桃香と朱里の二人が部屋に残って約四半刻の時間が流れた。
その間、桃香のお供である愛紗と鈴々、朱里の妹である諸葛均、そして先程来たばかりの朱里の友達の黄月英と鳳統は、大広間で二人を待っていた。
その中の一人、黄月英は愛紗と鈴々を睨み付けながら、心の中では深々と溜息を吐いていた。
(出遅れたわね……まあ、最初から居ても多分、朱里の気持ちを変える事は出来なかっただろうけど……。)
黄月英はそう思いながら、今度は本当に溜息を吐く。
朱里が桃香の手紙を読んだあの日から、黄月英は毎日この屋敷に来ている。
それは大切な友達と会う為であり、守る為だった。
自分が傍に居れば、朱里は徐州に連れて行かれない、と、半ば本気で思っていた。いや、思いたかった。
幾ら大切な友達を守る為とは言え、本人の意思を無視して迄引き留める事は出来ない事くらい、彼女だって解っている。
只、解っている事と納得する事は似ている様で違う。
彼女は、黄月英は諦めたくなかったのだ。
大切な友達が、遠くに行ってしまわない様に願っていた。
だが、朱里が桃香と並んで部屋に入って来た瞬間に、その願いが叶わなかった事を、黄月英は悟ったのだった。
二人はまるで長年の親友かの様に笑いあいながら、大広間へと入ってきたのだ。
その様子に、黄月英だけでなく愛紗達も驚いている。
愛紗達からすれば、難航すると思われていた交渉相手が仲良く義姉と一緒に入ってきた事に、諸葛均達からすれば、初めはあんなに拒否していた相手と談笑している事に。
この僅かな時間で、一体何があったのか。当事者である桃香と朱里以外の全員がそう思っていた。
「愛紗ちゃん、鈴々ちゃん、お待たせー♪」
「あっ、蒼詩ちゃん達も来ていたんだね。」
共に明るい口調で言ったそれが、大広間に入ってきた二人の第一声だった。
それから二人はそれぞれの大切な人達、義妹だったり実妹だったり、親友だったりと話していく。
その中で、朱里が桃香の求めに応じた事が告げられた。
「お姉ちゃん、世の中の為に動く決心がついたんだね。」
「うん。桃香様は大した才能も無いこの身に対して三顧の礼を尽くし、私を招いてくれた。私はそんな桃香様を支えたい。何れ、功なり名を遂げたら
「解ったよ、お姉ちゃん。徐州でも頑張ってきてねっ。」
諸葛均は笑顔でそう言うと、目の前に居る姉に抱きついた。
朱里は妹が自分の胸に顔を埋め、鼻を啜っているのに気付くと、優しくそっと抱き締める。
利発な子ではあるが、未だ幼いのも事実。本当なら一緒に連れて行きたいのだが、これから仕える相手にそんな我が儘は言えなかった。
「……蒼詩ちゃん、私が居ない間、緋里の事お願い。それと……ゴメンね。」
諸葛均を抱き締めたまま、朱里は蒼詩にそう言った。
「……謝るくらいなら行かないでよ。……まあ、緋里の事は心配しなくて良いわ。毎日遊びに来てあげるから。」
「有難う、蒼詩ちゃん……。」
涙を瞳に溜めながら言った蒼詩に、朱里もまた同じ様に涙を溜めた笑みを返す。
乱世の兆しを見せるこの時代では、下手をすれば二度と会えなくなるかも知れない。
特に朱里は、これから軍に属する事になる。ひょっとしたら戦死するかも知れないし、仕事の量が多過ぎて体を壊し、そのまま亡くなってしまうかも知れない。
朱里は勿論、黄月英もそれを承知の上で言葉を交わしていく。
やがて、黄月英も静かに朱里に抱きつき、諸葛均と同じ様に鼻を啜った。
朱里はそんな大切な友達を感謝しながら抱き締める。
暫くして二人は朱里から離れ、涙を拭くと再び笑顔を作った。
姉の、友達の門出をこれ以上湿っぽくしたくないという二人の気持ちに、朱里は感動しながらも笑顔を絶やさなかった。
そうして二人と話した後、朱里はもう一人の友達に向き直る。
「……雛里ちゃん。」
「……朱里ちゃん。」
互いに友達の名前を口にしながら、見つめ合う二人。
殆ど同じ背丈と体型、ほぼ同じデザインで色違いの服装。知らない人に「この二人は姉妹です。」と言ったら、かなりの確率で真に受けられそうな程、二人は仲が良く、知り合って以来ずっと傍に居た。
そんな二人が、今別れの挨拶を交わそうとしている。
先程、諸葛均や黄月英と言葉を交わした時に思った様に、これが最後の会話になるかも知れない。
そう思いながら、朱里は口を開く。
「私、行ってくるね。」
「うん……。」
紡いだ言葉は短く簡潔。言い訳めいた事も何も無い、それは言わば決意表明。
そんな言葉に、鳳統もまた頷きながら短く応える。
朱里は、頷いたままの友達を見て、やはり謝るべきかと迷い始めた。
「……でもね、朱里ちゃん。」
そんな朱里をチラリと見ていた鳳統が、静かに言葉を紡ぐ。
鳳統の言葉に気付いた朱里が彼女に目を向け直すと、目の前に居る少女はニッコリと微笑んでいた。
「私にも、生き方を選ぶ権利は有るよね?」
「えっ?」
鳳統が言った言葉に朱里はキョトンとするが、鳳統はそんな朱里の横を通り過ぎると、自分達とは反対側に居る一団の前で足を止める。
「貴女は……ひょっとして鳳統さん?」
「はい。お初にお目にかかります、劉備様。私の名前は鳳統、字は士元と申します。」
「あっ、御丁寧にどうも。私の名前は劉備、字は玄徳です。」
丁寧に御辞儀をしながら自己紹介をする鳳統に、桃香もまた丁寧に御辞儀を返す。
因みに室内だからか、普段は帽子を被っている鳳統や朱里は今、帽子を被っていない。
まあ、帽子は本来日差しから頭を守る為の道具であり、屋内で被る物では無いのだからそれが当たり前なのだが。
「朱里ちゃんの事、任せて大丈夫ですよね?」
「あ、はい、安心して下さい。」
「そうですか……なら。」
桃香の答えを聞いた鳳統は一度眼を瞑ってから何かを考え、それから目を開くと意を決したかの様に桃香を見つめた。
「……劉備様、私も朱里ちゃんと同じ様に、貴女の
「「…………ええっ!?」」
桃香と朱里は、図らずも同時に声をあげた。
突然の事に桃香は慌てふためきながらも愛紗達と相談し始め、朱里もまた慌てながら鳳統に駆け寄っていく。
「ひ、雛里ちゃんっ、一体どうしてっ!?」
「そんなの決まってるよ、朱里ちゃん。私も世の中を良くしたいと思ったからだよ。」
朱里の疑問に鳳統は微笑みながら答える。
「で、でもっ、雪里ちゃんが誘った時は断ったじゃない。」
「あの時は朱里ちゃんが断っていたからだよ。……もし、あの時朱里ちゃんが雪里ちゃんの誘いを受けていたら、多分私もそうしてたよ。」
「っ! ……それって……。」
鳳統の言葉にピンときた朱里はジッと鳳統の眼を見ながら、彼女の次の言葉を待つ。
「うん。私は朱里ちゃんと一緒に、この世の中を変えていきたい。朱里ちゃんは私にとって大切なお友達だもの。協力したいって思うのは、当然でしょ?」
「雛里ちゃん……っ。」
朱里は感極まって鳳統の右手を両手で握り、鳳統もまた空いている左手を朱里の両手に重ねた。
同じ私塾に通っていた親友は、互いを想い、切磋琢磨しここ迄きた。
きっとそれは、これからも変わらないのだろう。
二人はそう確信しながら見つめ合い、やがて微笑みながらゆっくりと離れた。
鳳統は改めて桃香に向き直る。その瞳は真っ直ぐに桃香を捉えており、それに気付いた桃香は表情を引き締めて鳳統に向き直り、厳かに訊ねた。
「鳳統さん、先程の言葉は貴女の本心ですか?」
「勿論です。あの……私が徐州軍に入るのは駄目ですか?」
「そんな事ありませんっ。元々、朱里ちゃんの説得が終わったら結果がどうあれ、鳳統さんにも会うつもりでしたし。」
「なら、問題ありませんね。朱里ちゃん共々、これから宜しくお願いします。」
「あ、はい。こちらこそ宜しくお願いします。」
再び御辞儀をする鳳統につられて御辞儀をする桃香。
こうして、桃香は呆気ない程簡単に鳳統を得た。
朱里を得る為に必死になって説得した桃香は、鳳統も同じ様にしないと難しいだろうと覚悟していた。
それが、論戦どころか自己紹介と少しのお喋りだけで麾下に入りたいと言ってきた。
ハッキリ言って拍子抜けだが、あの緊張感はそう何度も味わいたくないとも思っていたので、ホッとしているのもまた事実だった。
何はともあれ、「臥龍」と「鳳雛」はこうして徐州軍の一員となったのである。
その日はその後、皆で歓談をしてから解散となり、夜には朱里と鳳統の送別会が開かれた。
実は二人共既に旅支度を済ませており、直ぐにでも徐州へ向かうつもりだったのだが、桃香は流石に気が引けたらしく、出発は明日にという事になった。
今は食事を終え、朱里、鳳統――雛里、諸葛均――緋里、そして黄月英――蒼詩の四人は二つの長椅子に二人ずつ座って対面しながら話をしている。
話の内容はたわいない世間話に昔話と、いつもと同じ談笑。
だが、今夜ばかりはそればかりでいられない事を、この場に居る四人は気付いている。
そして、話の雰囲気を変えたのは、この屋敷の家主である朱里だった。
「……緋里、蒼詩ちゃん。我が儘言ってゴメンね。」
「お姉ちゃん、それはもう良いよ。それより、劉備様や御遣い様の許で頑張ってきてね。」
「うん、お姉ちゃん頑張るからね。」
「……まあ、朱里が徐州に行くのは何となく予想していたから良いわよ。……けど、まさか雛里迄とはねー。」
「あ、あわわっ。」
蒼詩にジト目を向けられた雛里が、慌てながら目を伏せる。
そんな雛里を隣に座っている朱里が落ち着かせ、蒼詩にはやはり隣に座っている緋里が宥めていった。
「蒼詩お姉ちゃんはお姉ちゃんの事になると、周りが見えなくなるからねー。雛里お姉ちゃんがどうしたいか気付かなかったのは無理無いよ。」
「えっ? て事は緋里は気付いていたの?」
「うん。雛里お姉ちゃんはいつもお姉ちゃんと一緒だから、お姉ちゃんが徐州に行く事になったら絶対に一緒に行くんだろうなと思っていたよ。」
緋里は笑顔でそう言いながら、朱里と雛里、そして蒼詩を見ていく。
蒼詩はそんな緋里を見ながら、やっぱり朱里の妹だなと感心していた。
(……ううん、私が凡人なだけ。朱里も雛里も、そして緋里も才能があるし。…………なんだ、そうだったのか。)
その最中、蒼詩は朱里達を見ながら気付いた。
(我が儘を言っているのは、朱里でも雛里でも、勿論緋里でもない。私だったんだ……。)
愕然としながらも、蒼詩はその表情を平静に保っている。
折角の門出なのに雰囲気を暗くする訳にはいかない。なにより、その事実に負けたくなかった。
(……そうよ。今は朱里達の傍に居るのが相応しくなくても、いつかきっと相応しい人間になってみせるわっ!)
蒼詩は心の中でそう固く決意し、親友との暫しの別れを受け入れたのだった。
翌日、朱里と鳳統の旅立ちの見送りには諸葛均や黄月英だけでなく、崔州平を始めとした水鏡女学院の同窓生達も来ていた。
朱里と鳳統はその彼女達と話しており、少し離れた所で桃香達がその様子を微笑ましく、そして少し申し訳無さそうに見守っている。
そんな中、鳳統は朱里が手にしている物に気付いた。
「朱里ちゃん、それって……。」
「うん、卒業の時に水鏡先生から戴いた“
朱里の手に有るのは、白い羽で作られている扇。
涼が居た世界の諸葛孔明のトレードマークでもあるその「羽毛扇」は、こちらの世界の諸葛孔明である朱里も持っていた様だ。
「いつか、こうして世に出る時に持って行こうと思っていたの。……大分遅れたけど、漸く、その時が来たよ。」
そう言った朱里の表情は、嬉しさと申し訳無さが同居していた。
恐らく、恩師の教えを生かそうとせずにこの隆中で晴耕雨読の生活しかしなかった事を悔いているのだろう。
叔父夫婦への恩返しや、その叔父夫婦を亡くした事による悲しみの所為とは言え、自身が学び得た事を世の為に役立てなかった事もまた事実。
だからこそ、旅立てる今日という日をとても嬉しく感じているのだ。
「うん、やっぱり朱里ちゃんは世に出ていくのが一番だよ。なんたって、水鏡女学院始まって以来の秀才なんだし。」
「雛里ちゃんだって、水鏡先生に認められていたじゃない。」
あはは、と、二人を中心とした一団の明るい声が響いた。
だが、そんな一時にも終わりはやって来る。
朱里と鳳統は、同窓生達に一礼すると、桃香達の許に向かった。
「お待たせしました、桃香様。では、参りましょうか。」
「もう良いの?」
「はい、余り長く話していても別れが辛くなるだけですから。」
「……そっか。」
朱里と鳳統の表情から彼女達の心境を察した桃香は、諸葛均達に一礼し、愛紗達と共に木々に繋いでいる馬達の許に向かう。
そんな桃香達に向かって、「宜しくお願いします」や「頑張れーっ」といった声が掛けられる。
よく見れば、あんなに徐州行きを反対していた黄月英でさえ、笑顔で手を振っている。
そこに嘘や我慢が無く、心からの行動なのは表情や声から解った。
だから、二人はそんな家族や友達に向かって手を振りながら、笑顔でこう応えるだけで良かった。
「「みんな……行ってきますっ。」」
こうして、臥龍鳳雛は歴史の表舞台に出たのだった。
第十二章「三顧の礼」をお読みいただき、有難うございます。
今回は、タイトル通り三顧の礼についてのお話でした。
繰り返しになりますが、自分は「横山光輝三国志」くらいしか三国志に関する本は持っておらず、書き始めてから幾つかの本は買いましたが、物語として書かれている本は未だありません。
その為、今回でいえば桃香と朱里の話し合いは殆どそのまま引用するしかありませんでした。単なるコピペと指摘されたら、言い返せませんね。
勿論、実際の隆中対とは違う書き方をしなければいけませんから(現時点では曹操による巨大勢力はありませんからね)、色々整合性をとれる様頑張りましたよ。
そうそう、序盤の桃香の自己紹介の矛盾についてはスルーして下さい(笑)
なんにせよ、何とか三顧の礼を書いて臥竜と更には鳳雛をゲットした桃香達。毎回思いますが、こんなに早く諸葛亮や鳳統が仲間になる蜀はチートだよね。
次からは新章に移ります。
この新章がこんなに長くなるとは思わなかった←
良かったらこれからもお読みくださいね。
2012年11月30日更新。
上記の矛盾点や一部の文章を加筆修正しました。
それでも横山光輝三国志の影響は多分に残っていますが。
2017年5月22日掲載(ハーメルン)