そうして廖淳が徐州軍の一員になった頃、招賢館に一人の少女が現れた。
少女は笑顔のまま軽く会釈すると、懐から一通の手紙を取り出した。
少女はその手紙を雫に手渡すと後ろに一歩下がり、雫は受け取った手紙を見ながら少女に訊ねた。
「これは……紹介状ですか?」
「はい。それは前徐州牧、陶謙様からの紹介状です。」
陶謙の名前が出たので、雫はその手紙を隅々迄読んだ。
そこには、
「……成程、解りました。陶謙様の紹介となれば安心して採用出来ます。」
「有難うございます。」
「ですが一応、改めて自己紹介をして貰いましょうか。ここは本来、面接する場ですからね。」
雫がそう言うと、少女は先程と変わらぬ笑顔のまま自己紹介を始めた。
「解りました。私の名前は
「紹介状には文官と書かれていましたが、どういった分野が得意ですか?」
「どういった分野というより、文官の仕事、つまり政治全般に通じていると自負しています。」
笑顔のままそう断言した少女――孫乾を見ながら、雫は再び訊ねる。
「……随分と自身の才能に自信が有る様ですね。」
「自分に自信を持たずに生きていける程、今の世は優しく有りませんからね。勿論、自身の力を過信する気はありませんよ。」
やはり変わらず笑顔のまま喋る孫乾は、放っておいたら鼻歌を歌いそうなくらい明るい表情だった。
雫は、そんな孫乾を見ても不思議と嫌悪感を抱かなかった。
雫は本来、自分の才能を過剰にひけらかす人物は余り好きではない。
自身が余り積極的な性格でない事もあって、そうした人物とは出来るだけ関わりたくないと思っている。
勿論、だからといって他人の才能や実績を認めないという事はない。
雫が本当に嫌いな人間は、才能が有るのに何もしない怠惰な人間だ。
実際、単なる怠惰な人間より、才能が有るのに怠惰な人間の方が質が悪い。
何故なら、単なる怠惰な人間は何も成せないので有る意味諦めがつくが、才能が有るのに怠惰な人間は、何かを成せるのに何もしないのだから。
勿論これは極論ではあるが、雫としてはそんな人間は登用したくない。
そして幸いにも、目の前に居る孫乾はそんな人物ではなかった。
勿論、雫は孫乾について、紹介状の記述と今の会話でしか知らない。初対面なのだから当然だ。
それなのに、雫は何故か目の前に居る少女を信頼していた。
何故かはよく解らない。只の勘、としか言い様が無い。
軍師が勘に頼るのはどうかと雫も思うが、たまには良いかとも思っていた。
「……解りました。紹介状はちゃんとしてますし、何より貴女の自信の持ちようが良い。徐州軍はそんな貴女を歓迎します。」
「有難うございます。……ですが、一つ良いですか?」
「なんですか?」
任命の
結果的に、孫乾の言葉は、ある意味で配属先に関わる事だった。
「私は今回文官として紹介されましたが、少しは武官としても働けます。どうかその事を心に留め置いて下さい。」
「成程、武官としても働けるのですか。解りました、しっかりと覚えておきましょう。」
「お願いします。」
雫の答えを聞いた孫乾は、一礼してから面接室を出て行った。
一人残った雫は天井を見ながら呟く。
「これは……良い人材がやってきたみたいだよ、桃香ちゃん。」
そんな雫の表情は、子供の様に無邪気な笑顔だった。
この様に、着々と戦力を増強していく徐州軍だったが、愛紗や鈴々の様な強者は中々現れなかった。
まあ、あの二人と肩を並べられる様な武将がそうそう居る訳も無く、勿論涼達もそれは解っているのだが、それでも無い物ねだりをしてしまうのだった。
そんなある日、招賢館に一人の人物が訪ねてきた。
「まさか貴女が此処に来るとは思っていませんでした。」
雫は、目の前に立っている人物を見ながらそう言った。
雪里は未だ旅から帰っておらず、招賢館の責任者は引き続き雫が担っている。
「そうか? 噂の州牧様の治世がどうなっているか気になるのは、至極当然であろう?」
雫と話しているその人物は、朱い瞳を細め、口許を不敵に緩めながら言葉を紡ぐ。
「相変わらずですね。……それにしても、よく
「元々、
(……それが判っていて出て行くのはどうなのかなあ。)
雫はそう思いながら、目の前の人物――
加えて、今頃、白蓮さんは星さんの抜けた穴を埋める為に大変な苦労をしてるんだろうなあ、と思いながら、雫は確認の為に訊ねる。
「それで、ここに来たという事はうちに仕官しに来たととって宜しいのですか?」
「うむ、そろそろ私も腰を落ち着けようと思ってな。」
「それはつまり、貴女が桃香様と清宮様を真に仕えるべき主と認めたという事ですか?」
「そうだ。……まあ、そもそも、今の世の中で英雄と呼べる人物は五指も居ない。」
星はそう言いながら右手の指を、一つずつゆっくりと立てていく。
そうして言葉通り、親指以外の四指を立てた所で、星は雫を見た。
「……群雄割拠の時代になりかけている今、早々に判断するのはどうかと思いますが?」
「ふむ……経験は不足しているとは言え、流石は軍師。自身の心情とは真逆の言葉で私を試しますか。」
「それが私の仕事ですから。」
雫は星の指摘に「相変わらず鋭い方だ」と思いながら、表情を全く変えずに答える。
そんな雫を何故か満足そうに見ながら、星は再び言葉を紡ぐ。
「確かに、漢王朝が力を失いかけている今、大陸各地に力を持った諸侯が現れている。その事実に関しては異存は無い。」
そう話し始めた星に、雫は首肯して先を促す。
「だが、その中で大陸に平穏を齎し、維持する事が出来る者が何人居るだろうか。残念ながら、殆どの者は私利私欲に塗れた愚者でしかない。自覚しているか、無自覚かは別にしてな。」
「そうですね。」
雫は星が言う愚者が誰かは訊かなかった。
訊かなくても大体は判るし、何より、他者の評価を鵜呑みにするつもりが無かったからだ。
とは言え、誰を英雄と評しているのかに関しては興味があった。
これも恐らくは自分と同じだろうと思いながら訊ねる。
「では、貴女が思う英雄とは誰なのですか?」
すると星は、真面目な表情になって答えた。
「先ずは
それは雫も同感だった。彼女は桃香達と比べれば、曹操――
だが、その短い時間でも、華琳が持つ覇気や言動の端々に強さが込められている事は十二分に判った。
……序でに、常に人材を求めているという事も。
「……では、他には誰が居るのですか?」
更に訊ねる雫に対し、星は一瞬だけ視線を中空に彷徨わせてから口を開く。
「他にはそう……孫策だな。」
「孫堅ではなく、その娘なのですか。」
「意外か?」
「いいえ。」
星の問いに雫は即答した。
確かに、今の孫軍は孫堅が指揮しているが、何れは娘達の誰かが継ぐだろう。
勿論、孫堅は未だ若く実力も衰えていないので、それはまだまだ先の事だろうが、曹操と同年代――正確には孫策の方が少し年上――という事を考えれば、英雄と呼ぶのは孫策の方が合っているかも知れない。
「母親譲りの武に、部下を統率する力、どちらも英雄と呼ぶに相応しい。一時は若さ故の血気盛んさが目に付いていた様だが、今ではそれも少し落ち着いている様だしな。」
「ええ……。」
星の言葉に、何故か雫は力無い声を漏らす。
それは、孫策が落ち着きを得た理由を知っているが故の声だった。
その理由を知らない、もしくは察している星は、妖しげな微笑を浮かべて雫を見やる。
その視線が何となく嫌だったので、雫は話の先を促した。
「そ、それで、他には誰が居るのですか?」
「……雫なら、言わずとも解るであろう?」
星は変わらずの表情のままそう言った。
「……確かに。ですが私は、星さん自身の口から聞きたいのです。」
「ふむ……まあ良かろう。残りの人物は、ここの州牧である劉備殿と、その補佐を努める清宮殿だ。」
星がそう言うと、雫は内心満足しながらも、表情は冷静さを保ったまま更に訊ねる。
「その理由は?」
「先ずは二人の肩書きが万民を惹き付ける。片や“
星が言った事に間違いは無い。
劉勝は漢王朝の初代皇帝・劉邦の子孫の一人である。つまり、現皇帝である少帝と桃香は血縁関係になる訳だ。
天の御遣いという言葉も、下手をしたら占いで政治を決める者も居るこの世界では、敬意と畏怖のどちらか、若しくは両方の感情を込めて注目を集めているだろう。
事実、桃香も涼も、十常侍誅殺後の宴で高官達から引っ張りだこにされかけた。
その度に華琳や
「それでいて名声にかまけず、きちんと善政を敷いている。それはまさしく英雄の証だ。」
「善政を敷いていると、何故判るのです?」
雫は答えが解っている疑問をぶつける。
すると星は、やはり妖しげな笑みを見せながら答えた。
「私を見くびってもらっては困る。ここに来たばかりとは言え、街の人々の表情を見れば善政を敷いているか否かは一目瞭然。前任者である陶謙が善政を敷いていたのだから、それより悪い政治を行っていれば、街の人々の表情は暗くなっているのが自然だからな。」
星の答えは雫の予想通りであり、事実だった。
初めの内は前任者である陶謙の治世を懐かしんでいた住人達も、桃香達の政治やその人柄に触れていく内に段々と桃香達を認めていった。
そして、軍備拡張だけでなく、一部の税の緩和と治安の安定等の政策が上手くいくと、最早桃香達を受け入れない住人は一人も居なかった。
「成程。では何故、星さんは曹操や孫策ではなく、我等が主たる
華琳達は勿論、自らの主君の敬称すらも略して訊ねる。
それは、この場で星の結論を聞く為にした事だった。
「曹操の所は百合百合しくて適わぬし、孫策の所は身内意識が強い。そして残ったのはここだと言うだけだ。」
「……それは、消去法で止む無しに、という事ですか?」
「止む無しに、という訳では無いが、消去法なのは確かだな。勿論、それ以外にも理由は有るが。」
「私としては、それ以外の理由について知りたいのですが……まあ、良しとします。」
雫は、ふうと溜息を吐きながらそう言うと、一度目を閉じてから暫く考え、再び星を見ながら言葉を紡いだ。
「
「はっ。この趙子龍、我が命有る限り、主と共に戦う事を誓います。」
雫が仰々しく任命すると、星もまた恭しく左手を右手で包み、平伏して拝命した。
そうして暫くの間、真面目な表情でいた二人だったが、やがて殆ど同時に笑い出した。
「では、早速行ってくるとしよう。」
暫く話した後、星はそう言って招賢館を出て行った。
その手には、招賢館の仕事が残っている雫から受け取った任命の木簡が有る。
(さて……二人が私が思った通りの人物かどうか、見極めさせて貰うとするか。……ふふっ。)
星こと趙雲は、今迄感じた事が無い程の高揚感のまま城へと向かって行った。
その頃、徐州から遠く離れた荊州に徐庶――雪里は居た。
「……はあ。」
周りを見ながら溜息を一つ。
この旅に出てから何度同じ溜息を吐いたか解らない。
再び周りを見る雪里。
何度見ても、そこには賊しか居なかった。因みに全て男だ。
「……面倒ですね。」
賊には聞こえない声量で呟く。
別に聞こえても構わないが、賊を必要以上に刺激するつもりは無い。
只でさえ賊は、女である雪里を見ながらニヤニヤと笑い、誰が最初に行くかと話している。
勿論それが、二つの意味を持つ言葉だという事は雪里にも解っている。
この世界で女の一人旅をしていれば、こうなるのはよくある事だ。大して珍しくもない。
だからこそ、雪里の溜息は止まらなかった。
「はあ……。」
その溜息を、観念したという意味にとったのか、賊の一人がやはりニヤニヤしながら近付いてくる。
その手には剣を持っており、脅しの意味が有るのは明白だった。
雪里はその賊にゆっくりと近付く。賊の男は、雪里が観念したとみている為、全く警戒していない。
「……邪魔です。」
雪里がそう言った次の瞬間、賊は体から紅い液体を撒き散らしながら地面に倒れた。
賊の男は地面に倒れると、そのまま息絶えた。
突然の事に賊達は暫くの間呆気にとられていたが、やがて雪里が武器を手にしているのに気付くと、賊達は慌てて抜刀した。
雪里が手にしている武器は、剣と言うには短く、かといって短剣と言うには長いという長さの両刃刀だった。
雪里はそれを逆手に持ち、正面に構えると周りを軽く見回し、走り出した。
雪里は先ず、近くに居た賊に斬りかかった。勿論賊も防御しようと剣を動かすが、それより早く雪里の剣が賊の喉笛を切り裂いた。
更に雪里はそのまま体を回転させ、たった今倒した賊の左側に居る賊を一刀両断に斬り倒した。
この時、他の賊達は雪里に向かって斬りかかってきていたが、連携も何も無い只の突撃をかわして反撃に転じるのは、雪里にとって何の苦にもならなかった。
数分後。
辺りには物言わぬ屍と化した賊達の死体が転がっている。
全員が一撃で倒されており、その傷口からは
「……さて、行きますか。」
顔や服に付いた返り血を拭い、連れている馬に騎乗した雪里はそう言って馬を走らせる。
彼女の目的地迄は、あと一日という距離だった。
第十章「徐州の日々」をお読みいただき、有難うございます。
今回は、徐州組のオリジナル武将の登場がメインでした。後は、次章に繋がる雪里の旅立ちですね。要するにコーエーの「三国志」シリーズだと内政のターンですね。やった事無いけど←
あと、名前だけですが久々に登場した葉と景にも注目←
「招賢館」の件については、横山光輝版「項羽と劉邦」を参考にしています。この時代の資料が他にはやはり横山光輝版「史記」しかないという←
雪里の強さは、演義等に記されている事柄からイメージしてみました。とはいえ、愛紗達に比べたら弱い方ですが。
この章から、涼に対する桃香の呼称が「義兄さん」になりました。今迄「御主人様」「兄さん」とバラバラでしたが、今回からきちんと統一する様にしました。「御主人様」は場合によっては使うでしょうけどね。
次章はいよいよあのキャラの登場です。お楽しみに。
ではまた。
2012年11月29日更新。
登場人物の言葉遣いや字の文の表現などを若干加筆修正しました。
今回登場したオリジナル武将(史実武将)は、この先も準レギュラーとして登場予定です。
2017年5月10日掲載(ハーメルン)