その様子を見ながら、涼はゆっくりと抜刀する。
「雌雄一対の剣」の一振りである「
この世界には当然ながら日本刀は無く、その材料も無かったが、涼が鍛冶屋の女主人に事細かに説明した結果、何とか出来上がった。
材料が違う為、日本刀本来の切れ味は無いかも知れないが、軽くて使い易い。
もっとも、未だ人を斬った事は無いのだが。
「桃香。」
「解ってる。私も覚悟はとっくにしてるから。」
隣に居る桃香に声を掛け、共に構える。
二人共、手や足が震えているのが解っていた。
それでも、やらないといけない。いつ迄も兵士達だけに任せる訳にはいかないから。
「頼りない兄だけど、俺から離れるなよ。」
「はいっ。」
桃香の返事を待ってから、涼は黄巾党に向かって駆け出し、桃香も離れない様に走る。
目指すは張宝只一人。
余計な殺生はしたくないし、戦う回数が増えればそれだけ命の危機も増える。
戦い方を知っていても、今迄それを実践する機会が無かった二人にとって、戦う回数は少ない方が良いに決まっていた。
幸い、兵士達と黄巾党が入り乱れている中で、張宝迄の道が拓けた。
涼と桃香はそこを見逃さず走っていく。
当の張宝は馬に乗ったまま黄巾党を鼓舞しており、涼達の接近に気付いていない。
(このまま、張宝を捕らえる!)
そう思いながら、涼は張宝に向かって剣を振るった。
怪我させない様に、ちゃんと峰打ちにして。
だが、涼の剣は張宝に当たる事は無かった。
「地和ちゃんは殺らせないっ!」
「ちぃっ!」
黄巾党の男が涼の前に立ちはだかり、自らの剣で涼の剣による攻撃を防いだ。
その男はさっき張宝に向かって叫び、投降を思いとどまらせた一人だった。
「邪魔するなっ!」
涼は一旦間合いをとって再び剣を振るう。
だが男はそれを軽く避けていく。
「どうしたあ!? 天の御遣い様の太刀筋ってのは、こんな物か!? ……こんなんでこの
男はそう叫びながら剣を振り回す。
(こいつが馬元義……。そう言えば、この世界だと未だ馬元義が居るんだな。あと、登場人物が必ず女になってる訳じゃ無いみたいだ。)
涼は、馬元義の攻撃を必死にかわしながらそう思った。
その割には意外と余裕が有る様だ。
一度も戦った事が無い涼がこれだけ動けるのは、涼の「戦いの先生」達のお陰だろう。
(そう言えば、桃香はどうした!?)
そんな中、涼はハッと思い出す。
涼と共に張宝を攻撃しようとした桃香だが、今は近くに居ない。
不安になった涼は、攻撃をかわしながら辺りを見回す。
すると、桃香は涼の左前方約十メートル先に居り、そこで黄巾党の一人と打ち合っていた。
「
「俺達の仲間を殺しておいて、今更何を言いやがる!」
桃香は宝剣「靖王伝家」を両手で構え、丁峰と呼んだ黄巾党に呼び掛けながら何度も剣を振るっている。
桃香が黄巾党の男の名前を知っているのは、恐らく先程の馬元義と同じ様に名乗ったのだろう。
「桃香……っ!」
「戦いの最中に、何余所見してやがる!」
思わず駆け寄ろうとする涼だが、馬元義の攻撃がその進路を阻む。
「くっ……!」
涼は馬元義に斬りかかりながら、桃香の方に目をやる。
今の所は何とかなっているが、元来戦いに向いていない桃香が長く保つとは思えない。
もっとも、戦いに向いていないのは涼自身もなのだが。
(邪魔するなっ‼)
涼は急に湧き出た怒りに任せて剣を振るうと、運良く馬元義の剣を弾き飛ばす事が出来た。
そのまま馬元義に向かって剣を振り下ろそうとした涼だったが、何故かその手は途中で止まった。
(くっ……!)
涼は止まった手が震えているのが解った。
決心していた筈なのに、いざ人を斬るとなると躊躇ってしまう様だ。
そうして動けない涼を、馬元義は見逃さなかった。
「おらっ‼」
「うわっ!」
馬元義の左キックが涼の脇腹を狙い、涼はガードする間も無く蹴り飛ばされた。
涼は何とか受け身をとる事が出来たが、その間に馬元義は自分の剣を取り戻し、そのまま涼に向かってきた。
「死ねえっ‼」
涼は、マンガとかでよく聞く台詞だなと思いながら攻撃を必死に避け、立ち上がって剣を構える。
だが、その剣は依然として震えていた。
(……くそっ! 震えるなよ、震えるなって‼)
涼は必死に震えを止めようとするが、止まる気配は全く無かった。
相手が恐くて震えている訳では無い。相手を斬ることに怖れて震えているのだ。
そして、この震えを収める術が一つしか無いのを、涼は理解していた。
だが、「それ」が出来ないから困っている訳で。
「おりゃああっ‼」
「くっ!」
攻撃を避けながら、「それ」をしないといけないと思いつつ出来ないジレンマに苦しんでいた。
(早く桃香の援護に行かないといけないのに……!)
焦る気持ちをつのらせながら、涼は剣を振った。
だがその動きは遅く弱く、とてもじゃないが当たる様な一撃では無い。
涼の攻撃を何の苦も無く避けた馬元義は、逆に斬りかかって涼を追い詰めた。
馬元義の剣の腕は、ハッキリ言って良くは無い。それは、戦いの素人である涼が動きを見切れている事からも解る。
だが、涼と馬元義では決定的に違う事が有る。
それは、
“人を斬った事が有るか無いか”
の一言に尽きる。
馬元義は今迄何人も斬ってきたのだろう。剣を振るう動きに迷いが無い。
だが、涼は違う。
平和な世界に生まれ育ち、今この乱世の世界に生きていても、ずっと仲間達に守られてきて未だ一人も斬った事が無い。
斬らないで済むなら一番良いが、それが簡単な事では無いのも解っている。
斬らなければ自分が斬られると解っていても、最後の決断に踏み込めない。
それは普通の人間として当然の事だった。
いざ剣を振るって斬ろうとすると、手が止まって剣が震える。
仮に振れたとしてもその速度は遅く、簡単にかわされる。
これでは、例え百万回チャンスが有っても成功はしないだろう。
(俺は……負ける訳にはいかないのに……っ!)
焦って剣を振るうも、やはり当たる筈も無く、運良く当たろうとすると手が止まった。
そんな繰り返しが何度も続き、気付けば涼は孤立していた。
周りには味方である連合軍奇襲部隊も、敵である黄巾党主力部隊も居ない。
よく見れば、涼の遥か前方で彼等の戦いは続いていた。
幸い、桃香は無事の様だが、桃香が戦っていた相手である丁峰もまた無事だった。
「味方は来ねえみたいだな、天の御遣いさんよぉ!」
「ちぃっ!」
馬元義もまた周りをよく見ていたらしく、そう叫びながら剣を振り回す。
その攻撃も難無くかわす涼だったが、バックステップでかわした後、背中に何かが当たった。
(木!? しかも結構大きい‼)
涼の背後には樹齢何十年になるか解らない大木が在った。
その為、これ以上下がる事は出来ない。
「もらったあっ‼」
下がる事が出来ない涼に、馬元義は左から右への斬撃を放った。
次の瞬間、キィン! という甲高い金属音が鳴り響いた。
涼の剣が、左から迫ってきた馬元義の剣を防いだからだ。
だが、ギリギリで防いだ為、僅かに剣の刃先が涼の肩に触れていた。
防ぐのが後少し遅かったら、間違いなく肩を切り裂かれていただろう。
「……はあ……はあ…………っ‼」
涼は殺されそうになった恐怖の余り、呼吸が必要以上に荒くなっている。
また、目の焦点は合っておらず、体温は急激に下がっている様に感じていた。
「ちっ、運の良い奴め。ならばもう一度……!」
馬元義はそう言いながら剣を引こうとした。
だが、剣は涼の後ろに在る大木に刺さっていて中々抜けない。
「……くない。」
涼は、目の焦点が合わないまま何かを呟いた。
「ああ!?」
中々剣が抜けない馬元義は苛立っている。
「……たくない…………。」
再び呟く涼。
その時、少しずつ馬元義の剣が大木から抜けてきた。
「よし、このまま……!」
それによって馬元義の苛立ちは収まりつつあり、攻撃も間も無く再開されようとしていた。
その時、
「…………死にたく、ないっ‼」
涼はそう叫びながら剣を動かし、自らも右前方へと踏み出した。
数秒後、涼は剣を右手に持ち、相変わらず目の焦点が定まらないまま立っていた。
近くの大木の根元には、一人の男が俯せに倒れている。
男は首の右側から腰の左側にかけて刀傷が有り、そこから紅い液体が流れ出ていた。
大木にもその液体が飛び散っており、また、その木に留まっていた小さな虫も真っ赤に染まっている。
「はあ……はあ……っ。」
涼は荒い呼吸を繰り返す。
手は震え、それによって剣がカタカタと音を立てて震えていた。
白いコートは左側が紅く染まっている。勿論、涼の顔にも紅い液体が飛び散っていた。
涼は手を震わせながらゆっくりと振り向いた。
視界に入ってきたのは、紅く染まっている大木と、その根元に倒れている一人の男。
「…………っ‼」
男はピクリとも動かない。呼吸もしていない。
男が倒れている場所には紅い水溜まりが出来ており、男が頭に巻いている黄色い布も、今ではその半分以上を紅く染めていた。
「俺が……っ。」
涼は、弱々しく声を震わせながら呟く。
「俺が……馬元義を殺した…………!?」
戸惑いながらそう呟いた涼の剣からは、馬元義を斬った時に付いた血が滴り落ちていた。
涼は信じられないといった表情をしていた。
だが、馬元義を斬った感触は確かに有る。
今迄経験した事の無い、肉が裂け、骨が砕ける、あの感触。
それを思い出した瞬間、涼は激しい嘔吐感に襲われた。
「うっ……ぐぅっ…………!」
だが涼は必死になって吐くのを我慢した。酸っぱい液体が胃に戻っていくのを感じる。
我慢した理由は、連合軍の総大将として、ここで吐く訳にはいかないと思ったからだ。
(これで……後戻りは出来ないな…………。)
元々逃げるつもりは無かったが、人を斬った事で尚更逃げる事が出来ないと悟った。
手の震えは、いつの間にか治まっている。
人を斬った事で、「人を斬る恐怖」が無くなったからだろう。
実際、涼は未だ自分のした事を直視出来ないでいるが、人を斬る事に対する躊躇いは無くなろうとしていた。
(どんな理由があれ、本当は人を殺しちゃいけない。……だけど、この世界ではそうも言っていられない……。)
剣を握る手に、自然と力が入る。
(けど……それを言い訳にして人を殺すのを正当化したくない。だから……だから、この気持ちは絶対に忘れない!)
涼はそう固く決意すると、桃香の援護に向かった。
先程迄居た場所に戻ると、そこでは尚も戦いが続いていた。
先程より黄巾党の数は増えているが、連合軍奇襲部隊にも、罠の事後処理を終えた愛紗の部隊が合流している。
兵の数では負けてはいないし、愛紗や鈴々が農民上がりの黄巾党に負ける筈も無い。
そんな戦いの中、涼は桃香の姿を確認した。
愛紗達とは少し離れた所にへたり込む様に座っていて、側には靖王伝家が落ちている。
そして、桃香の前には一人の男が倒れていた。
「桃香!」
慌てて駆け寄るが、桃香は前を見たまま反応しない。
それに、まるで先程迄の涼の様に、目の焦点が合っていない。
そこで涼は気付いた。桃香の前に倒れている男が血を流して死んでいる事。
そして、桃香の剣である靖王伝家に血が付いている事に。
「わ……私……っ!」
桃香は声を震わせていた。
「戦っている時に転んじゃって……そしたら丁峰さんが私に斬りかかったから、私……私…………っ!」
「……もう良いから。」
涼は桃香を抱き寄せて、必死に落ち着かせようとした。
だが、それでも桃香は落ち着かず、声だけでなく体迄も震わせている。
それを見た涼は、先程迄の自分を見ているかの様に錯覚した。
「咄嗟に剣を突き出したら……丁峰さんの体に刺さって……それから……それから…………っ!」
尚も落ち着かずにいる桃香は、いつの間にか涙を流していた。
「覚悟していた筈なのに……解っていた筈なのに……っ! 結局、私は何も解っていなかったんだ…………っ!」
涙を拭く事すら忘れ、自分がした事とその結果に恐怖し、自我を保てなくなっている。
この世界で生まれ育った人間でも、皆が皆人を殺すのに慣れている訳では無い。
だから桃香のこの反応は自然なものであり、決しておかしくはない。
義勇軍の指揮官としてはおかしいかも知れないが、桃香はついこの間迄普通の女の子として育ってきたのだから、仕方が無いだろう。
「大丈夫……解っていなかったのなら、これからちゃんと解れば良いだけだ。俺も一緒だから、心配するな。」
涼は子供をあやす様に桃香を抱き締めながら、柔らかな口調で語り掛ける。
すると、桃香は少しずつ落ち着きだし、目の焦点も合ってきた。
「涼……兄さん…………?」
涼を見ながら漸く気付いたかの様に呟くと、安心したのか体の震えが治まってきた。
「涼兄さん……。」
もう一度呟いてから涼に向き直り、涙を拭う。
そこで初めて、涼の服や顔に血が着いているのに気付いた。
桃香は驚きつつも目を逸らさず、そのまま涼に尋ねる。
「涼兄さん……もしかして……。」
「ああ……さっき、斬った。」
靖王伝家を拾いながら、淡々と答える涼。
その剣をブンッと振って、剣に着いた血を地面に飛ばし、桃香に渡す。
暫くの間手に取るのを躊躇した桃香だが、やがてしっかりと剣の柄を握り、そのまま目の前で倒れている男−丁峰に目をやった。
「ごめんなさい……。」
そう呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
「……でも、貴方を殺した事を無意味にはしません。約束します。」
物言わぬ骸と化した丁峰にそう誓うと、表情を引き締めて涼に向き直った。
「行きましょう、涼兄さん。少しでも早くこの戦いを終わらせないと!」
「ああ!」
そう言葉を交わした二人は、愛紗達が居る前線へと走る。
涼も桃香も、動揺が完全に無くなった訳じゃ無い。
だが、いつ迄もそのままではいられない。
怖れ、悔やみ、泣くのは戦いが終わってからで良い。
涼と桃香はそう思いながら剣を構え直した。*1