夏に比べて日が少し落ちた青空の下、僕こと
「紫君ど〜すか?何かいそうっすかね〜?」
「さあ、一向に引っかかる気配がありません。」
エンジンを切っているせいで船の上は静寂そのもの。最初は遠足気分も手伝ってガヤガヤとしていたはずだが、みな今か今かと竿がしなるのを待つのにすっかり飽きてしまい、誰かが口を開かなければ堅く口を閉じたまま開こうとしない。そんな状況に耐えかねて隣の紫に声を掛けるが、ご覧の通り彼は隣人の心境を察して自分から話題を振ってくれるような人間ではない。
「黒条君は〜?」
「たった数十センチ離れたくらいじゃ変わらんだろ。そしてその気の抜けた口調をやめろ、こっちまで気が滅入る。」
駄目で元々と紫を挟んで隣にいる黒条にも話しかけるが、やはりこちらも無駄話よりも静寂を選ぶ人間だ。
「え〜もう飽きたんす〜何か話してないと退屈で死ぬっす〜。」
「ああもう…そうだ、船長!この船にシュノーケルはあるか!?」
「あるにはあるが、何する気だい?」
「よし山葵、脱げ。」
「はい!?」
後方で同じように釣り糸を垂れていた、浅黒い肌の屈強な船頭に声を掛けた黒条は、返事を聞くなり意味のわからない命令をしてきた。脱げとはなんだ、まさか全裸で海に飛び込めとでも言うのか。
「暇なんだろ、素潜りでもしてなんか採って来い。」
「ちょ、僕ダイビングなんてしたこと無いっすよ!?」
「素潜りって言っただろ。ダイビングと素潜りは違う。」
「大して変わらないっすよね!?しかも素潜りの方がキツいじゃ無いっすか!ってそういう話じゃないっす!!何がいるかわかったもんじゃないんすよ!?」
「糸で結んでおいてやるから、危なくなったらその時はお前を釣り上げてやる。」
「そんなんで信用できるわけないっすよね!?」
無理難題を押し付けてくる黒条に猛反発していると、僕と同じように一興を求めていた周りの同期達も一緒になって脱げ脱げと
「よし、準備できたな。何かあったら糸を引っ張って教えろよ。」
「心配してくれるならまず止めて欲しかったっす!!」
暴君と成り果てた黒条に対し抗議するも、もう遅い。素っ裸のまま胴上げされ、今まさに海に放り出されようとしていた。
「おーい!待ったかーい!」
すると、遠くの方からエンジン音と共に一人の男が、水上バイクに乗って飛沫を上げながら
「ふい、悪いね待たせて。こいつがなかなかエンジンかからなくて、いやあ参った参った。ところで、いくら天気が良いからって、全裸だと流石に風邪をひいてしまうよ、山葵君。」
水上バイクを船の横に着けた男は、
「だれが好き好んでこんな格好するっすか!それにこの状況!明らかにおかしいっすよね!?」
「うん?別に君を
それを聞くが早いか、眼の色を変えた同期達は、こちらの心の準備が出来てもいないのに掛け声を始め、威勢良く僕の体を空に打ち上げた。少々の浮遊感の直後、ドボンと音を立てて全身が海水に浸かる。つい先程まで日の当たる場所にいたものだから、冷たくって仕方ない。反射的にもがくと、すぐさま酸素を求めて顔を海面に突き出す。
「ぶは、冷たっ!マジ冷たいっす!てか寒い!」
あまりの冷たさに喘ぐ僕のあられもない姿を見て同期達は一斉に笑った。別に笑うのはいい、それより早く引き上げて欲しい。
「なんだ、ダイビングの練習かい?皆に手伝わせるあたり、君は余程のビビリというわけかな。」
その言葉にカチンときて、何故か着ている白衣の裾を思いっきり引っ張る。流石鍛えているだけあってあっさりとはいかなかったが、それでも不意打ちは成功したようで、水上バイクごとひっくり返った芹沢教官は全身に冷たい潮水を浴びることになった。まだまだ悪ノリが終わらない同期達はそれを見てまた一斉に笑った。
「あららずぶ濡れだ。まあ艦娘さん達の気分を味わうのも偶には悪く無いかな。」
悪戯を咎める訳でもなく、びっしょりと濡れて重たくなった袖を持ち上げてヒラヒラさせると、何事も無かったように船に上げてくれと手を伸ばした。怒っても良い場面なのにそれをしない、あまりに感情の沸点が違い過ぎるので、もしや宇宙人なのではと妙な疑いをかけてしまうほどだ。(まあそれを言ったら、僕が身包み剥がされようが何されようがずっと釣り糸と睨めっこして釣りに専念し、更に教官が来ても船頭に借りた包丁で魚を捌いているような宇宙人が若干一名いるのだが、あれはもう言っても仕方あるまい。)教官の反応に対し勝手が違ったのか、同期達は面食らって急に大人しくなってしまった。
「それでは諸君、出発するぞ!」
どこに?と言う問いに対しては、何故今僕らが深海棲艦の
『さぁて今日諸君に見せるのは、なんとなんと!深海棲艦の
いつもに増して興奮した様子の教官が取り出してみせたのは、彼が言う通り深海棲艦の、それも艦載機と呼ばれる種の冷凍された死骸だった。弾痕が生々しく残り、余計にグロテスクになったそれに、最初はほとんどの生徒が難色を示したのだが、あまりに教官が見ろ見ろ言うものだから、次第に根負けしてちょっとした鑑賞会のような形で見物が始まった。すると、実物の、それも水上艦に分類される深海棲艦を見たことが無かったらしい生徒の一人が、
『教官、我々の祖先はこんなちみっこいのに敗れたのですか?』
なんて口走るものだから、それからが大変だ。
『そんな馬鹿な、母艦はもっとずっと大きいよ。まさかとは思うけど君、本物を見たことが無いのかい?』
『はい、ありません。』
『なんてことだ…軍人、それも士官を志す者が集まるこの場所で、本物の深海棲艦を見たことが無い?一体君の母校の学長は何をしていたと言うんだ……けどまあ過去についてあれこれ言っても仕方ない、大事なのはこれからさ。今からだって遅くは無い、この後学長殿に掛け合って本物を見せてあげられるよう頼んでみよう。君も一度は見て見たいだろ?そうだ、折角だからここの全員を招待しよう。遠慮することは無い、研究用に貸してもらってる船なら十分余裕を持って乗れるし、懇意にしてる漁師さんも素晴らしい操舵手さ。行くとなれば護衛に艦娘さん達も付けてくれるだろうから、安全面では心配してくれなくても一向に構わないよ。深海棲艦を生で見れて、その上艦娘さん達ともお近付きになれる、好奇心旺盛な若い君たちにとってまさにこの上なく素晴らしい船旅だろ?これは是非とも行くべき、否絶対に行かないと!こんなビッグチャンス、卒業して働き始めたらまず巡ってこないんだ、休んだりしたらその後の人生は悔恨に塗れた悲惨なものになるだろうね。知ってるかい?イ級ってのはその辺の近海を単艦で
なんて何故かその場にいた全員の強制参加を仰せつかった上に、この後も延々話が続いたので、僕らはまるで抵抗できなかった。そして結局、芹沢教官は見事に学長を説き伏せ、僕らを海の上に連行したのだった。説得する際、学長を含む他の教官方は生徒達を危険極まる海の上に連れて行くことに猛反発をしたそうだったが、芹沢教官はまるで怯むことはなかった。その自信は一体どこから湧いて出てきたのかと誰もが疑問に思っていたのだが、理由は比較的簡単だった。紫の存在だ。
『艦娘さん達の護衛に加え、あの深海棲艦を殺した英雄である天凪 紫君が同行してくれれば、隊からはぐれた下級の個体くらいしか彷徨いていない近海に行くくらいどうという事は無いはずですよね。』
そう言って、渋る他の教官達に強引に首を縦に振らせたらしい。一生徒に教官と十人余りの生徒の命運を任せるのに抵抗があっただろうが、紫には既に元帥自ら表彰するほどの実績を残しており、また紫が元帥と繋がっているという噂もあって、うかつに彼の力を信用しないとは言えなかったのだ。自分の我儘を通すのに友達が利用されて良い気分はしないが、紫本人は気にしないと言っていたので、大目に見ることにした。少しは気にしたらどうだと言ってやりたいが、彼にとっては本当に《どうでも良い》ことなんだろう。
そんな訳で、今現在僕らの乗っている船は更に沖の方へ向かっていた。誰も釣竿を手にする者はなく、風は吹けども張り詰めた空気が船上に
「おい先生!流石にもうそろそろ引き返さないと、本当にやべえ所まで行っちまうぞ!」
どうか深海棲艦と遭遇しませんように、と口には出さないがほとんどの同期達が各々の神に祈りを捧げ始めた頃、眉間に皺を寄せた船頭が撤退を進言した。普通ならばとうの昔に引き返すところを、そんな素振りを全く見せなかった芹沢教官に黙って従っていた彼も、いよいよもってその表情に余裕が見られなくなった。長いこと海と共に暮らしているからわかるのだろう、これ以上進むのは本当に危険だと。だが、そんなことで諦めるような人じゃないのが芹沢教官だ。駄々っ子のようなふくれっ面を作ると、反論を始める。
「何故だい、まだ一瞬たりとも深海棲艦を見ていないじゃないか。それに一度は人類を滅ぼした怪物を見に行こうっていうんだ、最初からこの旅が危険なことは重々承知さ。しかし、虎穴入らずんば虎子を得ずという言葉がある通り、私には多少の危険を冒してでも彼らに伝えるべきことがある!私は彼らに釣りをさせるためだけに、彼らの休日を潰してまで連れて来たのでは断じてない!」
大方予想通りの反応を見せる芹沢教官だが、それでも船頭は譲ろうとしない。こちらも負けじと論争を始めてしまった。
「この船の舵を任されてるのは俺だ、つまりこの船に乗った奴ら全員の命は俺が預かってるってことだ。こいつら若えもんの命を守るのはお前じゃねえ、この俺だ!人生命あっての物種だろうが、先生の我儘でこいつらの芽を摘もうってのか!?」
「それはおかしいな、僕は君に命を守ってもらっているのではない。君も僕も、周りの艦娘さん達に守られているんだ。彼女達がいなかったらここに来ることはできなかったよ。」
「話を逸らすんじゃねえ、こっちはあんたの一存でここにいる全員を危険に晒すつもりかって聞いてんだよ!」
「ふん、下級の深海棲艦に出くわした程度の危険なんて危険とは呼べないね。駆逐艦程度なら、あそこにいる駆逐艦の彼女一人でも十分対処可能だよ。」
「万が一対処できないようなのが出たらどうすんだよ!?ああもういい、引き返すぞ。」
「なら僕一人だけでも行くまでさ。この旅を有意義なものにしたい人はついて来るといい。」
「あ、てめ!勝手に降りるのは…」
「芹沢教官!あれ!!」
案の定海に飛び込もうとした教官を呼び止める船頭の声を遮って、突然同期の一人が水平を指差してそう叫んだ。指し示す方角を見た芹沢の顔がみるみる輝き出す。まるでクリスマスの朝にサンタクロースからの贈り物を見つけた子供のように爛々と目を光らせ、身を乗り出して歓喜の声を上げていた。
「おお!やっと見つけた!君たちも見たまえ!」
「ばっ…!先生静かに!見つかっちまうだろ!」
空と海の境目に姿を現した幽鬼のような黒い影。間違いない、芹沢教官が待ちに待った深海棲艦だ。それも一隻ではなく、4隻の艦隊を組んでいる。恋い焦がれたそれの登場に大いにはしゃいで大声を張り上げる教官は、船頭の忠告など耳にも入らないといった様子で、もはや誰にも止められそうになかった。一体どうして、こちらを見れば間違いなく命を奪いにくるであろう相手にそこまで多大な興味関心を持てるのか、この場にいる全員が理解に苦しんだことだろう。
「やっぱり来た甲斐があった、しかも運が良いことにあれは水雷戦隊だ、これは良いものが見れるよ。」
「冗談じゃねえ、一目見たならもう良い加減引き返すぞ!」
「まだ見学は終わってない、これから戦乙女達との戦闘を直に見てもらうよ。この先二度とあるか無いかの貴重な機会さ、みんな十分目に焼き付けておくように!」
そう言うと、教官は無線を取り出して艦娘と思われる相手に指示を飛ばした。そしてその指示に答えるように、周りの護衛の艦娘達が深海棲艦の艦隊に向かって駆けていく。颯爽とした迷いのないその動きに、先ほどまで震えたいた同期達も色めき立ち、声援を送り始めた。帰りたいムードに溢れていた船上はいつの間にかスポーツ観戦の場のような雰囲気になり、意地でも説得して帰ろうとしていた船頭は、何も言えなくなってしまう。
「さて諸君ここで問題だ。相手は全部で4隻の水雷戦隊、今から代わる代わるこの双眼鏡で20秒の間観察して、識別名を全部答えてもらうよ。答えはみんなが見終わった後に……」
「軽巡ホ級、駆逐ロ級、加えて駆逐イ級が2隻です。」
同期達が乗り気になったのを見計らって、呑気にクイズなんかを始める教官の言葉を遮り、今までずっと黙って水平を眺めていた紫が、そのクイズに答えてしまった。教官は驚いて目を丸くすると、すぐに微笑んで彼に拍手を送った。
「流石だね、ご名答だよ。それにしても、僕でさえこの距離では、肉眼で漠然と艦種が判別できるかできないかなのに、随分と良い目を持ってるね。まるで鷹みたいだ。」
その賛辞をどう受け取ったか、褒められようが貶されようが微塵も変わらないその表情からは読み取れはしない。芹沢教官も、そんな紫からすぐに興味を失ったように、深海棲艦の判別の仕方をレクチャーし始めた。ただ戦闘の模様も気になるようで、身が入っていない。
爆ぜる火花と幾度も立ち上がる水柱に目を凝らし、少し遅れてやってくる轟音に耳をすませて、時折声援を送りながら戦況を眺めていると、不意に紫が反対側の水平を見つめたまま固まってしまった。
「どうかしたっすか?」
「妙な音がします…」
「妙な音?」
耳に手を当てて紫が聞いているらしいそれを聞き取ろうとするも、聞こえてくるのは同期達の声や波の音、あとは砲の音くらいだ。だが紫の事だ、その心の声さえも聞き取っていそうな程異常に発達した聴覚で、人間の拾うことができない微細な音を聞いているのだろう。
人間では到底及ばない膨大な情報が耳や目から入ってくるとは、どのようなものなのだろうか。興味はある、あれば本当に便利な物なのだろうと期待もする。けど、実際そうなりたいとは到底思えなかった。聞かなくて良いもの、見えない方が良いものは、この世にごまんと存在するし…それになにより、そんな色鮮やかな世界に住んでいるはずの紫は、あんなにもつまらなそうだから。
艦娘達の戦闘の様子を、恐怖を忘れて興奮しながら見入る同期達の横で、紫は水面から目を離さない。その様子を黒条も不審に思ったのだろう、どうしたとこちらに歩み寄ってくる。
「水面下で、何者かがこちらに接近しているおそれがあります。」
「水面下…潜水艦か?」
「正体を考えるなら、それが一番線として濃厚でしょう。」
「数はわかるか?」
「2隻以上いるのは確かですが、場所もイマイチ掴めません。」
「そうか、だがそれなら早くここから離脱を…」
「っ…!下がって!」
紫が叫んだ途端、ズダンという激しい音が鳴り、船体がぐらんと大きく揺れた。魚雷か何かが衝突したのかと錯覚したが、船底に穴が空いた様子はない。どうも紫が跳躍する際にとんでもない力で踏みつけたのだろう、気がつけば紫の姿は先ほどまで紫が耳を傾けていた海の上にあり、その手には紅の焔に包まれた刀が握られていた。
「何があったんだい!?」
「紫が敵の潜水艦を発見したようです!」
「潜水艦だって!?…うわっ!」
落ち着いて状況報告をする間も無く、今度は紅い閃光が落ちた先で巨大な水柱が立つ。再び大きく揺らいだ船上では、あまりの揺れに皆がしゃがみ、振り落とされないよう体を固くしていた。
海の上に降り立った紫は、素晴らしい瞬発力と膂力で船に舞い戻ると、囲いにしがみつきながら海面に顔を突っ込むんじゃないかというほど身を乗り出して潜水艦の姿を探す芹沢教官から、無線機をひったくって強引に艦娘達の指揮を交代した。そんなことをしても良いのかと思ったが、紫は実際に海上で彼女達の指揮を執ったことがある。少なくとも自分の身を顧みないどこかの阿呆より良い指示を出せるだろう。
「敵潜水艦を発見しました、戦闘を中断し今すぐ迎撃に向かってください。そちらは僕が請け負います、今は乗員の安全が最優先です……船長!今すぐ港に引き返してください!」
「ああ勿論だ、全員しっかり掴まっておけよ!」
「そんな、まだ潜水か…ぐっ!」
「貴方には少し眠っていてもらうぞ。」
この後に及んでまだ帰りたがらない駄々っ子を黒条が手刀で気絶させると、誰も反対する者のいなくなった船は全速力で離脱を開始した。ただ一人、深海棲艦と戦いに行った紫を除いて。せめて何か一言声援を送ろうとしたが、海の上を疾走する彼の姿は瞬く間に声も届かないほど小さくなってしまった。今の僕にできることと言えば、無事に帰ってくるのを祈ることだけだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
深夜2時、ガチャリという音を拾ったマイクに促されて電源を入れると、カメラにこの部屋の住人であるマスターこと天凪 紫が映った。二日前の朝に沖に出ると言って出て言ったきり連絡もなく、身を案じて待っていたのだ。今日中に帰るという約束を破るほどなのだから、よほど大変なことがあったのだろう。そんな彼に労いの意を込めて出迎えの挨拶をしようと思ったその時、彼の容姿に思わず絶句した。
「ああマスター…マズイですよ、大変なことになってますよ……」
身にまとっていた服には幾多もの焦げ跡と穴が空いていて、最近付けたばかりのニオイセンサーが凄まじい焦げ臭さを感知している。乾いた血がべったり付着して、ボロ雑巾のようになったそれを染めていた。そして何より彼の足取りはフラフラとしておぼつかなく、その火傷と傷痕だけの顔には生気がない。転倒でもしたら、そのまま塵になって消えてしまいそうだった。
疲労の色が濃い彼は、壁伝いにこちらに向かって歩いて来ると、力尽きたのか糸の切れた人形のように崩れ落ち、画面の前で突っ伏してしまった。幸い塵にはならなかったが、長いことそのままだった。
こんなボロボロの姿で帰ってきたことは、以前もあった。だが、通常であればどんな戦闘をしてきたところで、全部完璧に治して綺麗な体で帰って来る。それができなかったというのは、本当につい先ほど帰って来られたからなのだろう。
「一体、何があったのですか?」
呼吸のパターンが睡眠時のそれと一致しなかったので、起きていることはわかっていたが、彼がその問いに答えられるようになるまでには、これまた随分と時間がかかった。マスターは一度長いため息を吐くと、大義そうに起き上がって座った。
「…深海棲艦見学ツアーで
「何故殿なんてマスターが務める必要が?護衛に艦娘の一人もいないのですか?」
「いたよ、いたけど潜水艦にも襲われて、そっちの相手してもらってたから……まあいいや、それよりただいま」
「はい、お帰りなさいませ、マスター。」
不運極まる話を聞いて、つくづく海に愛されない人だなと感じた。今の時代海なんてものは魔境そのものではあるのだが、それでもマスターは常人に比べれば異様なまでに海でトラブルに遭うことが多い。まあそれでもこうして生きて毎回帰って来るのだから、愛されていないわけでもないのかもしれない。そんなことはさておきと、話す気力も出て来たらしいので怪我の具合などを聞いてみる。応急処置で対応はしてあるようだが、片腕の損傷が激しいようで、酷く痛むらしい。
「何時ものことだよ、これでもまだ軽い方…」
「これで軽いとなると、比較対象は死に目では済まないレベルでしょうか…」
「腕が落ちたり、全身串刺しになったり、脇腹が無くなったり…」
おおよそ生存が危ぶまれるであろうレベルの負傷をさも当然のように並べ立てて話すマスターは、それを異常だと認知していないように見えた。無理やり笑い話にしようと、自分の負傷を冗談めかして話すケースがあるのは知っている。だがそれは聞けば誰もが眉をひそめるようなものであるとわかっていて、相手に心配をかけまいとするが故の行動だ。だがマスターの場合、自身が傷付く事に何も感じていない。まるで自分は傷付くためにあるのだと言っているようなものだ、人間としての心の構造がかなり歪なものになっている。
「ご両親へのメッセージを、代筆する方の身にもなってください。」
「いつも嘘ばかり書かせて、いつの間にか随分と悪い息子に育ってしまったね…」
自嘲気味にそういうマスターの顔には、かつてのような表情の変化はまるでない。今も後生大事に持っている刀と出会ってからというもの、マスターは様々なものを失っていった。何か一つ守る度に、何かを失う、それを繰り返すことは決して人間の生き方では断じてないだろう。そういうのは兵器の仕事だ、使われる度に磨耗していずれ捨てられる、自分を生み出した聡明で器用なマスターがなって良いものではない。
「もう、逃げても良いのではないですか?」
戦わない道だって、それこそ幾らでもあるし、マスター程の知性があれば可能性も無限大だ。無理をして、それが当たり前になって、いつか限界を迎えて呆気なく終わるなんて勿体無い生き方をして良い人間では無いはずなのだ。けど、妙なところで頑固なマスターは、そう言った自分の言葉にはまるで耳を貸してくれない。
「僕が殺めた人間の数は?」
「いません、たとえいても誰も認知していません。」
「バレなければ良いってものじゃないし、殺された方は皆僕を恨んでるよ。」
「死体に感情なんてありません、あれらはただの有機物の塊です。」
「いや、骸から離れた感情は、いつまでも残るんだよ。」
こんな風に、と言って抜いた刀の刀身から、黒い靄のようなものが溢れ出した。画面の明かりに照らされた薄暗い部屋の中でもハッキリとわかるほど濃く澱んだ闇は、煙のように搔き消えることなく、マスターの体表を舐めるように纏わりついていた。
「誰も許してくれないんだ…お父さんも、お母さんも、兄弟達も、友達も……だから、せめてもの罪滅ぼしをしないと。」
それが自分の破滅だとすれば、それは家族でも友人でもないだろう、生者の幸福こそが死者の願いだと聞いたことがある。過去に囚われ過ぎて、前を見れていないのだ。だが、自分が何を言おうとも彼の心には通じない、心を持っていても彼がそれを仮初めだと言ううちは、決して……
せめて、腕の一本でもいいから欲しい。無骨で不器用でも構わない、彼の心にアプローチする手段が、もっと欲しいと思った。今の彼には誰も触れられない、それが余計に彼の心を頑なにするのなら、自分だけでも彼に触れることで、どうにかできないだろうか。
こちらの気もまるで知らないマスターは、やがて疲れたと言って、布団に入ることもせずに再び画面の前で突っ伏して、それから寝てしまった。
「お休みなさい、マスター」
どうもお久しぶりです、まだまだ春は訪れる様子がありませんが、皆様のご体調の方はいかがでしょうか?僕はつい最近まで咳が止まらずほんの少し苦労しましたが、まあそこそこ元気にやっております。
さて、今回は久しぶりにあのコーナーをやりますよ〜、なんてたって色キャラの登場ですからね。それでは芹沢教官の紹介です
芹沢梔子
読み方:せりざわくちなし
名前の由来:梔子色そのまんま、そして苗字は個人的に学者=芹沢というイメージがあるから
自由奔放で我が強い。譲歩する事を知らないので、その性格に振り回された人は星の数とも。深海棲艦の研究に非常に熱心であり、またその偏愛ぶりから変人として認識されている。けど本人は全く気にしない。好き嫌いも激しく、キノコ類が嫌いとかどうとか
梔「やあどうも皆さん、ご紹介に預かりました芹沢梔子です。」
他「……」
梔「あれ?ここは何か聞きたいこととか、そう言った話題について触れていくことで、僕のことをより深く知ってもらおうとする場じゃないの?」
紫「このコーナーが僕の記憶の通りのものなら、間違い無くそれはないでしょうね。」
メ コクコク
梔「何だいそれ、なら呼ばれた意味が無いじゃないか。今日は大学に行って打ち揚げられた深海棲艦の死骸の解剖の手伝いをするはずのところを、態々時間を取って来てるんだけどな。随分と状態が良い死骸らしくてね、昨日は興奮して眠れなかったよ。普通深海棲艦って、砲撃で沈む時爆散するから死骸がそのまま残ることって非常に稀なんだ。目立った外傷も無かったみたいだから、寿命を全うしたか、病死したか、はたまた餓死したか、ああもうこうして妄想するだけでも楽しいね。紫君はどう思う?深海棲艦に寿命なんてあるのか、病に侵されるのか、腹を空かせるのかなんて、殺す時はそんなこと考えもしないだろう?まあそのどれもが未だ謎に包まれているから、考えようにも発想に至らないのは無理な話でもないか。けど同じ地球に生まれた生物なんだし、当然生命維持に必要なことは行っているはずだから…」
作「ああもうストップストップ、ここ仮にも後書きの場所なんだからその辺に!」
梔「何故だい、何故そんな小さなことで私の学術的興味関心を妨げられないといけないんだい?そうやって一々人の言うことに口を挟んで…」
紫「手首を捻るようにして…打つべし!」
梔「グフッ…」バタン
メ「グフですって、陸専用ですね。」
作「助かったよ紫君。」
紫「全く、少しは御し方くらい知っていそうなものだけど……お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした、また次回もお楽しみに。」