初代ボードウィン卿が300年前の戦いで多くのMAを葬ったと伝えられるガンダム・キマリスは、各部に搭載されたバーニアと大型ランスによる高機動による突撃を得意とするMSだった。
アリアンロッド艦隊のヤマジン・トーカによって、より対MS戦闘に優れたキマリス・ヴィダールとして改修された現在もそれは変わらない。
各部のバーニアを吹かしたキマリス・ヴィダールは宇宙空間を切り裂くような機動力を発揮しながら、バクラザン家艦隊より出撃したグレイズを一気に二機も撃墜してみせる。
阿頼耶識Type-Eは使用していない。あれは使えば超人的戦闘力を発揮できる反面、肉体にかかる負荷が尋常ではないのだ。相手がマクギリスやあのバルバトスのパイロットでない限り、おいそれと使用するわけにはいかない。
それに阿頼耶識など使わずとも、ガエリオ・ボードウィンは十分にエースと称えられるべき力量の持ち主だった。並みのパイロットにはじゃじゃ馬過ぎて扱いきれぬキマリス・ヴィダールも、素で性能を引き出すことができる。それは短時間で撃墜されジャンクとなった二機のグレイズが証明していた。
動力を正確に貫かれたグレイズは、無機質なメインカメラをキマリス・ヴィダールへと向けている。グレイズのパイロット達はきっと自分が死ぬ瞬間まで、やられたことにすら気付かなかったに違いない。
『あの化け物じみた強さのMSは……噂に聞くガンダム・キマリスか!』
『であれば乗っているのはボードウィン卿ご本人! 打ち取って手柄にしろ!』
ガンダム・フレームに搭乗するエースパイロットなど交戦を恐れてしかるべき存在ではあるが、功名心という欲望が死の恐怖を薄れさせる。
ガエリオ・ボードウィンを撃墜し第一功をあげんとするグレイズが、次々にキマリス・ヴィダールへと殺到してきた。
「俺の首も高くなったものだな。だが今の俺は安売りできぬ命だ!」
囲んでこちらを潰そうとしてくる相手を、馬鹿正直に棒立ちして待ってやる義理はない。敵の砲火を掻い潜りながら一機ずつドリルランスで串刺しにしていく。
ドリルの名の通り回転機構を有するランスは、MSの兵装の中でも随一の貫通力をもっている。これにキマリス・ヴィダールの高機動で勢いをのせてやれば、どんな堅牢な装甲をもつMSだろうと一撃で沈めることができるだろう。目にもとまらぬ速度で次々にMSを撃破していく様は、敵には紫色の稲妻にも映ったことだろう。
『ボードウィン卿、お一人で突出なさらないで下さい!』
『ここは我々元イオク様親衛隊にお任せを!』
『制裁を受けろ!』
臨時とはいえ自分達の大将がここまでの武勇をみせつけて士気の向上しない軍などない。
中でも特に奮起したのはアリアンロッド艦隊でもクジャン家に仕えていたパイロット達だった。
大多数の一般兵がラスタル・エリオンという巨人の死に不安を抱えているのに対して、イオク・クジャン個人のカリスマ性に心酔した彼等にそういったものはない。これはラスタル・エリオンの配下が彼の力を頼る者が大勢を占めていたのと反対に、イオクの配下は彼に頼られることを誉れとする者が大勢を占めていたことも大きな要因だろう。
イオク・クジャンの部下に彼の死に涙を流さない者はいなかった。彼の将来に期待を抱いていた者も多かっただろう。しかし彼の能力を宛てにしている者は皆無だったのである。
『クジャン家と同じくセブンスターズに名を連ねる名家が、逆賊などに与するとは恥を知れぃ!』
『逆賊に味方するのであれば、貴様等もイオク様の仇だ!』
『冷静に連携して確実に一機ずつ仕留めるぞ!』
ついでにいえばイオク・クジャンの配下は、彼の能力に反比例するように優秀なパイロットが揃っている。
レギンレイズの乗る三人の元イオク親衛隊は、性能差もあって敵軍のグレイズを圧倒していた。
「イオク・クジャン。死んでからのほうが役に――――……いや、言うまい。彼の名誉を侮辱することになる」
ガエリオはイオクとは特別に親しくはなかった。
ジュリエッタにはアインの面影を重ねていたこともあって何度か話しはしたが、イオクとは向こうがこちらを警戒していたこともあって事務的会話しかしてこなかった。それを少しだけ後悔する。
「しかし不安だったが、これならば勝てるか?」
優先的に最新鋭MSが配備されたアリアンロッドとは違い、敵側のMSはグレイズばかり。練度も低くはないが高いともいえぬ微妙なレベルだ。
懸念事項であった敗戦による士気の著しい低下も、ガエリオがその身をもった活躍で挽回したことで、形勢は完全にアリアンロッド側に傾いている。
このまま押し切って痛手を負わせた後、艦隊を下げ撤退。こんなところが落とし所とするべきだろう。敵の壊滅に拘っていたら援軍が駆け付けてくるかもしれないし、そもそも彼等を皆殺しにしたところでマクギリスには大した痛手にはならない。
両軍の総大将が一同に会した以前の決戦とは前提が異なるのだ。なにがなんでも勝つのではなく、犠牲を最小限に留めることが最善。アリアンロッド艦隊が欲するのは戦略的勝利であって、局地的一勝ではないのだ。
ただそれはアリアンロッド艦隊の都合であって、当然ながら敵軍には敵軍の事情がある。
敵軍にとってはこの局地戦を制することが全てであり、形勢が不利なのを手をこまねいて傍観しているはずもない。
艦隊を率いるヨセフ・プリマーがとったのは、総大将を討つことで戦術的不利を戦略的勝利で覆そうという、前決戦の鉄華団と同じ手だった。
敵艦より新たに出撃してきたのは二機のグレイズを伴った黒いシュヴァルベ・グレイズ。嘗て自分が愛機としたこともあるMSにガエリオは緊張を奔らせる。
『大将がMSでのこのこ出撃とは不用心だな。お陰で俺たちにもまだ勝ちの目がある』
腕部に取り付けられた専用武装であるガトリング・ガンと右手のレールガンを放ちながら、黒紅色のシュヴァルベ・グレイズが近づいてくる。
無造作にばら撒かれているようでいて狙いは正確。ヨセフ・プリマーは『醜眼鬼』『黒紅の醜星』の異名で恐れられたエースだそうだが、名前負けはまるでしていない。二機の随伴機も息の合った連携攻撃でシュヴァルベ・グレイズをアシストする。
こちらも敵の連携を分断すべく200mm砲を放つが、三機はちょっとやそっとのダメージでは離れてくれなかった。
ナノラミネートアーマーで覆われたMSは、砲弾が直撃したくらいでは破壊されない。仕留めるには近づいてドリルランスを喰らわせる他ないだろう。
だが近づこうとしたらしたらで、三機は互いに援護射撃をしながら距離を離してくるのだ。しかもこちらが射撃で体勢を崩せば、二機の僚機がバトルブレードで斬りつけてくる。
射撃の名手であるヨセフ・プリラーが射撃に専念し、僚機が近接で潰す。それが彼等の黄金パターンなのだろう。
実際ヨセフのシュヴァルベ・グレイズの射撃は舌を巻くほど正確で、肉を切らせる覚悟での特攻も難しい。
「くっ……! さっきの口ぶりからしてお前はマクギリスの虚言を知っているのだろう! なのにどうして奴に味方する? 奴はお前の嘗ての主君だったカルタを殺した男なんだぞ!」
倒すことが惜しくなる技量に、思わずガエリオは叫ぶ。
『成り行きだよ。俺の現主人であるバクラザン家がマクギリスに着いたから、なし崩し的にこの命令を受けることになったんだ。元々カルタ・イシューは好かなかったし、マクギリスが彼女を殺したことはどうでもいい』
「カルタに、恨みがあったのか!?」
『そういうほどでもない。単に金髪の色男ばかりを侍らせていることが気に入らなかっただけだ。だが報復を決意しない理由としちゃ十分すぎるだろう?』
「……あー、うん。彼女は誇り高かったが、そういう困ったところがあったな」
戦闘中だというのに思わず素のリアクションをしてしまう。
マクギリスに秘めたる恋心(周知の事実だったが)を抱いていたカルタは、彼と同じ金髪の者ばかりを自らの近衛としていた。
もっとも彼女は見てくれだけの男は嫌っていたので、しっかりと実力も伴った人選ではあったが。
『無駄話が過ぎたな。アンタには恨みはないが、これも仕事なんでね。ここで墜ちてもらう』
ヨセフ・プリマーは正直やりにくい相手だ。マクギリスや鉄華団のバルバトスのようにこちらを積極的に殺しにかかってこないが、そのぶん慎重かつ丁寧に攻め立ててくる。そのため速攻で決着をつけることは、キマリス・ヴィダールの性能をもってしても難しい。
しかしガエリオはそんな状況下にあって勝利を確信してみせた。
「残念だがそれは叶わない。君には旗艦の救助という仕事ができたのだから」
『なに?』
ヨセフが振り返った時には、既に彼の旗艦が損傷を受けて煙を上げていた。
「俺に気をとられ過ぎたのが不味かったな」
ガエリオがキマリス・ヴィダールでわざと派手な戦い方を演じたのは、アリアンロッド艦隊の士気高揚だけが目的ではない。
敵軍の目を自分に引き付け、その隙に回り込ませた部隊で旗艦を叩く。それがガエリオの真の狙いだった。
モニターの画面を拡大すると丁度奇襲を成功させたレギンレイズ・ジュリアが離脱しているところだった。
『不用心は俺のほうだったか。おい、後退するぞ』
『りょ、了解!』
旗艦がやられておいて戦闘を継続するほどヨセフ・プリマーは猪突猛進ではなかった。
即座に退いたヨセフ・プリマーをガエリオは見送る。
『追撃はかけないのですか? 敵を殲滅するチャンスですが?』
レギンレイズ・ジュリアからの通信が入る。機体のパイロットは言うまでもなくジュリエッタだ。
「ああ。彼等を倒したところでどうにもならない。当初の目的通り鼻っ面をへし折ったのだからこっちも退く。君も戻ってくれ。病み上がりなのに無理をさせてすまなかったな」
『志願したのは私です。お気遣いは必要ありません。将としての貴方の初陣を負け戦にしたら今後に支障をきたしますので』
ガエリオがヴィダールだった頃のように、多少慇懃無礼にジュリエッタが言う。
少しだけジュリエッタの調子が戻ったことに、ガエリオは僅かに頬を緩めた。