宴はその夜遅く迄続いた。
酔いつぶれる者も多数居たが、全員自力で寝室へと戻る事が出来た。程立こと風もその一人である。
尤も、彼女は一滴も酒を飲んでいない。飲めない訳では無い様だが、飲んでいない。
「やれやれ、稟ちゃんはよく寝ているです。」
隣ですやすやと寝息をたてている親友を横目に、風は寝間着に着替え、床につく。
「……明日は、とうとう風達の未来を決める日です。長かった様な、短かった様な……。」
就寝中の親友に向けてか、只の独り言か判らないが、風はそう呟いてから目を閉じ、間もなく深い眠りについた。
彼女は夢を見始めた。幼い頃より何度も見ている夢だった。
(ああ……。またこれですか……。)
夢の中の風は苦笑した。もう何回も何回も、この夢を見ている。内容は、泰山に登り両手で太陽を掲げるという夢である。
「
それは日本の漫画「項羽と劉邦」にも採用されており、秦の始皇帝や項羽がその夢を見ている。
尤も、「西漢演義」は
(太陽を頂く夢……風はこれを天下を獲る人物を支える事と思っています。そしてその太陽は……。)
曹孟徳。風の結論はそうだった。
母に太尉の曹嵩、祖父に大長秋の曹騰という名門曹家の後継者であり、未だ未だ実力を発揮しているとは言い難いものの、少しずつ力をつけており、その名声は日に日に高まっている。
そしてそれは、この数日で確信に近付いていった。容姿も立ち居振る舞いも、人を惹きつける魅力も、風が今迄出会った名のある人物の中で最上位と言って過言ではない。
だから、風はこの夢の指し示す様に誰かを支え、つまりは曹操を支えていくのだと、思っていた。今、夢の中の風もこの夢を見ながら確信しようとしていた。
そんな風の心を知ってか知らずか、夢は「いつも通り」に進んでいく。間もなく、夢の中の風が太陽を掲げる場面になる。
だが、ここで夢の中の風はその動きを止めた。
夢を見ている風は、その様子を見て首を傾げる。
(……? 何かあったのでしょうか。……変ですね、今迄はこんな事は無かったのですが。)
怪訝に思いながら夢の中の風を見ている風。やがて、夢の中の風が驚きながら空を見上げた。
(えっ……?)
夢を見ている風もまた驚き、視線を動かす。
夢の中の風と夢を見ている風。その二人が見ているものは同じ、空に浮かぶ太陽。ただ、今迄と違うのは、その太陽が「二つ」有るという事だ。
(ど、どういう事でしょう? 太陽が二つ現れたという事は、何か意味があると思うのですが……。)
二人の風が考えている間、二つの太陽はゆっくりと夢の中の風の前に降りてきた。そこで風は、初めて太陽を直視する事が出来た。太陽を直視する等、普通なら危険だが、夢だから問題ない。
(おや……この太陽、大きさや明るさが微妙に違いますね。)
二つの太陽は、風が心の中で言った様に少し違っていた。
向かって右の太陽は小さいが、時々明るさが左の太陽より輝いている。
一方、その左の太陽は大きさも輝きも右の太陽よりも勝っている。
(……どうやら、私がいつも見ていた太陽は左の太陽の様ですね。)
軍師志望なだけあって、記憶力は自信がある風である。
二つの太陽の微妙な違いに気付き、改めて二つの太陽を交互に見る二人の風。
そうして暫くの間考えた末、夢を見ている風は一つの結論に達した。
(……恐らく、二つの太陽の内一つは孟徳殿を表しているのでしょう。では、このもう一つの太陽は……。)
誰なのか? とは考える迄もなかった。風がここ陳留に来てこの夢を見るのは今回が初めてで、前にこの夢を見た時から今日迄で変わった事といえば、曹操こと華琳と再会した事。そして、
(お兄さん、ですか……。)
「お兄さん」こと、清宮涼と再会した事である。
(という事は、お兄さんは孟徳殿と同じ様に天下を穫れる、という事なのでしょうか。……そうは思えませんが。)
中々厳しい風である。
とは言え、彼女も涼の実力は認めている。つい先日その戦いぶりを見たばかりだし、部下である張飛こと鈴々や孫乾こと霧雨に慕われているのもよく見た。そうした事を考えれば、確かに有力候補ではあるだろう。涼自身がどう思っているかは別にして。
(他に候補者は居ませんし……。敢えて挙げるなら、お兄さんと一緒に居る玄徳さんや、仲が良いと噂されている伯符さんくらいですか。)
そう思い、風は暫く思案に耽る。
だが、その思案は比較的短く済んだ。風は既にその二人について得た情報を精査し、結論を出していた。だからこそ、徐州や揚州ではなく、ここ兗州に来ているのだ。
二人への評価は悪くなく、寧ろ良い方だ。だが、それでも彼女にとっては曹操こと華琳以下なのである。
では、涼は華琳以上か以下か同等か。結論を言えば、以上ではないし同等とも言えない。以下というのが妥当だろう。
世間の評判は、「天の御遣い」という呼び名もあって涼の方が現時点では上だが、風の評価はそうした事は余り考慮せず、あくまで実力と将来性に比重を傾けての評価だ。その為に世間との齟齬が生じるが、風にとっては何の意味も無い。
だからこそ、風は今のこの状況がどういった意味を持つのか考えている。たかが夢じゃないか、と一笑に付す事も出来るが、こうした事例が今迄無い以上、夢だからといって楽観は出来ない。
既に風の決意は九分九厘固まっていた。そこにこの夢である。何かの予兆や忠告と捉えてもおかしくない。
(この夢は、お兄さんと一緒に行くべきという事なのでしょうか? それとも、只の夢なのでしょうか?)
そう思いながらも、只の夢という考えは捨てた。
今迄ずーっと同じ内容だったのに、今回だけ違うのだ。なら、それが意味する事は一つしかない。
(お兄さんと一緒、ですか……。それはそれで面白いでしょうが、ならば何故、以前は夢に変化が起きなかったのでしょう?)
風は疑問に思い、その理由を考えてみた。幾つか考えられたが、結論としては以前と比べ、涼が成長したから、と考えられる。だとすれば、これは凄い事だ。以前は全くの対象外だった涼が、僅かな期間で対象内になる程成長したのだ。ならば、風が重視する実力と将来性は未だ伸びしろがあるかも知れない。
(風が、そのお手伝いをしろ、という天啓なのでしょうか。)
疑問形で思いつつ、その心境には最早疑問符は無い。周の
夢の中の風が動いた。いつもの様に太陽を掲げる。いつもと違うのは、その太陽がいつもの「大きく輝く太陽」ではなく、「小さいが時々物凄く輝く太陽」だった事。
そこで風は目を覚ました。
「……これが、風の運命なのでしょうね。」
そう言った彼女の表情は、常と変わらない眠そうな表情だった。
この日は、涼達が帰るという事で朝からバタバタしていた。
徐州迄の食料等を補充し、華琳達と挨拶を交わし、一番肝心である同盟締結の書類を確認する。これを忘れてはこの旅の意味が無い。
結局、一連の準備が終わり、出発するのは昼食をとってからという事になり、その昼食も華琳が提供し、華琳の屋敷で皆と一緒に食事をとった。
食後、暫しの休息の後、涼達は徐州への帰路についた。華琳を始めとした大勢の者達が見送りに来た。
別れと感謝の挨拶を交わし、涼達はそれぞれの馬に騎乗しようとする。
「ん?」
涼の視界に、小さな少女の姿が見える。程立こと風だ。
何かな? と思いつつ視線を向けると、その小さな体躯に似合わない程の大きさの荷物を背負っており、明らかに旅支度という感じだ。
風も旅に出るのかな? けど、風は華琳についていく筈だし、等と考えていると、風はペコリと頭を下げながら次の言葉を言った。
「お兄さん、これからヨロシクなのです。」
風はそう言うと、近くに居た徐州兵に自分の荷物を渡した。徐州兵は何の疑問も持たずその荷物を涼達専用の馬車に積み込んだ。
そこで漸く、涼は言葉を発した。
「えっと……どういう事?」
「どういう事も何も、これから風はお兄さんと一緒に徐州軍の一員になるのですよ。別に文句は無いでしょう?」
文句なんか有る訳が無い。程立が正史において、または演義においてどれだけの活躍をしてきたか、三国志に詳しい涼はよく知っている。今は未だそれだけの実績は無いものの、その程立が徐州に来る。断る方がどうかしているだろう。
だが、涼は三国志を知っているだけに悩み、確認する様に訊ねた。
「……良いのか?」
「風が良いと言っているのですから、良いのです。」
風はそう言うと、真っ直ぐに涼を見た。涼もまた風を見詰め、やがて頷いた。
その後、風は華琳達に向き直り、簡潔に感謝の弁を述べた。またその際、華琳には誘いを断る事になって申し訳ないという言葉を付け加えた。
「確かに残念だけど、貴女が決めた事に口出しする程狭量では無いつもりよ。貴女の活躍を祈っているわ。」
「ありがとうございます。」
深々と頭を下げると、次いで稟に向き直り、こちらにも謝罪を述べた。
「孟徳殿も仰っていたけど、貴女が決めた事に私が文句を言う事は出来ないわよ。」
「……もし、風が稟ちゃんを誘っていたらどうしましたか?また、今誘ったら?」
「……どうかしら。一緒に行く事にしたかも知れないし、そうでないかも知れない。けど、今ではもう遅い事は確かね。」
「……そうですか。」
風が決断した様に、稟も決断していた。その事に風は嬉しさと寂しさを感じつつ、表情には出さない。代わりに、常の眠そうな笑顔を見せて言葉を紡いだ。
「それじゃあ、稟ちゃん。またね、なのです。」
「ええ。またね、風。」
別れの会話を交わし、風はゆっくりと涼の許へと歩き出した。
長い間、一緒に居た親友との別れが悲しくない訳ではない。寧ろ、離れたくないと思っていた。その為に稟も誘おうと何度も思った。
だが、彼女が誰に仕えたいか解っていた風はそれを言い出す事をしなかった。自分の我が儘に付き合わせる事はしたくなかったのだ。
これから先、世の中は乱れるだろう。その際、二人が敵同士になる危険性は高い。それでも、互いの夢の為にそれぞれ決断した。
悲しい別れになるかも知れない。そうなった時、自分はどうするのだろう? 相手は?
そうした悲壮感を心の内に仕舞い、風は涼に言った。
「さあ、お兄さん。徐州へ帰りましょう。」
この日、風は名前を程立から
その文字通り、「日輪を支える」者になる為に。
皆さんこんにちは。若しくはこんばんは。それともおはようでしょうか?
漸く第十五章が終わりました。
色々と書きながら変更した部分もあり、最後のあの部分は特に悩んだのですが、結局こうなりました。
今回のパロディネタ。
「そんな事をしても、その汚れは落ちないわよ。」→「その汚れは洗ったって落ちない。」
「必殺仕事人2009」にて、経師屋の涼次がからくり屋の源太に言った台詞より。
現代人の涼と乱世を生きる華琳との対比になる台詞です。未だ慣れてなかったのか!?という声が聞こえてきそうですが。
次は青州決戦です。
大体の流れは決めてますが、幾つか迷っていたりします。
いつも通り、気長にお待ち頂けると嬉しいです。ではまた。
2014年2月5日更新。
一部の文章の修正と追加をしました。
2017年6月21日掲載(ハーメルン)