鉄華団では流星隊隊長として一隊を任せられていたシノだが、シノン・ハスコックとなってからは殆ど単独で動いていた。
それは立場上、事情を知らない正規兵と組ませることが不味いからというだけが理由ではない。阿頼耶識使いで豊富な実戦経験をもつシノンはパイロットとしての強さはエース級でも、指揮能力はしかるべき養成機関で教育を受けた正規兵に及ばないためである。
実戦経験は理論を肉付けしてくれるが、骨となる理論は与えてくれない。オルガ・イツカのように独学で理論を身に着けてしまう例はあるが、それは極一握りの天才にのみ与えられた特権である。
シノン・ハスコックは天才というよりは、どちらかというと秀才型の人間だ。学べば出来るが、学ばねば出来ない。
そこのところはノルバ・シノをシノン・ハスコックとして雇ったガエリオも理解してきており、それ故に学ぶ機会をシノンに与えた。
シノンがギャラルホルンで生活するうちに親しくなったブラウン二尉の指揮下に、教師役兼世話役のジョンソン三尉と一緒に入れたのである。
直臣とは表向き。実質は傭兵に過ぎないシノンの性質を見抜いた上で成長の機会を与える。彼がいずれギャラルホルンを去り鉄華団へ戻っていくことを思えば、敵に塩を送っているに等しい行動だ。
これは鉄仮面でも隠し切れないガエリオのお人好しぶりが表れた人事だろう。ただ同時に二尉の階級を与えている彼を単独行動ばかりさせておくわけにはいかないという事情もあった。
しかしそんなガエリオの気遣いや諸事情をまったく知らないシノン。いやこの場合はシノンを指揮するブラウン二尉は、その期待によく応えたといっていい。
なにせ戦いが始まってから彼等があげた一機あたりの戦果はどの小隊よりも大きかったのだから。
『ハスコック、ジョンソン。俺があいつの足を止める、左右から回り込んで叩け!』
「おう!」
ブラウンが射撃で敵レギンレイズの足元を狙い撃ちすると、半ば怒鳴り声となっている指示通りにシノンは右から回り込む。
敵兵も案山子ではない。ジョンソンのレギンレイズに牽制射撃して足止めしてからフラウロスの対処をしようとするが、
「遅ぇよ!」
四足形態となったフラウロスの地上での俊敏さはずば抜けている。単純な速度はキマリス・ヴィタール・トルーパーに劣るが、瞬発力では勝っていた。
レギンレイズの射線上を飛び越えると、再変形してコックピットへ斧による一撃を叩き込む。
「一丁あがり!」
『モタモタすんな、次くるぞ!』
「あいよ。言われんでも!」
精鋭で知られるアリアンロッド内においても一際飛びぬけた筋肉をもつブラウン二尉。かつ丼とプロテインと日々のトレーニングによって作り上げられた肉体美は、ブルドーザーのような粉砕力を感じさせるものだった。マグワイア基地での脱出劇でもまさにブルドーザーな暴れっぷりで、群がる敵兵を文字通りちぎっては投げの豪快な活躍だったといえよう。
しかし筋肉量がMSの性能に反映されないからか、パイロットとしての彼の操縦は豪快というよりは繊細だった。近接武器で突進するのではなく、細かく指示を飛ばしながら、射撃で味方を的確にアシストしながら戦っている。そのくせ小隊を組んでいる三機の中で最も損傷があるのは、味方が被弾しそうになる度に自らを盾にして庇っているからだ。
『おい! あんまり突出するんじゃねえぞ! お前の乗ってるフラウロスだったか? そいつの性能は凄ぇが、敵だってレギンレイズなんだ。油断すりゃ足元掬われるぞ!』
「へっ! 大丈夫だぜオッサン。流せ……フラウロスは四本脚だからな。足の一本や二本ひっかけられたって転びゃしねえよ!」
『馬鹿野郎! 比喩表現だ!』
「あ? 比喩?」
『ハスコック二尉。比喩というのは物事を他のなにかに引っ掛ける表現方法のことで――――』
『ジョンソンもボケに天然で返してんじゃねえ! 戦ってる最中なんだぞ、分かってんのか!?』
もちろん分かっている。ジョンソンは士官学校出身だし、シノンだって戦いを生業としてきた人間。プロ意識はあった。
会話している間も全神経は戦いに向けられている。
『ったく。真面目だったジョンソンまでハスコックの悪影響を。後でまた説教してやるから覚悟しとけよ!』
「カリカリしてると禿げるぜオッサン」
『るせぇ! もう一本もねぇよ! 全滅だ!』
天然スキンヘッドのブラウン二尉は泣きそうな絶叫をあげながらマシンガンをぶっ放した。
彼の魂の叫びが天の神々に届いたのかは定かではないが、放たれた弾丸は絶妙な軌跡を描いて敵レギンレイズに付近に命中すると、上手い具合にコックピットが揺れてパイロットが気絶したのか、まさかの一撃KOした。
『おいおい。マジか……?』
ナノラミネートアーマーの堅牢な装甲をもつMSは、MSが携帯可能な射撃武器(ダインスレイヴは除く)では直撃しようとそうそう大ダメージとはいかない。
こんな風に一撃喰らわせただけで倒すなんていうのは、珍しいを通り越してほぼ有り得ないことだった。
ベテランであるブラウン二尉は人生初体験の出来事に唖然とする。
「やったじゃねえかオッサン。一撃でMSやっちまうなんてどんな魔法使ったんだ?」
『小官も気になります。後学のためにも是非その技術、ご教授を』
『魔法でも技術でもねえ。まぐれ当たりだ。』
「なにはともあれこの戦いで初撃墜じゃねえか。オッサンときたら俺達にばっかやらせて自分は助けるばっかだからな」
『ディフェンダーがゴール前まで攻め込むこたなかろうよ。ゴールして点数とんのはオフェンスに任せときゃいいのさ。サッカーでも戦争でもな』
一尉になってもおかしくない器量と実力の持ち主でありながら、持っている勲章が少ない理由がそこにあった。
彼は別に下の者に武勲を譲っているのではない。単に自分の適性が援護に向いていることを知り、率先して自らの能力を最大限発揮した結果として、常に目立たない役回りを演じることになっているだけだ。もっとも部下を身を挺して庇っているのは(本人は認めないだろうが)ただの面倒見の良さ所以だろうが。
「じゃあご期待に応えてバリバリ点数とってやんぜ。頼もしいディフェンダーがいることだしなぁ! 安心して攻められるぜ!」
人型と四足歩行形態を臨機応変に使い分けながら、フラウロスは本物の豹のように大地を走り回る。
獣というのは往々にして人間の狩人によって狩られる運命であるが、フラウロスは獣であると同時に人でもある。人獣一体の悪魔だ。そこにブラウンの援護とジョンソンの正面攻撃が組み合わされば、並みのパイロットでは捕捉することすら難しい。フラウロスは次々に敵MSを食い破り、或いはレールキャノンで吹き飛ばしていった。
ガンダム・フレームであることに加えて変形機構まで有するフラウロスは、レギンレイズとはまったく勝手の違うMSである。それをこうも効果的に戦術に組み込むブラウン二尉の実力はアリアンロッド艦隊の人材の厚さを感じさせるものだった。
だが敵からしたらブラウン二尉の活躍は面白くないものである。レギンレイズ三機で構成された第十二MS小隊をぶち破り、二機の敵機が猛烈な勢いでこちらに接近してきていた。
『ハスコック、ジョンソン! 新手がくるぞ!』
「おう。任せておけ……って…………なっ!?」
『ん? どうしたハスコック?』
飄々としたシノンらしからぬ、怖れすら混じった驚きにブラウン二尉が疑問を覚える。
けれどシノンにはブラウン二尉の言葉なんて耳に入ってはいなかった。両方の目は瞼をフックで引っかけられたように開いて、こちらに接近してくる二機のMSに釘付けになる。
『このエイハブ・ウェーブの周波数は……試験用MSのもの。見ないMSですね。レギンレイズとも違う、革命政権側の新型でしょうか。フレームはグレイズフレームを採用しているようですが』
そのMSのことを知らないジョンソンは、グレイズより一回り大きな体躯を誇るMSをそう評した。
無理もないだろう。確かにあの戦いの映像はマクギリスが裏から手をまわしたこともあって全世界へと流されたが、大多数の人間はそこで戦っていたMSの詳細な造形を克明に記憶していないだろう。片方が目立つ外観をしたガンダム・バルバトスだったこともあって猶更地味な印象になる。
だが実際に交戦したシノン――――いや、ノルバ・シノにとって、あのMSは根源的恐怖を呼び覚ます化物だった。
「ブラウンのオッサン! ジョニィ!! 気を張れ、目玉を剥き出しにしろさもねえと殺されるぞ!」
早口で捲し立てるシノンの尋常ではない様子に歴戦のブラウン二尉は直ぐに二機の危険性を察する。
『ハスコック、あの新型を知ってんのか!?』
「ああ。細部は違ぇけど忘れるはずがねえ! あれは……エドモントンで暴れまわったデカブツだ! 敵は…………阿頼耶識使いだ!!」
『エドモントン、じゃあありゃ……!?』
『グレイズ・アイン……ギャラルホルン腐敗の象徴。エドモントンの悪鬼、あれが?』
二機は其々MSの背丈より巨大で壮絶な破壊力を有する狼牙棒と、小回りの利く柳葉刀と対象的な装備だが、あの生々しい機動は阿頼耶識使い特有のものだ。同じシノンにはよく分かる。
『見つけた♪ あれがさっきからチョロチョロ暴れまわってる鬱陶しい鼠ね』
『ガンダム・フラウロス。アリアンロッドに鹵獲されたって本当だったんだ』
『あれを叩き潰せば』
『あれを切り刻めば』
『『――――エルネスト様に愛し続けてもらえる――――』』
スピーカーから漏れている声は明らかに未成年の少女のものだった。
雰囲気としてはアトラにも似ている愛らしい声。なのに薄ら寒さすら感じるのはどういう理由か。きっとあの悪魔のMSが発しているからというだけではあるまい。
グレイズ・ツヴァイ。マクギリスの息のかかった研究チームによって生み出された、悪鬼の継承者だった。