そうして、曹操軍は動いた。
再び現れた曹操軍に対し、袁紹軍は当初、大人しく進路変更をしていた。
だが、暫くするとやはり進路変更をし、兗州を通過して徐州へ向かおうとした。その度に曹操軍が牽制し、進路変更を促す。
それが幾度が続いた後、とうとう袁紹軍が攻撃を仕掛けてきた。
これで袁紹軍は曹操軍と真っ向から対立する事になったのだが、当の袁紹はやはり心のどこかで華琳なら許してくれるだろうと思っていた。そんな筈は無いのに、である。
大軍で攻める袁紹軍に対し、曹操軍の牽制部隊は寡兵であり、まともに戦う事は無かった。ひたすらに逃げ、それを袁紹軍は追い続けた。
結果的に、隊列は伸びきった。十万の大軍とはいえ、その隊列がきちんとしていなければ、実力を発揮できないのは自明の理である。そしてこれは、曹操軍の狙い通りだった。
ジャーンジャーンジャーン。
どこからか聞こえてきた銅鑼の音と共に、一つの部隊が現れ、猛然と袁紹軍に襲い掛かった。
その部隊に翻る旗の字は「夏侯」。この時代を生きる者で少しでも戦に通じているなら、曹操軍の夏侯と言えばそれだけで恐れ戦く。これが夏侯惇か夏侯淵かで若干の違いはあるものの、どちらが相手でも恐怖なのは間違いない。剣による死か矢による死かという違いが出るだけである。
そして、袁紹軍は今襲い掛かってきたのが夏侯惇率いる部隊だと知ると、曹操軍の想像以上の混乱を見せた。お陰で思ったより楽に袁紹軍を切り裂き、多大な出血を強いらせる事が出来た。
曹操軍襲来の報せを聞いた袁紹は、移動しながら優雅に飲んでいたお茶を落っことすという反応を見せた。
ガチャン、という音と共に湯呑は割れ、残っていたお茶は馬車の床を湿らせた。誰も拭こうとはしない。ここが戦場になった今、そんな事をしている場合ではないので当然ではあるが、袁紹はそんな事を考える余裕すらなかった。
根拠は分からないが、何だかんだで許してくれると思っていた華琳が、刃を向けたという事実が袁紹の心を大きく動揺させていた。
普通に考えれば当然の報いなのだが、袁紹にはそれが理解出来ていない。理解できていればこんな遠征は起こしていないし、今回無駄に将兵を失う事も無かっただろう。
袁紹は指示を出す事すら出来なかった。周りに居た武官、文官が慌てて指示を出し、撤退を始めた頃、ようやく袁紹は現状認識が出来るくらいに落ち着きを取り戻した。
「な、何をしていますの!? あれくらいの敵、ただちに反撃なさい!」
「麗羽、伏兵があれだけとは限らないわ。もしあのままあの場で戦っていたら、被害が大きくなるばかりよ。」
袁紹のヒステリックな言動を明亜こと許攸が諭し、今は兎に角逃げるのを優先するべきと言いくるめた。
結局この戦いで、袁紹軍は約八百の兵を失った。
その後も同じ様な戦いが続いた。損害は毎回数百人程度で済んでいるが、塵も積もれば何とやらで、ここまでで約三千七百の兵を無為に失っていた。まだ徐州に着いてもいないのに、被害を出してしまっているのだ。
そうこうしている内に、袁紹軍は南武陽に続く山道に辿り着いていた。若干行軍には向かないが、ここからでも徐州には行けるので、袁紹はそのまま行軍を指示した。
だが、流石に軍師たちはこの状況に違和感を感じていた。
何故、自分たちはここに居るのか。
何故、伏兵しか出てこなかったのか。
何故、曹操軍はあれから出てきていないのか。
そうしたいくつもの「何故」に気づき、一つの答えに行きついた軍師たちは慌てて袁紹に危機を知らせようとした。
だが、この時の袁紹軍は鄴を進発してひと月近く経っていた。これ以上遅れては徐州軍が戻ってきてしまうかも知れないと焦っていた袁紹は、軍師たちの意見を採りあげなかった。
これが、袁紹と袁紹軍のターニングポイントとなった。
それ程高くはないとはいえ、山の中の行軍はやはり疲労の度合いが違っている。馬車に乗っている袁紹はそれに気づかないが、斗詩や猪々子などはきちんと考慮し、適度に休憩を挟みながら進んでいた。
山道は、基本的に大きくない。現代ならば舗装、整備されているが、この時代はそうではない。劉邦が蜀の山道でした様にやろうと思えば出来なくはないが、それには大勢の作業員とお金が必要になる。よく使われる道なら兎も角、人通りが少ない山道を整備する余裕は無い。
そしてそれは、袁紹軍が進んでいる山道も同じだった。