序章:温もりを忘れた青年が提督になるまで   作:影乃と月ノ神

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前書きの再編集中、ネタが切れてしまい書くことががが……




8:戦役の終わり

 ねえ!あっちに行ってみようよ!

 

 

(ここは…)

 

 

 ほら見て!こんな所にでっかいカニがいる!

 

 

(何で、こんな小さい僕が…)

 

 

 ひゃあ冷たい!

 

 

 やったなー、それ!それ!

 

 

(知らない、何だこの記憶…)

 

 

 あ、見て!海なのにカラスが飛んでるよ!

 

 

(いや違う、あれはカラスなんかじゃ…)

 

 

 こっちに来るよ!もっと近くで見てみよ!

 

 

(駄目だ、そっちに行ったら…)

 

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 

 波の優しいリズミカルな音と、肌に焼けつく陽光の刺激で、紫は目を覚ました。頰の下には粒の細かい砂の感触があり、それによって今現在浜に寝転がされているのだと理解する。覚醒し切らない頭を振るい、一体どのような経緯でこの場にいるかを詮索する。

 

「確か、海の上にいて……」

 

 何か恐ろしいものに対して誰かと……

 

「そうだあの女の子は…!?」

 

 失念していた記憶の全てが、バネを仕掛けられた箱の中身のように、記憶にかけられた(もや)を突き抜けて舞い戻ってくる。記憶の通りなら、紫は先ほどまで洋上にて負傷した艦娘の少女と共に、海中の暗殺者とも言うべき敵潜水艦の撃退を目論みながらも、力及ばず一体しか撃沈できずに返り討ちにあったはずだ。

 

 その際、体力に限界がきて水面の上に座り込んでいたら、いつの間にか真下まで迫っていた魚雷に吹き飛ばされてしまったのだ。

 

 しかし、どういうわけかそこから先の記憶が無い。先のように(もや)がかかって不透明になってしまったのとは違う。つまり、思い出せないのでは無く、どうも完全に抹消されてしまったような感覚だ。故に、喉の下あたりに引っかかって身悶えするような狂おしい気分にもならず、ただあるはずと思い込んでいた物が無い物なのだと知らされるばかりである。

 

「……仕方ない、それよりもあの子を探さないと!」

 

 あの暴力しかない熱と水飛沫の奔流を受けた後、その余波を受けた少女は気を失ってしまったはずだ。最悪の場合、命を落としている可能性すらある。仮にそうで無かったとしても、まともに航行することも、況してや背に背負った偽装を捨てて泳ぐことすらままならないはずだ。ともすれば、彼女を待つ運命は非情な悪鬼にその命の火を掻き消される以外には無い。だが、そうであって欲しく無い自分の中のどうしようもなく臆病な部分が、それを否定されることを望んでおり、自分と同じように浜に転がっていないかとしきりに波打ち際に視線を這わせる。

 

(どこだ、どこにいる?頼む、お願いだから助かって……あれ、もしかして…)

 

 体に波を盛大に被りながらも、力なく横たわっている小さな体躯の少女がチラとだけ視界に移った。その瞬間、脳で考えるより先に、それこそ脊髄反射でも起こったかのような反射力で足が少女の元へ向かう。何も考える暇も無かったせいで、足を海水でぬかるんだ砂地にとられたが、それで体のバランスが失われかけようとも、体は前に突き進んだ。何がそうさせたのかは理解できない、見ず知らずの少女に対して、今の紫は周囲から見れば異様なまでに執着心を見せていた。

 

「大丈夫?しっかり、僕の声が聞こえる?」

 

「意識が無い、呼吸は……無い、脈拍微弱……」

 

 水を飲んでしまったのだろうか、それかショックを起こしたか。後者であれば魚雷を受けた時に起こった可能性が高いので、彼女の命は絶望的と言わざるを得ないだろうが、幸いにして水を被った体はまだ少しばかり温かい。一刻を争う事態ではあるが、救える可能性はあるということだ。女性、それもまだ年端もいかない少女の唇を、寝込みを襲うような形で奪うことに対し意識のない彼女に短く詫びを入れて、すぐさま心肺蘇生を行う。除細動器があれば欲しいところであるが、手元に無いなら仕方ない。目の前の彼女が、なんらかの心因性の疾患を患っていない限り、それが無くとも(いずれの場合でも万が一のことを考えて使用すべきだが)蘇生術を施すことは可能である。

 

 今更ながら、来た時と同じ穏やかな海が広がっていることに安心感を覚え、蘇生術の妨げになるものがないことにしこたま安堵する。波のかからない場所まで移動し、少し顎を上に上げて気道を確保、依然として呼吸が確認できないので、早速人工呼吸から開始だ。少女の鼻を摘み、唇ごと覆うようにして口を当てがい、しっかりと胸部が上がるのを確認できるまで二回吹き込む。その後、毎分100回のペースで鳩尾の上辺りを圧迫する(毎分100回の間隔がわからない場合は、旧時代の子供は誰もが知る、例の顔がパンでできたヒーローのテーマソングのリズムを思い出せばいいだろう)。それを30回行ったら、再び人工呼吸を同様に二回、それが終わったらまた胸部を圧迫、とこれを患者が動くまで繰り返す。

 

(頑張れ、きっと助けるから…)

 

 度重なる胸部圧迫はかなりの重労働だ、少し日が傾き始めた頃合いとはいえ、額から汗が噴き出てくる。体力に限界を感じながらも、それでも何度も何度も粘り強く繰り返していく。周囲に他に頼れる者がいない中、手を緩めることは断じて許されない。

 

 同じ工程を何度繰り返したかも忘れた頃、今まで何も反応を見せなかった少女が、急に咳き込み始めた。

 

「よし!良かったぁ!僕の声が聞こえる!?」

「ケホッ……?」

「聞こえてるんだね、良かった…何がなんだかわからないだろうけど、とにかく無事で良かった…」

 

 意識の戻った少女の瞳を見て、それまで忘れつつあった全身の疲労が、頭上から降って湧いたようにのしかかってくる。まだ少女が本当の意味で助かったとは言えないというのに無責任な話だが、一生分の運動をしたかのような錯覚にさえ陥るような凄まじい倦怠感に、逆らう気力も出ず少女の傍に伏す。あまりに疲れすぎて、眠りに就こうと目を閉じても逆に目が冴えてしまう始末だ。

 

 

「紫ー!!」

 

 耳に馴染んだ友人の声が聞こえてくる。騒ぎが収まったのを感じて、迎えに来てくれたのだろう。まったく、まだ脅威は去っていない可能性だってあるかもしれないというのに、危険な橋を渡っていることに気づいていないのだろうか。まあ、怪我をしているのにも関わらずこうして来てくれるのはありがたいことではあるし、既に深海棲艦が撃退されていたから問題無いという結果論がまかり通ることに異議を挟むつもりは無い。それに今は少女にしかるべき機関で入念な治療を受けさせる必要がある。蘇生術に成功したとは言え、既に彼女の体は傷だらけなのだ。そうした意味で、ここでの第三者の登場は非常に助かる。

 

「……?」

「大丈夫だよ、あれは僕の友達。それはそうと、辛いところ悪いんだけど君の所属を教えてくれるかな?君のことを治してあげるにはそれがわからないとどうしようもないからね。」

 

 一見すると人にしか見えないが、やはり艦娘というのは我々人間とは一線を画すらしい。そこいらの医療機関では受け入れられないのだと以前耳にした。代わりに、彼女らが属する基地施設内に専用の処置室があり、そこで戦いに傷ついた体を癒しているのだそうだ。

 

 少女は、休む間も無く所属を問うてくる紫に文句も悪態もつくことなく、辿々しくではあるがきちんと答えてくれた。どうやら、ここいらではかなり有名な軍施設の所属であるらしい。近くにあるのが、今訪れている廃墟とそこだけというのも関係していなくはないが、それでも紫自身幾度もその名は耳にしてきた。

 

「横須賀第三鎮守府か、確かここは第四だったっけ…」

 

 その名の通り、旧時代史にその名を残した第日本帝国海軍が有する四大鎮守府、その一角を担う横須賀鎮守府から名をとった鎮守府だ。横須賀第一鎮守府には及ばないものの、第二鎮守府とは肩を並べる、人によっては第二鎮守府を上回るとまで言われるほどの実力を持ち、しばしばニュースを賑わせていた。

 

 それを鑑みれば一人で三隻もの深海棲艦を屠った少女の強さにも納得がいくなと考えていると、先程紫を呼んだ本人が、足を引きずりながらも懸命に駆け寄ってきた。

 

「紫大丈夫!?服が血だらけ焦げだらけだよ!?」

 

 開口一番に、今の健康状態にそぐわない身なりを友人に指摘される。確かに、改めて見れば生乾きの血の赤黒い茶色、重油のべたついた黒のマーブル模様に元の生地の色がわからなくなるほど衣服を染色され、さらには至る所に焦げ跡が穴を開け、ズボンは裾が短くなっている。そんな有様にも関わらずケロリとしている紫を見て、茜は多少なり面食らってしまっているらしかった。

 

「僕なら心配いらないよ…多分。かなり疲れたけどね。」

「そ、そうなんだ……この子は?」

「深海棲艦をほとんど倒してくれたんだ、僕らの恩人だよ。でも、だいぶ傷ついてる。今さっき蘇生術を施したばかりだから、早いところ手当てしないと。僕の携帯ある?」

「あ、うん持ってるよ。確かポケットに……あれ、今蘇生術って言った?」

「言ったよ、助けられて良かった。」

 

 刹那、空間が捻じ曲がる程の凄まじい圧力が全身を襲った……気がした。けれどもそれと同時に茜の整った顔が般若の面を被ったようにさえ感じられた。途轍も無い鬼気だ、ほんの一瞬のことなのに背中から冷や汗がブワッと噴き出してくる。

 

「紫君、何か言わないといけないことがあると思うんだ、私。」

 

 そう言って、笑ってるように見えない笑顔で横たわる少女に目を向ける。視線の先では、あまり意味がわかったなかった様子の少女が、蘇生術という言葉を反芻しており、やがてその意図を理解したかのように目を見開いて、自分の小さく艶やかな唇を手で抑えて体ごと明後日の方向を向いてしまった。髪の間からちょこんと覗く耳が、みるみるうちに熟れたイチゴのように紅く染まっていく。

 

「あ、えっと…別に邪な事は一切考えてないんだけど……」

「だけど、なあに?」

「あの、その……」

 

「……大変、申し訳ありませんでした。」

 

 当然、落ちかけた命を救ったというのに、頭を下げなくてはならいという状況に不条理を感じないわけがなかったが、それを言ったところで、余計に茜の逆鱗に触れる事はもっと好ましくない。

 

 怒れる友人と、恥辱に震えてこっちに顔を見せない少女。そのどちらに向けていいのかわからなかった紫は、結局茜と少女の間に空いた空間に向かって頭を下げたのだった。

 

「はぁ…まあ私はその子が許してくれるなら別にいいけど!」

 

 とか言いつつ全然許す気を微塵も感じられない態度で、紫がヨシカワさんに預けていた携帯を返してくる。その言葉のおかげで、少女に対しかなりの後ろめたさが発生するが、それをどうにか振り切って第三鎮守府に向けて発信する。

 

 電話に出たのは、第三鎮守府の提督を名乗る優しそうな、悪く言えば文官のような物腰の男性だった。紫は、今回の騒動のことを簡潔に話すと、少女の身柄を引き取りを願い出た。

 

『わかりました、こちらでも電の行方がわからず困っていた所です。それを保護していただいた上に命まで助けていただき、本当にありがとうございました。すぐに迎えを出しますので、お手数でしょうけどそれまでもう少し側にいてやってくれませんか?』

「構いませんが、それはどうしてでしょう?」

『彼女はとても寂しがり屋なところがありましてね、それに負傷して心細く感じていると思うのです。』

「わかりました……あ、あの、蘇生術のことで…」

『命には代えられません、電にもそれはわかるでしょう。』

 

 そう言うと、男性は事後処理があるとのことで通話を切った。何を言われるのかわからなくて正直ヒヤヒヤだったが、流石大人といった対応だろうか、茜とは大違いである。(口が裂けてもそれを口にはしないが)

 

「私達どうすればいいって?」

「すぐに迎えが来るみたいだけど、それまで電ちゃんの側にいてあげて欲しいって。」

「そっか、怪我してたら一人じゃ不安だもんね。」

 

 思ったことをズバリ言い当てられて恥ずかしそうにしている『(いなづま)』と呼ばれた少女に、茜が近づく。すると、急に電の顔を瞬きする時間すら惜しんでマジマジとその顔を覗き込んだ。

 

「うーん…」

「な、なんですか…?」

 

 正直(はた)から見ればかなり、というか完全に怪しい人のそれである。不躾極まりないと言っても過言ではなかろう。極め付けは電の表情であり、だんだんと恐怖で引きつり始め、涙まで溜まっていく始末だ。

 

「あ、茜?電ちゃんすごく怖がってるみたいだけど…」

「可愛い!!」

「……へ?」

「この子すっごく可愛いよ!私の感性にビビビッときちゃったよ!そんなことはさておき私の妹に是非欲しいよ!」

 

 そう言って、呆気にとられている紫を放って、困惑しまくり茜の言動に振り回されまくりの電を抱き上げる。

 

 まあ、確かに電は可愛らしい少女だ。100cm程度しかない背丈もさることながら、将来が楽しみになる成長し切っていないあどけなさ健在の顔のパーツ、庇護欲を掻き立てられること請け合いなハの字気味の眉、クリリとした金色の目、彼女のフワフワとした雰囲気にベストマッチした栗色の髪の毛、似合い過ぎて自然に見えるが実は俗にいうおばあちゃんヘアーな髪留めの使い方、輪郭に沿って手を滑らせたくなるポワポワとした頭部…うん、これは可愛い。

 

 しかしながら、先の茜の発言は撤回させねばならない部分があった。軍属の、それも艦娘の少女を家族として招き入れたい、というのは不可能である上に法にも触れることである。それを言い出そうとするが、まくし立てる茜の言葉に、その隙がうかがえなかった。

 

「ね、私の家に来ない?うちは一人っ子だし、お父さんとお母さんも絶対可愛いって言ってくれるよ!」

「え、ええと…」

 

 茜の無邪気な好意を思う様ぶつけられて、自分の言いたいことを言い出せないでいる電。これはいけないと、紫は上手く助け舟を出した。

 

「ちょっと茜、無理に決まってるでしょ。電ちゃんは海軍の所属だよ、深海棲艦と戦うのが電ちゃんの仕事なんだから。」

「いや、この子なら平和な暮らしにも柔軟に対応できると私はふんだ!」

「そういう問題じゃないって…」

 

 今の茜は少々暴走気味のようだ、この状態を上手く抑えられたことは数回しかない。だが若気の至り、などという言葉で片付けられるほど簡単な事案ではないので、これは是が非でも止めねばならない。あれこれ手を変え言葉を変えて説得に取り掛かろうとしたが、意外なことにそれをあっさり止めてみせたのが電だった。

 

「あ、あの…お気持ちはとっても嬉しいのですけど……私にはもう上に三人姉がいるので、その…ごめんなさいなのです…」

「なん……だと……」

「だってさ茜、無理だって。」

「じゃ、じゃあその三人のお姉ちゃん達も一緒に!」

「聞き分けのないこと言って電ちゃんを困らせたたらだめだって。さっきも言ったけど、電ちゃんは海軍の戦力なんだ。僕ら一般人がそんなこと言ったって、許可なんて降りるわけがない。」

「……」

 

 間髪入れない援護射撃で止まってくれたのは良いものの、完全にしょげさせてしまった。だが、仕方のない話なのだ。曲げられないものなど、この世にいくつも存在する。彼女のことを考えれば心が痛むが、今が心を鬼にする場面である。それでも、大切なぬいぐるみを愛おしむように電を抱きしめる茜の姿を見ていると、どうにかしてあげたい気持ちが沸々と湧いてきてしまう。その感情を抑え込む度に胸が茨で締め付けられたかのように痛むが、それでも耐えるしかないのだ。

 

 やがて、電を迎えに来たという彼女の姉三人(見た目年齢は電とそう変わらない)に連れられて、電は帰って行った。名残を惜しみまくって電をなかなか離そうとしない茜を見ていると、どちらが年長者かわからなくなった程だ。

 

「また会えるかな…」

「不可能ではないよ、さっき一番上の子が僕に住所聞いてきたから、そのうち何かあるかもしれない。」

 

 実は紫が一番上だと思い込んでいたのは三女だったりするのだが、それを紫が知るのはまだもう少し先のことだ。

 

「そうだ、紫に言っておかないといけないことがあったんだ。」

「何?」

 

 そう言ってくるんと紫の方へ向き直った茜、何故か妙に晴れ晴れとした表情をしている。

 

「スーハー……歯を食い縛れえ!!」

「フゲッ!?」

 

 バチンと乾いた音、紫のひどくコミカルな悲鳴が浜中に響き渡る。見事な平手だ、衝撃で紫の体は540°右回転し、顔から砂に突っ込むことになった。

 

「ブハッ、いきなり何するのさ!?」

「何するも何も無いよ!死んだと思ったんだから!勝手に庇って勝手に置いてけぼりにさせて!悲しかったんだから!!」

「でもこうして生きて…」

「偶々でしょ!?普通あんなに顔血まみれにして、その上あんな大っきい瓦礫に潰されたら死んじゃうに決まってるじゃん!!なのになんでひょっこり出てきてまた助けてくれたの!?そんでもって何も言わせてくれないですぐ行っちゃうの!?」

「それ、僕が死ねば良かったみたいに聞こえるよ…」

「そんなこと言ってないでしょ!私は、私は……」

 

 憤怒の表情でまくし立てた茜の言葉は、急に感情の行き場を違えたように途絶え、憤っていても綺麗な顔はどんどんクシャクシャになっていく。

 

「怖かったんだよ……急に化け物に襲われて、友達も何人も殺されて…見た?途中で倒れてメイドさんが教えてくれた倉庫に避難出来なかった人達がいるんだよ?もう一緒に教室で勉強したり、お昼食べたり、また明日ねってバイバイ出来ない人がいるんだよ?その中に、紫がいたら…」

 

「私、耐えられないよ…また一人ぼっちになっちゃうって思ったら、辛くて死んじゃうかもしれない…紫にはわからない?大切な人が死んじゃって取り残された人の気持ち、すごく寂しくて、辛くて、周りのことなんかどうでもよくなるくらい悲しいんだよ?もっとずっと一緒にいたかったって夜が来るたびに考えるの、もっとこんなことしてあげれば良かった、あの時怒らせなければ良かってずっと取り返しのつかないことを思い出にして振り返って後悔するの。それがどれだけ苦しいかわからないの!?」

 

 溢れる涙を堪えながら、必死に紫を喪いたくないという思いを紡ぐ茜。彼女の悲痛な叫びは、その出自によるものと知っている紫の心に鋭い刃を打ち立ててくる。だが、もう彼女の知る『天凪 紫』でなくなった紫は、刃を滑らせて血を流すそれを強引に無視し、愛に由来する痛みを歪に変えて彼女へ突き返した。

 

「なら…もう僕に関わるな。」

「……え?」

「僕がいないと死ぬ?だったら、このままでは君は僕に依存してしまう。いや、既にしているんだろうね。そんな自律の【じ】の字もできてない君の状況を僕は芳しくないと判断しようか。君の親御さんだってそうだ、娘が好きでもない男の部屋に入り浸っているなんてどう思う?僕はベビーシッターではないんだ、会った事の無い見ず知らずの青二才にどう信用を置けと?学年一位の秀才、優しい、勉強を教えてくれる、料理上手、病気を患っていて一人にしておくのは不安、僕が女性ならまだしもそんな肩書きだけで不純異性交遊にふけっていないとどうして断言できる。そのうち突然身篭ったと娘から告げられるのではないかと不安で仕方ないかもしれない、()してや君は一人っ子だ、間違いを犯されては困るという思いは余計に強いだろうね。いいかよく覚えておきなよ、不安っていうのは人を狂わせるんだ、それがどんどん大きくなればまさかで済まされていた妄想がまさかでは済まされなくなってくる。例えば、僕が病気なのは真っ赤な嘘で、家庭内で孤立している茜の気を引いてそこに付け込もうとしているんじゃないかとか、そうして寄生して僕が家を乗っ取る気じゃないか、あるいは親元に帰さないように調教して一生肉奴隷にするつもりじゃないかなんて思い始めるかもしれない。」

「そんな、私の両親を馬鹿にしないでよ…」

「いやわからないよ、賢くあれば賢くあるほど妄想は加速する。むしろこの場合に限ったら馬鹿の方が余程マシだろうね、今はまだそこまで極端な話までいってはいないかもしれないけど、茜は休日以外でどれだけご両親と顔を合わせる?ほとんど会わないんだろうね、ロクにコミュニケーションが取れてないなら僕をどれだけ危険視しているかも知らないでしょ。もしかしたらもう僕を君にバレずに殺す算段をつけてるかもしれない……まあ、確かに今のは君の御両親を大いに貶める言い方だったし、多少なり僕の被害妄想も混じってしまった、それに関しては本当に申し訳なく思ってるし、謝らせてほしい。ごめん、悪かった。」

「いいよ、そんなこと…だけどもうやめて、聞きたくない……」

 

 聞きたくないことを聞きたくない相手から散々聞かされて、既に彼女の涙腺の堰は決壊していた。だが、それでも紫は止まらない。

 

「……話を戻すけど、僕らは高校生だ。あと一年もすれば大学に行くことになる、お互い同じ所かつ近所にあるんだったら、今の状況を継続してもある程度はさしつかえない。だが、それでもある程度にしかなり得ないことは想像に難くないし、進路の行き先が違えば十中八九僕と君は滅多に会えなくなるだろうね。そんな状況下において僕がいないとダメ、ご飯も作れない、寂しい、なんて言い訳は誰も聞いちゃくれないし、誰も許さない。大人になるってそういうことだよ。まあだからと言って、今すぐにでも君を家で一人にさせるのは正直よろしくないと思うのは事実だ、学校では普通に勉強ができてるけど、お世辞にも今は治安がいいとは言えないご時世だからね。でもだからと言って、さっき言った通り君の御両親の心配事を二重三重に増やすのは君だって本意じゃないだろ?共働きでその上多忙、平日はまず顔を見ることさえできないとしても、休日に一緒にいられる時間には精一杯愛情を注いでくれる唯一無二の存在なんだから。」

「もういいよ、本当にやめて…」

「いい加減、やめるべきなんだ……確かに、ぼくも一人じゃない時間を過ごせて楽しかったさ。生まれて初めて本当に心から友達と呼べる人ができた、こんな使い道のない脳で役に立てた、一人で何とかしないとって思ってた日々に手を差し伸べてくれた時僕は……」

 

 

 

「もういいよ!!!」

 

 

 今まで聞いたことのない程の、多彩で濃密な感情が入り混じった叫びが、紫の言霊の暴走を止めた。本気の中の本気、彼女の魂の奥底から直接響いてきた本音なのだろう。そして、それが決別の合図だった。

 

「もういいよ、私のことが嫌いになったならそう言って!!邪魔なら邪魔って言ってよ!!」

「あ、いや、そんなつもりは……」

「じゃあ何!?私のためを思って言ってくれたって言ったの!?そんなの大きなお世話だよ!!自分の身を自分で守れない人になんか心配してもらいたくないよ!!」

「茜……」

「その上散々突っぱねようとしたくせにお礼!?こんな時に言われて嬉しいわけないじゃん!!馬鹿にしてないっていっつも散々いうけど、一番馬鹿にしてるのは紫だよ!!私を聞き分けのない子供みたいに扱って、全部言われなくてもわかってるよ!!その上で私は私の選択をしようとしてるのに何それ!?甘く見ないで!!」

 

 予想は、できなかった。彼女のいう通り、紫は南谷 茜という少女を甘く見積もっていた。故にこんな反撃に対抗する言葉などあるはずがなく、もう何も口に出せなかった。呆然とする紫を、友はもう見ない。見たくもないと、顔に書いてあった。

 

「一番馬鹿なのは、紫だよ……私のこと本気でどっかにやりたいなら、そんな辛い顔して言ったらだめじゃん。そしたら私、甘えて付け込みそうになっちゃうよ……」

 

 ここまできて、ここまで散々に茜のことを傷つけようとしておいて……この時一瞬、されど刹那の一時は非常に深い切り傷を残す鋭利な後悔を心に刻み込んだ。

 

「……ごめん。」

「もういいよ、謝られても私は紫には近づかないことにした。ごめんね、お荷物で。紫に追いつかなくて、鈍間で怠け者なカメでごめんね。」

 

「さようなら、道を歩くときは気を付けてね…」

「……」

 

 地平線に沈んだ日が灯す最後の紅色、哀愁を帯びた薄紫と混ざりやがてその色を濃くし、白骨じみた色合いの月に照らされる夜がやってくる。踵を返して他の生徒達が避難している場所に向かう紅に照らされた彼女の背中と艶やかな髪は、もう一度触れたいと思わずにはいられない欲求を生んでしまう。そんな今更どうしようもない虚しい願いを、反対側の海を見ることで意識の外側に追いやった。

 

【よう紫、あの可愛子さんあれで良かったのかよ?まあこっちとしては、性欲も発散されて消えちまうよりかは、溜め込んでおいてもらった方が少しは足しになるんで有難いけどよ。】

「……いいんだ、化け物と人間の関係なんて、無い方が幸せだよ。」

【はは、違いねえ。】

 

 上り始める月を遠目で見ながら、今まで空気を読んで黙っていたらしい刀の声に応じる。虚無感の隙間合わせにでもならないかと思ったが、大きく空いた穴を塞ぐには、圧倒的に足りなかった。

 

 




一幕、これにて完
(また次から艦娘の登場遅れます)
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