「はい、あーん」
「いや、さすがにその必要は……」
「あーん」
たかが捻挫だ。そのはずだった。しかしイタチは、なぜかこうして甲斐甲斐しく世話をされている。
イタチの朝は早い。けれど、彼女はそれよりも早く起きて、ずっと監視をされていた。
そして、朝食である今、こうして彼女はイタチの寝室にまで影分身で食べ物を運び、わざわざ食べさせようとしてくる。
「あーん」
いくらなんでも、とは思いもした。それでも、彼女になにを言ってもやめはしない、ということは容易に想像がついた。
自分の身が案じられているだけに、不思議と悪い気はしない。
こういうことに関してだけは確実に、彼女は強情になる。もうこうなってしまった今では、諦めるほか道はない。
「あ、あぁ」
迷いなく、彼女は食べ物を口に運ぶ。その動作は、見えていないとは思えないほどなめらかなものだった。
彼女は目を奪われて、五感の一つ、視覚が完全に使えない状態だ。人は周囲の把握のほとんどを視覚に頼っている。
だというのに、彼女はそれを苦にする様子を全く見せたことがなかった。
もともと、感知能力が高いことは知っていた。いくどとなく、彼女に気付かれないように気配を消したが、それはことごとく失敗に終わっている。
ここまでであるのなら、相手が悪かったことを、認めざるを得ない。彼女がその気である今、気配を隠して逃亡することは不可能に近かった。
「どう? 美味しい?」
「あ、あぁ」
料理が少しいつもと違う。もしかしたら、彼女が自分のために作ってくれたのかもしれない。
ここに食事を運んで来た影分身は、起きる前に作られたもので、運んでくる前に台所で料理をしていた可能性は十分にあった。
味付けは、母さんのものに近い。おそらく使われている調味料の種類や、手順などは母さんに教わったから、違いはないのだろう。
ただ、一つ一つの作業をするごとにわずかずつでも明確な差異が出てくる。その人のこだわりなどもあらわれるのだろう。
よって、いつもとは違う人物が、この料理を作ったことがイタチにはわかった。
「ミズナ。ありがとうな」
「え……え。う、うん」
簡潔に礼を述べる。それ以上は無粋だと思った。
彼女は、最初は戸惑いを浮かべたが、素直に飲み込んで、屈託のない笑みを見せる。
心になにか暖かいものが灯った気がした。
食事を口に持ってくる動作は丁寧で、いつもより、時間がかかってしまうことは必然だった。
彼女に苦にする様子はない。それどころか、どこか楽しんでいるようにさえ見える。彼女は笑顔を絶やさなかった。
ふと、あの日のことを思い出した。
彼女の眼が、未来が奪われたあの日のことを。
これが、この日々が、かろうじてイタチの守れたものだった。だがそれでも、自分がもっと強ければ、彼女の全てを守れただろう。
見える見えないの問題ではない。うちは一族にとって、『眼』とは、それ以上の価値を持った一つの武器だ。誇りだ。
悔しさが胸を渦巻く。……が、いつまでもこの感情にとらわれていてはいけない。
シスイの予想では、彼女の眼がまだ保存されている可能性だってあった。取り返せる可能性だってあった。
「はい、これで最後」
器にはもう、なにも残っていなかった。
どこに待機していたのか、すぐに影分身がやってきて、回収をして去っていく。本体は、どうあっても離れないつもりなのだろう。
「なあ、ミズナ」
「なに……?」
腕を掴み、そして、組んで、彼女は身を寄せてきた。自分の隣に、心地良さそうにすっかり収まってしまう。
「
「大丈夫。ちゃんと休みの連絡いれたから」
「……そうか」
手が早い。この分だとあらゆる面で、後に支障がないように、手が尽くされているのかもしれない。
本気で自分をここから出させまいとしているのだ。
確か、彼女は一週間外出禁止だと言っていた。その長い期間で、一切の修行ができないのはとても痛い。
どうにかして、攻略する術を見つけ出さなければならなかった。
互いになにも行動はない。ただ、ゆったりとした時間が流れるだけ。不思議と退屈には思えなかった。
心が平穏を感じる。
よほど隣が安らぐのか、彼女はウトウトし始める。ついには、力尽きてスヤスヤと寝息を立てる。
自然と手が伸び、寄りかかる彼女の頭をなでると、むずがゆそうに、けれども幸せそうに顔を緩ませた。
無理をして、早く起きたことは知っている。きっとまだ、眠たかったのだろう。そんな姿は微笑ましく思える。
こうして寝てしまえば、きっとイタチは、いつでも抜け出すことができるだろう。それでも、そうだ。実行するのは今じゃない。
まだ足のケガも癒えていない。それでも無理をするかもしれない自分のことを考えて、彼女はこうして隣にいてくれるのだろう。
彼女の気遣いを無駄にすることは、好ましいことではない。
そして何よりも、こんなにも温かな時間を失うことは、思いの外、惜しく感じる。
今はまだ、その時ではない。
自身にそう言い聞かせると、イタチもまた、安らぎの中、眠りに落ちた。
***
「
「痛い……っ」
髪の毛が引っ張られて、私は跳ね起きる。
犯人は考えなくともわかる。サスケだ。
「姉ぇ、姉ぇ」
どこか機嫌が悪そうに、私に攻撃を加えている。痛くはないけど心が痛い。怒らせてしまっているようだ。
「ごめんね、サスケ」
しかたがないから抱きしめてあげる。大方、いつも構ってあげてる私が今日は寝ていたのだから、それが気に入らないのだろう。悪いことをした。
「なにする? 折り紙でもする?」
なんだろう。黙ったまま返答がない。
なにか考えているのだろうか。すると途端に走り出した。私から離れていく。
「かくれんぼ!!」
そう言い残して部屋の外へと去って行った。
サスケェ……。ひどいやつだ。
サスケは私の目が見えないことを、あまりよくわかってはいない。まあ、いいや、とにかくタッチしたら見つけたってことでいいかな。
肝心なサスケはというと、ミコトさんとなにか交渉をしているようだった。自分の居場所をバラされないためにだろうか。可愛いやつめ。
サスケは、小さいその身体で、キッチンの収納へと入っていった。ただ、身体がすっぽりと収まっても、完全に戸を閉めないのが、私の庇護欲をくすぐってくる。
やっぱり暗いのは怖いのかな。
そういえば、なにか忘れているような気がする。幻術にでもかかったような嫌な気分だ。
「もーいーかーい?」
ルールに則り、ちゃんと隠れられたか、大きな声で尋ねてあげる。
「もーいーよ!!」
元気のいい声が返って来た。これでようやく私はこの場から動けて、探しに行けるというわけだ。
ふふ、どう料理してやろうか?
このまま、直行してあげることもできるが、それでは可愛いサスケの自尊心を傷つけることになってしまう。
どうすればいいか。
あれ、だれかがこっちにくる。
「どうした? ミズナ」
「ん? イタチ。イタチ……あ、イタチ」
「どうしたんだ?」
すっかり忘れていた。私にはイタチを監禁するという大切な任務がある。サスケの可愛さに気を取られて、私の使命を見失ってしまいそうだった。
「どこ行ってたの」
「トイレだが……」
「私から、離れないで」
「いや、だが……」
イタチは私のお願いに、どうも渋っている。だがよく考えてみれば、イタチになにかを強いるのもよくない。
ならば、私から行動をするのが妥当か。
「これからは付いて行くから」
「あ、あぁ」
寝てしまってもいいように、影分身との二人体制……いや、サスケと遊ぶ分も加えれば、三人体制が合理的か。
チャクラ、足りるか心配だけど。まあ、術を使うわけでもないし大丈夫かな。
「それで、なにをしていたんだ?」
「かくれんぼ。わかって言ってるんでしょ?」
「あぁ」
あんなに大きな声で、もーいーかーい、とか訊いているんだから、わからないはずがない。
イタチに気を取られていた私が、サスケを放っておいたのだから、そう尋ねたのだろう。しかも私を傷つけないために、こう、婉曲的に。
イタチの腕を持って、私の肩へと回させる。イタチの足にかかる負担を少しでも軽くするためだ。
「まだ、治ってないから」
「必要ないんだが……」
「ダメだから」
そういうわけで、私たちは厨房に向かった。
私の気配を察したサスケは、若干まだ開けていた戸を完全に閉めた。なるほど、なかなかに賢くなったというわけだ。
「ミコトさ……母さん。サスケ知らない?」
私は白々しく、ミコトさんにそう尋ねた。
母さんって、呼んでほしいな、と言い含められているので、慣れないながらも私は努力して、そう呼びかけている。
料理をしていたミコトさんは、手を止めて、サスケとの約束を遂行する。
「サスケ……? 見なかったわよ。あっちの方にでもいるんじゃない?」
このやり取りを、イタチはどういう目で見ているだろうか。イタチのことだし、ここでどんなやり取りがあったのか、簡単に推測することができたかもしれない。
ついで私は、サスケが隠れている場所の戸を、覗き込む姿勢をとった。本当に覗けるわけじゃないけど、これでいい。
さて、サスケとの忍耐力勝負だ。
真っ暗の中で不安にさいなまれるサスケは、きっとまたここの戸を開けて、周りの状況を確認するはずだ。
普通に見つけるのも面白みにかけるし、これが一番の見つけ方かな。
私だって、こうやっていつまでも居られるわけじゃない。我慢に限界が来たら、素直に降参を申し出ようとも思っている。
少なくとも
じっと動かない私に、イタチは付き合ってくれるようだった。助かるね。
それにしても、サスケは物音一つ立てていない。
そんなに本気でこのかくれんぼをやっているのだろうか。
シスイみたいに忍者になりたいなら、今の内にそのくらいは忍んでおかなきゃ駄目なのかもしれない。
将来を考えたとき、その選択肢が広いことはとてもいいことだ。私にはいつでも道がなかったけど、この子は違うだろうし。
まあ、正直な話、私としてはサスケには戦いの道を歩んでほしくはない。忍にはなってほしくはない
イタチ? イタチは好きなだけ忍やってればいい。忍やらないイタチとか、それはきっと、うちはイタチじゃない別のなにかだ。
だからじゃないけど、ケガしたり、精神にダメージを負ったりしたら、私が看病してあげるんだ。そしてまた戦場に送り出してやる。
「ねぇ。ご飯できたけど、どうする?」
どうやら潮時だったようだ。私の負けか。サスケの成長を誇らしく思うよ。
「わかりました。ミコトさん……じゃなかった、母さん。……サスケ。降参だから出ておいで!!」
見当違いな場所に向かって、そう大声を上げてみる。これを聞いたサスケは、出てきてくれるはず。
…………。
音が聞こえない。微動だにしていない。なにかがおかしいぞ、これは。
「サスケ……?」
今度は直接的に問いかけてみる。やはり反応はなかった。
「開けるか?」
イタチの動揺の色が伝わって来る。心配はいらないんだけどね。
「まあ、やむなし……ね。サスケ、みーつけっと」
そう言って戸を開けれども、返ってくる反応はない。その代わりに、ぐっすりと寝てしまったサスケの姿がそこにあった。
躊躇いも少ししたが、肩を揺すって起こしてあげる。ちゃんとご飯は食べないとだし。
「んん、ふぁ〜」
まぶたをこすってお目覚めのご様子だ。こんなところで寝るなんて、ビックリだよ。
「サスケ、ご飯食べようか。ね」
ぼけーっとした顔でコクリとサスケは頷いた。とても愛らしい仕草だ。かくれんぼはうやむやになってしまった。
少し賑やかな昼食が始まる。今日も平和を実感する。
この日から一週間、イタチに一秒の隙もなく、ずっとくっついていたことは言うまでもない。