月光を背に無人の廃棄コロニーの上を飛びながら、アリアンロッド艦隊は航行を続ける。
ウトガルド宙域会戦での敗北と、月の艦隊本部の陥落から始まった流浪の日々は漸く終わりを迎えようとしていた。ノーアトゥーン要塞基地はもう少しで目が届く場所まで近づいている。
やっと一先ずのゴールが見えてきたからかリバースクイーンの艦内スタッフの顔にも久しぶりの明るさが戻っていた。精鋭のアリアンロッド艦隊といえど、帰る場所すら失った状態でずっと戦艦生活を強いられることは相当の負担だったのである。
「ボードウィン卿。ノーアトゥーン要塞基地より通信が入っています」
「繋げ」
オペレーターにそう答えると、モニターに緑色の軍服を纏った白髪の老軍人が映る。
61歳の乃木一佐より年上だけあって老人ホームにいても不思議ではないほどの高齢だ。だが老人特有の弱々しさなどはなく、顔に刻まれた皺が彼の戦歴の深さを示しているようだった。
歴戦の老将軍。そんな表現がピタリと当て嵌まる。
『初めまして、ボードウィン卿。ノーアトゥーン要塞基地司令のジュールズ・ブリュネ三佐です。こうしてセブンスターズの未来を担う御仁と会話する栄誉を授けられたことはまこと光栄の至り』
渋味のあるコーヒーのような声でブリュネ三佐が言った。
世辞ではないだろう。もうこの老人は世辞で心を偽るほどの若さはないのだから。代わりに年齢を経た者だけが宿せる真摯さがあった。
「今の私には過大評価だ。私は親友だった男一人止められなかった不甲斐ない男に過ぎない」
『それこそ謙遜です。貴方がバエルを簒奪したマクギリス・ファリドめに啖呵をきってみせた時は年甲斐もなく心が震えたものです』
「ありがとう。賞賛は素直に受け取っておこう。そして貴方がマクギリスを簒奪者と呼ぶのであれば、どうか我々に協力して欲しい。ノーアトゥーンを我々アリアンロッドの港とさせてはくれないだろうか?」
『喜んで。この基地はあの世に片足を突っ込んだ儂よりロートルですが、まだまだ若いもんには負けぬと自負しておりますよ』
ほっと一息つく。もしもブリュネ三佐までもがマクギリスに寝返っていたら、本当に四面楚歌でおしまいだった。それこそ故事の通りに負けたのは自分達ではなく天のせいだ、とでも言い訳しながら敵軍に最後の決戦を仕掛けねばならなくなっただろう。
いざとなれば命を捨てる覚悟は出来ているガエリオだが、無駄死にというのは避けたかった。
「――――ぼ、ボードウィン卿! 三時の方向にエイハブウェーブの反応です!」
安心しかけた艦内にオペレーターの叫びが悲痛に響いた。
「なに!? 映像を出せるか!」
「は、はい!」
ブリュネ三佐の映る隣のモニターに表示されたのは、デブリの中から現れた十五隻の艦だった。
その中には月軌道で戦ったヨセフ・プリマ―三佐の艦隊の他に、革命軍に参加していた艦も多くいる。途中で援軍と合流したのだろう。
「ギリギリまで動力を停止させてデブリに潜んでいたのか」
「まさか我々の行き先を読んで先回りを?」
「だろうな。そうでなければこれだけの数の艦隊をここに潜ませておくことなどできない」
ヨセフ・プリマ―三佐は頭の回転の速い男だが、戦術家である彼にアリアンロッド艦隊の戦略図を読み切って艦隊を配置するのは難しい。
十中八九マクギリスの入れ知恵があったとみていいだろう。
『ボードウィン卿。ノーアトゥーンにも数は少ないですが兵はいます。こちらからも艦を発進させますか?』
「いや、そこで防備の手薄になったノーアトゥーンを落とされたら元も子もない。ブリュネ三佐は基地の守りに集中してくれ。あれは我々が連れてきてしまった客人だ。我々が始末をつけよう」
『了解です』
「聞いての通りだ! これからアリアンロッド艦隊は戦闘態勢に入る! 連中を追い払えばノーアトゥーンまで俺達を遮る者はない! 各人の奮戦を期待する!」
勝てばノーアトゥーンで一先ずの休息を得られる。けれど負ければ帰る場所のない自分達は宇宙の藻屑。背水の陣ともいうべき状況がアリアンロッド将兵の死力を否応なく引き出す。
これでラスタルが司令だった頃の半分以上の力くらいならば発揮できるだろう。
「前のように俺もキマリス・ヴィダールで出る。乃木一佐、全軍の指揮は任せたぞ」
「微力を尽くします」
乃木一佐は性質として硬直なところがあるため司令官としては不十分だが、司令代理を務めるには不足ない能力の持ち主である。アリアンロッド艦隊も元々の艦隊幹部である乃木一佐の命令のほうが動きやすいはずだ。
お蔭でガエリオも遠慮なくMSパイロットとして出撃できる。
ガエリオ率いるアリアンロッド艦隊が慌ただしく動いている一方で、待ち構えた側であるプリマ―三佐及び石動艦隊側は準備万端である。
ヨセフ・プリマ―三佐もまた愛機である黒紅色のシュヴァルベ・グレイズに搭乗済みだった。
「まさか本当にノーアトゥーンにくるとはな。マクギリス・ファリド……元帥なんて旧世紀の階級を引っ張り出してきた時はどんな虚栄心丸出しの馬鹿かと思ったが、面が良いだけの坊ちゃんじゃなさそうだ」
プライベートが約束されたコックピット内ということもあって、下手すれば粛清されかねない無礼な発言をするヨセフ・プリマ―。
こうしてマクギリスの走狗となって戦っているプリマ―三佐だが、ガエリオに語ったように別に彼へ忠誠心なんてものは欠片も抱いていない。石動のように革命の精神なんてものも持っていないし、ギャラルホルンの腐敗も特に興味はなかった。
ただこうも見事に予想を的中させられてしまうと、軍人としてやる気というものが刺激されてしまう。
異様に肥大化した右目の裏側で、静観な顔付きでマクギリスの罪を弾劾したガエリオ・ボードウィンを思い出した。
「アンタのことは嫌いじゃないが……」
ガエリオ・ボードウィンがカルタ・イシューを謀殺し、その罪をマクギリスに擦り付けたなんて世田話を信じているのは馬鹿な民衆だけだ。
マクギリスがカルタ殺しを認めた発言をセブンスターズ当主達は直に聞いているため、中央に伝手のある貴族は真実を知っていたし、ある程度の階級の者もある程度は察している。プリマ―家の当主で三佐のヨセフ・プリマ―は当然真実を知っていた。
どちらが悪かと言われれば、きっと大多数の人間はマクギリスと答えるだろう。プリマ―三佐個人としてもマクギリス・ファリドは友人にはしたくないタイプの男だ。尤も自分には友人なんていやしないが、とプリマ―三佐は自嘲する。
「俺はこれでも比較的真面目な
石動艦隊の援軍を得たとはいえ、未だ戦力はアリアンロッド艦隊に勝る。伏兵により意表をついたとはいえ、それは戦力差を埋めるほどのものではない。
けれどプリマ―三佐には勝算があった。ガエリオ・ボードウィンはアリアンロッドでは外様である。艦隊を自分の下に統率するために、彼は絶対に無理をせざるをえない。
狙うとすればそこだった。
『三佐。今日は
「ああ。相手は伝説のガンダム・フレームだ。しかも噂によればMAを単騎で倒した鉄華団の鬼神並みの化物らしいときてる。素のシュヴァルベ・グレイズじゃ性能が追い付かん」
『了解です』
整備兵がシュヴァルベ・グレイズに追加装甲を装着していく。
シュヴァルベ・グレイズは『
見た目からして鈍重そうだし実際機体重量は倍近くなっているが、追加装甲のあちこちに増設されたバーニアによって機動力は向上している。もちろん火力と耐久性もだ。
自分が『黒紅の醜星』という異名を頂戴することになってしまった切っ掛けでもあるこの機体であれば、相手がガンダム・フレームであろうとそこそこは戦えるだろう。
ヨセフ・プリマ―三佐が機体装備を換装し終えていた頃、ガエリオもまた愛機であるキマリス・ヴィダールに乗り込んだところだった。
「ヤマジン。機体の調子はどうだ?」
『いつも通りだよ』
「つまり万全なんだな、分かった」
ヤマジン・トーカの腕は信用しているので余計な問答は必要ない。
奇しくも両艦隊の司令官は同時に口を開いた。
「ガエリオ・ボードウィン。キマリス・ヴィダール出撃する」
「ヨセフ・プリマ―だ。シュヴァルベ・グレイズ、アラーネア・アルマで出るぞ」
約束の地ノーアトゥーンへ至るための最後の試練。
ウトガルド宙域会戦から始まる流浪の旅を終わらせる時がきたのだ。
「…………――――悪いね。お前の出番は、まだなさそうだよ」
ヤマジン・トーカはやれやれと肩を竦めながらピンク色の塗装を施されたMSを見上げる。
新たな姿に生まれ変わったガンダム・フラウロスは、自らの担い手の帰還を静かに待っていた。