その戦いも、間もなく終わろうとしている。
このまま何も起こらず終わるのか、それとも……。
2014年2月5日更新開始。
2016年3月9日最終更新。
2017年6月22日掲載(ハーメルン)
今、
一方、
「皆さん、いよいよ決戦です。」
そう言ったのはこの連合軍の軍師を務める
「青州黄巾党は既にその手足をもがれたも同然、私達の勝利は確実でしょう。ですが、追い詰められた鼠は猫を噛みますから、油断は出来ませんが。」
朱里はそう言って眼前に居並ぶ将兵達に注意を促す。そして、ここ青州の地図を台の上に広げ、改めて状況を整理し、作戦を語る。
「この十日間で、
既に地図には解放した街の名を丸で囲んでいる。また、朱里が今挙げた以外の幾つかの街にも丸が書かれていた。
それを見る限り、既に青州の三分の二は解放していると言って良いだろう。
だが、それでも未だ臨淄には青州黄巾党の主力が多数残っていると考えられる。このまま戦って勝てるのだろうか。
「勝てます。」
不安げな表情をしている将を見ながら、朱里は自信に満ちた表情でそう言った。
「それは、今回の作戦で西側を空けている事が大きく関係しています。」
地図の丸部分を指差しながら、朱里は説明をしていく。
「
「けど朱里ちゃん、孫子の兵法に則っているなら、“十を以って一を攻むるなり”とは違う戦い方じゃない?」
「確かに、先の戦いは戦力を分散させての戦いだったな。」
疑問を投げかける
ここで少し、「孫氏の兵法」について説明しよう。孫氏の兵法とは、その名の通り「孫」という名の者が記したとされる兵法書の事である。
一般的には紀元前五百年頃、時代区分で言えば
尚、1972年に
先に朱里と桃香が述べたのはその孫子の兵法の一節である。余談ではあるが、孫子の兵法は
順に説明しよう。
始めに、「先ず勝つべからざるをなして、以って敵の勝つべきを待つ」とは、万全の守りを整えてから、機を見て攻勢にでるべし、という事。
続いて、「勝敗は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」とは、万全の態勢で戦いに臨む者は勝ち、戦いの途中で勝機を伺う者は負ける、という事。負けない準備をしてから戦い、策を弄する。きちんと準備をして戦えば、たったそれだけで勝てるのだ。
朱里はこの二つを合わせて少し変化させ、敵の補給路を断つ事で守りを固め、準備を整えたとしている。
最後に、「十を以って一を攻むるなり」とは、敵が分散したらそれを全力で倒すという事。そうして一つずつ倒していけば敵の戦力は確実に減り、勝利はより確実になるという事である。
それらを纏めると、徐州・青州連合軍は敵である青州黄巾党を倒す為、きちんと準備をしてきたのだが、その過程で自軍の戦力を分散させるという兵法とは矛盾した行動に疑問がある、という感じだ。
朱里はそうした疑問に対し、ゆっくりと説明を始める。
「何故戦力を分散させたか、についてですが、これは私達の戦力が増加した事と、時間をかけられない事情が関係しています。」
それに反応したのは
「それってどういう事なの、朱里?」
「先ず、時間をかけられないのは私達が遠征軍だと言う事です。孫氏の兵法で言えば、“兵は拙速を聞く”“知将は務めて敵に食む”が該当します。」
椿はそれを理解するのに若干時間がかかったが、彼女と比べて兵法に明るい姉の
「……自軍の損耗を最小限に抑え、兵糧の消費を抑える、という事ですか。長引けば長引く程に士気は落ち、私達は不利になりますから。」
「その通りです、山茶花さん。」
微笑みながら羽毛扇を山茶花に向ける朱里。自分の考えが理解されるのは嬉しいものの様だ。
「古来より長期戦で勝った例は少なく、例え勝ったとしても利益が少なくなります。戦とは兎に角お金がかかりますし、何より人的損害が増えるのは望ましくありません。」
「人が居なければ、何も出来んからな。」
「ですから、私達は素早く戦いを終える必要があります。ですが、それが容易では無い事は事前に解っていました。さて、椿さん。何故容易では無いか解りますか?」
「えっ? ……えーーっと、敵が多いから?」
「当てずっぽの様ですが、正解です。」
椿と朱里は苦笑した。だが直ぐに表情を戻し、説明へと戻る。
「先程も言いましたが、敵は号数百万。どんなに少なく見積もっても五十万近い数の戦闘兵が居ると考えられます。これでは、幾ら私達の兵士が強くても勝つのは難しく、また、勝っても被害が大きいでしょう。」
「兵が少ない状態で戦い、勝つのは難しいからな。」
「はい。ですから、私達はこの決戦の為に先ず、敵の数を減らす事を始めました。」
「それが、色んな街の解放だったんだよ、ね?」
「正解なんだから自身なさ気に言わないの。」
糜姉妹のやり取りに和む一同。勿論それも一時の事で、直ぐに説明に戻る。
「青州黄巾党は前述の街を防衛線と補給基地にしていました。これは孔融さんの部下の皆さんの情報ですが、この情報のお陰で戦略を考える事が出来ました。」
「それが、敵の手足をもぐ作戦……戦力を減らし、補給を断つ為の同時攻撃だったな。」
愛紗がそう言うと、皆がその時の戦闘を思い出したのか、一瞬だが場が静かになった。
朱里は、前述の情報を知った後、どの街にどのくらいの数の敵が居て、貯め込んでいる物資や食料がどれくらいかを、細作を放って調べた。賊でしかない黄巾党の情報を調べるのは容易だったらしく、直ぐに結果が出た。
その結果を元に部隊を再編し、複数の街を同時に攻撃。黄巾党を追い出して街を解放し、苦しんでいた民衆を救った。
この攻撃の際、朱里は各部隊数をそれぞれが担当した街に居る黄巾党の数を上回る様に配置した。その為、数的優位のまま戦闘は行われ、被害を最小限、成果を最大限にする事が出来た。そうして前述の街を解放し、臨淄に来る事が出来た。
この戦い方は、孫氏の兵法にある、「十なれば、
朱里は青州軍が加わった事で出来た数的有利を活かす為、敵の少ない街から順に攻撃し、敵の数を減らしていった。それでも未だ数十万の敵が居ると考えられるのだから、苦しい戦いなのは間違い無い。
勿論、朱里はそれに対しても手を打っていた。
黄巾党の敗残兵に偽装した細作を臨淄に潜り込ませ、敵の噂、つまりは徐州・青州連合軍の噂を誇張して流している。
別の細作が確認した所、この策も効果があった様で、臨淄から逃げ出した黄巾党の兵も多いらしい。「これ兵の要にして、三軍の恃もて動く所なり」とある様に、情報戦は戦争に不可欠なものであり、賊でしかない黄巾党には効果覿面だった。
こうして敵の手足をもいでいく作戦により、数的不利を幾分か解消した。それでも未だ数は多く、可能ならもう少し減らしたいところだ。
だが、それが出来ない。何故なら、敵が臨淄に居るからである。
「補給を断った今、兵糧攻めを行えば時間はかかりますが安全に勝てます。ですが、それでは臨淄の人々を助ける事が出来ません。」
朱里は羽毛扇を口許にやり、地図の一点、臨淄が書かれた部分をジッと見る。
敵の補給を断ったという事は、物資が臨淄に流れないという事である。そうなると、臨淄の人々も苦しんでしまう。細作によれば、犠牲になっている人も多いが、無事な者も数多く居り、今なら大勢の人が助かるという。
桃香達の目的は青州を黄巾党から救う事であり、臨淄の人々を助ける事も勿論含まれている。その為、多少危険性は残るが、朱里はここ臨淄への進軍を進言し、桃香はその言を採用しここ迄来た。
孫氏の兵法の「利にあらざれは動かず、得にあらざれば用いず、危にあらざれば戦わず」で言えば間違った判断だが、桃香や朱里は現状を「危にあらざれば戦わず」、つまり「余程の事でなければ戦わない」の「余程の事」と判断した様だ。
青州軍との合流で増えた兵力、一人でも多く助けたいという現状が、先の桃香の疑問に対する答えとなっている。もっとスマートにやれたかも知れないが、今の彼女達にはこれが最上の手なのだ。
続いて、朱里は臨淄解放作戦の説明に移った。
「今の青州黄巾党が臨淄を出て戦うとは思えません。依然として数的有利はあちらにありますが、連戦連敗の報せを受けている黄巾党の士気は確実に落ちています。この機を逃す事はありません。」
「とは言え、臨淄城を落とすのは大変だと思うぞ。城攻めは三倍の兵力が居ると言うからな。」
そう言ったのは時雨。今回の遠征では愛紗と共に徐州軍の切り込み隊長を担っており、戦場については一日の長がある。
「時雨さんの仰る通りでしょう。このままでは苦戦は必至、下手をすれば全滅もあります。」
そう言いつつ、朱里の表情には悲壮感が無い。それに気付いた山茶花が何故そんなに落ち着いているのかと訊ねる。
それに対し、簡単な事です、と前置きしてから朱里は説明を始めた。
「相手は確かにこちらより多いです。ですが、所詮は賊の集まりでしかなく、張三姉妹による士気の高揚も無い。首魁と思われる
朱里はそう言って一同を見渡す。先程迄は不安そうな者も居たが、今は一人も居ない。
皆、朱里の言葉によって自信をつけ、取り戻していた。
賊なんかに負ける訳が無い、この間は油断しただけだ、あいつの敵は討ってやる、等の声がそこかしこから上がり、否応がなしに士気が高まっていく。
朱里はそれを見て、羽毛扇の下で小さく微笑む。
そして、表情を引き締めて改めて一同を見渡し、力強く宣言する。
「今の青州黄巾党は士気が落ち、追い詰められています。だからこそ、この機に乗じて敵を……殲滅します。」
殲滅、という彼女の外見からは似つかわしくない単語が出た事に桃香は少なからず驚くが、直ぐにそれだけの覚悟だと解った。
だが、同時に桃香はこう思う。
(話し合いで解決する事は出来ないのかな……。)
と。
それが只の偽善だという事は、彼女自身も解っている。既にこの作戦で数えきれない程沢山の黄巾党を殺してきた。今更そんな事を言っても意味が無い。
それでも、桃香は自分の近くに話し合いで味方になってくれた元黄巾党の子が居るだけに、諦めきれていなかった。
『黄巾党の中で一番残虐で、一番強く、一番倒さなくてはいけない相手です。』
それと同時に、以前、飛揚が言った言葉も桃香の胸中に重く、楔の様に留まっていた。