「元・黄巾党の女の子?」
「ええ、以前ちぃの部隊に所属していた娘よ。」
城の執務室で、先程連れてきた女の子――廖淳について涼に報告する地和。
室内に居るのは地和の事を知っている者だけなので、地和は「劉燕」ではなく「張宝」の口調で喋っていた。
「その者は強いのか?」
「うーん……どうだったかしら? 目立った戦功が有るならちぃの所に報告に来てただろうけど、覚えが無いわね。」
「単に忘れてるだけじゃないのかー?」
愛紗の質問に記憶を探りながら答えると、鈴々がケラケラ笑いながら言った。
「それは無いわね。黄巾党に居たのは殆どが男性だったから、女性が戦功の報告に来てたら記憶に残ってるわよ。」
「実力は未知数……か。如何致します、桃香様?」
暫しの思案の後、結論を桃香に託す愛紗。
託された桃香は、常の笑顔で皆を見ながら答えた。
「今は少しでも人材が欲しい時だし、地和ちゃんが薦めてくれたんだもの、断る理由は無いよ。勿論、本人の意思次第だけどね。」
「……解りました。では地和、廖淳の勧誘についてはお前に一任する。頼んだぞ。」
「まっかせといて♪ じゃあ、早速行ってくるねー♪」
涼が教えたピースサインをしながら、笑顔で執務室を出て行く地和。
執務室を出た瞬間に表情が「劉燕」になって瞬時に公私の切り替えをしたのは、流石としか言い様がない。
「……納得出来ないって顔だね、愛紗ちゃん。」
地和が出て行ってから暫くして、桃香はそう言った。
愛紗は直ぐに応えなかったが、やがてゆっくりと振り返り、険しい表情のまま言葉を紡いだ。
「個人的な事を言わせて頂けるならば……私は廖淳の勧誘に反対です。」
「元とは言え、黄巾党の一員だったから?」
「はい。」
桃香の質問に、即座に答える愛紗。その口調には迷いも澱みも無い。
「けど、それを言ったら地和ちゃんだってそうだよ? しかも指揮官だったし。」
「地和については、
(……確かに、愛紗はあの時も反対してたなあ。)
地和は黄巾党の中心人物の一人であり、匿ったのがバレたら涼達も逆賊として処断されていただろう。
だからこそ、愛紗を始めとした当時の義勇軍の武将や軍師達は保護に反対していたのだが、涼の意志が固いと知ると諦め、「張宝」を「劉燕」にするという手段をとったのだ。
「ですが、地和はあれから自分自身を押し殺して生きています。我々と一緒の時だけは素に戻りますが、それがどれだけ大変な事か……。そこに新たに元・黄巾党の人間である廖淳が加わって、地和の正体がバレないとも限りませぬ。また、廖淳自身にもその出自によって周りから疎まれる危険性が……。」
と、愛紗が反対理由を述べていると、桃香がクスクスと笑い出した。
「……桃香様、私が真剣に話しているのに何故笑われるのですか?」
「ご、ごめんなさい愛紗ちゃん。でも、それだけ可笑しいんだもの。」
「何が可笑しいのですか?」
不謹慎な、と思いながら愛紗が桃香に訊ねると、桃香は笑い声こそ押し殺すも笑顔を保ったまま言葉を紡いだ。
「だって愛紗ちゃん、何だかんだ言っても、地和ちゃんと廖淳ちゃんの事心配してるんだもの。」
「なっ!?」
桃香がそう言うと、愛紗は途端に顔を紅くして口ごもる。
それを見ていた涼も笑いを堪えながら言葉を紡いだ。
「俺も、愛紗は元・黄巾党の人間が入る事による軍の風評より、彼女達個人に対する風評を気にしている様に見えたな。」
「そ、それは……。」
反論出来ないのか、愛紗は俯いてしまった。
暫くの間その状態が続いたが、やがて意を決した様に愛紗が顔を上げると、顔を真っ赤にして言った。
「そうですよ! 義兄上達の仰る通りですっ‼ 私が彼女達の心配をして悪いのですかっ!?」
「逆ギレ!?」
愛紗の剣幕に涼は思わずそう突っ込むが、逆ギレというには余りにも可愛らしい怒り方だった。
「悪くないと思うよー。愛紗ちゃんって、いつも厳しい事言うけど本当はすっごく優しいもん。」
「〜〜〜〜っ!」
「……あんまりフォローになってない気がするぞ、桃香。」
変わらずのニコニコ顔でそう言葉を紡ぐ桃香に、愛紗は顔を更に真っ赤にして言葉すら出せなくなった。
涼がフォローの意味を二人に教えると、桃香達は納得と尊敬の眼差しと声をあげた。
それから、コホンと咳払いをした愛紗が相変わらず顔を赤らめたまま二人に忠告する。
「と、兎に角、
「はーいっ。」
「りょーかい♪」
危機感の
「私を、徐州軍にですか?」
一方その頃、下邳城の一室に連れて来られた廖淳は、椅子に座ったまま間の抜けた声でそう言った。
「ええ。桃香……劉備様と清宮様の許可は得たから、後は貴女の意思次第ね。」
そう言ったのは、廖淳と机を挟んで対面している地和。
因みにこの部屋には他に鈴々と時雨も居り、地和と鈴々が来る迄は時雨が廖淳と話していた。
つまりは「取り調べ」をしていた訳だ。
だからこそ廖淳の反応は当然だ。今迄「敵」扱いしていた人間を勧誘する等、普通は考えられない。
しかも廖淳は元とは言え黄巾党の一員だ。疎まれるのが普通であり、味方に引き入れて得が有るとは思えなかった。
「本気、ですか?」
「本気よ。ああ、劉備様も清宮様も出自は問わない方だから、黄巾党の一員だった事は気にしないで良いわよ。」
「はあ……。」
そう言われても、廖淳は簡単には信じられなかった。
今迄経験した事を考えれば、何か裏があるのではと思い、思案する為に視線を下げた。
そんな廖淳の視界に、良く見知った物が映る。
「それって……。」
廖淳は、地和の右手首に巻かれている黄色い布を見ながら、机越しに立っている地和を見つめた。
「私も、貴女と同じで元は黄巾党の一員だったの。」
さっきは巻いていなかった黄色い布を見ながら、地和はそう言って笑みを浮かべ、ゆっくりと座る。
当然ながら、地和は「劉燕」になって以来、黄巾党時代の服は着ていない。
今着ている服は、桃香が着ている服を基にして地和なりにアレンジしたもの。
何故桃香の服を基にしたかというと、劉燕は桃香――劉備の従姉妹なので、服も似た服にした方が良いという桃香の提案によるものだ。
桃香の服は長袖にフリル付きスカートだが、地和はそれを肩出しヘソ出しルックにし、プリーツスカートの上に白い布を巻いている。
服の基調となる色は白と薄緑で、スカートは本来の髪の色である水色にした。
本来の髪の色と言う様に、今の地和の髪は茶色に染めており、髪型もサイドテールからストレートに変えていた。
黄色は服にも装飾にも使っていないが、実は一人の時には今みたいに黄色い布を巻いていたりする。
それは、別に黄巾党に未練が有るからという訳ではなく、単に黄色が好きな色であり、亡き姉と妹を忘れない為の行為だった。
「そんな私でも、ここでは将として認められてる。だから、貴女も心配しなくて良いわよ。」
地和が廖淳を見つめながら優しい口調でそう言うと、廖淳は目を離せずに只地和を見つめるしか出来なかった。
「……地和ちゃん…………。」
暫くして廖淳が口にしたのは、劉燕になっている張宝の本当の
それを聞いた鈴々と時雨は、表情は変わらぬものの内心で驚いていた。
二人は、劉燕の正体がバレたのかと焦り、また、地和が動揺していないかと思い、それとなく彼女を見る。
だが、その地和は、
「……地和ちゃんと離れ離れにした事、許してね。」
と、返していた。
その言葉に一番驚いたのは廖淳だった。
目の前に居る「劉燕」という少女が元は黄巾党の一員だと言われて、思わず口に出た言葉が「地和ちゃん」だった。
劉燕の姿は、廖淳が知る地和とは全く違う。だが、瞳は地和と同じ碧眼だ。
勿論、碧眼の持ち主は他にも沢山居る。有名な人物としては、黄巾党の乱や
だから、目の前の「劉燕」が「張宝」と似た瞳をしているからといって、同一人物とは限らない。
それでも、劉燕の笑顔は限り無く張宝――地和ちゃんとそっくりだと、廖淳は思った。
「いえ……地和ちゃんは黄巾党の中心人物の一人でしたから……貴女方に非は有りません。」
「……有難う。」
廖淳が俯きながらそう言うと、地和は複雑な表情をしながらも廖淳の髪を撫でる。
「え……。」
「悲しい事を思い出させてゴメン。黄巾党と戦った私達と居たら、もっと貴女を悲しませちゃうわね。」
そう言いながら、今度は廖淳の頬を親指で撫でる地和。
廖淳の眼からはいつの間にか涙が流れ落ちており、地和はそれを拭っていた。
それに気付いた廖淳は慌てて自らも涙を拭う。
「……これ以上、貴女を悲しませるつもりは無いわ。さっきも言ったけど、うちの州牧様は出自を気にしないし、貴女は悪い事をするつもりが無いみたいだからこのまま帰れるわ。落ち着いたら、この二人に門迄送らせるわね。」
そう言って地和は立ち上がり、扉へと向かう。
そうして扉を開けようと手を掛けた時、後ろからガタッという音と共に廖淳の声が聞こえてきた。
「あ、あの……っ! ……私を徐州軍に入れて下さいっ‼」
地和が振り返ると、そこには再び涙を流しながらも、しっかりと地和を見つめる廖淳の姿があった。
地和は姿勢を正してから、廖淳に訊ねる。
「……良いの? さっきも言ったけど、貴女を疎んじる者が居るかも知れないわよ? ……まあ、私みたいに出自を劉備様達だけに打ち明ける様にすれば、大丈夫だとは思うけど……。」
「やっぱり、劉燕様も隠されているんですね。」
「ええ。劉備様達が、その方が私の為だって仰って下さったから。」
実際には少し違うのだが、それを話す訳にはいかないので話を合わせる地和。
「桃香達が気にしなくても、兵達は気にするかも知れないしな。」
「隠し事するのは気が引けるかも知れないけど、皆で仲良くするには仕方ないのだ。」
そこに、それ迄沈黙していた時雨と鈴々が、地和をフォローする様に言葉を紡いでいく。
彼女達が何度も言う様に、黄巾党に居たという事でトラブルになる危険性は否定出来ない。
幾ら桃香や涼が出自を問わないと言っても、兵の中には家族や友人を黄巾党に殺された者も居る。
だからこそ、出自を隠すのはトラブルを避ける為に必要なのだ。
もっとも、桃香も涼も、いつまでもそれで良いとは思っていないが。
「……それは解ります。だから私も、皆さんに迷惑を掛けるつもりは有りません。」
「……つまり、貴女も出自を隠すという事ね?」
「はい。」
「……出自を隠しても、貴女の想像以上の事が有るかも知れないわよ?」
「解っています。」
廖淳は、確認する地和を真っ直ぐ見つめながら答える。
その眼に迷いは無く、真水の様に澄みきっていた。
「……どうやら、本当に覚悟したみたいね。なら、私達は貴女を歓迎するわ。」
地和はそう言いながら右手を差し出し、言葉を紡ぐ。
「私の名前は劉燕、字は
「ふむ、地香が真名を預けたのなら俺も預けよう。俺の名前は田豫、字は
「鈴々の名前は張飛、字は
地和が自己紹介をすると、時雨と鈴々もそれに続いた。
三人が自己紹介でいきなり真名を預けてきた事に、廖淳は驚きを隠せないでいた。
「わ、私なんかに真名を預けて頂けるなんて……。」
「仲間なんだから、当然でしょ?」
地和が微笑みながらそう言うと、廖淳はそんな地和の右手を両手で包みながら、自己紹介の言葉を紡ぐ。
「姓は“廖”、名は“淳”、字は“元倹”、真名は“
こうして、廖淳は徐州軍の一員となった。