29:抜け出せない
春、それは世界が崩壊してなおも変わらず、冬の苦しみから生命を解放する可能性の季節。士官学校へ入学した多くの生徒もまた、新しい運命に心踊らせ、未来の栄光を夢見て野心を燃え上がらせ、そして降りかかる災難に対する不安を自ら叱咤激励し奮い立たせることで討ち払っていた。
入学式の日、全国各地から集まった約百人の生徒達が一堂に会した。皆多種多様な面持ちで式に望む中、一人の生徒は、表情こそ平常心を取り繕ってはいるが、内心煮えたぎるような妬みの感情で一杯になっていた。それが証拠に、彼の手足は力を込めすぎて痙攣し、それに共鳴した椅子がカタカタと耳障りな音を立てている。神聖なる式典だと言うのにそれを一向に気にしない生徒を、しかし周囲の誰もが注意しようとしなかった。否、気になってはいるが面倒ごとに巻き込まれないように敢えて見て見ぬ振りをしていると言った方が正しかった。何せ彼は代々海軍の重役を担う由緒正しき家柄の子供であり、名前のみならずその容姿までもが、ここにいる多くの生徒に知れた有名人であった。まさに触らぬ神に祟り無しである。
ところで、彼は一体何をそんなに苛立っているのかと言うと、その原因はこれから同期となる一人の生徒にあった。祝辞の後に名を呼ばれ、悠々と壇上に上がって新入生代表として挨拶を述べるという大役を任されたその生徒を、彼、
しかしながら、壇上に上がったのは黒条でも、ましてや自分でもない、どこぞの馬の骨ともわからない輩であったとなれば、プライドの高い彼の心が穏やかでいられないのは容易に想像がつく。どのような教育の場であっても次席以降に落ちた事がない彼だが、黒条と同じ土俵に立った以上百歩譲って黒条に主席を取られるのはいい、あれを超えるのはとうに諦めているし、元帥に媚びる両親も自分が黒条より優位に立つのは何かと都合が悪いと思うに違いない。しかしながら、次席にすらなれないとなれば話は別だ。自分に対する評価がもはや自分のみを測る指標ではなくなっている以上、この不名誉は家の評価すら落としかねない。打たれぬ程突き出た杭は、陰でそれを打たんとする者が少なからずいるものだ、ほんの少しの弱みでさえ命取りになりかねない。まあ、彼にとって家というのはしがらみの一つでしかなかったので、今更親になんと言われようが気にも留めやしなかったのだが、それでも幼少の頃より培われた気位の高さは、自分の地位を三番目という屈辱的な位置に堕としたあの生徒を許さなかった。
「絶対引きずり落としてやる…」
つい口から漏れた怒気をはらんだその囁きは、意外にも多くの生徒達に聞こえたらしく、周囲のどの顔を見ても柘榴を恐れて目を合わせないようにするものばかりだった。けど、そんな三下に畏れられた程度では、彼の心は癒されることはなかった。
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式が終わって放課になるや否や、柘榴はすぐさま例の生徒を探しに行った。名前クラス容姿共にわかっている以上そんなに時間はかかるまい、というか本当にあっさり見つかった。しかし、ここでいきなり突っかかっていく程考え無しの猪ではない。まずは様子を見て、敵対するのかそれとも懐柔が可能なのかを判断する。どちらになるかによって、貶める方法は大きく変わるからだ。
見た感じの印象は、少し身長が高めの文化系と言った体格で、あまり運動が得意ではなさそうだった。体力面にも自信があった柘榴は、そのことで少し自尊心が回復したような気がしないでもなかったが、瑣末な事に過ぎない。無愛想極まりないというか、作り物のように最初から表情そのものが備わっていなかったとでも言いたげな端正な顔を、長めの頭髪で型どった少しなよっとした雰囲気の面は、一つ表情を加えてやれば女性が放っておかなそうな魅力を秘めており、そこでまた闘争心が湧いてくる。人口が激減したこの世界、どれだけ異性に好意を持たれやすいかという要素も、その人物の評価に繋がるのだ。残念ながら生徒の大半が男で占められているこの学校でそれを推し測ることは難しいが、かと言って出逢いが無いわけでもない。いずれ白黒付ける事もあるだろう。
その後も知っておきたいものから些細な嗜好にいたるまで様々な情報を得るために、気配を消して視覚的にも気付かれにくい絶妙な距離感覚での監視を続けた。別にその辺の生徒を使って調べさせるのでも良いが、結局は真偽を確かめるために自ら動く事も多く、手っ取り早い方が彼の性分として望ましかった。
しばらく尾行を続けていると、対象は不意に人気も何もない場所へ足を運び、そこで立ち尽くした。天を仰ぎ、眩く輝く太陽を、目を細めて見上げるその姿は、何か描きたいものを求める画家のように見えた。
「これだけ晴れていても、結局灰色か……貴方には、あの太陽がどう見えますか、縁 柘榴さん?」
唐突に、それでいて真っ直ぐ正確に自分のいる場所を見定める対象の視線に、両目が射抜かれる。信じがたいことだが、気付かれていたようだ。追跡者の存在に気付くだけであればまだしも、相手まで特定して見せるとは恐れ入る。尾行に関してはそれなりに才があり、気配を消した自分の存在に気付いた者など片手で数える程もいないという自負があるだけに、対象に対する警戒度が上がる。
このまま隠れていても仕方ないし、かと言って尻尾を巻いて逃げるつもりは無かったので、大人しく対象の前に姿を表すことにした。過去に何度もその見にそぐわぬ秘められた力を振るい、数々の危機を脱してきたという噂のある仮称英雄、天凪 紫の前に。
「縁家の血を引く貴方が、低俗な僕に何の用でしょう?」
「それは安い挑発か?それとも、嫌味か?」
「君にそのような口をきく理由がありません。」
「そうかよ。何にせよ俺のこと見下せる立場にいるくせして、その態度は腹立つな。」
「見下したら見下したで、怒る姿が容易く想像つきますけどね……まあ、僕は貴方と張り合うつもりはない。」
「お前はそうでなくとも、俺はそうなんだ…よ!!」
ギリギリまで隠していたクナイを、懐から取り出すと同時に紫目掛けて投げつける。過去最高の射出タイミングと狙いに速度、相手が人間であればそう易々と防げるものではない。なに、別に殺すつもりは無かった、少し怪我を負わせて挨拶代わりにするだけだ。だが、三本のクナイは一つとして相手の体に触れることなく、金属の澄んだ音を響かせて全て叩き落とされてしまっていた。
「見事でした…が、僕相手では完全な奇襲でない限り相性が悪い。視覚で感知しづらい死角から、または暗器を最も良く活かせる夜に仕掛けるのが良いでしょう。」
「くそっ、なんだなんだなんだってんだよ…」
自分が最も得意とする攻撃が、くすんだ色のみすぼらしい刀の一閃で呆気なく封殺されてしまった。オマケにアドバイス付きときたものだ、いよいよもって柘榴の心は怒りの感情で溢れかえる。ますます、目の前の人間の存在が許容できなくなっていた。
「覚えていろよ、いつか必ずお前を超える。」
「お手柔らかに。」
これだけ敵意をむき出しにされて、全くもって動じていないその超然とした余裕も気に食わなくて、これ以上神経が逆なでされる前にさっさとその場を離れることにした。怒りと恥辱で頭がおかしくなりそうだった。
「他に肯定されてるんだったら、俺はその何倍もお前を否定してやる。」
誰に聞かせるわけでもなく呟いたその一言は、気が付いた頃には自分の方針として心に染み込んでいた。
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ある日の昼休み、何故か同じクラスになった天凪 紫、海鎮 黒条、境守 山葵の三人は、各々の昼食を食べながら話をしていた。食堂に行くのが一番手っ取り早いのだが、紫が腕が鈍らないよう毎日自作の弁当を持参してくるので、話をしながらの昼食となれば、自分はあらかじめ売店で惣菜を買っておく必要があった。一方の黒条も、自作ではないようだが弁当を持参している。それなりに交流が進んではいるものの、この二人を放って他の生徒と昼食を食べる気にならなかったので、彼らに合わせているということになる(まあ、二人はそれでも黙々と勝手に食べるのだが)
それに、別に売店に売っている惣菜パンは嫌いではない、というか食堂の少々味気ないメニューよりかはこちらの方が好きだったし、一緒に同じ学び舎から上がって来た友達と一緒の昼食とは楽しいものだ。話題を振るのはいつも自分の役目だというのも気にならない。どちらかと言うと聞いているより口を動かしたいタイプだし、純粋に語るべきことが多いのだ。それに二人だって別に会話が苦手というわけではない、必要に迫られていないから自発的に話さないだけであって、普通に聞き上手だと思うし、反応も悪くない(時折、弄られていると思ってしまうのは気のせいだと思いたい)
「なんか、士官学校って言うからきっと凄い所なんだろうなって思ってたっすけど、案外変わらないものっすね。」
「それはまともに授業についていけるようになってから言うセリフでは?」
「そんなこと言われたってぇ…今まで頑張って取った単位全部無駄になるとか誰が想像できるっすか!?」
詰めに詰め込んだ膨大な語学の数々、医療従事者にならない限りなかなか活用する機会に恵まれないであろう生物の知識、我が国のもはやどうだって良い敗北の歴史をこれでもかと叩き込まれた社会科、金勘定には一生悩まないようなレンジの狭すぎる数学等々、必死に机に齧り付くような勢いで励んできたそれらの学習が、まったくもって無意味であると知ったあの時の絶望感と言ったら、過去これ程までに気落ちしたことがあろうかという程であった。そして、海軍学校ではさわりすら教えようとしなかったはずの、普通校のカリキュラムをここで適用すると言われた時の、あのえも言われぬやり場のない怒りときたら…
「お前、そんなことも知らずにここに来たのか?」
「え、まさか黒条君は知って…」
「当たり前だろ、まさかここで習う分野の予習をしておかなかったとは言わないよな?」
「えぇ…いや、あんな鬼畜なカリキュラムの学校で、そんなことしてる余裕なんか…」
「呆れた奴だな。たとえそうでなくとも、普通の高校にある単位の中から自分に必要なものを選択し自主的に学習しようと、何故思わない。」
「忘れてた…この人、人間辞めてたんすよね……まさか紫君も?」
「僕は元々普通の高校に通っていましたし、転校した時には既に単位を全て取っていた後ですから。ここで学ぶことは然程多くありません。」
今更になって目の前の二人との絶望的な力の差を思い知る山葵。第一海軍学校では一桁台の成績を維持していた自負もあって、それまではここまで実力差に開きがあるとは思いもよらなかったのだ。
「そう項を垂れるな、誰でも得意不得意がある。それに、俺たちがここに来たのは高校程度の知識を得るためではないだろ。それに、第一海軍学校は雑多な志望に柔軟に対応するためにあんな変わったカリキュラムが組まれているだけで、本来俺達に必要な知識というのはほんの一握りしかない。だから忘れたところで、誰も文句は言わないだろ。」
「士官としての能力が認められれば、ある程度出来が悪くともチャンスは十分あります。それに、こんな滅茶苦茶なカリキュラムを組むのは、脱落組がのたれ死ぬことのないように、最低限一般高校の知識は備えさせておこうという、学長の配慮です。」
「あまりフォローになってないフォロー、痛み入るっすよ…」
本当、相も変わらず感情の機微に疎い二人だ。この二人と友人でいられるのは、世界広しと言えどもそうそういるものではあるまい。とは言え、幾ら懐が深くとも棘を投げ込まれたらある程度は傷付くものだ。そんな心を癒すべく、糖分摂取のために買っておいた菓子パンの袋を開ける。粉砂糖の甘い香りが鼻腔をくすぐるこの瞬間、それだけで不器用二人に打ちのめされた心が安らぐというものだ。
だがしかし大切な至福のひと時は、紫の猛禽類を彷彿とさせるかのような鋭い眼による凝視によって邪魔されてしまった。今すぐにでもそのまま口に放り込みたいと言うのに、これでは落ち着いて堪能できない。たまらず非難の声を上げた。
「ちょっと紫君、羨ましいからってそんなに見つめられてもあげないっすよ。」
「いえ、別に君の食物を欲しているわけではない…けど、君がそれを食べるのは見過ごせません。妙な匂いがします。」
「またまた、そう言って騙そうとするんだから。」
「いや、明らかに人が口に含むべきではないものの匂いだ、今すぐ手を離した方がいい。」
「山葵、それを貸せ。俺が確かめてやる。」
「えっあっちょ!何する気っすか!?」
強引に袋ごと菓子パンを奪い取った黒条は、無遠慮に中に指を入れて粉砂糖を指先にとると、そのまま舐めてみせた。
「……確かに、砂糖にしては妙な味がするし、ここに意図的に開けられたような小さな穴が開いている…誰かが異物を混入させた恐れがあるな。」
「ええ!?」
「おそらく毒物の類でしょう。イタズラにしては、かなり陰湿ですが。」
「毒!?いやそんなまさか、なら誰が一体そんなことするって言うんすか!?」
今日がとっくに終わったエイプリルフールの日でないことを教室のカレンダーで確認し、それから二人が自分のことを謀っているのではないかと、その表情を注意深く見ることで確かめる。が、しかし、どちらも真剣味を帯びており、心なしか緊張感も滲み出ているようにすら感じる。冗談でそんな空気を醸し出すようなことはしない二人だ、彼らがそこまで言うのであれば、本当なのかもしれない。
「心当たりならあります。どうも僕は今、柘榴さんに怨みを買っているようです。だから、僕とよく行動を共にする山葵君も標的にされた可能性がある。」
「柘榴…ああ、縁家の。」
「名前は聞いたことあるっす、超エリートの家系っすよね?」
「軍の創設以来、代々大将の座についている名家だ。しかし、父ですらその実態はよくわかっていない。実際問題、きな臭い噂が多い家だ。よもやあれの怨みを買うとはな。大方席次の件だろうが、また厄介な奴に目をつけられたものだ。」
「そんな理由で…しかもなんで僕まで。」
「巻き込んでしまったようですね。君に害を為すことで、僕を周りから切り崩す腹でしょう。」
「けど、単なる偶然じゃないっすかね…?他の誰の手に渡るかもわかんないパンに僕を狙って仕掛けをするなんて、そんな確実じゃない方法…」
「士官学校を舐めているのか、お前は。イタズラ目的であろうと、事は重大だ。何も心得ていない者など、すぐに吊し上げられあっという間に退学処分だぞ。こんなことができるのは、余程自分の犯行だと気付かれない自信がある奴か、たとえバレても揉み消せる奴だけだ。」
自分がこれから口にしようとしていた物に、毒を混入させられていた。それだけでも十分ショックの大きい出来事だと言うのに、名家出身のエリートが私怨で友達に牙を剥き、その余波が自分に襲いかかっているという現状に、頭の理解が遅くなる。途方も無い理不尽と、死がすぐ真後ろで鎌首をもたげていた恐怖が、思考回路を圧迫して、逃避するように仕向けてくるのだ。
そんな自分の心に余裕の無くなった様子を知ってか知らずか、目の前の二人は呆然と虚空を眺める自分を暫しの間声もかけずに放った後、切り替えを要求するかのようにまた話を続けた。
「先程食べていたパンは?」
「別に異常はなかったっす…」
「ならいいのですが…とにかく、売店の他のパンも被害にあっている可能性があります、早急に対処しないと。」
「そうだった場合既に手遅れかもしれんが、俺は教官室に行って事情を説明しよう。これは俺が預かっておく。」
砂漠で見つけたたった一つの果実が、悪魔の林檎に成り代わった。それだけのことで、それまで自分を魅了していた甘味がおぞましい悪意の塊に思えてしまう。当分は菓子パンを買えそうにないなと、歯型一つ無いパンが黒条に連行されて行くのを眺めながら思う。
「僕は売店で他の商品を確かめて来ます。場合によっては売った分を全て回収する必要もありますね。」
「僕も行くっす、一応被害者っすから。」
「なら早く、手遅れになっては元も子もありません。」
駆け出す紫の後を追って、自らも走り出す。なんの迷いも感じられないその後ろ姿を見ながら走ると、何故そこまで冷静でいられるのかと疑問に感じる。やはり、他人のことだからなのだろうか。
(いや、紫君はそんな自己中心的でいられる程、器用じゃない。)
あの日以来心のネジが狂った紫は、どうも情が薄いように感じる。けど、かと言って情が無いわけでも、忘れたわけでもない。彼の心の芯はちゃんと残っている。だからやたら薄情に見えるし、そして何故そんなに対応が冷めたものになっているのかも、山葵は知っている。友達なのだから、口にせずとも何となくわかってしまうものだ。けれど、かと言って許容できるかどうかは話が別だった。
「紫君…」
「なんでしょうか?」
「いや…やっぱりなんでもないっす。」
「そうですか。」
事務的。面白みに欠けるとかそんな話ではなくて、まず話す気がさらさら感じられない口調。無理するなと、内心毒突く。
「……すみませんでした。」
「何がっすか?」
「君を危険に晒した。僕だけの問題であるべきなのに、またこうして友達に迷惑をかけてしまった…」
彼が冷めたやり取りをしようとする原因、それがこれだ。あの日大切な友達を失った彼は、それっきり二人の少女の亡霊に取り憑かれている。無論文字通りのオカルト的な意味ではなく、彼が作り上げた彼だけの幻の話に過ぎない。だが、先の言葉を口にするときに見せた、僅かに思い詰めているようにも見える無表情から察するに、相当強力な呪縛として彼の心を縛り付けているのだろう。人の死によって受ける傷は深い、けどそんなものにいつまでも囚われるのは、彼らしく無いと思ったし……何より少し気にくわない。
「馬鹿じゃないっすか?」
「山葵君?」
「多少の迷惑くらい、被って当たり前じゃないっすか。人間誰だって、人に迷惑かけて生きていくものっすよ。いつまで保護者気分でいるつもりっすか…」
つい口から溢れてしまったそんな言葉、何だか前にも言ったような気がする。それだけ、彼の根っこは全然変わっていないということだろうか……そして、全くもって心に届いていないということだろうか。
「保護者か…確かに、少し君を信頼していなかったのかもしれません。
「うわ、それかなり傷付くっすよ…まあそりゃ、紫君に比べると、全然ダメっすけど、でも何もできないわけじゃないっす。」
「そう言えば、何気に今の席次は一桁台でしたね。」
「そうすっよ、次元が違うだけでここじゃ十分高いレベルにいるんす…ってそうじゃなくて、そうやって人を巻き込むことにビビるなって言いたいんすよ!」
「どうでしょう、僕は昔から臆病ですから…」
手応えなし、と言ったところだろうか。情が薄れたばかりでなく、外部からの干渉もかなりシャットアウトされているようにさえ感じる。それこそ、今の彼に届く言葉を語れる人間はいないのではないかと諦めてしまいかねない程に。
(友達じゃ、ダメなんすかね…)
せめて親友くらいになれれば、と考えるも、今の紫は人と親睦を深めることを拒絶している、現状はどうやってもこの頑固者の心を動かすことはできないようだった。
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売店の商品に毒物と思われる異物が混入させられていたという事件は、丸一日士官学校中を騒然とさせたが、結局山葵が購入した菓子パンのみが被害にあっていたことがわかり、噂がそう長く保つことはなかった。
「結局、ただのイタズラだったんすかね?」
「いや、致死量には全く届かないが微量の青酸カリが検出された。イタズラにしては、タチが悪すぎる。」
「けど、もし仮に紫君に恨みがある柘榴君が、友達の僕のことを狙ってたって、たった一つだけの袋に仕掛けるだけじゃ狙いも何も…」
その時、パリンと軽い音ともにキラリと光る金属片が窓から飛び込んできた。呆気にとられて、それが矢であることに気付いた時にはもう遅かった。今にも鏃が眉間に突き刺さろうとしており、その瞬間死を覚悟した。走馬灯なんて走ってはくれなかった、音さえ凍りついた刹那の瞬間を恐怖で埋め尽くされ、ただただ目を瞑るしか無い。せめて痛いのだけは嫌だなと人生の最後だというのにそんなしょうもない願いを抱いて痛みに備えて身を固くする。
しかし、いくら待てども何にも貫かれる様子が無い。ひょっとしたら幻覚なのかと、恐る恐る目を開けると、目の前に矢の先端が今にも襲いかからんとその場にとどまっているのが見えた。慌てて飛び退き、何が起こったかを知るために辺りを冷静に見回すと、まるで何のことは無いように紫が片手で矢を取り押さえている姿が映った。間一髪、助けられたらしい。それを思うと、急激な安堵が全身に降りかかり、四肢の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「し、死ぬかと思ったっす…」
「おい大丈夫か?何だって急に矢が…」
「敷地内での武具の使用は禁止されているはずですがね、早いところ犯人を見つけてとっちめた方が……」
紫にしては妙な言い回しを途中で遮ると、手に握られた矢を注視し始めた。一体何事かとその目線の先を追うと、矢の紙きれのようなものが中程に結び付けられてあるのが見て取れた。
「矢文だな、旧時代では全く使われなかった極めて原始的な通信手段だが、俺も現物を見るのは初めてだ。」
「手紙ですか、けどどうやって中身を確認すれば…」
「文?じゃあ解いて開いてみたらどうっすか?」
ボケたのか素面なのかわからない戸惑いを口にした彼は、納得した様子で矢から紙切れを外し、それを開き始めた。実は山葵自身この時勘が当たったことに驚いてはいたのだが、珍しく紫に対し優位を取れたことが何だか嬉しくって黙っていることにした。そりゃあ、誰だってこんな得体の知らないものを急に手渡されても困る。
「……やはり柘榴さんか。」
「何て書いてあったっすか?」
「魔法の菓子パンの味はいかがだったかと、そう書いてありますね。」
「え、じゃあ…」
「あの毒入りは、本当に柘榴が意図してお前に食わせようとしたパンだというわけだな。」
他人事であれば、そんな馬鹿な話があるはずないと与太話として笑えた。けど、紙一重で命を奪われかねなかった矢を目の前にして、笑う気力は愚か、否定することさえできなくなった。否定したら、何が起きたもわからずに、惚けた情けない顔のまま殺される気さえした。
「ほう、文の言葉をそのまま信用するなら、彼は山葵君の素性を、既に徹底的に調べ尽くしたようです。その上、趣味嗜好や性格、何気ない癖から、行動パターンに至るまで…何から、何まで全てを。」
何から何まで、の部分が抑揚の少ない感情の感じられない声で語られるものだから、余計に狂気を感じる。その上内容が内容だ、気持ち悪くて仕方ない、全身の鳥肌と嘔吐感が心を蝕んでくる。
「なら、ピンポイントでお前が購入する予定のパンに毒を仕込むのも、あながち非現実的ではないということか……顔色が悪いな、どうかしたか?」
「ちょっと気持ち悪くなっただけっす…」
「まあ、趣味の悪い話をされてはな…無理もない。今日は早めに休め、念のため俺達も寮まで付いて行こう。」
始まったばかりの新しい生活が、早くも雲行きが怪しくなってしまったことに、正直不安しか感じないが、今はこの二人を信じてついていくしかない。どれだけ足掻こうが対等には到底なれなさそうな二人の背中を見て、そう思った。
ご覧いただき感謝です、久しぶりにお礼の言葉から入ろうと何故か思った影乃です。
さてさて新章に入って、これまた作中では随分時間がすっ飛ばされましたが、皆さんは最近いかがお過ごしでしょうか?(コミュ障全開)僕はただひたすらに睡魔と戦う日常をこれでもかと繰り返しております。睡眠は大事ですね
早速新しいキャラクターが登場、ということで恒例のあれをやりたかったのですが、まだまだ謎めいた部分が多いので、もう少し先の話になるやもしれません。(彼の言動に関しては、思うところがあるなんて人とは、今度一緒に酒でも飲みながら語り合いたいものです、法律でまだ飲めませんが。)
それでは、短いですが今回はここまで、また次回お楽しみに