予め用意しておいたカンペを、魂を注ぐように読み上げたエルネストは、息を吐き出しながら壇上から降りる。
全身は体が水を吸った雑巾になったようだ。戦場でMSを乗り回してもこうまでは疲れない。大観衆とモニターの向こう側の全世界の人間の前で話すというのは、慣れていない人間にはだるいものだ。
もっとも並の人間なら経験値ゼロでいきなり大観衆の前で演説しようとすれば、緊張のあまり全身が金縛りになるだけである。疲労しながらも平然とこなしてみせたあたりが、エルネストもまたエリオン家の血を継ぐだけの人物であるという証明だった。
「お疲れ様です、親分さん!」
「タオルです、使ってください!」
「おお。気が利くなお前等」
エルネストに駆け寄ってきたのは、少年少女達だった。
彼等彼女等全員に共通するのは美しいということである。学園に放り込めば間違いなく異性を夢中にさせる魅力を持った美少年美少女ばかりだった。
そして目敏い者が見れば彼等のもう一つの共通点についても悟ることができるだろう。
「貴族が私兵を侍らせるのは別に珍しいことではない。私兵の中に愛人がいるというのも……まぁ例は他にいくつか知っている。しかし全員が宇宙ネズミというのは感心しませんな。エルネスト・エリオン長官殿」
「プリマーかい。どうだった俺の演説? 副将の意見も聞いておきたいんでね」
「演説は問題ありませんでしたよ。ただノーアトゥーン要塞のアリアンロッド将兵も貴方の実態を知れば、効果が半減するだろうとは思いますがね」
「耳が痛い話だが
「だからって未成年に手を出す必要はないでしょうに」
「俺は雑食家でね。初心な未成年、若々しい二十代、意気軒高な三十代、脂の乗ってきた四十代、衰えてきた五十代。果ては八十代の爺婆まで。好みのタイプならなんだって食いたくなる。
どうだい特務二佐。アンタの顔は残念なことになっちまったが、性格はわりと好みだ。一緒に未知の世界を体験してみるってのは」
「……アンタ、上官で良かったな。さもなければ反射的に射ち殺していたところだ」
「おお、恐い恐い。余計に燃えてくるね」
ヨセフ・プリマーの人外の貌で睨まれても、エルネストは飄々とした態度を崩さない。
プリマーは心の中で舌打ちしつつも、エルネスト・エリオンの胆力を認めざるを得なかった。
「それに言い訳するとこれはボランティアでもあるんだぜ。ここにいる俺の愛人兼MSパイロット達は全員がヒューマンデブリ出身さ。
どいつもこいつも所有されていた宇宙海賊や軍事企業じゃ酷い扱いをされてたぜ。あれなら養鶏場の鶏のほうがまだ人間らしい待遇だ。あのままだったら今頃全員宇宙のどっかで野垂れ死にしてただろうな。
だが俺の愛人になったことでこいつ等は人並みの生活を送れている。美味い飯だって食えるし、それなりの駄賃と自由だって与えている。こいつ等にとっちゃ俺は
「はい! エルネスト様には感謝してもしたりません!」
「私達のような元ヒューマンデブリを人間にして頂きありがとうございます!」
「…………」
親愛や恋慕を通り越して信仰に染まった目をする少年少女に、ヨセフ・プリマーは薄ら寒いものを感じた。
能力的にはまったく不足がなかったのに、ラスタル・エリオンがエルネストのことを後継者候補として眼中になかったのも、彼が同じものを感じ取ったからなのかもしれない。
(聞くところによればエルネスト長官は、ラスタルの死を条件にマクギリスと手を組んだ……。ファリド元帥とエルネスト長官。どっちも自分の肉親から当主の地位を奪ったのは同じだが、このまま上手くやっていけるのか?)
エルネストは勝手にマクギリス・ファリドに友情を抱いているらしいが、二人の性質は決定的なところでズレている。
いずれ破綻が来るのではないかと思わずにはいられなかった。
作戦会議を中断せざるを得なくなったガエリオは、なんとなく展望デッキへと足を運んだ。同行者は護衛役であるジュリエッタだけである。
地球育ちのガエリオにとって宇宙は地面から見上げるものだったが、こうしてガラス越しに眺めるのも良いものだ。だが星々の煌めく圧倒的美観もガエリオの心にかかった霧を晴らしてはくれない。
「ジュリエッタ。君はエルネスト・エリオンという男を、知っていたか?」
「いいえ」
ラスタルの私兵として深いところにも関わっていたジュリエッタならば、エルネストという男についても何か知っているかも。
そんな淡い期待をジュリエッタは直ぐに打ち砕いた。
「ラスタル様に仕えてから、私は一度も甥がいるなんて話は聞いていませんでした。……もしかしたら私はそれほどラスタル様に信用されていなかったのかも」
「それはない」
「え?」
亡きラスタルのためにもガエリオは強い口調で否定する。
「ラスタルは……彼は少なくとも、信用に値しない人間を側近にするような男ではなかった。君がエルネスト・エリオンについて聞かされていなかったのは、きっとラスタルにとってエルネストは教える必要性を感じないほど薄い関係だったからだろう」
血縁だから近しいというのは大きな誤りだ。
親子だって事情があれば疎遠になる現代社会。甥くらい血が離れていれば特に面識がないというのは普通に有り得ることだ。
ああしてエリオン家当主の地位を継承することを宣言したエルネストだが、きっと亡きラスタルには彼を後継者とする気は欠片もなかっただろう。もし後継者候補として頭に入れておいたなら、少なくともアリアンロッド艦隊上層部で存在を知っているのが極一部だけなんてことはなかったはずだ。
「ではエルネストという人物が、エリオン家の当主を名乗ったことは問題にならないと?」
「いや、それは……そうじゃない。むしろ大問題だ。下手しなくてもあの会戦以来最大の危機だよ」
くどいくらいに繰り返すが、ガエリオはアリアンロッド艦隊ではあくまでも外様なのである。
ガチガチのエリオン家閥のアリアンロッドを、ボードウィン家のガエリオが指揮をとれたのは『エリオン家当主であるラスタルを殺したマクギリスを倒す』という方針があったからだ。
それがエルネスト・エリオンという、エリオン家の血統を受け継ぐ人物が出てきてしまった。
このせいで今やアリアンロッドは反ガエリオ、親ガエリオ、主戦派、投降派、妥協派で分裂状態になりつつある。
マクギリスは動かなかったのではなく、動けなかった。ロレンス参謀は会議でそう言っていたが、それは誤りだったのかもしれない。
本当は動く必要がなかった。
エルネスト・エリオンというジョーカーを公開するだけで、アリアンロッド艦隊を無力化する自信がマクギリスにはあったのだから。
「癪だが見事な一手だよ。これで俺達は戦う前から敗北した」
ブリュネ三佐の慎重策も、ロレンス参謀の強硬策も両方とも机上の空論に堕ちた。
内部がガタガタの今これをやろうとしても、最後の特攻にしかならないだろう。
「なにか方法はないのですか? この要塞まで辿り着いてやっと光明が見えたのに、ここで終わるなど耐えきれません」
「難しいな。これまではボードウィン家という名前が助けてくれていたが、エルネストの存在によってボードウィンの名が逆に邪魔になってしまった。駄目元で聞くがラスタルに隠し子とかはいないのか?」
ラスタルの実子がいればエルネストの当主継承が不当なものと弾劾するうってつけの材料になる。
だが当然そんな都合のいいことがあるはずもなく、
「いません。貴方はラスタル様をなんだと思っているんですか?」
「だよな。そう単純にはいかないか」
ばっさりと目を半月にしたジュリエッタに切って捨てられてしまう。
「思い返せば以前のニュースでもラスタルをやたらと被害者であると強調し、俺一人を悪者にするような報道をしていたが…………きっとこのための仕込みだったんだろうな」
余りにもマクギリス側に都合の良い報道内容にギャラルホルン以外の人間も半信半疑だと聞く。だが逆説的には半分は信じているということだ。
既にアリアンロッド内でも『ガエリオ黒幕、ラスタル被害者説』を信じる者はちらほらと出始めていた。
(いや、信じようとしていると言った方が正しいか)
ラスタルがガエリオに踊らされただけだったならば、マクギリスに降伏しても不忠にはならない。
ガエリオ黒幕説は降伏したい人間にとっても都合の良い真相なのだ。
「おお、いたいた! よう大将、金髪の姉ちゃんとデートしてるところ悪いが邪魔するぜ」
「………………頼むからもっと緊張感を持ってくれ。シノン・ハスコック」
ノルバ・シノ改め仮面の男シノン・ハスコックが、呑気に手を振ってやってくる。
エルネスト・エリオンの登場もガエリオの個人的傭兵の彼にはまったくもってどうでもいい出来事だ。そのせいで奇しくも彼だけが今のノーアトゥーンで平常運転だった。
「それで何の用だ?」
「大将を呼んで来いってブリュネの爺さんに頼まれたんだよ。一応俺って大将の腹心ってことになってるだろ」
「……経歴はもっと考えるべきだったか。それにしてもブリュネ三佐が呼んだということは、なにかあったのか?」
「詳しいことは知らねえけどよ。レーダーが『スレイプニル』とかいう艦の接近をキャッチしたとかなんとか」
「スレイプニルだと!?」
スレイプニル。それはボードウィン家が所有するハーフビーク級戦艦の一隻である。
艦長を務めるのは長年ボードウィン家に仕えてきた男で、ガルス・ボードウィンからの信頼も厚い。
ノーアトゥーンに再び激震が奔ろうとしていた。