これから運命がどう転ぼうとも確実に歴史に残る日を迎え、ガエリオ・ボードウィンは心臓の鼓動を早くしていた。
四大勢力の一つ。旧世紀のアメリカ合衆国などを中心として成立したSAU。その都市の一つであるデトロイト市は、神が気遣ったかのような快晴だった。
広場に並ぶ無数のカメラと、メモ帳を片手にした記者団達。これより始まる宣言を、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
耳を澄ませずとも心音が耳にまで届いてくる。緊張しているのだろう。命の奪い合いなど何度も経験し、実際に死にかけたことだって何度もあるというのに、我ながら脆い精神だと自嘲した。
「らしくないですね。暑苦しい仮面を外しているのに、まるでヴィダールを名乗っていた時以上の鉄面皮ですよ。逆賊マクギリス・ファリドの宣言に堂々と対抗してみせたあの威勢はどうしたのですか? ラスタル様なら――――」
以前と変わらぬジュリエッタの皮肉な調子が、ガエリオの緊張の糸を解す。
ガエリオは重苦しい空気を肺から吐き出すと、穏やかに微笑む。
「平然とこなしてみせた、か?」
「当然です」
亡き主君を誇るようにジュリエッタは余り強調していない胸を張る。
彼女の健気さにガエリオは自分に大切なことを教えてくれた部下を重ね、同時に最愛の人のため背伸びをしていた妹に重なった。
郷愁もあってかジュリエッタの頭に掌を乗せそうになるのを寸前で堪える。それは流石に彼女を子ども扱いし過ぎだ。
「ならば俺も努力……いや、実行しなければな。もはや俺に仮面をつけることは許されないのだから」
暫し目を瞑りガエリオ・ボードウィンはこれまでの人生を回想する。
自分はきっとこの宇宙の大多数の人間の中で、かなり恵まれた生まれだっただろう。
セブンスターズの一門であるボードウィン家というブランド。厳しいが愛情ある父親、やや反抗的だが無垢な妹、きつい性格ながら誇り高い幼馴染、そして無二の親友。
多くの人間が喉から手がでるほど欲する全てを、ガエリオ・ボードウィンは生まれながらにして得ていた。
もちろんボードウィン家の跡取りとして、そしてあの男の隣に立つため相応の努力はしてきたという自負はある。それでもボードウィンという出自に助けられてきたことも認めざるをえない事実だった。
マクギリス・ファリドを親友と呼びながら、終ぞ心中の闇に気付けなかったのも、自分が光の中で生きてきたせいだろう。闇から光はよく見えるが、光からは闇は見えないのだ。
それが今やどうだろう。幼馴染みは親友だった男の奸計によって殺害され、父と妹もその男の手中にある。ボードウィン家としての力も既にマクギリスに奪われた。
ガエリオ・ボードウィンが生まれながらに持っていたものは全て失われた。けれどガエリオの胸に喪失感はない。生まれながらにして得たものではなく、自分自身がその人生で得たものがあるからだ。
愛機であるキマリス・ヴィダールが佇む格納庫の方向へ目を向ける。自分に誇りを教えてくれたアイン・ダルトンが、自分を応援してくれているような気がした。
「では、行こう。ジュリエッタ、護衛は任せたぞ」
自分の体に流れているのは鉄華団の
ガエリオはそれを恥とは思わなかった。生まれに貴賤はないが、生まれを誇ってはならぬ道理はない。偉大なる祖先をもち恩恵を甘受してきた身ならば、その血の責任を果たすだけだ。
壇上へ上がると一斉にカメラがフラッシュする。自分を見つめる無数のレンズの向こう側には、全世界の人々の目があった。
それをガエリオは正面から見据え、嘗てのラスタル・エリオンがしていたように堂々と口を開く。
「改めて名乗ろう。私の名は……ガエリオ・ボードウィン・エリオン!」
ガエリオが二星の混ざった名を宣言すると、事前に聞かされていたにも拘らず記者団からはどよめきが奔った。
「戦死したラスタル・エリオンの養子として、新たにエリオン家当主を継承したことをここに宣言する!」
発言と同時にこれまでラスタル・エリオンという巨人が背負ってきたものが、一気に背中に伸し掛かってくるのを感じた。
きっとマクギリスをまだ親友と呼べていた頃の自分であれば、その重みに耐えきれなかっただろう。膝を折らなかったのは、こんな自分に着いてきてくれた皆がいたからだ。
「ボードウィン家の嫡男として、なによりもエリオン家当主としてここに宣誓しよう! エリオン家とボードウィン家はマクギリス・ファリドを決して認めはしない!」
マクギリスが冷血の怒りを、鉄華団が鉄血の絆を導とするのであれば、自分はこの身に流れる誇り高き純血に誓おう。
絶対の正義などないことを承知で、敢えて高らかに断言してみせよう。
「錦の旗はなくとも、正義は我等にあり!」
マクギリス率いる革命軍とラスタル率いるアリアンロッド艦隊による戦いは、後の歴史に与えた影響力を鑑みても天下分け目の一戦と言うに相応しいものだっただろう。
数で勝るのはアリアンロッド艦隊だが、向上心と情熱に溢れた若手将校を中核とする革命軍はそれを覆すだけの爆発力がある。特にマクギリス個人の伝手で雇われた鉄華団は、少数ながら油断ならない戦力だった。
実戦経験豊富なアリアンロッド艦隊はギャラルホルン内では最強クラスの軍隊だが、それ故に単独で戦局を左右してしまう一騎当千のエースパイロットは少ない。
単騎にてMA撃破という『偉業』をやってのけたガンダム・バルバトスと戦えるほどの者となると、キマリス・ヴィダールを駆るガエリオだけであろう。それに次ぐパイロットであるジュリエッタでも、出来て足止めが精々だ。
まともにぶつかれば熟練のアリアンロッドといえど苦戦は必至。大番狂わせが起きる可能性も十分にある。
イシュー家、バクラザン家、ファルク家が日和見を決め込んだのも、どちらが勝つのか判断がつきにくかったというのが最大の理由だ。
しかしまともにやって苦戦するならば、なにも真正面から正々堂々と戦う必要はない。
ラスタル・エリオンは目的実現のためであれば、あらゆる非道を断固たる決意で実行する男だ。マクギリス・ファリドの武器とする御旗と力に対して、ラスタルは姦計と禁忌をもって相手にした。
革命軍に紛れ込ませた自分の手駒に、敢えて自軍に向けてダインスレイヴを発射させることで、相手側が先にルールを破ったという理由をでっちあげ、その上で用意していたダインスレイヴによる一斉攻撃で敵を殲滅する。
道義的問題を無視すれば、革命軍を倒す上で最善の選択だったといえるだろう。
結果として革命軍は半壊滅状態へと陥り、それはもはやガンダム・バエルという錦の御旗だけではどうしようもないレベルに達していた。
けれどこんな逆境にこそ活路を見出す者もいた。鉄華団である。
艦隊戦での雌雄は決した。もはや普通に戦っても革命軍に勝機はない。軍学などまったく学んでいない彼等だが、実戦によって育まれた戦術眼が目敏くそれを悟ったのだろう。
この戦況を覆して一発逆転する方法は一つ。敵の大将であるラスタル・エリオンを倒すことのみ。
不幸中の幸いにも彼等にはそれを実現するカードがあった。
テイワズから仕入れていたダインスレイヴと、それをぶちかますのに最適のMSたるガンダム・フラウロス。
いくらガンダムフレームとはいえ、武装そのものは通常のMSと同じなのだ。ナノラミネートアーマーで覆われた戦艦をそう易々と破壊することはできない。ましてや長距離砲撃では尚更だ。
その数少ない例外がガンダム・フラウロス。
ナノラミネートアーマーをぶち破ることを目的に製作されたフラウロスの巨砲で、ダインスレイヴを発射すれば、戦艦一つ簡単に落とせるだけの破壊力を発揮できるだろう。
無人戦艦を目晦ましにしての特攻攻撃。だがそれは陽動。真の狙いは無人戦艦にたった一騎で潜んだフラウロスだ。
「へっ」
爆煙の中、ゆらりと立ち上がったフラウロスの砲口が遂にラスタル・エリオンの乗るスキップジャック級戦艦を捉えた。
『撃てぇええええええええ!!!』
『撃ってええええええええええ!!』
通信越しで家族たちの声が聞こえてくる。
右目の視界は頭から流れてきた血のせいで真っ赤になっていたが、お蔭で人の死というやつがよく見える気がした。
ツイン・リアクターの出力がフラウロスを熱くし、ヤマギの固定してくれた包帯が1㎜の手のブレも許さない。
外す気がしなかった。
『させるか!』
本能的にラスタルの窮地を理解したジュリエッタが、レギンレイズ・ジュリアの最大の武装であるジュリアンソードをフラウロスの砲門目掛けて投げつける。
全神経をスキップジャック級戦艦に集中させていたシノは、横合いから迫る剣に気付くことはなかった。
『シノォォォオオオオオオオオオオオ!!』
団長オルガ・イツカの叫びが木霊する。
正しい歴史通りであればジュリエッタの決死の攻撃により、フラウロスの照準はずれて作戦は失敗するはずだった。だが時として歴史の神というやつはほんの僅かな気紛れを起こす。
たった一秒。たった一秒シノが引き金を早く引いたことが、これからの未来をまったく別の色に変えた。
「是非も……なし、か」
自分のいるブリッジ目掛けて飛んでくるダインスレイヴを目にしたラスタルは、自分が勝利の女神にそっぽを向かれたことを悟る。
ダインスレイヴが彼やイオク・クジャンごとスキップジャック級のブリッジを破壊したのはその直ぐ後のことだった。
「……よっ、しゃぁぁぁぁぁああああああああああ!」
『……あっ、あああああああああああああああああ!』
砲撃を成功したシノは高らかに雄叫びをあげ、それを阻止することに失敗したジュリエッタは悲痛な呻きをあげる。
ここに歴史の針は致命的に狂いだした。