眩しいほどに輝く満月の空の下、紫は一人静かな海の上で、狩りに勤しんでいた。基本的に獣のいない海上にあって漁では無く敢えて狩りと言うのは、彼の求めるものが人間に手出しができるような獲物ではないからだ。
「……見つけた。」
隊列を成して海を渡るその怪物は深海棲艦、その昔人類を滅ぼしかけた大災の一翼、太古より食物連鎖の頂点に君臨し続けた人間の天敵である。紫が発見したそれは下等な個体が寄り集まっただけのはぐれ艦隊だったが、深海棲艦は下等な個体ほどその体躯は大きい。見た目だけで形容するならば、幽鬼と化したおどろおどろしい象の群れの行軍となるだろうか、艦娘、または見慣れた者でなければ、どんな勇猛な英雄だろうと恐れ戦く存在である。だが、
品定めが終わったところで、紫は靴底に付いているスケートの刃を外した。摩擦の少ないスケート靴は長距離の移動には便利だが、俊敏な動きはできないので、戦闘時は常に外している。一度死んでからというもの、海に拒絶されるようになってしまった紫は、海に入ろうとすると足元に不可思議な力場が発生して、海面の上に立って歩くことができるようになっていた。簡単に言ってしまえば海全体が超巨大なスケートリンクになったようなものだ。だから洋上に出るのに船も必要なければ、艦娘が身につけるような特別な装備も必要としない、その気になれば徒歩での太平洋横断も可能だろう。残念な点を挙げるならば、どうも拒まれているのは衣服を含めた自分の存在だけということらしく、自転車やガソリン車等の乗り物は力場に支えられることなく沈んでしまうことだが、常人より体力には余裕があるので、徒歩やスキー、それこそスケートでも問題はない。
持ってきた双眼鏡で対象を観察、細かな編成を確認する。軽巡ト級、軽巡ホ級、駆逐艦ロ級が4隻で、軽巡2、駆逐4の水雷戦隊であった。6隻となると単騎で相手どるには少々数が多い、また軽巡の中でも姫や鬼と言った上位種を除けば最も強力なト級もいるときたものだ。多少なり強引に攻めなければ全滅に追いやるのは難しい、というよりも返り討ちにあう危険性もあった。しかし、今いる地点は海岸からそう遠く離れた場所ではない、強力な艦隊が派遣されることも少ない以上、この場で仕留めておく必要はあった。
腰に帯びた刀の柄を握りゆっくりと鞘から引き抜く、鈍色に光る刀身がその姿を現わすにつれ、紅い焔が刀身を包む。刀に閉じ込められた破壊の衝動が、餌を欲してカタカタと音を立て始めた。
【やっと見つけたか?早くしねえとガス欠になるぞ。】
刀に宿る悪魔が眠たげにそう声をかけてくる。ガス欠なんて軽い表現をしているが、実際切れたらこの身を生かしておくエネルギーを失うということなので、かなり切実である。
「少し手がかかるけど、仕留められたらかなりの量を期待できそう。だから切らす勢いで暴れても問題はないよ。」
【本当、お前って自信過剰なやつだよな。こき使われるこっちの身にもなれよ。】
「折れない錆びない刃こぼれしない、そんな刀を気遣う理由は、これと言って思い浮かばないかな。」
【ははっ、違いねえな。んじゃまあとっととやるか。】
軽口のやりとりが終わると、目の奥が少しばかり熱くなった。視界に映る世界が急激に狭くなり、獲物しか目に映らなくなる。猛禽の如き視力で狙いを定められた怪物は、もう逃げられやしない。一瞬で距離を詰めると、末尾の一隻を両断、その際のけたたましい音に驚き慄く怪物たちの隙をついて更にもう一隻に深傷を負わせる。面倒と言っておきながら楽々と撃破できそうだが、ここから少しやり辛くなる。こちらに応戦すべく放たれる砲火を避けつつ攻撃を仕掛けるわけだが、接近戦故に砲の命中確率はそこそこ高い。いくら身体能力が高かろうと防御力は据え置き、一発もろに受けてしまえばそのまノックアウト、逆にこちらが食われてしまうことになる。また象と同程度の図体をしているくせして、こいつらは妙に動きが速い、持ち前の大質量と堅さでカウンターをくらう可能性も考慮する必要がある。ならどうするか、怪物の巨躯に隠れてこちらを向く砲の数を極力減らし、そこから隙をついて急所を潰すのだ。
飛び交う砲火を躱し、暴れる巨体になるべく接近する時間を減らして何度も斬りつけていく。この世のものではない
戦闘が終わり、溢れた燃料に引火して焦げくさい臭いを発する鉄屑に、紫は手にした刀を突き刺す。すると、切り口からグジュグジュとした黒い粘性を持つ液体が溢れ出し、鈍色の刀身を覆ってその光沢を奪った。この気味の悪い液体こそ、刀が求める餌であり、傀儡となったこの身を満たす、生きる力であった。
【あーうまい、やっぱ上位種は質が違うぜ。量も多いし満足満足。】
少しずつ刀身に飲み込まれていく液体を眺めながら、紫は感情の持つ力について考えていた。感情とは、普段それ自体を形として目にすることはないが、生命が生きるのに必要なエネルギーとしての役割をも持つ、いわば中国医学などにおける『気』のようなものだ。そして、より多くのエネルギーが寄り集まって凝縮され、圧縮されると、今目の前で怪物の骸からあふれ出した泥のように、実態を持ち肉眼で見ることができるようになる。言ってしまえば、深海棲艦とは多くの人間の魂たる感情の化身なのだ。
通常、人はいかなる時でも心より流れ出る様々な感情の中にある、寝ている時も、無気力に取り憑かれて天井の染みを数えている時でさえも、感情というのは生命の営みから離れることを知らない。そして感情は、正、と、負、の2極に分けることができる。喜び、興奮、安らぎ、おおよそ人が好み、生きるための基本的な活力となるのが、正の感情。対して、憎しみや怒り、不安や絶望など、人が忌み嫌い、生の営みそのものに暗い影を落とすものが負の感情だ。人間が理想郷を想い描く時、常に正の感情だけが存在する世界を想像する。だかしかし、この二つの感情はどちらが欠けてしまっても、人間は生きていくことができない。正負の均衡が自然に修正できない程崩れた時、人間の体はその落差に耐えきれず、自滅してしまうように設計されているのだ。例えば、失恋による悲しみで気落ちし、食事が手につかなくなったり、自ら命を断とうと思ったりするのが、負の感情の増大による均衡の崩壊。対して、人間は笑いすぎると死に至るという、これこそ正な感情が暴走した結果もたらされる破滅だ。どちらの感情も、互いに抑制し合うことで生命を維持し続けているのだ。
その点、深海棲艦、また艦娘というのは特殊な存在だ。本来は大体五分五分で均衡を保つはずの正負の感情の比率が、艦娘は正の感情の割合が極端に大きく、逆に深海棲艦は負の感情の割合が極端に大きいといったように、異常なまでに偏っている。別に、かと言って勢力の弱い感情の表現が下手とかそういうわけではない、艦娘も人間と同じように泣いたり、葛藤したりするし、深海棲艦も戦果を上げれば喜ぶことはあるのだろう。単純に、膨大な感情を受け止めることができるだけの肉体の器が、普通の生物種と段違いなのだ。だが先述の通り、生命の営みは正負の感情の均衡の上に成り立っており、この理に逆らうには生物の枠を超えた強靭な肉体が必要となる。かつての大戦で、戦術核だろうが強力な放射線を浴びせても滅びることなく、怪物達が一方的に人間を蹂躙したわけはここにあった。
けれど、だからと言って最強無敵というわけではない。正負の感情は、互いに干渉し打ち消すことができる。また同じ極性の感情同士でも、一方に対してより多く、濃密な感情をぶつけることで押し潰すことができる。これが、艦娘と深海棲艦が殺し合い、また時として同士討ちをするのを可能にするメカニズムなのだ。
一方の自分と言えば、一度死に、呪いと引き換えに生き長らえても、生命の証たる温もりと感情を失った。言ってしまえば
討ち取った骸を一つずつ周り、刀の食事が終わるのを見届けて鞘に納める。潤沢な負の感情を得られたおかげか、随分と体が軽い。何事もなければこれでひと月は優に保つだろう。
「……わぁ、月が綺麗だ。」
食事の後は、ドロドロの負の感情に混じった僅かな正の感情のおかげで、感情の喪失と共に失った色彩感が蘇る。白銀とも黄金ともとれるその煌めきは、数十秒もしないうちに元の色褪せた灰色に戻ってしまったが、この僅かな間が、忘れていた充足感をも思い出させてくれたのだった。
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「味方艦6隻のうち3隻が中破、一方で敵艦隊は1隻が大破、小破3隻、中破2隻だったとして、この時戦闘行為を続けるか、それとも撤退するか。貴様の考えはどうだ、天凪一曹。」
士官学校独自のカリキュラムとして、海戦術の授業がある。艦隊を指揮するにあたって基本事項やセオリーなどを学ぶのが主な内容だ。
「編成の内容次第と言ったところです。空母機動部隊だったとして、その中破した3隻に空母が含まれるのであれば、継戦は難しいでしょう。一時離脱し夜戦を仕掛けたところで役に立ちませんし、それ以上の被害を抑え、燃料や修復資材の節約をする意味で撤退を選択します。もし空母を含まない編成であれば、撤退せず夜戦に持ち込み、全力でもって沈めきります。」
不利益が伴わないならば可能な限り潰しきる、この時見せた徹底的な姿勢は、彼にしては何だか珍しいと思った。軍人になることにあまり意欲的ではないように感じていたのだが、深海棲艦に対して何か思うところがあるのだろうか。
「妥当だな、境守一曹は何かあるか?」
「空母機動部隊もそうっすけど、潜水艦隊も中破以上の被害を受けると雷撃戦に支障が出てダメージを与えるのが厳しくなるから、その場合は素直に撤退させるっす。」
「ほう、退くのか。だが夜戦における潜水艦の堅牢さは眼を見張るものがあるが?」
「確かに夜戦時は被弾によるダメージをかなり減らすことはできるっす。とは言え、昼戦とそこまで火力が変わらないし、耐久力が低く、少しでもダメージが入れば簡単に大破に繋がるっす。だからあまり深追いはさせたくないっすね。」
正直な話、潜水艦は水上艦と違って攻撃を生身にダイレクトに受けてしまう。見た目幼いのもあって、彼女達が傷つく様は見たくないし……あと目のやり場に非常に困るのだ。
「成る程な、できる限り被害を出さないようにするか……海鎮曹長、何かあるのか?」
「その戦闘が出撃後から数えて何戦目か、またそれがその海域における主力艦隊かどうかも、判断に大きな影響を与えると思う。相手が主力でなく、かつ空母が被害を受けていなければ、その場は一時退いてやり過ごし、主力艦隊に対し視点を切り替えるべきだろう。」
彼が戦闘回数について触れたのは、艦娘達が持つ残りの弾薬や燃料の問題があるからだろう。基本艦娘は最大でも五度の戦闘で手持ちの弾薬と燃料を使い果たしてしまう。そうなれば砲戦どころか航行すらままならなくなるので、例え無傷でも何度も戦闘を行った際は帰還させなくてはならない。たとえそれが標的とする艦隊が目の前にいたとしてもだ。そう考えると、実にアバウトで、何でもありな問題だと思う。
「殲滅できる可能性がある敵を放置するのか?」
「何も全部潰せばいいものではないだろう、頭を潰すことで統率を崩してからでも遅くはないはずだ。」
深海棲艦というのは、たとえ一度制圧した海域だろうと、放っておけばまた制海権を奪われてしまう程に数が多い。それ故、将を射んと欲すればまず馬を射よの言葉通り、少しずつ周りから切り崩して、という戦法を取りづらい。だからいっそ強引に取り巻きを無視し頭の首を狙う、というのはよく聞く話だ。
「周りの駒を掻い潜っていきなり王将を狙うのも、それはそれでリスクが大きいのでは?追撃され、挟み撃ちに遭ってはかなりの被害が出ます。」
紫の言葉通り、さっき黒条が言った戦略は必ずしも良い方向に転がるわけではない。与えた被害が小さければそのまま追ってくることもあるし、また敵の主力を討ち取っても、帰還する際に傷付き弾薬が減ったところを攻撃されることだってある。故に、会敵した敵艦はできる限り殲滅しておくのが望ましい。
様々な状況を考えられる問題についてああだこうだと議論を重ねているうちに、放課を告げるチャイムが鳴った。だいぶ陽も高くなり、まだまだ明るい。そのまま校舎に残る者、友人同士で近くの町に行こうと誘いあう者、皆思い思いの時間を過ごす準備に入った中で、黒条と紫は敷地内にある武道場に向かった。何でも特訓をするのどうのということで、どちらの特訓なのかイマイチわからなかったが、仕方なく2人とは別れ寮に向かった。いや、本当はついて行きたいとは思ったのだが、文のみならず武においても常人とは一線を画す2人の特訓を覗こうものなら自分も巻き添えをくらうことになりそうで遠慮したのだ。決して運動神経が無いわけではないと思っているのだが、黒条相手に竹刀を持ったところで、一本とれる自信なんてまるで無かった。
いい加減着るだけでも暑くて仕方なくなってきた制服の首のホックを外し、折角一人だけの時間だということで、まだ二人には内緒にしてある駄菓子屋に足を運んだ。この時期になってくると冷えたラムネが恋しくなる。ガタがきているクーラーに冷やされた室内でだらしなく堅苦しい制服を脱いでキンキンのラムネを流し込む、そんなささやかな贅沢が待ち遠しくて、汗が出るのも構わずに駆け出した。
34話でありました、今現在十二月ということで日本は冬真っ盛り、最後に関しては違和感しか無いでしょうが、まあこちらの時間に合わせてまったりと書くつもりがないので、じきに冬になるかとは思います。戦争どうので四季が滅茶苦茶だとか、時間の進み方が違うというのは無いのでご安心を。
ああそうそう、今回文字数がかなり少なめです。書きたかったけど、下手に長引かせて投稿遅れるよりかは、と言った思惑なので、悪しからず。今回書く予定だった残りの分は次回に回すので、逆にいつもよりちょっと多くなるかもしれません。けど、もし今回ぐらいがちょうど良い等のご意見がございましたら、感想なりに一言二言書いていただければ参考にさせていただきます。
それではまた次回、再来週になってしまいますが、お楽しみに