ある一つの国で長きに渡る戦争が行われていた。その戦争の発端がそもそも何だったのか、それを正確に答えられるものは既に戦火の中に消え去り、残ったのは長年積み重なってきた怨念と憎悪のみであった。
同じ国の者同士が二つに割れ、互いに殺し、殺され、犯し、凌辱され続ける日々。最早当たり前の日常と化していく中で、ささやかな変化があった。
最初のきっかけは小さな村で起こった。そこでは国の兵士が備蓄された村人の食料を奪い、目の前で喰らう。それに意を唱えるような者がいればすぐさま手に持った剣がその者の首を跳ね飛ばしていた。
あらかた村の食料を食べ終えた兵士たち。食欲を満たした次に行うことは自らの性欲を満たすことであった。
兵士の一人が下卑た笑みを浮かべ、村人の中にいた一人の少女に手を伸ばす。まだ年端もいかない少女はこれから自分が何をされるかを本能的に感じ、その恐怖から顔を蒼褪めさせる。
周りに救いを求めようとするが誰もが少女から目を離し、見て見ぬふりをする。長年共に生活をしていた者たちの裏切り。それは少女の心を絶望に染めるのには十分なものであった。
兵士は強く少女の手首を握ると地面へと叩き伏せる。それによって跳ねた土が少女の顔を汚す。周りの兵士たちは少女を叩き伏せた兵士を囃し立て、下品なヤジを飛ばす。
誰も味方がいないこの状況。少女はどうせ辱められるなら、という諦観から舌を噛み切ろうと歯を舌に当てる。
兵士の手が少女の衣服の一部を破ったとき――
「やめろ」
雷のような声がその場に響いた。
その声の迫力で少女に覆いかぶさっていた兵士は慌てて立ち上がる。少女もまた首を無理矢理動かし声の方へと顔を向ける。
そこには神がいた。
正確に言えば、少女の目にはその声の主が神の如き神々しさを放っているかのように見えた。声の主はまだ少年と言ってもいいほどの中性的かつ幼い顔立ちであった。
その頭部から生える陽の光で輝きを放つ銀髪は本物の銀で出来ているのではないかと錯覚させるほどの美しさであった。左右の瞳も金と銀という異なる色彩を持つ神秘的なもので、少年に神々しさをより際立てていた。
少年は言う。この場は見逃す、命が惜しくば去れ、と。
少年の美しい容姿に呆然とする兵士たちであったが、少年の高圧的な言い方に敵意を滾らせる。その内の兵士の一人が剣を抜き、挑発するように少年へとちらつかせて歩み寄っていく。しかし――
「警告はした」
その言葉と供に兵士の首が宙を舞う。
少年の手にはいつの間にか握れられている一振りの剣。派手な装飾は無いものの、今兵士を斬った筈であるがその剣身には血が一滴も付いておらず、曇り無い輝きを映し出していた。
一瞬で殺された兵士の生首を唖然とした様子で見る兵士たち。少年はその隙を見逃さずに一気に剣の間合いまで飛び込むと躊躇う事無く兵士たちに振るう。
血と叫び、阿鼻叫喚とも言える地獄めいた光景の中、少女はただ涙を流す。それは恐怖からの涙では無い。
少女は、血の海の中銀の髪と銀の剣を振るう少年の姿に感動していた。暴力、理不尽、そういったものを消し去る美しい力。
少女は少年の姿に神を見た。
◇
少年がある村に現れてから事態は大きく変化していく。少年がまず最初に行ったことは村人たちへの説得であった。
このまま奪われるだけでいいのか、力に捻じ伏せられたままでいいのか、未来の子孫たちに恥を残すとは思わないのか、言葉自体はどこか聞いたことのあるものであったが、その少年の身振り、声量の調整、感情の込め方によりまるで神の言葉かのように人を惹きつけ魅了をする。
やがて一人が武器を持って少年の言葉に賛同を示す。それは少年が助けた少女であった。それにつられて次々と村人たちは武器を手に取り始める。
少年は村人たちの態度に満足し、最初にこの一帯を支配する領主を討つことを宣言する。
その結果は、驚く程あっさりと村人側が勝利をした。勝利の一因を担ったのはやはり少年であった。
誰よりも前線で戦い、多くの敵兵を葬る。その姿は村人たちの士気を高め、勇気を呼び起こす。
その姿に誰もが確信を持った。
この少年と共にならば負けることはない、と。
この日を境に快進撃が始まり、少年は生きる伝説となった。
ある時は、たった一人で数百の兵を倒す一騎当千の活躍を見せ、ある時は残虐非道で知れ渡っている山賊の頭を力に頼らず言葉のみで改心させ、自らの部下にするという逸話を残す。またある時は、病気で苦しむ一人の子供を救うために万能の薬と言われる竜の肝を手に入れる為に竜と死闘を繰り広げる。
少年が伝説を残す度に少年の周りに人は増え、やがて大きな力となっていった。
そして、その力が最大にまで高まったとき、少年は宣言する。
「この国を手に入れる」
その言葉を待っていた少年の全ての仲間たちは歓声と共に腕を突き上げそれに応える。突き上げられた拳の数は万を超えていた。
◇
国との長い戦いを終え勝利した少年、否、最早青年と呼べる年齢にまで達した元少年は新しく立てられた城の頂上で些か緊張した面持ちで椅子に座っていた。
やがて、扉がノックされ女性が入ってくる。その人物はかつて初めて少年が助けた少女であり、村人たちを決起させてときよりずっと少年の側にいた女性であった。
女性は言う、何用ですか? と。青年はやや言葉を濁したのちに腹を括ったかのような真剣な表情となる。
「君のことがずっと好きだった。僕と結婚して欲しい」
その言葉を聞いた女性は口を押え、やがて涙を流すと青年が呼び止める暇も無く部屋から飛び出していった。
青年は失敗したかと悔やみ、椅子の上で頭を抱えて落ち込んでしまう。
しかし、数分後再びノックと共に女性が入ってきた。女性ははにかんだ笑みを浮かべ、乾杯しましょう、とワインが入った二つのグラスを青年に見せる。
青年はそれを返事の代わりと受け取り、笑顔でそのグラスを女性から受け取る。
『乾杯』
二つのグラスが澄み切った音を鳴らす。青年は女性に笑顔を向けながらワインを飲む。
その瞬間、青年の視界が歪んだ。
立っていることもままならなくなり、床へと倒れる青年。手足からは力が抜け、呼吸すら困難になっていく。あきらかに毒と思える症状。
何故、という疑問に満ち目で青年は必死の思いで女性を見る。
女性は泣いていた、そして同時に笑ってもいた。
「許して下さい、☓☓様。ですが、あなたが人に堕ちる前にはこうするしかなかったのです。あなたは皆を救う神なのです、だから私のような存在に恋心を持つのは間違いなのです。――わかっています、わかっています、あなたは人の穢れに触れ過ぎたあまり意識が混乱しているのはわかっています。だから、私のような矮小な存在に好きであると言ってしまわれたのですね。本当のあなたの愛は全ての人に向けられているというのに、ああ、なんて可愛そうなのでしょう、☓☓様。でも、もう安心してください。あなたが穢れにふれることはもうありません」
青年は言葉を失う。女性が言うことが何一つ理解出来なかった。
擦れる声で青年は女性の言葉を否定する。自分は神ではない。
「ああ、そこまで毒されているのですか。あなたは神です。間違いなく。神なのです。ああ、☓☓様、☓☓様、全てを救う神、☓☓様」
詠唱の様に何度も青年の名を口にする女性。
すると、扉が開き何人かが部屋の中に入ってくる。助かった、そう思った青年が何とか状態を起こして入ってきた者たちの顔を見たとき、青年は絶句した。
誰もが青年と一緒に死線を超えてきた仲間である。
最初は敵として戦った山賊の一人である青年。互いに何度も命を救いあった間柄であった。
「☓☓様」
やめてくれ、どうして様を付けて僕の名前を呼ぶ。いつもは呼び捨てだったじゃないか。
「☓☓様」
敵の捕虜となっていたのを救ったのが切っ掛けで仲間になった女騎士が淫蕩したこえで青年の名を呼ぶ。
「☓☓様」
そんな声を出さないでくれ、あなたはもっと誇り高い人だった。
「☓☓様」
我流であった青年の剣を正し、様々な技術を青年に授けた壮年の男性は噛み締めるように青年の名を呼ぶ。
先生、どうして貴方は苦しむ僕をそんな顔で見れるんですか?
誰もが泣いていた。誰もが微笑んでいた。誰もが祈っていた。誰もが青年の名を呼んでいた。
「ああ、☓☓様」
「☓☓様」
「☓☓様」
「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」「☓☓様」
止めてくれ、そんな目で僕を見ないでくれ。違う、僕は人間だ。血の通った人間なんだ。
そう心に思うも言葉にすることが出来なかった。既に毒は青年の口から言葉を奪っていた。
「わかっています、苦しいのでしょう。ですが、耐えて下さい。あなたとの別れはほんの一時の間です。いずれ私たちもそこに向かいます。ですから先に待っていて下さい。私たちはそれまでにあなたの言葉、思想、偉業全てを皆に広めます。なので安心して神の国で待っていて下さい」
青年の心は何一つ理解されない。否定しようにも喋ることが出来ない。
やがて、青年の瞼は下がり始める。どんなに開こうと努力しても瞼は下がり続ける。
い、嫌だ。違う、違うんだ。僕は……僕は……僕は……ただ、ただ……みんなが……し……わ……
そして青年の意識は黒く塗りつぶされていく。青年の目はもう二度と醒めることは無かった。
「ああ、お待ちください☓☓様。あなたの意志は全て私たちが引き継ぎます。神の国より私たちを見守り下さい」
ここに居る青年の仲間だった者たちは青年の心を理解せず、心の裡に出来た青年の虚像を真実の姿としていた。
青年は目に映るものが全て真実の姿とし、仲間の真実の姿を見通すことが出来なかった。
この場に居る誰もが結局の所、何一つ心を通わすことを知らなかった。
◇
青年の死後から数年後、ある国で一つの宗教が出来上がる。
その宗教が崇めるのは救世を司る神。
その偶像は眠る様に瞼を閉じた青年の姿をしていた。
昔に書いた悪趣味というか捻くれた作品です。
何でこれを書いたのか、今の心境だと全く分からないですねー。