だが、桃香は運が良かった。と言って良いだろう。風向きがまた変わったのである。
向かい風が急激な追い風となり、炎は徐州軍から遠ざかり、矢は突風に煽られて途中で落ちていった。黄巾党の陣から怒りの声があがるが、自然の力にはどうしようもない。
風は強さを増していく。不思議な事に、徐州軍の諸将にはさほど強く感じないが、黄巾党陣営にはとてつもない向かい風らしく、黄巾党の動きが完全に止まっていた。
天候の変化はこれだけではない。空も急激に変わっていく。
それまでは、比較的雲も少なく、青空がどこまでも見えていたが、いつの間にかどんよりとした雲が広がっていた。余りにも黒い、誰もが雨雲だと認識できる雲が、徐州軍、青州黄巾党両軍の頭上に展開していた。
それは、徐州軍にとっては文字通り天の助けであり、黄巾党にとっては忌むべき存在だった。
「雨です!」
朱里が空を見上げ、歓喜の表情で叫んだ。
ぽつぽつ、と降り始めた雨は、あっという間に豪雨へと変わった。現代で言うなればゲリラ豪雨だろうか。その雨量は凄まじく、地面を打つ音が桃香たちの声を遮る程であった。
それだけの雨が降った事により、桃香たちを呑み込まんとしていた炎は次々に消えていった。いくら油を撒いてあったとはいえ、大量の水の前には炎の勢いも負けるしかなかった様だ。
そうして炎が鎮火していく様を見ていた桃香たちは、ずぶ濡れになっていく体を気にする事もなく、この雨が目の前の黄巾党を倒す為の
青州黄巾党にとって
ならば、やるべき事は一つである。
桃香は一瞬だけ表情を暗くした後、両脇に
「愛紗ちゃん、朱里ちゃん。総攻撃を再開して。」
「はっ!」
「御意です!」
主君の命を受けた二人は共に部隊を動かした。焼け跡の先の道が二手に分かれていた為、愛紗の部隊は右から、朱里の部隊は左からそれぞれ進んだ。
黄巾党も黙ってはいなかったが、彼等が矢を射る度に強烈な向かい風が襲い、矢は射程距離の半分も飛ばなかった。逆に、徐州軍が矢を射ると追い風ばかりが吹き、通常より長く飛んでいく。
その様子を見ながら桃香は指示を出す。この頃には別働隊だった
そんな時、桃香は合流した部隊の面々に、「ここに居る筈がない」者が居る事に気づき、驚きを隠せずにいた。
「ち、
徐州に居る筈の三人、地香こと
そんな桃香の問いに答えたのは星だった。
「我々は救援に来たのです、桃香様。徐州の守りについては、
「救援って……私、そんな要請してないよ!?」
「
星はそう言うと前方で繰り広げられている戦闘に目をやった。
愛紗率いる部隊が、次々に黄巾党の将兵を斬り伏せていく。敵の本陣らしき建物から敵の増援がわらわらと出てくるが、士気は低い様で、大した抵抗も出来ずに討ち取られるか、降伏している。どうやら大勢は決したと見て良い様だ。
「まあ、戦いが終わるまで油断は出来ませんがな。という訳で、私も行って来ます。」
星はそう言うと部隊を率いて前へと進んでいく。
趙雲隊が参戦した事により、青州黄巾党の瓦解は決定的なものとなった。
趙雲こと星は、徐州軍に入って間もない。その為、歴史を知っている
だが、その後の訓練の厳しさや、愛紗や鈴々との模擬戦で互角の戦いをしてみせた事で、そうした疑念は消え去っていった。その為、この趙雲隊は徐州軍の部隊の中で結成されてからの期間が一番短いのに、練度はそう劣っていない。このまま成長していけば、間違いなく徐州軍の主力となるであろう。
兵を鼓舞するかの様に先頭を行く星は、愛槍「
その名の通り、牙の様な真紅の二つの刃を持つその槍は、白を基調とした衣服とは対照的な輝きを持っている。それでいて、星の実力を如何無く発揮する鋭さを持っており、彼女がその槍を振る度に紅い飛沫が飛び散っていった。
桃香はそれを見ながら、暫し考え、次いで時雨たちにも攻撃を命じた。戦いを終わらせる為の命令である。