更に数日後、徐州の城下町を鈴々、時雨、そして地和の三人が歩いていた。
勿論、只歩いている訳では無く、街の警邏中である。
「今日の点心も美味しいのだ!」
「……お前は警邏と食べ歩き、どっちをしているんだ?」
「両方なのだ!」
「……頼むから、そんなに元気良く言い切らないでよね……。」
溜息を吐く時雨と地和の気も知らず、鈴々は袋一杯に点心が入った袋を左手に抱えながら、パクパクと点心を食べ続けている。
因みに、時雨と地和の二人は何も食べていない。三人は食べ歩きをしているのではなく警邏をしているのだから、三人共何かを食べていたら警邏中という説得力に欠けるからだ。
「まったく……何度も言うけど、ちぃ達がしっかりしないとダメね。」
「そうだな……。って、口調や態度が素に戻っているぞ、“
「あっ……と、いけないいけない。」
時雨に小声で指摘され、「地和」は慌てて口調や態度を「地香」に直す。
生きる為に「
だが、時々今の様に素に戻ってしまうので、その際は周りからフォローされている。
地和自身、いつまでもそんなんじゃいけないと解っているので頑張ってはいるのだが、如何せん他人になりきるなんてそう簡単に出来る訳では無い。
とは言え、公務や部隊を指揮している時は殆ど素に戻っていない。素になるのは地和の素性を知っている仲間だけで居る時や、自室に一人で居る時が多い。
そう考えると、余り深く考えなくても良い気もする。
今もまた、そんな風に思っていたのだが、その思考は突然の言葉によって遮られた。
「……地香、気を付けるのだ。」
「きゅ、急にどうしたのよ、鈴々?」
それ迄ののんびりした雰囲気から一変し、鈴々の表情や声は真剣なものに変わっていた。
「さっきから誰か附けて来てるのだ。」
「えっ!?」
思わず振り返って確認しようとした地和だったが、右側に居る時雨が地和と肩を組んでそれを遮る。
「馬鹿、振り向いたら感付かれる。落ち着いて前を向いたまま、歩調を変えずに歩け。」
「う、うん……。」
時雨に言われた通り、前に向き直って歩く地和。
附けられている、と鈴々が言い、先程の台詞から察すると恐らく時雨も気付いていた様だ。
だが、地和はその何者かの尾行に全く気付いていなかった。
(ちぃは全然気付かなかった……そりゃ、ちぃは元々武将じゃないから、気付かなくて当然なのかも知れないけど……。)
地和は表情を崩さずに、心の中だけで悔やんでいた。
歌を唄いながら旅をしていた三姉妹が、とある事情から人気を博し、ファンの集まりがいつしか黄巾党になった。
単なる「ファン」の集まりが、何故「暴徒」になったのか、地和には心当たりが有った。と言うより、他に思いつかなかった。
「それ」が有ったから自分達の歌が認められ、あれだけの人が集まった。
だから、「それ」が無ければ、自分達に人を集める程の魅力も才能も無い。
地和はそう思っていた。
(ひょっとしたら、お姉ちゃんや
考えれば考える程、地和の心は沈んでいく。
だから、自分が曲がり角を右に曲がった事すらも気付かなかった。
勿論、鈴々と時雨も一緒に曲がっており、尾行している何者かから、少しの間姿を消す事に成功する。
結果、鈴々達を尾行している何者かは焦って歩を速めた。
(ちょ、ちょっと待って!)
前方に居た三人が曲がり角を右に曲がった為、「追跡者」は慌てて駆け出した。
とは言え、元々はこんな尾行みたいな真似をするつもりは無かったらしい。
だが、擦れ違った人物に思わず見とれ、自然とその人物の後を附いていっていた。
自分でも変だとは思っている。こんな気持ちになったのは、「あの方」に初めて会った時以来だ、と。
だが、「あの方」はもう居ない。戦いに敗れ、死んだと聞いている。
だからだろうか、「追跡者」が「あの方」と似た雰囲気を持つ「彼女」の後を附いていったのは。
「ちょっと話を……あれ?」
曲がり角を曲がった「追跡者」は思わずキョトンとした。
何故なら、「彼女」達が曲がった筈の道には誰一人として居なかったから。
「追跡者」は怪訝な表情をしながら辺りを見回し、ゆっくりと前に進む。
その時、「追跡者」目掛けて物陰から大剣が飛び出てきた。
「わっ!?」
何とか避けるも、今度は反対側の物陰から矛が同じ様に飛び出てきた。
「ひゃっ!?」
連続して攻撃され、「追跡者」はバランスを崩し、地面に倒れる。
そんな「追跡者」の首筋に、大剣と矛の刃先があてがわれた。
「俺達に何の用だ?」
「コソコソするなんて、怪しい女の子なのだ。」
大剣の持ち主である時雨と、矛の持ち主である鈴々が、「追跡者」に武器を突きつけ、睨みながらそう言った。
鈴々が言った通り、「追跡者」は女の子だった。しかも、鈴々より少し年上くらいの外見をした女の子だった。
「……。」
「追跡者」こと女の子は、二人を交互に見ながら黙っている。
刃を向けられて怯えているのか、若干震えている様にも見える。黙っているのは、恐怖によるものかも知れない。
「……二人共、殺しちゃダメよ。私達に附いてきた訳を訊かないといけないんだから。」
「解っています、劉燕様。」
「鈴々達に任せるのだっ。」
時雨が隠れていた場所から、ゆっくりと地和が現れ、毅然とした口調でそう言った。
地和の言葉遣いは「張宝」ではなく「劉燕」を演じている為であり、時雨と鈴々もそれに合わせて対応していた。
劉燕は劉備の従姉妹である為、必然的に劉燕である地和の立場も高くなっている。
つまり、立場で言えば劉燕=地和は鈴々と時雨の上官になる。
尤も、それは外交等の対外的な立場でという側面が大きく、軍では二人より下の立場になっていた。
そんな複雑な立場の劉燕――地和は、鈴々達に武器を向けられている女の子を見据えた。
「私達に附いてきた理由を話してくれない? その理由によっては、このまま貴女を解放するわよ。」
「……。」
女の子はやはり黙ったままだった。只、震えはいつの間にか消え、視線は地和に固定されていた。
そんな女の子を見据えてると、地和は或る事に気付いた。
女の子の右手首に、懐かしい巻き方をした布が巻かれていたのだ。
「貴女……。」
「……お前、黄巾党か?」
その布や巻き方について地和が訊ねようとすると、先に時雨が訊ねた。
しかも、地和が訊ねようとした内容より直接的な文言で。
「……元、ね。黄巾党はもう無くなったんだし、私はもう悪い事はしてないわよ。」
それ迄黙っていた女の子が、時雨を睨み付けながら口を開いた。
それを聞いた時雨は、一瞬だけ視線を地和に向けてから再び女の子を睨み付けながら言葉を紡ぐ。
「なら何でそんな黄色い布を巻いている? 黄色い布は黄巾党を指すから、今でも身に付ける者は少ないぞ。」
時雨の言う通り、黄色い布を身に付けている為に黄巾党に間違われ、捕まった者は少なくない。
徐州では居ないが、他州ではその為に殺された者も居るという。
冤罪で殺されては堪らないので、今では民の衣服に黄色い布は殆ど使われなくなっている。
この女の子がそれを知らないとは考え難く、知っていて尚黄色い布を身に付けているのは、未だ黄巾党として悪事を働いているのではないかと、時雨は考えた。
「そんな事は百も承知してるわ。けど……。」
「けど、なんなのだ?」
鈴々が話を促すと、女の子は俯きながら声を絞り出した。
「……
「恩人?」
時雨が気になった言葉を繰り返す様に呟くと、女の子は俯いたまま話し始めた。
「……漢王朝が腐敗していた為に、私が住んでいた
「黄巾党がお前の村を助けただと!?」
時雨は驚いて聞き返した。
彼女にとっての黄巾党は倒すべき敵だったのだから、この反応は当然だろう。
「おかしい? 元々黄巾党は、腐敗した漢王朝から民を救う為に出来た組織なんだから、私達を助けてもおかしくは無い筈よ。」
「それはそうだが……。」
確かに、女の子が言う様に黄巾党は元々義によって作られた組織だった。
「蒼天已死 黄天富立 歳在甲子 天下大吉」
これは、黄巾党が使っていた旗に記されていた文字であり、また、彼等のスローガンであった。
訳すれば、「
「蒼天」は漢王朝を指し、「黄天」は黄巾党を指していると思われる。「
この文は陰陽五行思想に基づいており、その思想の「木火土金水」の順に当てはめると黄色は「土」を表し、「火」の王朝である漢王朝に代わるという意味が有り、先の文とも符号している。
只、それだと「蒼天」が漢王朝を指すのは合わない気がするが、理由を知っている地和からすれば何の問題も無かった。
(“赤天”より“蒼天”の方が言い易いし格好良いから、なんて誰も思わないわよね……。)
地和は、スローガンを決める時にそう言った姉の姿と声を頭の中で再生した。
その姉の隣には、苦笑する末妹の姿も在る。
だが、二人共もうこの世に居ない。
その事実を初めて知った時、涼の胸で散々泣き尽くした。
それからも、二人の事を忘れた事は一度も無いし、忘れるつもりも無い。
だが、今の地和は「張宝」ではなく「劉燕」だから悲しむ訳にはいかない。
地和は泣きそうになるのを堪えて、言葉を紡いだ。
「……話を続けて。」
「あ、はい。……そんな時でした。邑を含めた辺り一帯を統治していた官軍が黄巾党に討たれ、その黄巾党が邑に食料を分け与えてくれたのは。」
(あっ……。)
それを聞いた地和の脳裏に、一つの光景が映し出される。
あれは未だ黄巾党が逆賊ではなく、義勇軍の様に扱われていた時だった。
末妹である人和――
すると、呆気ないくらいに官軍は敗れ、彼等が違法裏に貯め込んでいた沢山の食糧を手に入れた。
すると張角は、そこから黄巾党の分を差し引いた食糧の残り全てを、辺りの邑や街に配っていった。
「……そのお陰で、私達は誰一人として飢える事無く過ごせました。私は、その恩に報いる為に黄巾党の一員になったんです。」
女の子の話はそこで終わった。
地和は女の子の眼をジッと見た。
栗色の髪とお揃いの色の眼は、黄巾党で「悪い事」をしていたとは思えない程澄んでいて、今迄の話が嘘でない事を物語っている。
何より、彼女は正体を知らないとはいえ
先程の時雨に対する強気な弁は、嘘偽りが無いと自負しているからだろう。
「……貴女、名前は?」
「劉燕」らしく厳かな口調で地和が訊ねる。
「……
女の子もまた、地和の眼を見ながら廖淳と名乗った。
地和はその名前を、記憶している黄巾党の人間の名前に当てはめる。
黄巾党は殆どが男性で構成されていたので、廖淳の様な女性は少なかった。だから、地和の脳内検索の結果は直ぐに出た。
「では廖淳、詳しい話を訊く為に貴女を連行するわ。一応言っておくが、逃げようとしたら命は無いと思いなさい。」
地和は、黄巾党第二部隊に居た廖淳を連れていく事にした。