「麗羽の使者が来ているの?」
「はい。恐らくは、今回の軍勢と領土侵犯についての釈明でしょうが……いかがなされますか?」
「会わない訳にもいかないでしょう。今は麗羽の方が官位は上だし、一応話を聞く必要があるし。」
血縁者で信頼できる部下の
「ですが華琳様、あの袁紹が素直にこちらの話を聞くとは思えないのですが。」
「そんな事、私も思っていないわよ。けど、無駄に血を流す必要もないでしょう?」
それは勿論です、と頷く秋蘭。
「麗羽が領土侵犯をしているのは確かなのだから、私がその非を責めて鄴へ帰る様に言うのは当然の事だし、それで終わればこれ程楽な事は無いわ。」
「まったくです。……それにしても、まさか徐州との同盟の話から直ぐにこの様な事態になるとは、流石に驚きました。」
「あら、聡明な貴女にしては珍しいわね。」
「申し訳ありません。ですが、まさか徐州が青州の救援をしている中で、あの袁紹が空き巣狙いをするとは思えなかったので。」
「仕方ないわね。麗羽の行動は私にも読めないのだから。」
苦笑しながら歩く二人は、やがて謁見の場に着いた。とは言っても、陣内に在る幕で囲まれたちょっとした広場だが。
「あら、誰かと思えば顔良じゃない。貴女が麗羽の使者なのね。」
「はい。御無沙汰しております、曹操様。」
平伏している斗詩に対し、華琳は多少フランクな口調になった。常に袁紹の傍に仕える顔良と文醜とは顔見知りであり、彼女の態度は自然な事である。
とは言え、外交の場ではそんな事は関係ない。椅子に座った華琳は毅然とした態度で顔良に接した。
「それで? 要件は何なのかしら?」
瞬時に冷徹な口調に変わった事で、顔良は半ば諦めの境地になったが、しっかりと使者としての役目は果たそうとして、袁紹から預かった手紙を取り出した。
「我が主君、袁本初から曹操様への手紙を預かってまいりました。是非お受け取りください。」
斗詩がそう言うと、華琳の侍女が手紙を受け取り、それを秋蘭に渡し、それから華琳に手渡した。華琳は手紙を読んだ。所々で渋面を作ったが、一体何が書かれていたのだろうか。
華琳は一通り読み終わると手紙を仕舞い、そのまま斗詩へ質問した。
「顔良、これには兗州を通過する許可願いと、私達にも徐州を攻めろと書いてあるのだけど?」
「はい……え、ええっ!?」
一旦肯定しかけた斗詩だったが、思いもしない事を言われて驚き戸惑う。
「どうやら、貴女も知らない事だった様ね。」
華琳は一つ溜息を吐くと、斗詩の為に手紙を読み上げた。
そこに書かれた内容は、要約すると、
『無断で領土に入ってしまってごめんなさいませ、華琳さん。けどまあ、貴女なら許してくださるわよね? 私と貴女の仲ですもの。それと、私は徐州の劉備さんや清宮さんを懲らしめに行く途中ですの。華琳さんも私と一緒に戦ってくださいますわよね?』
という事になる。勿論、文章はしっかりしたもので書かれているのだが、付き合いが長い華琳は手紙を読むだけで文章が袁紹の言葉に自動変換され、脳内にあの耳障りな声が響き渡るのである。
「どうせ、麗羽の思い付きで追加したのでしょう。麗羽がしそうな事だわ。」
心底呆れ返っている様な声でそう言った華琳に対し、斗詩は何も言い返せなかった。
領土侵犯に関する謝罪と通行許可を得るだけでも難しい状況なのに、何故こんな事を書かれたのか、と斗詩は心中で袁紹に訊ね続けた。勿論、答えは返ってこない。
「顔良。麗羽への返書は直ぐに書くわ。けどその前に、今言っておきたい事があるの。」
変わらずの冷たい口調で華琳がそう言うと、斗詩はビクッとしつつも返事をし、華琳の言葉を待った。
「まず、通行許可は出せない。正当な理由があるならまだしも、徐州を攻めて無用な争いを起こそうとしている麗羽を助ける事は出来ない。また、同じ理由で麗羽と共に徐州と戦うつもりもない。一週間以内に兗州から出なければ、私は貴女を敵と見做す。以上よ。」
「わ、分かりました……!」
静かに、だが力強く断言した華琳の言葉に、斗詩はただひたすら頭を下げ続けるしか出来なかった。事態が最悪の方向に向かっているという事実が、斗詩の胸中を支配していく。それを伝えて、果たして麗羽様はどう判断なさるのか、という心配事が、重く重くのしかかっている。
その姿を見て、華琳も秋蘭も、他の武官文官も何も言えなかった。華琳は楽にしていなさい、と言ったが、とても楽には出来ないと斗詩は思っていた。
半刻と経たずに、華琳は返書を書き上げた。内容は先程斗詩に語った事だが、それをきちんと文章で、かつ
斗詩は華琳から袁紹への返書を受け取ると、深々と頭を下げて逃げる様に退出していった。
華琳から袁紹への手紙を届けた斗詩は、当の袁紹がどんな反応をするか心配だった。そして、こういう心配事は往々にして悪い方に当たってしまうものだという事を、改めて思い知る事になる。
「な……何ですのこれは!? ちょっと顔良さん、華琳さんは本当に私に対してこんな事を言ったのかしら!?」
怒りの余り、返書を破り捨てそうになりながら、何とか踏みとどまっている袁紹は、使者として遣わした斗詩に確認をした。
「は……はい。曹操さんは、今回の領土侵犯に大層お怒りで、そこに書かれている事を予め私にお伝えになりました……。」
「では、共に徐州と戦う事を拒否するというこの文章も……?」
「残念ながら、そこに書かれてある通りです……。」
袁紹は返書を破り捨てる代わりに、床に叩きつけた。「どうしてですの!?」と喚いた。こうなると、周りの武官文官はどうする事も出来ない。
既に触れた事だが、袁紹は華琳を嫌ってはいない。むしろ信頼し、親友と思っていた。
その華琳から拒絶されたのだ。少なくとも袁紹はそう感じた。その袁紹のショックの大きさは斗詩が考えるより、遥かに大きいものだった。そしてそれだけに、「裏切られた」との思いが強かった。
勿論、華琳は袁紹を裏切ってなどいない。常と同じ様に仕事をしただけであり、それは誰からも非難されるものではない。仕事をしない方が非難されるのだから。
だが、今の袁紹にそんな理屈は通用しない。今の彼女にある感情は、憎しみしかない。
今回の遠征の目的である徐州への侵攻。その目的に対する感情は嫉妬だった。名門の自分よりも民衆から、有力武将から、そして漢王朝から頼りにされている劉備や清宮が羨ましかった。けど勿論、誇り高い袁紹がそんな事言える訳が無い。
だが、旧知の仲である華琳に対して生じた憎しみは、信頼していたからこそ一気に反転して生まれたものだ。そしてそれは、誇り高いが故に容易に表情、言葉、行動に現れる。
「華琳さんを倒します! 皆さん、
袁紹はその場に居る武官、文官だけでなく、外で待機している将兵達にも聞こえる程の大きな声でそう宣言した。
驚いたのは斗詩たちである。まさか曹操と本気で戦うとは思ってもいなかったし、今回非があるのはこちらなのだから、普通は華琳の言う通りにするべきなのだ。
繰り返すが、今の袁紹にそんな道理は通用しない。だからこそ斗詩たちは困っているのだが。