片割れが残虐に殺戮された光景を目の当たりにした
今しがた殺した少女が断末魔で叫んでいた情報を鵜呑みにするなら、パイロットの名前はヴァイオレットだったか。どうでもいい情報である。名前がヴァイオレットだろうとヴァイオリンだろうと、これから殺すことに変更はない。
『に、二尉……』
「恐がる必要はねえぜジョニィ。こいつも直ぐにぶっ殺してやる」
ジョンソンが恐怖しているのはグレイズ・ツヴァイに対してではなかったのだが、脳回路が殺意で埋め尽くされている今の
『ああ、デイジー……なんてことなのデイジー!』
壮絶な感情を表に出しながらグレイズ・ツヴァイがゆらめく。
逃げるつもりか、と警戒するシノンであったが、どうもそうではないらしい。グレイズ・ツヴァイの球体センサーが露出して、コックピットを喰われたグレイズ・ツヴァイの残骸を視界を睨む。そして残骸の中からデイジーという少女だった肉片を見つけると、涙のしみ込んだ嗚咽を漏らす。
『うっ……えぐっ……ああ、デイジー……デイジー………私の、たった一人の妹……生まれた時からずっと一緒にいた双子……うぅぅぅぅぅぅぅう、あああああああ……』
全周波通信にのってそれは戦場全体に伝わる。
十三歳の少女が自分の妹の死に涙を流す。MSのコックピットにいるから姿は見えないが、きっとこれを聞いた者の誰もが悲壮な光景を想像し胸を痛めることだろう。
ヴァイオレットは生まれながらの主演女優であった。姿がなくとも声だけで世界を自分の感情に染め上げてしまう。今やここは戦場ではなく、舞台劇の上だった。
この戦いを取材にきていた戦場カメラマンは、反戦派の新聞社に必ずこの声を届け、戦争の悲惨さを訴えようと心に決めた。
「……ああくそっ」
そして少女の涙はノルバ・シノの心すらも少なからず揺さぶった。
幾ら同じ鉄の血が流れていようと、あの三日月ほど敵に対して冷徹になれる者はそうはいない。明らかに自分より年下の少女が泣き叫べば、いくらなんでも殺意も薄れるというものだ。
いつの間にやらフラウロスのツインアイは元々の色に戻っていた。
「戦えねえならコックピットから降りて投降しろ。そうすりゃ命までは奪わねえよ。安心しな。他の連中はともかくガエリオの奴は筋金入りのお人好しだから――――」
無造作に振われた狼牙棒がフラウロスの右腕をマシンガンごと打ち上げた。
「――――なっ!?」
『下がってください二尉! その少女はまだ戦意を失ってはいません!』
複雑骨折したように折れ曲がっている右腕をパージして後ろへ飛び退く。
フラウロスにとって右腕の欠損は大ダメージだ。四足歩行形態への変更ができなくなる。
「テメエ、妹の復讐をしようってか!」
『ふく、しゅう? ふふふふふふふふふふふ…………あははははははは……くひっ』
「!」
『くひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!』
殺意、憎悪、嫉妬、強欲。人間の醜い感情をぐちゃぐちゃに煮詰めた腐臭混じりの狂笑。
頭がおかしくなりそうだった。これは糞だった。あの天使のような涙を流していた少女と同じ喉から出てきたものとはとても思えない。
『復讐なんかするわきゃねぇぇぇええええええだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉがぁぁああああッ!! ひゃひゃひゃひゃひゃ! やっと死んだぜデイジーの糞妹がッ!』
『き、気が狂ってるのか……? 妹が死んで、喜ぶなんて』
『あ゛あ? 狂ってねえよ童貞野郎。妹が死んだら喜んで当然でしょう?』
心底おかしいというようにヴァイオレットはクスクスと笑う。
ジョンソンの反応はおかしくなどない。なにせギャラルホルン基準ではなく火星基準でもヴァイオレットの言葉は未知の世界だった。
『あいつのせいで私達に出される餌は全部半分ずつ。頑張ったご褒美の半分ずつ。エルネスト様に愛を注がれるのだっていつも一緒に半分ずつ。なにもかも半分半分半分半分半分半分! なのにお仕置きだけはいっつも連帯責任!!
貴方に分かるの? 私と同じ顔をして、同じ声を出すモノがずっと一緒にいる毎日を。鬱陶しくて仕方なかったわ。でもそれも今日でやっとおしまい。だってあいつは死んじゃったんだから♪ これからは私のものは全て私だけのもの! 餌もご褒美もエルネスト様の愛も!! 全てが私だけのものなのよ!』
「おうそりゃ良かったな。ならもう思い残すことねえだろ」
聞くに堪えない呪言を息の根諸共止めるため、フラウロスのアックスをコックピット目掛けて投げつける。
けれどヴァイオレットは狂ったことを喋りながらも、技量のほうまでは狂っていなかった。アックスがコックピットに命中するよりも早く、狼牙棒で叩き落とした。
『ふふふふふふふふっ。馬鹿なことを言わないで。折角の一人だけの人生が一時間もしないでおしまいなんて寂しいでしょう。もっと長く長く楽しまないと。夢だった二十歳まであと七年なんだからそれまでは頑張るわ』
『は、二十歳が夢……?』
「別におかしなことでもねえさジョニィ。ヒューマンデブリの餓鬼なら成人まで生きれりゃ十分長生きだ。もっともあいつを長生きさせるつもりはねえが」
冷めてしまった殺意をもう一度呼び戻す。悪鬼相手にはこちらも悪魔にならねば対抗できない。
『またそのおかしなモード? 芸がないわね。私よりも早いのは驚いたけど、最初からそうと分かっていれば対応はできるのよ。腕だって一本潰したし』
「そうかよ。ならやってみな!」
悪魔と悪鬼が互いを滅ぼす為に突進する。
戦場の狂気は止まるどころか、加速を増していた。
グレイズ・ツヴァイ二番機のロストとデイジーの戦死。その報はエクェストリス側の旗艦テカムセにも伝わっていた。
自分が可愛がっていた愛人の片割れが死んだことを知ったエルネストの反応は、
「いつか片方が片方を殺すと思ってたら、その前に呆気なく死ぬとはね」
実に淡泊なものだった。
そもそもエルネスト・エリオンは愛人が死んだくらいでショックを受けるほど真っ当な精神をしていない。もしも真っ当ならそもそも愛人を戦場に率先して送り込もうなどしないだろう。
「アイン・ダルトンと比べればデイジーとヴァイオレットの阿頼耶識は不完全ですからね。やはりアイン・ダルトンと同じ施術を施しておけば」
同乗していたチーム・マンハッタンの研究者は悪びれもせず言った。
チーム・マンハッタンは元帥直属の研究機関で、阿頼耶識システムなどを主に扱っている。マクギリスにバエルと適合する阿頼耶識システムを施術したのも、アイン・ダルトンに施術を施したのも彼等だ。当然グレイズ・アインやその後継機であるツヴァイを開発したのも彼等である。
「おいおい。あいつ等は兵士でもあるが俺の愛人でもあるんだぜ。そこんところちょっと弁えてくれねえか?」
「これは失礼。ですがデイジーは良い働きをしてくれました。
「分かってる。ロバートの部隊を回せ。グレイズ・ツヴァイ二番機を回収しろ。もし無理なら破壊して構わん」
グレイズ・ツヴァイはチーム・マンハッタンの最新技術が詰め込まれたMSだ。敵に鹵獲されるわけにはいかない。
「ありがとうございます」
「なぁに。ただでさえあっちには
よっこらせ、とオヤジ臭く呟きながらエルネストは立ち上がった。向かう先は格納庫である。
戦闘開始から結構時間が経った。頃合いというやつだろう。
「出撃されるのですか?」
「ああ。グレイズ・ツヴァイの進撃が止まってまた膠着状態に入り始めたからな。補給の問題で長期戦はこっちに不利だ。一発決めてくるさ」
上半身を覆っていた煩わしい軍服を脱ぎ捨てる。
露わになった見事な肉体美。その雄々しい背中にはマクギリスのものと同じ阿頼耶識システムがあった。