さて、そんな大軍の徐州軍だが、このまま西へ行軍して会盟の地に行く訳ではない。当初はそのつもりだったのだが、同盟関係にある孫家の提案で陸路ではなく水路を使って進む事になった。
徐州軍は今、孫軍との合流地点である泗水に向かっている。下邳から見て南東に位置する河である。
その途中、桃香は隣を進む朱里に向けて話し掛けた。
「泗水は近くに在るから勿論知っているけど、あの河から河内へ行けるんだねえ。」
「はい。泗水は西に長く続いていて、途中で名前が変わったりしますがその流れは遠く
「ふえー、凄いねえ。……五丈原ってどこだっけ?」
「
「ふえー、本当に遠くまで続いてるんだねえ。」
何でも知っている朱里を心の底から尊敬する桃香を微笑ましく見ながら、朱里は表情をやや真面目にして言葉を紡いだ。
「……水路を通って何処へでも行けるという事はつまり、水路を通って攻め入る事も可能という事です。今の私達は孫軍と友好関係にありますが、もしもの時は警戒しなければなりません。」
「……もしもの時が来ない事を祈るよ。」
それが良いでしょうね、と言って朱里はこの話を打ち切った。孫軍とはこれから共に戦うのだから、必要以上に警戒させる事はないと判断したからだった。
さてその頃、先頭を行く涼は間もなく泗水の合流地点という所まで来ていた。
「雪蓮たちはもう来ているのかな。」
「恐らくは。雪蓮様は清宮様との再会を心待ちにしていらっしゃいますので、今か今かと待ち兼ねているかも知れません。」
涼の呟きにそう返したのは隣を進む周泰こと明命。彼女は先日下邳に来て以来ずっと滞在していた。
厳密に言えば、徐州軍の出立日が決まるとそれに関する手紙を持って一度建業に戻っていたが、二、三日後には雪蓮たちからの手紙を持って戻ってきた。どんな脚力と体力をしているのだろう、河も在るのにと涼は思ったが、やはり「この世界はそういうものなのだろう」と結論付けて深くは考えなかった。
以来、明命は徐州軍を孫軍にエスコートする役目をもって涼や小蓮の傍に侍っていた。余りに傍に居るので愛紗たちは当然ながら、小蓮も怒って一悶着あったが、それも今思えば微笑ましいなと涼は思っていた。
『危機感が無さすぎます』
と、雪里や風などから怒られたのも同じく。
そうこうしている内に泗水が見えてきた。そしてそこには、数えきれないほど大量の船が待機していた。当然ながら孫軍の船である。
出迎えなのか、何人かが陸に降りていた。その中から一人、特徴的な桃色の髪と紺碧の瞳、褐色の肌の女性が馬を駆って近づいてきた。
「涼ー! 待ってたわよー!」
近づいてきたのは雪蓮だった。言うまでもなく、孫軍の中心人物の一人である
その様子を見て涼は苦笑しつつ歩みを早め、雪蓮と合流した。少し遅れて明命が続く。
一方、後方からその様子を見ていた愛紗は、呆れる様な驚愕する様な複雑な表情をしていた。
(いくら我等が同盟関係にあり、
愛紗は一人の武将として雪蓮に敬意を表しつつ、同時に警戒心を無くさない方が良いと再認識した。
そんな風に愛紗が思っているとはつゆとも思ってない涼は、雪蓮と話し込んでいた。
「ひょっとして、結構待たせちゃった?」
「そんな事ないわよー、今来たとこ♪」
この大船団が整然と並んでいるのを見ると、どう考えてもそれは嘘だと解る。そもそも、さっき雪蓮は待ってたと言っていた。が、涼は敢えて追及せずに話を続けた。
「そうそう、明命が来てくれて助かったよ。彼女のお陰でシャオも少し肩の力が抜けていたからね。」
「それは良かったわ。けど、それは本来婚約者である貴方の役目よ、涼?」
痛い所を突かれた、と苦笑しつつ、涼は話を続けていく。
「そ、それはまあいずれ、ね。でも、本当に明命が居てくれて助かったよ。こうして雪蓮たちと連携出来るんだから。」
「うちの軍の将来有望な子だからね、明命は。……同盟関係の貴方が頼むなら
「「えっ!?」」
悪戯っぽく微笑む雪蓮の言葉に、少年と少女が同じ驚きの声をあげる。少女ーー明命に至っては両の頬に手を当てて顔を真っ赤にしていた。どうやら、まだそういった経験は無いらしい。
少年ーー涼は「あれ、同盟の内容にそんなのあったっけ?」と思いながら、からかわないでよと言った。雪蓮はそんな涼と明命を見て満足したのか、涼が率いる(勿論、総大将は涼ではなく桃香である)軍勢に目をやった。
すると今度は雪蓮が驚いた。彼女の視線の先には、「これから行く場所には一緒に居てはいけない人」が居たからだ。
驚いた雪蓮は直ぐ様涼に説明を求めた。
「ちょっと涼! なあんでここにシャオが居るのよ!?」
「……やっぱりそう思うよねえ。」
笑顔のまま抗議するという器用な雪蓮の問いに、涼は苦笑しつつ説明をした。
シャオこと小蓮が徐州に居るのは、涼と婚約しているというだけでなく、孫家に万一の事が遭った際の「保険」でもある。黄巾党の乱を切っ掛けに乱世に突入したこの国で生き残る為には、そうした事も必要だ。その為、雪蓮は本当なら小蓮を力づくでも下邳に戻すべきなのである。
だが、大切な妹の気持ちも理解できる姉は結局そうしなかった。
「まあ、あの子も誰に似たのか頑固なところがあるから、こうなるのも仕方ないのかもね。」
呆れがちに言う雪蓮を見ながら、「多分、雪蓮や海蓮さんに似たんじゃないかなあ」と言いそうになった涼だったが、何とか口にしなかった。が、何故かその直後に雪蓮からヘッドロックを決められた。
そんなこんなで孫軍との合流を果たした徐州軍は、無事に軍勢を船に乗せ、一路会盟の地である河内へと進発したのである。
道中、いつもの様にいろいろあったが、それはまた別のお話。