黒い短編   作:K/K

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取られた男

 この手紙を最初に読む方へ。まずこの様な事態になったことを深くお詫びいたします。

 何故こんなことをしたのかと責めるかもしれませんが、私は耐え切れなくなってしまいました。

 何故こんなことになってしまったのか説明する前にまずは三年前にあった出来事を説明しなければなりません。

 三年前のあの日。今でも昨日の様に思い出せます。

 私はいつもの様に妻に会社へ行くことを告げ、マンションから出ました。それから歩道を歩いていた時、強い衝撃と共に私の記憶はそこで途切れました。

 後で聞いたことですが、私は居眠り運転をした車に撥ねられたそうです。

 次に私が目を覚ました時、私は病院のベッドの上にいました。そこで目を真っ赤に泣き腫らしている妻と目が合ったのが印象に残っています。

 号泣しながらの抱擁に私は少々面食らいました。妻のことは控え目な性格の女性と思っていたので、ここまでされるとは思っていませんでしたから。しかし、同時に嬉しさも覚えました。事故に遭った私をこんなにも心配してくれたのですから。

 私は妻に聞きました。今は何時なのかと。妻はキョトンとした顔で日付を言うと私は愕然としました。私が知っている日付から三年も過ぎていたのです。

 三年も意識不明になっていたと知り、私は思わずベッドから降りました。今思えば、その時に不自然だと思うべきでした。三年寝たきりだったのに急に動ける筈が無いと。

 そのままヨロヨロと歩きながら近くにあるガラス窓を見て、私はまたも愕然としました。

 ガラス窓には私の知らない男が映っていたのです。

 短く切り揃えられた髪型に良く焼けた肌が似合う精悍な顔立ち。私とは対極の人物がそこにはいました。

 ガラス窓に映る男も驚いていました。それも仕方のないことです。そのガラス窓に映っていたのは私なのですから。

 そこで私は妻に問いました。一体何が起きたのかを。妻は答えました。私は三年間寝たきりであったのではなく記憶を失っていたのだと。

 記憶喪失。ドラマや小説で起こったことが自分の身に起こったことを私は信じられませんでした。

 続け妻が言うに、私は仕事中に突然記憶失ったらしいとのこと。どうやら何らかの拍子で私は記憶を取り戻したみたいでした。

 それから暫く検査を受けた後、私は退院をしました。そして、自宅に着いた時に私は目を疑いました。

 そこはマンションではなく一戸建て住宅でした。

 場所を間違っていないかと訊くと妻は合っていると答えました。私は私が知らない内に家を買える程に出世をしていたのです。

 その晩、私は妻に求められました。それは今の私にとっては初めての経験でした。

 心配させた償いとして精一杯私は答えました。事後、妻の態度はよそよそしいものでした。見間違いでなければ妻の表情は失望に染まっていました。

 数日後、私が勤めている会社に行くと誰も彼もが駆け寄ってきて私の復帰を喜んでくれました。知らない顔は仕方のないにしても知っている顔の中には今まで会話もしたことの無い同僚や先輩も混じっていました。

 用意されていた席に座った時、どうしようもない重圧が私に掛かりました。視界に映る皆が私に期待をしている、今まで静かに生きてきた私には皆がそんな顔で見て来ることに耐え切れませんでした。

 ある日、同僚に尋ねました。記憶喪失だった時の私はどんな人物だったのかを。

 同僚が言うに多少強引な所はあったが、誰よりも率先して仕事に励み、全社員とコミュニケーションを欠かさず、先輩は立て後輩は可愛がり、会社中から必要とされていた人材だった、とのこと。

 一体誰の話だ、と私は思いました。そんな面が私にあるのなど私自身も知らない事でした。

 同僚にすら名前を覚えて貰えなかったぐらいに陰の薄かった私には有り得ないことでした。

 ある日、私は家に置いてあるパソコンの中に見知らぬ動画データがあることに気付きました。そのフォルダーを開いた時、私は絶句しました。

 そこには私でない私が、絶対に言わないであろう卑猥な台詞を言いながら妻を激しく抱く映像が記憶されていました。

 妻もまた私に言われた通りに卑猥な台詞を言い続け、私の欲望を求めていました。

 あの時、妻が何故失望したのかを思い知りました。

 映像の中で妻は見た事の無い程に乱れ、艶を放ち、女となっていました。

 全ての映像を見終えた時、今の私には出来ない、と正直に思いました。

 どうしようもなく惨めな気持ちでした。恨むことも憎むことも出来ません。何故なら夫と妻が愛し合うなど普通のこと。私にその時の記憶が無かったとしても。

 自分自身に嫉妬するなどこんなにも滑稽なことは無いでしょう。そして、私は絶望しました。記憶を取り戻した私には居場所が無いことに。

 私を知る全ての人々は私では無くかつての私を求めているのです。治った私では無く壊れていた時の私を。

 息苦しい。全てが息苦しいのです。今の私に見合わない以前の私が用意したもの全てが。

 情けない話ですが私は私自身を乗り越える自信がありません。

 そな私の情けなさに涙が零れます。でも、分かるのです私には無理だと。

 だから、かつての私に今を譲ります。

 

 

 願わくはこの手紙が遺書にならないことを

 




こういうシチュエーションのゲームやマンガとかもうありそうですよね。
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