弁護士事務所といえば殆どの人間は近代的なビルを想像するだろう。
ガエリオもあのラスタル・エリオンが個人的に伝手をもつくらいなのだから、巨大ビルの何フロアかを貸し切っているようなところをイメージしていたので、車から出て目の当たりにしたのが、高級感漂う屋敷だったので仰天した。
本場の貴族であるガエリオからみると、高級感を下品なくらい押しだした如何にも成金な雰囲気が漂っている。この屋敷の持ち主の息子であるジャン・べトゥーラス弁護士が隣にいたので表には出さないが、そうでなければ顔をしかめただろう。
ジュリエッタの方は屋敷の貴賎が分かるほど目が肥えていないのか、単純にイメージと違う『弁護士事務所』に驚いているようだった。
「驚いたでしょう。あまりに事務所らしくなくて」
こういう反応に慣れているのかジャン・べトゥーラス弁護士は不快な顔一つせず、むしろまんまと悪戯に引っ掛けてやった小僧のように笑った。
「ええ。てっきり聳え立っているビルのどこかと思ったら高級住宅街の館でしたので。失礼ですがこのような場所で仕事には差し支えないのですか?」
「自宅も兼ねているのでね。都市部に事務所を作るくらいの余裕は十分あるんですが、なにぶん父はそういった外面を取り繕うことを面倒がる悪癖がありまして。たぶん自分の才能だけで貧乏から成りあがったというプライドがそうさせているんでしょうね」
事前に調べたところジャン・べトゥーラスの父ドナルド・べトゥーラス氏は、大手弁護士事務所時代は詐欺染みた手法と執念深さによって名を馳せたそうだ。
所属していた事務所と揉めて独立してからは、その名声(悪名?)を頼りに現在は政治家や資産家の用心棒的存在として扱われているらしい。まるでドラマの主人公にでもいそうな経歴だ。
庶民が立ち寄らない高級住宅地に事務所を置いても問題にならないのは、そもそも庶民を客とするつもりがないからだろう。
これだけ聞くと悪徳弁護士のテンプレートのようだが、ラスタル・エリオンほどの男が自分の遺書をここに預けたのは『金さえ払えば顧客を決して裏切らない』というもう一つの評判があるからだろう。
ラスタルは人を見る目は確かな男だ。そのラスタルが信じたのであれば、今さら自分がどうこう言う筋ではない。
ベトゥーラス弁護士が門の前に立つと、センサーが登録済みの生体情報を感知して自動的に開いた。それからガエリオ達が屋敷のドアに着くか否かというところで、ドタドタという足音が聞こえてきたかと思うと、扉がゆっくりと開かれた。
「お待ちしておりました。ようこそ、ボードウィン卿。それにお供の淑女も。当弁護士事務所の所長をしておりますドナルド・べトゥーラスです」
ガエリオの第一印象は肥えた野生の豚だった。
体重は目測で軽く150㎏は超えているだろう。膨れ上がった腹を抑えきれずにサスペンダーはぎちぎちと震えていて、首は肉に埋もれて見ることは叶わない。
指には宝石のついた指輪が輝いていて、腕にある金色の時計がその光を反射していた。だが脂肪のせいで小さくなった瞳には、狩人めいた鋭さがある。
きっとノブリス・ゴルドンなども同じ目をしているのだろう。
「ガエリオ・ボードウィンだ。前はギャラルホルン特務三佐でボードウィン家次期当主と名乗れたんだが、今は公式に名乗れるような役職がなにもない。だから名乗るための名を受け取りに来た」
「承知しております。どうぞこちらへ。ジャン、お前はここまででいい。ゆっくり疲れをとるといい」
「はい、所長」
父ではなく所長と呼んだのは仕事中だったからだろう。ベトゥーラス弁護士はこちらに一礼して屋敷内の奥へ消えていった。
「立ち会う人間は少ないほうが宜しいでしょう?」
「感謝する」
ドナルド・べトゥーラスはのっそりした足取りでガエリオ達を案内した。
外面と内面が異なるということはよくある事例であるが、この屋敷については内と外でイメージは変わらなかった。
豪華であることを殊更に強調した内装に、壁には無節操に絵画が敷き詰められている。絵画はガエリオの目から見ても素晴らしい作品ばかりで、中には知っている名画家の作品もあった。しかし屋敷との調和というやつがまるで考えられていない。恐らく屋敷の主は飾られている絵画に『高価な品』という認識しかしていないのだろう。
軍人であるため歩く速度も速いガエリオやジュリエッタからすればナメクジのような遅さだが、急かすわけにもいかない。
結局普通に歩けば一分で着くところを二分かけて目的の部屋に着いた。
ドナルド・べトゥーラス弁護士はアンティークな巨大金庫のダイヤルを回していき、他にも指紋認証や網膜認証など十数に渡るロックを丁寧に解除していく。
いくらなんでも鍵が多すぎる、などと言う気にはなれなかった。
あの金庫に入っているのはラスタル・エリオンの遺書なのである。書かれている内容を思えば、金庫どころかMSが二十四時間体制で守っていても不思議ではない代物なのだ。
どれくらい時間が経っただろうか。漸く金庫を開けたドナルド・べトゥーラスは、そこに封印されていた一枚の書類と書類の束をガエリオに渡した。
束になってる方は前にベトゥーラス弁護士が持ってきた遺書の原文である。
もう一枚は養子縁組届。内容に不備はない。ラスタルのサインとエリオン家の印がしてあるし、ラスタルが死亡する以前に役所の日付印が押されている。足りないのはガエリオ側のサインだけだ。
「なぁ。俺は法律の専門家じゃないから詳しくは分からないんだが、養子になる人間のサイン抜きで役所は書類を受理するものなのか? だとすればギャラルホルンとして改革しなければならないことなんだが」
「はは。そんなわけないじゃあないですか。ですがセブンスターズの御当主であらせられれば融通は効かせられます。おっとこれは釈迦に説法でしたな」
「彼の同志という立場だった俺にも時々分からなくなる。ラスタル・エリオンという男は堂々たる武人のようでもあるし、汚い政治家のようでもある。弁護士としてはどちらがラスタルの素顔と思う?」
「両方とも仮面で、誰に対しても素顔を晒したことなどないのかもしれませんよ」
「……否定はできないな」
もしもラスタル・エリオンのことを本人以外に理解していた者がいるとすれば、それはラスタルの影として暗躍してきたガラン・モッサだけだろう。
あるいはこの遺書の原文にはそれが書かれていたりするのだろうか。コピーより明らかに分厚い束に視線を落としながらそう思う。
ここで考えていても仕方ない。ガエリオはその場で養子縁組届の空白を埋めた。
自分の名前を書いている途中、父と妹の顔が脳裏を過ぎる。
この書類にサインするということは、ラスタルの養子になると同時にボードウィン家の息子ではなくなるということだ。
肉親の絆はこんなことくらいで消えはしないと信じているし、これが今後マクギリスと戦う上で必要なことだということも理解している。だが公的にはガルス・ボードウィンの子ではなくなってしまうことに、ガエリオは寂しさを抑えることができなかった。
「ガエリオ。本当にそれで良いのですか? 養子にならなくても、ラスタル様の遺言書だけでも、貴方の手腕であれば内部分裂を止めることはできるでしょう。家を捨てるのが嫌なのであれば、ボードウィンのままでも宜しいのではないですか?」
「意外だな。君は土壇場になって躊躇う俺を叱咤するかと思っていた」
「心外ですね。私は人情のない鬼ではありません。……それに私はよく分からないのですが、大切なものなのでしょう。肉親というのは」
「分からないなんてことはないだろう。ラスタル・エリオンやガラン・モッサは君にとって父親そのものだっただろう」
「私は出自も定かではない孤児です。血の繋がりだって勿論ありません」
「血なんて関係ない、とは言わない。だけど人間の関係性を決めるのは血だけじゃない。血が繋がってなくても、心が繋がってるなら家族といえる。
俺は血も繋がってなければ心も繋がっていないが、公的には親子という関係性だった二人を知っている。彼等と比べれば君とラスタルは立派な家族さ。少なくとも俺の目には君はラスタルの娘のように映っていたよ」
止まっていた手が動き出し、名前の続きを書く。
図らずも自分で自分を説得してしまったようだ。血が繋がらなくても、心が繋がってるなら家族。なら血と心が両方繋がっている自分が心配することなどあるはずがないではないか。
書類を書き終えてジュリエッタに振り返る。
「これで俺と君は
「
ジュリエッタが不満そうな表情をする。そんな彼女の様子を見たガエリオは悪童のように口端を釣り上げると、
「おや。別の関係性のほうが良かったかい?」
この日、ジュリエッタは口をきいてくれなかった。