感情だ、その程度の事で実力を上回れるはずがなく、即座に反応されて殴り飛ばされていた。フェンスに背を強打した衝撃で、一瞬意識が揺らいだ。
「くっ……何故殺さない、万が一にもそれを取り返されたらどうするつもりですか…?」
「やれるもんならなぁ、けどお前はもう俺の敵ですらない、殺す価値すらないんだよ!そこに隠れてる、松野お!お前もなあ!!」
(やはり勘付いていたか…)
尋常でない聴覚を有しているとわかった時点で半ば諦めてはいたのだが、切り札として用意した松野の存在がバレてしまった事で、この戦いの勝率は格段に落ちた。紫自身先のような動きはもうできないため、能力的に更に劣る松野が一対一で勝つのは極めて難しいだろう。さらに悪いことにはそうこうしている間にも深海棲艦は校舎に接近している、混沌とした校内をまとめ上げるのは不可能であり、奴らの凶弾が降り注ぐ前に、または校舎内に侵入し生徒達が蹂躙される前に食い止める必要があることだ。どれをとっても絶望的な状況、土壇場で奇策を次々と生み出せるくらい実践の経験があればまだマシだったのかもしれないが、無い物ねだりも良いところだろう。
「どうしたんだよぉ松野、いっつも足蹴にして振り回してた俺がそんなに怖いかぁ!?所詮お前はグズどもを縛ることしかできない雑魚なんだよ!そんじょそこらの人間よりちょっと強えからって何様だってんだ!この世界にはなあ、お前がどうしたって勝てねえバケモンがウヨウヨいんだよなあ!!」
鬱憤を晴らすような口調で松野を煽る悪魔は、それ自体が快感だと言わんばかりに更に言葉を連ねる。強引に膨れあがらせられた負感情のほとんどは、松野に対する日頃の不満や劣等感が、大半を占めているらしい。それでも復讐心に駆られ積極的に松野を殺そうとしない辺り、それらの感情に加え松野への恐れも増幅された可能性がある。ならば、尚更松野が重要になってくる場面だった。
「松野君!ここは一先ず任せて君は他の人を避難させてください!!」
「むだむだぁ、あいつ人望って言葉が世界一似合わねえからよぉ。」
「人望がどうだろうと関係ない!!声が大きければそれでいいんです!早く行ってください!!」
本当はそんなつもりなど無かった。この時は、一先ず撤退させておいて、再び奇襲のチャンスを窺わせる腹づもりだったのだが、何を勘違いしたのか松野はこの場から離れることはせず、隠さなくてはならないその姿を逆に悪魔に晒してしまった。
「あれだけ馬鹿にされて、俺に退けってか?てめえ、いい加減にしろよ。」
「松野君!?勝手に出てくるなって言ったじゃないですか!!」
「うるせえ!!やっぱこいつは俺がケジメをつけてやる。」
「おぉいおい、いつまでガキ大将気取りだよ…いつまでもお前の言いなりになるなんて思うなよぉ!?今すぐこいつで腸切り裂いてやろうかあ!!」
「相変わらず一々耳障りだな、そこまで言うならやってみせろよ。」
刀を怖れた様子を一部たりとも見せることなく、それでいて悪魔から一度たりとも目を離さずに挑発する松野の姿は、まるで悪魔を威圧しているようにも見えた。それが効いているのだろう、無視できない程に肥大化した恐怖を掻き消そうと躍起になっているのが、言葉の端々から伝わる。刀を向けて威嚇するばかりで、若干逃げ腰になってるのが何よりの証拠だ。だが、恐怖も一周回れば相手を排除するための衝動に成り替わる、それまでに、今こうして虚勢を張らせていられるうちに勝負を決めなくてはならない。
それを察したのか、松野は持前のバネを生かし悪魔に向かって猛進する。巨躯ら繰り出されるタックルの、えも言われぬ圧力たるやそれは、側から見ても素晴らしいものだった。刀の力に狂った悪魔からすれば到底追いつけもしないような速度だが、松野に怖れをなしている悪魔は、蛇に睨まれたカエルのように、だらしなく刀を向けたまま動けないでいた。寸前の所で悪魔は刀を振り上げ反撃しようと試みるが、咄嗟の判断で松野はそれを躱し、勢いを殺すことなく悪魔に強力な体当たりをお見舞いした。そして怯んだ隙を突いてさらに次なる猛攻へ出る。そしてついには、強烈な蹴りによって悪魔が吹き飛び、直ぐに起き上がれない程のダメージを与えることができた。
「くっ、そ…いってぇな……」
「松野君、今のうちに刀を引き剥がしてください。今ならまだ助かる。」
「俺に指示するな役立たず、黙って寝てろ。」
「刀を取り返してくれたら役に立ってあげます、それより早く。」
「言われなくてもやってや…ぐっ!?」
「なに…勝った気になってんだよ…」
「てんめえ…ぐあ!!ああっ…」
「松野君!!」
弱らせたかのように見えた悪魔は、まだまだ依然として力を有しており、瞬き一つの後に手にした刀の刃を松野の右腕に突き立て、派手に鮮血をばら撒きながら切り落としていた。
「あ〜あ〜、よくもボコボコにしてくれたなぁ、マジで効いたぜぇ?今にもぶっ倒れてえくらいいってぇよ…けどなぁ、お前をなぶり殺さねぇと倒れてらんねぇんだよなぁ!?」
「……!!」
黒い影となって悪魔が松野に急接近したかと思うと、松野の巨躯が軽々と浮き上がり、何かを成す暇もなくコンクリに叩き落された。その衝撃で松野の口から血が溢れるが、その血が染みになる前に再び蹴り上げられ吹き飛ばされる。
「まぁだ息してんのかよぉ、でっけえゴキブリがいたもんだ…」
「てめえに…俺が負けるかよ…」
「ほざけ、負け犬が…折角だから、お前があいつにやられた時みたいに殺してやるよ…!」
悪魔は手のひらに収まりきらない松野の後頭部を無理やり鷲掴みにして持ち上げると、盛大にガンッという音を立ててコンクリに額を叩きつけた。恐らく、悪魔が言ったのは紫が松野を撃退する時に刀でもって頭部を床に叩きつけた時の事を言っているのだろう。だが、あの時とは段違いの衝撃が松野を襲ったことだろう、額が割れ顔が紅く濡れていた。
けど、非凡な松野の打たれ強さはこんなことでは根を上げたりしなかった。生死を確認しようと顔を持ち上げた悪魔の手を取り、そのままアベコベに引きずり落として押さえつけようとした。
「紫!!」
「しまっ!?なにしやがる!!」
「返して、いただきます!!」
ここぞとばかりに乱入した紫は、松野に抗おうとして疎かになった持ち手から刀を無理やり奪い取った。契約を交わしていない仮初の主人は、力の源を失い呆気なく隻腕の松野に取り押さえられた。
悪魔の弱点、それは力を扱う紫が一番良く知っていた。速度ににかけてはあらゆる面で無類の強さを誇るものの、パワー的な観点から見れば常人に毛が生えた程度でしかなかったのだ。つまり相手の攻撃を先取りし、攻撃を繰り出される前に攻撃する戦いに特化しているだけであって、このように一度取り押さえられようものならどうにもできないのだった。
一瞬にして悪魔の力を失った松野の下っ端は、その後松野の殴られて気絶させられ、完全に無力化された。しかし、殴った松野も多大なるダメージによってその場に倒れ伏してしまう。すぐにでも手当てをせねばならない危険な状態であったが、紫には他にやる事がありどうにもできない。
「てめえに、一生返せない借り一つだ…」
「ええ……すみません、僕がもっと動けていたら…」
「はんっ、てめえまで動けなくなったら、誰があれ止めんだ…」
「いえ、下手に体力を消耗して君に捕まるようなことがなければと言いたかったんです。」
「てめっ、俺がどんだけ頭使って考えたと思って…!何度も何度も試行錯誤ってのをやってんだ、そう簡単に逃げられてたまるかよ…」
「まあ運も実力のうちって言いますね。参りました。」
「くっそ、最後の最後まで……まあいいか、おい、行く前一つ頼まれろ。」
「なんでしょう?」
「死んだら親父に詫び入れといてくれ、迷惑かけたってな……死ぬとなれば、あんな野郎でも親は親だ。」
「自分で言えと言いたいですが……わかりました、伝えましょう。気の利いた美談も添えて。」
「余計な気を回すんじゃねえよ…んじゃ、頼んだ。俺はもう寝る。」
「安らかに眠れるよう、この場は守ってみせます。」
「……なあ紫、こんな俺でも死んだら泣くやつがいると思うか?」
「さて、どうでしょう。」
「ちっ、正義のヒーローってのは割に合わねえな……けどまあ、悪くねえもんだ……」
目を瞑ったきり、松野は気持ちよさそうに眠りに落ちた。間も無く死が訪れるというのに、それはもう穏やかな顔で。そんな彼を見た紫は、彼の顔がどんな表情も似合わないという評価を少し改めた。
「さて、やっと戻ってきてくれたね、【ゆかりの鬼】?」
【おいおい、俺には足も手も無いんだぜ?無茶言うなよ】
「君のせいで大勢が死んだ。」
【活躍の場を増やしてやったんだ。どうせ死体は何も話さないからな、丁度いい点稼ぎになるだろ?】
「あまりふざけるようなら本気で破壊することを考えるよ。」
【まあまあそう怒んなって、今は俺に構ってる余裕はねえだろ?】
人の命を何とも思わない態度に腹わたが煮え繰り返るような怒りを憶えるが、実際その通りなのでこれ以上何も言えない。そもそも、破壊する手段などとうの昔に無いことがわかっていた。刀に八つ当たりしたところで、時間の無駄であることは明白だ。結局、持ち主だとは言え、操っているのか操られているのかは謎のままだった。
「あれ、君が呼び寄せたんだろ?引き返すように指示出さないの?」
【勘違いするな、俺がやったんじゃなくてあいつが自分を餌に釣ったんだ。ま、もう死んでるからあいつを海に沈めてももう引き返したりしないけどな。】
「死んだ!?嘘だ、松野君はそんなに強く殴ったり…」
【違う違う、俺が殺したんだ。折角作った感情が勿体無かったからな、根こそぎ持ち帰ったらそのままポックリってわけだ。】
「君ってやつは…!!」
【さあさあ、そんなことをしているうちにもう下までやって来たぜ?いいのかよほっといて。】
「くそっ…」
滾る刀への憎悪で心が溢れかえる。今にも自分の中の全てがひっくり返りそうな激情は、しかし振り上げた拳の矛先を変え破壊と悲劇をばらまく深海棲艦に向けられた。欠乏していた体力を忘れ、背に受けた傷さえも忘れて象ほどの巨躯を誇る所謂雑魚を、次々と文字通り感情任せに斬り伏せていった。だが、次々と湧き出て止まることを知らない敵の、途方も無い数の多さに圧倒されるのにそう時間は必要としなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【こりゃちょっとやり過ぎだな…今何体目だ?キリがねえ。】
「20は…超えたかな……くそっ、手に負えない。」
【さっき補充した分もあと少しで空っけつだ、とっととずらかったほうがいいぜ。】
「まだ、あともう少し時間を……ゲホッ!」
【言わんこっちゃねえ、これ以上は死ぬぞ。】
「平気で…人の命を切り捨てられる君に心配されたかないね…グフッ!ゲフッ!」
パタタッと音を立てて、紅い液体がアスファルトを濡らす。それと同時に、口内が鉄の味と香りで満たされた。もう、既に限界が近い。本当に今すぐ離脱をせねば、松野の下っ端のように人間性を失うか、全身を喰らい尽くされてしまう。せめてあと数分だけでも耐えたかったのだが、その想いはさらなる苦境によって潰えてしまう。
「前線がやたらバタバタと倒れると思えば…兄弟刀の片割れがこんな所で歯向かっていたのか。」
「…何だ、あなたは……」
突如として人間の声が聞こえたかと思えば、中年らしき男性が後続の怪物の上に乗ったままのんびりとそう言った。丈の長いロングコートに身を包み、帽子を深々と被ったその姿は、まるで自らの存在をなるべく隠蔽しようとしているように感じられた。そして、場違いな程落ち着き払ったその態度は、まるで男性には戦場の景色が全く見えていないものと錯覚させるには十分だった。しかし、どう見てもその目が異世界を覗いているようには見えず、であれば戦場そのものをただの風景と見なしているような、そんな人間離れが過ぎた価値観が推し量れる。
「折角だ、もののついでに回収していくか。だから少し…」
「消え…っ!!」
「場所を変えようか。」
耳元で中年男性の声が聞こえたかと思った瞬間、横から衝撃波の直撃を叩き込まれたかのような強烈な衝撃が襲いかかり、紫が今の今まで必死に食い止めていた前線から大きく離れた場所に強制的に移動させられてしまう。
「流石【
「ゔっ…一体何が起こったの……全然見えなかった…」
【厄介なのが来たな…こりゃまずいぞ。】
「何だ、もう既にボロボロか。燃費悪いからまあ仕方ない。痛ぶるのも不憫だし、次で仕留めよう。」
そう言い放った中年男性のコートが、内側に風が吹き付けたかのように大きくはためいたかと思うと、コートの隙間から影が伸びて大きな腕を形作った。
【避けろ!死ぬぞ!】
咄嗟の叫びに応じて辛うじて後ろに飛ぶと、信じられない速さで目の前の足場が巨大な腕によって瓦礫と化した。巻き起こる砂煙と高速で飛来する細かな破片に視界を奪われ、目を保護するべく顔を覆うと、完全に無防備となったその隙を突いて腕が再び伸びて跳ね飛ばされてしまう。あまりの衝撃に意識が飛びかけ、墜落した後は全身に襲いかかる激痛で身動き一つ取れなくなる。
(だめだ…もう体が言うことを聞かないし…何より、強過ぎる……)
三度襲いくるであろう破壊の腕が自分の身を叩き潰すのを食い止めることも出来ないのがわかると、失意のあまり何事に対する一切の気力を失った。覚悟を決めて灰色の空を見上げていると、不意に頭の上の方で誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。筋肉に少し力を加えるだけで軋み、角度を変える度に痛む首を最後の力とばかりに無理やり曲げてそちらを見ると、慣れ親しんだ少女の姿がそこにあった。
「ふる…た…か…さん……」
最後まで発音できたかどうかすら怪しいか細い声を、しかしその少女、古鷹は敏感に聞き取ってこちらを見た。その顔には、あの陽だまりのような穏やかな笑みは無く、瞼は腫れぼったくなり、引き歪んだ口は必死に悲しみを抑え込もうと奮闘していた。
自分の姿を見てギョッとする彼女に今すぐ逃げろと伝えようと口を開こうとしたが、彼女がその腕に抱えている人…否、正しくは艦娘の正体に気付き、思った通りの言葉が発せなくなってしまう。」
「嘘、だ……まさか、青葉さん……」
「死んでしまいました…私のことを庇って……」
最も知りたくなかった残酷な報告を受け、絶望が加速する。大きな穴となって心に発生したそれは、ガラガラと崩れ始めた自分自信の全てを、底無しの器に落とし込んでいった。
「卒業まで一緒だって、言ったのに…交換で離れ離れになっても、手紙でずっと繋がっていようって約束したのに……けど、こんなにあっさりいなくなっちゃった……」
「……」
「殺人鬼に斬り殺されたわけじゃない…流れ弾に当たったわけじゃない……あなたに殺されたんですよ、紫さん…」
「え……」
「他の誰でもない…ましてや私のせいでもない……全部、何もかも全部全部、紫さんのせいですよ!!」
よもや、彼女からそんな言葉が出てくるなんて、この時は微塵も思っていなかった。被害を食い止めようと、一人でも生存者が増えるようにと多くの犠牲を出しながらも奮闘し、結果手も足も出ない強敵が現れて惨敗。そして偶然にも青葉が死んだと聞かされこれ以上無いほどに心が削り取られている状況で、古鷹に告げられた言葉。持ち得る全てを放棄してしまいたいとさえ思ってしまったこの時の紫を、一体誰が責められようか。
それ程までに追い込まれた崩壊寸前の紫の耳は塞がれることがなく、そんな彼に更に古鷹は追い討ちをかけた。
「全部そうですよ…初めから紫さんが来なければ、私達はずっと当たり前の日常を過ごしていられたんです……紫さんが来なければ、青葉も私も危険な目に遭わずに済んだ…紫さんが来なければ、他の皆さんも、当たり前に授業受けて、当たり前に卒業して、当たり前に自分が選んだ道を歩むことができたんです……それなのに、紫さんが来て全部壊れた…平穏も何もかも、あなたに奪われたんですよ……この疫病神!あなたなんか、いなければ良かったんだ!!」
今まで一番恐れ、他人を切り離すことで避けてきたことが、今現実になった。それも、自らのやり方を否定し他者との共存を図りながら生きる道を考えさせてくれた、掛け替えのない少女の言葉によって。
絶望に満ちた紫の顔を見てか、古鷹は取り返しのつかないことをしたと後悔した様子を見せたが、彼女が紫の心に与えた傷は深く、そして、彼女はその傷を癒す術を失ってしまった。
「成る程…いい顔だ。こうすれば直接殺そうとしなくても、勝手に自滅してくれるのか。」
「古鷹さん!!」
古鷹の腹部には、ロングコートの男から生えた黒い巨大な槍が刺さっており、一目見てもう何者にも救うことができないとわかった。槍を引き抜いた男は、何の気まぐれか古鷹から離れて紫が近づきやすいように場所を空けた。
我を忘れた紫は、ほとんどの部位が正常な機能を失った体を無理やり動かして古鷹の元に寄ると、まだ息がある彼女の頭を抱き上げた。
「……どう、して?」
「一つ、聞かせてください……」
「……」
「僕ら、友達になれましたか…?」
「そんなの、当たり前じゃないですか…」
それだけ言うと、彼女は平生のあの天使のような笑みを作り、永遠の眠りについた。
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「別れは済んだか?なら、そろそろそいつを返してもらうぞ。」
男が生み出した巨大な手が、傍らで眠る古鷹ごと潰そうと上空に迫る。逃げられはしない、しかし紫の頭は非常に冷静だった。死地はここではないと、既にわかっていたが故の余裕だった。
「ねえ【ゆかりの鬼】…」
【何だよ、遺言なら聞かねえぞ。】
「ゲームは僕の負けだ、残念だけど勝てなかったよ。」
【は?一体何の話を…って、まさか正気か?】
「うん、全部君が食べていいよ」
【あ〜あ、こっちとしては本望だけどよ、なんかこうあっさり降参されると味気ねえな。】
「それは残念でした…というわけで、またね。」
【ああ紫、あばよ】
振りかぶられた腕が唸りを上げて叩きつけられ、一際大きな破砕音を鳴り響かせた。骨片はおろか、肉片ですら粉々になったであろう必滅の一撃。鋼よりも硬い装甲を持つ深海棲艦でさえ葬り去れるはずのその攻撃は、しかしその対象が突如として消えたことで空振りに終わった。ロングコートの男は自分の目を疑ったが、現に影の腕には一滴たりとも血が付着していなかった。
「危ないな…二人の遺体に傷がついたらどうするのさ。」
先程まで悲痛な表情で少女の死を嘆き、今にも精神が崩壊しそうだった青年が、優しく諭すような口調でそう言った。いつの間にか少女達の亡骸を抱えて立っている青年の目には穢れた黄色の光が宿り、ゆらゆら揺らめくその瞳を見ていると、ベクトルの違う強烈な重力で脳が引っ張られたかのような目眩がする。
「早く仕留めるべきだった…まさかいきなりLev.3の汚染状態になるとは。」
「聴き取りづらい声で何を話してるの?そんなことより、危ないことしたらちゃんと謝らないと駄目じゃないか。」
汚染によって、先程までロングコートの男が命を奪わんとしていたことさえ忘れてしまったのだろうか。警戒心というものが一切感じられない穏やかな声音で、拍子抜けするような言葉を綴ってくる。しかし、男の顔からは先程まであった超然とした余裕が消えた。青年が、どんな災禍よりも恐れられるべき悪夢に成り果てたのを、重々理解していたからだ。
「全艦退け!撤退を開始…」
「無視するのは、酷いと思わない?」
映画のフィルム一コマ分を投影するような極々僅かな瞬間の間に、青年はロングコートの男の目の前に立っていた。咄嗟に男は影の腕で防衛を行うが、青年は涼しい顔をしたままその場を動かない。しかし、墨を垂らしたような黄色い光が煌めいたかと思った次の瞬間、膨大な破壊力を持つ影の腕が弾き飛ばされた。
「やはり止めるには兄の刀が必要か…」
「悪い人だなぁ、一体誰に道徳を教えてもらったんだろ。仕方ない、こんな救えない人は生きてたってみんなの邪魔になるだけだから、殺してしまおうか。」
何気ないことのように殺意を口に出す青年に対し、ロングコートの男は何百年かぶりに恐怖を覚えた。影の腕を十数の槍に変形させ更に激しい攻撃を加えるが、途切れぬ甲高い金属音が鳴り響くだけで肉を捉えたものは一つも無かった。
「ならば…」
槍の一つが小さな手となり、回り込んで青年の腕を掴んだ。剣さばきが著しく悪化し、全ての槍が青年を貫く。
「あぁ、これは結構痛いなぁ。苦しいよ……でも、動けない程じゃないんだよね。」
「何っ!?」
全身に槍が突き刺さり、見えない十字架に磔にされたような格好のまま、青年が笑う。幾つもの臓物が破壊され、血液が滝水のように溢れ出ているというのに、瞳の輝きはより一層増すばかりで、死人の表情には程遠い。
「ま、動けるのは僕じゃないんだけどね。」
「この化け物が!」
影が動き、宙に打ち付けられたままの紫を引きちぎらんと振り回す。槍が抜け半壊した肉体が血飛沫を上げて海の上に沈むことなく落ちる。だが、その時点で男は敗北していた。いつの間にか背後にいた刀に脳天から真っ二つに切り裂かれていたのだ。役目を終えた刀は主人の元に戻ると、青年の手に収まる。するとたちどころに穴が塞がり、青年は再び立ち上がれるようになった。
「僕の言うことを最初から聞いていれば良かったのに……でもいいか、それよりアレを片付けないとね。」
青年は未だ陸を跋扈する深海棲艦を見やると、再び笑みを形作った。瞬間、それまで分厚い雲に覆われていた空が、青年を中心とするように円形に穴が広がり、眼を見張る速さで茜色の空が天を塗り替えた。それと同時に吹き荒れていた風が一切止み、海の凹凸が消え去って巨大な鏡面を形成した。
あり得ない気象に、怪物ですら動揺する中、青年は静かに笑いそして静かに狂う。たった一人の災禍が、怪物を殲滅せんと動き出す。
今回もご覧いただき有難うございます、27話でありました。唐突な展開に加え、ショックの大きい内容もあったことでしょう。それに関してはこの場をお借りして先にお詫び申し上げます。
そして急過ぎる気もしますが、いつまでもダラダラと続ける自信がありませんでしたので、次回で学生編は終了となります。まだまだ続くので、新章もお楽しみに
最近よくおふざけの無い後書きを書きますが、今回は個人的に絶対ふざけてはならない気がしております。訳を話そうにも、しがない三流二次創作屋の言葉ですので、別に必要がない方は読み飛ばしていただいて結構です。それでも良いと言う方や気になるという方はどうぞそのままで。
死というのは、多かれ少なかれ誰かを悲しませるものです。いかなる悪党だろうと、親の少なくとも一人は、また最も近しい人間にとっては心に痛みを残します。
いきなり話は変わりますが、キャラクターというのは、これまた誰かの頭の中で生み出された段階で、一つの命となるものだというのが僕の考えです。それを小説、漫画、アニメやドラマなどにすることで、たとえ生みの親が死んでも、作品が残り続ける限りキャラクター達は永久に生き続けられる。なんとも生物学に反しており、またメルヘンチックな考え方ではありますが、浪漫人間な僕はこの考えの元作品作りに励んでいます。僕ではない、息子娘同然のキャラクター達に色鮮やかな物語を与える、そんな作業が一等好きなわけです。
しかしながら、そこに自由な人生はあり得ません。時として僕は仕組まれた運命の通りに踊らせる残酷な人形遣いとなります。我が子のようなキャラクター達を勝手に善と悪に分け、そして時として死や苦痛を与える。先ほど、キャラクター達はそれぞれが一つの命と言いました、つまりキャラクターは自己ではなく他人、作中の中で誰かが死ぬと言うことは、他人を殺すのと僕の中では同義なのです。
無論、死を多く取り扱う作家さんを非難するつもりはありません、死のイメージである黒は、作品を濃淡と陰影でもってより一層作品を色鮮やかにしてくれる効果もありますから。
けど、作中の誰かを死なせる度に作中の他の誰かは傷つく、それを思うと僕自身がなんとも最低な人間に思えてくるのです。書きたい欲求と罪の意識を同時に背負うという、なんとも滑稽な同人活動であります。
長話が過ぎました、取り敢えずこの辺でしめたいと思います。半分愚痴のようになりましたが、面白半分で誰かの死を描いているのではないことが伝わればと思います。ついでにあまり活躍の機会が少ないキャラクター達が死んでしまう場合が多い訳も察してくだされば幸いです
それではまた次回お会いしましょう