時々危険な目に遭いながらも、漸く目的地に辿り着く。
そこに居る人材は、雪里が知る限り最高の人材。
何としても徐州に連れて行くと決意し、雪里は馬から下りた。
2010年10月3日更新開始。
2010年12月5日最終更新。
2017年5月11日掲載(ハーメルン)
「良くも悪くも変わってないわね。」
そう呟いた雪里の表情は温かな笑みに溢れている。
何故ならそれは、道行く村人の穏やかな表情を確認したからだ。
戦乱の世になろうとしている今、こんなにも表情が明るい人が多い事は、それだけで充分凄い事である。
「あら
と、そこに一人の中年女性が、雪里に対して気さくに声を掛けてきた。
雪里はその女性と二言三言、言葉を交わした後、手を振って別れた。
(長い間会っていないのに、ちゃんと覚えててくれるなんて、おばさんも変わりないみたいね。)
雪里はそう心の中で呟くと、更に笑顔になった。
今迄の雪里の言葉等で解る様に、彼女はこの村に以前来た事がある。
実は、今回連れて帰る予定の人物と雪里は、同じ私塾の同窓生なのだ。
「……あの子との話も、今みたいに上手くいけば良いけど。」
そう呟くと、雪里は急に暗い表情になった。
ここに居る人物を連れて帰ると決めてはいるが、無理矢理連れて行く訳にはいかない。
きちんと話をし、相手に納得してもらった上で
「とは言っても、私も余り長くは此処に居られないし……。」
そう呟いた時、雪里は目的地に着いた。
雪里の目の前には、この村の中では比較的大きい屋敷が在る。
「さて……行きますか。」
そう呟いて屋敷に入ろうとした時、後ろから声を掛けられた。
「あっ……雪里お姉ちゃん?」
「ん……? あら、久し振りね
振り返って声の主を確認すると、雪里はその声の主を緋里と呼び、話し始めた。
緋里は小さな女の子で、身長は
「はい、居ますよ。今はきっと、最近入手した“
「あら? あの子は確か、その二冊を持っていたと思うけど……無くしたの?」
「いえ、注釈等が違う本だったので買ったみたいです。」
「……相変わらず本の虫なのね。」
緋里の説明を聞いた雪里は、苦笑しながらそう言った。
それから雪里は、緋里に案内されて屋敷へと入っていった。
「雪里お姉ちゃんの顔を見たら、お姉ちゃんは凄く喜びますよ。」
「だと良いけどね。」
笑顔で話す緋里に対して、雪里は笑みを向けながら、努めて明るく答えた。
緋里が言う「お姉ちゃん」こそが、雪里が連れて行こうとする人物だ。
つまり、雪里は緋里から姉を奪っていこうとしている。それが判った時、緋里は今みたいに明るく雪里と接するだろうか。
普通なら有り得ない。
姉と引き離されるだけでなく、姉を戦地に連れて行こうとしているのだから。
「……ん? 話し声?」
そんな事を考えながら部屋に近付いていると、聞こえてくる声が二つ有る事に気付く。
そのもう一つの声も、雪里が知っている女の子の声だった。
「お姉ちゃん、お客様だよー。」
緋里はそう言って扉を開けた。
「お客様……? あっ!?」
「雪里ちゃん!?」
部屋の中に居た二人の少女は、扉の先に居る人物を見て驚きの声を上げる。
そんな少女達に対し、雪里は笑顔を見せながら挨拶をした。
「久し振りね、
雪里がそう言いながら部屋に入ると、朱里と雛里と呼ばれた少女が駆け寄ってきた。
「久し振りね、じゃないよっ! ずーっと音沙汰無かったから、私達がどれだけ心配したか……。」
「もしかしたら……って思って、泣いたりもしたんだよ……。」
二人はそう言いながら雪里に抱きつく。
二人は雪里より小さい為、二人の顔は自然と雪里の胸にうずまっている。
その光景は、さながら姉に泣きつく妹達という感じだ。
「……ゴメンね。ここ一年、余りに忙しくて連絡出来なかったの。」
雪里は二人の髪を撫でながらそう謝る。
すると、雪里の右側に抱きついている、朱里と呼ばれた少女が雪里を見上げた。その拍子に、首元に有るアクセサリーの二つの鈴が、小さく鳴る。
そんな朱里の大きく朱い瞳はどことなく潤んでいて、首迄の長さの薄い金髪と共に輝いていた。
朱色の長袖の上着の下に白色の服を着ており、その服は青紫色のプリーツスカートに重なり、その先は花びらの様に広がっている。
また、それ等の服は黄緑色のリボン状の帯で巻いて留めていた。
白いオーバーニーソックスはスカートの中に隠れる他長く、素足は全く見えない。
近くの床には上着と同じ朱色のベレー帽が置いて有り、そのベレー帽もまた、帯と同じ色と形のリボンが付いていた。
「……忙しいって、何してたの?」
「……今日はそれに関する話をしに来たのよ。」
雛里の質問に対して、雪里は二人の髪を撫でながら、優しい口調でそう答えた。
その言葉に、二人は若干の違和感を感じた。そして、二人がそう感じた事に気付いたのか、雪里は尚も優しく二人の髪を撫で続ける。
雪里の左側に抱きついている、雛里と呼ばれた少女は、そんな雪里を見上げながら思案を巡らす。
そんな雛里の瞳は大きく穏やかな緑色の瞳で、まるで見る者の庇護欲をかき立てる様だ。
薄紫色の髪は朱里と違って長く、両耳の後ろで綿の様な髪留めを使ってツインテールにしていた。
雛里の服装は、簡単に言うと朱里の服装と色違いのデザインになっている。具体的には、朱里の上着の色である朱色がスカートの色に、朱里のスカートの色である青紫色が上着の色になっていた。
色以外では、白服の花びらの様な形の部分の折り目が多くなっていたり、首元のアクセサリーが髪留めと同じ様な素材で出来た、二つの丸い綿になっている、という違いが有る。
他には、朱里が白いオーバーニーソックスを穿いているのに対し、雛里は素足に白く短い靴下といった所が目に見える違いだろうか。
そしてやはり帽子を被っているらしく、近くには緑色のリボンが付き、上着と同じ青紫色の魔女帽が置いてある。
勿論、「魔女」なんて言葉を知らない雪里達は、その帽子を「魔女帽」とは呼ばないだろうが。
因みに緋里はと言うと、朱里と同じ薄い金髪を肩迄伸ばし、眼もやはり朱里と同じ朱い瞳をしている。
服装は、朱里の服を小さく簡素にした感じだ。色も、薄めの朱色を基調としている。
今は帽子を被っていないので帽子を持っているかは判らないが、姉である朱里の物と思われる帽子が有る事を考えると、妹である緋里も持っていると考えるのが自然だろう。
「それじゃあ、私はお茶淹れてくるね。」
「あっ、お構いなく〜。」
緋里が笑顔でそう言って部屋を出て行くと、雪里は二人の髪を撫でながら明るく返した。
緋里の足音が遠ざかっていき、部屋には沈黙が訪れる。
すると、雪里はゆっくりと二人から離れて座り、正座の姿勢になった。
突然の事に戸惑う朱里と雛里を見上げながら、雪里は静かに言葉を紡ぐ。
「朱里、雛里。……いえ。」
一度言葉を切り、言い直す雪里。
「
雪里に「諸葛孔明」と呼ばれた朱里と、「鳳士元」と呼ばれた雛里は、雪里が何を言ったのか理解出来なかった。
本来の彼女達は、先程迄の様にお互い
「えっと……。」
「雪里ちゃん、詳しく話してくれる?」
未だに困惑しつつも、二人は思考を巡らせながら雪里と同じ様に正座の姿勢をとりながら訊ねる。
雪里はそんな二人から目を離さずに、ゆっくりと、だがハッキリと言葉を紡いでいく。
「さっき、私が今何してるか聞いたわよね?」
「う、うん。」
「その答えはね……“徐州軍筆頭軍師”って事よ。」
「「…………えっ!?」」
雪里の言葉に、朱里と雛里は暫く反応出来ず、間が抜けた声を出すしか出来なかった。
漸く思考が停止していた二人だったが、やがて無事に再開したらしく、真面目な表情になって確認する。
「雪里ちゃんが……徐州軍の筆頭軍師……?」
「す、凄いよ雪里ちゃんっ。以前朱里ちゃんが言っていたみたいに、出世してるんだねっ。」
「まあ、そうなるのかしらね。」
目を丸くしている朱里と興奮している雛里を見ながら、雪里は苦笑しつつ言った。
以前、雪里達が同じ私塾に通っていた時、親友同士で集まって甘味を食したりお茶を飲んだりした事があった。
その時、朱里が親友達を見ながら、将来についてまるでそれが正解かの様に断言した。
『雛里ちゃんは、最低でも
『雪里ちゃんは、
親友達に対して次々と、余りにも堂々と言うものだから、皆驚きながらも朱里の言葉を信じていった。
そんな中、雪里が朱里に訊ねた。
『なら朱里、貴女は?』
『さあ? ……ふふっ。』
だが、いざ自分の事となると朱里は意味ありげな笑みを一つするだけで、何も答えなかった。
「朱里、貴女はあの時、自分の事は何も言わなかったわね。勿論今更、何故言わなかったのか訊くつもりは無いけど、その時に私が貴女の事をどう思ったのかは、教えてあげる。」
「……どう思ったの?」
雪里が昔の事を思い出しながらそう言うと、朱里は暫くの間何かを考えてから訊ねた。
「……貴女は、私達とは比べ物にならない程大きな事を成せる人間。州刺史とか郡太守なんて生温い役職ではなく、もっともっと上の役職に就くだろう、ってね。」
「買い被り過ぎだよ、雪里ちゃん。」
そう言った朱里は顔を紅くしながら目の前で両手を振り、口をぱくぱく動かしていった。
先程は姓と字で朱里達を呼んでいた雪里は、今はちゃんと真名で呼んでいる。あの言い方は、ある種の意思表示みたいなものだったのだろうか。
「そんな事は無いわ。貴女は私達の中で一番優秀だったし、
「私も雪里ちゃんと同じ様に思ってるよ。」
「雛里ちゃんまで……。」
雪里だけでなく、もう一人の親友である雛里にもそう言われた朱里は、思わず苦笑してしまう。
「私はそう思ったからこそ、貴女に会いに来たの。それに、雛里も一緒に居たのはラッキーだったわね。」
「「らっきぃ?」」
聞き慣れない言葉に反応した朱里と雛里は、同時に聞き返した。
それを見た雪里は、小さく「あっ」と声を出してから二人に説明を始める。
「ゴメンゴメン。“ラッキー”って言葉は、天の国の言葉で“幸運”とか“僥倖”って意味よ。」
「天の国……。それじゃあやっぱり、徐州州牧補佐の
雪里の説明を聞いた雛里が、確認する様に訊ねると、雪里は小さく頷いて答えた。
「少なくとも、清宮殿がこの国の人間では無い事は確かね。私達の知らない言葉や知識を使うし、服装とか持ち物も全然違うわ。因みに、清宮殿と接してるお陰で私も時々だけど、今みたいに天の国の言葉を使う様になったわ。」
補足する様にそう言うと、雪里は今日何度目かの苦笑をした。
彼女の主の一人である清宮涼は、
何せ、扉は「ドア」、厠は「トイレ」と言う様に、外来語を使うのが普通になっている為、言葉選びに細心の注意を払ってもつい使ってしまうのは仕方ないだろう。
「それで、そんな清宮涼殿と
そんな雑談の中でサラッと今回の旅の目的を話すと、朱里と雛里の表情が瞬時に曇った。
「……私達を、徐州軍に?」
「そうよ。……今の徐州軍には優秀な人材が足りないの。勿論、そこそこやれる人材は居るけど、一軍を率いる武将や内政を任せられる文官が少ない。」
「だから、私や朱里ちゃんに徐州軍で手伝って欲しいって事なの?」
「ええ。勿論、今直ぐなんて言わないわ。出来るだけ早く来て欲しいのは確かだけど、色々と準備も必要だろうし。」
雪里は二人に要望を述べながら、気遣っていく。
親しき仲にも礼儀あり、という意味での気遣いだが、実際には一日でも早く来て欲しいという気持ちが強いのは丸解りだった。
「…………い。」
「え? 朱里、今何て言ったの?」
暫くの間、部屋を沈黙が支配していたが、朱里が何かを呟いた事でその沈黙は破られた。
「……悪いけど、雪里ちゃんの要請には応えられない。」
朱里はしっかりと雪里を見据えながら、そう断言した。