卒業式。
首席であるイタチが、卒業生代表を見事務め上げたのだが、私もなぜか送られる側にいたのは、はなはだ奇々怪々な出来事だった。
大事な用事があるからと、イタチに連れられて、行かなくなった
ちゃんとした卒業を諦めていたから、驚き半分、嬉しさ半分。涙が出てきたりもした。
今は桜散る校庭の中、イタチと一緒に歩いているところだ。
「それで、イタチは、やっぱり下忍になるの?」
「あぁ。そういえば、ミズナはどうするんだ?」
卒業後の進路を私は決めていなかった。
だが、このまま家事手伝いのままで、収入をいっさい得ないなんて、それでいいわけがない。どうにかして考えなくてはならなかった。
「イタチ、なにかいい職業、ない?」
「〝ない?〟って、下忍にはならないのか?」
反問したイタチの言葉は、私には理解しがたかった。私がその選択肢を取らない理由は、イタチだってわかっているだろうに。
思わず私は膨れっ面で非難する。
「私には『眼』がないんだよ!! 忍になんかなれるわけないじゃん」
「そうか? お前の感知能力なら、別に視覚がなくとも十分にやっていけると思うんだが。それに、普通の忍に『写輪眼』はない」
確かにそうだ。私は日常生活に支障がないくらいには、周りのことが分かる。
『眼』がないだけでは、忍にならない理由としては欠けている。
けれど私は、うちは一族。それで忍なんぞやった日には、周りから奇異の目で見られてしまう。憐憫の目で見られてしまう。
それが、私にはとって、いちばん嫌なことだった。
「…………」
「オレが忍として任務をこなせば、その分の報酬もある」
「……えっ」
「焦る必要はない……」
返す言葉もなく、黙り込んでいた私に、イタチは嬉しいことを言ってくれた。
はじめは少し戸惑いを感じたが、理解した今は頰が紅潮して熱を持っているのがわかる。頰が思わず緩んでしまう。
「……じゃあ、イタチから、養ってもらっちゃおうかな?」
距離を縮めて腕を組む。それでもイタチは表情を変えなかった。
「歩きにくい……」
「えへへ」
否定もしないし、振り払いもしないイタチ。そんな態度を取られていると、私はずっと甘え続けてしまいそうだ。
でも、違う。
大切なものは自分で守れるように。自分でなんとかできるように。忍とか関係なく、強くならなくちゃ。
もう、
あれ、
大切なことだった気がするんだけど、よく思い出せない。思い出しちゃいけないって、頭が痛くなってくる。
――家族を見つけた。
フガクさんはいつも通りの怪訝な雰囲気を持って、そこにいる。
ミコトさんは穏やかに、私には近くに寄るだけで心温まるオーラを感じることができた。
サスケくんは、まだおぼつかない、けれど転ぶ心配もない足取りで、忙しなく歩き回っている。ただ、足を自由に動かせるだけでも楽しいのだろう。
「
サスケめ。一緒に歩いて来たはずなのに、私のことは呼ばないとは。
くっ、イタチが羨ましいではないか。
いつもあんなに遊んであげているはずなのに……いや、もしかしたら、いつも遊んであげているから兄さんが恋しくなるのかもしれない。
焦らす、というのは大切だ。いつもベッタリとしているのでは、それが普通になり、飽きられてしまう。それが家族だから、私はそれで構わないんだけど。
とにかくサスケは、焦らされた結果、兄さんが恋しくてしかたがないという状態になっているのかもしれない。
トテトテと必死に、サスケが駆け寄ってくるのがわかる。可愛い。
ミコトさんは、そんなサスケに手を引かれて、後に続いてこちらに歩む。
「危ないぞ、サスケ」
優しくイタチは、そうやって注意を促す。
私たちは家族を受け入れようとした、その時だった。
――闇が私たちの前に立ちはだかった。
男だった。
年老いている。老いは感じるが、活力に乱れはなく、これから十年くらいなら、たやすく生き延びてしまうだろうと思えるほどだった。
近くにいるだけで気圧される。
強い。私たちより遥か高みにいる人間だということがわかる。
ただ、この人物は、関わってはいけない部類の人間であろう。辺り構わず不吉を振りまいているのではないかと思えるくらいの異様さを持っていた。
一言で表せば、その男は闇だった。
その男の意識の中に私はない。あるのはおそらくイタチだけだ。
「お前が、うちはイタチか?」
緊張が包み込み、私は身震いをしそうになる。そんな私の肩をイタチはそっと抱いてくれる。
それだけで、とても心強かった。
「なるほど……」
男の背後では、構わずに私たちのところへ向かおうとするサスケを、ミコトさんが止めてくれていた。
どうにかして、私たちだけでやり過ごさなければならなかった。
「お前は凶相の持ち主だ」
「凶相?」
「乱を呼ぶ相だ。その
イタチには、皺がある。目頭から頰にかけて。それを指しているのだろう。
「お前の人生には、常に乱がつきまとう」
言われるまでもないことだった。だからなんだ。イタチの夢。その大きすぎる夢を叶えるためには、どんな乱だって、覚悟しておかなくてはならない。多かろうが、大きかろうが。
私はこの男を睨み付けたい気分になった。
「
なぜだろうか、この答え次第で、イタチはどこか遠くに行ってしまう。そう感じた。
「難破船に同胞である十人が乗っている。その中で一人が
私が口を挟むその前に、イタチはすぐ答えを出した。
「病に罹った者はどのみち死んしまう宿命にある。リーダーならば残った九人の命を救うことを最優先に考えるべきです。オレは一人を殺して九人を救う道を選ぶ」
私もほとんど意見は同じだ。けれど、これほどまでに早く、結論は出せない。
「明瞭な答えだ」
その評価には若干の歓喜が入り混じっていたのを、私は聞き逃さなかった。
イタチの身が心配になる。
「……うちはミズナだな」
私の名前が呼ばれてしまった。予想外で、身体がビクリと震え上がった。
無視をすることもできない。声を振り絞って答える。
「なに……?」
「お前には闇がなさ過ぎる。……その闇はどこに置いてきた?」
意味がわからなかった。まるで私のことを知っているように話すこの男が、とても気持ち悪く思えた。
グチャグヂャと嫌なところまでかき乱された気分になる。
「また会える日を楽しみにしている」
どちらに言ったかはわからない。あるいは、どちらにも言ったのかもしれない。去り際に、いやな台詞が残された。
撫でるような声に、心の闇が引きずり出されたようだった。
「二人とも……」
サスケと共に、ミコトさんは心配そうに近づいてくる。
「なにを言われた?」
フガクさんだ。あの男は、やはりフガクさんでも注意せざるを得ない要人なのであろう。
「大したことじゃない」
「うん、そうだよ。別に気にすることじゃないから。気にすることじゃ……」
イタチの答えに追随するようにして、私もフガクさんに念を押す。
「そうか……?」
疑われている。思いの外、私が動揺をまだ抑えきれていなかったせいであろう。
それを無視して、いや、そらすようにだ。イタチはフガクさんへと尋ねる。
「あの人は……?」
「志村ダンゾウ……。三代目の側近の一人だ」
その答えには、なにかどことない
〝……その闇はどこに置いてきた?〟
その言葉は、私の心をジワジワと蝕んでいる。
まだ遠くへとは行っていない。そのダンゾウの足取りは、心なしかゆっくりなものだった。
***
卒業のささやかなお祝いを終えて、風呂に入った後、寝室にやってきたイタチだが、すぐに違和感に気がついた。
すでに布団は敷いてあり、だれかが丸まったままその中に隠れていることがわかる。
「ミズナ、なにしてるんだ?」
ぷはっ、と息を吸う音を立てて彼女は布団の中から顔を出す。
「なにって、夜這いかな」
今日は晴れて、月は満月に近い。
月光に照らされた、魅力的な笑顔でもって、そんなことをのたまう彼女に、少し頭痛を覚える。
捻挫をしたあの一週間では、家族だからと風呂でさえ付いてきていた。
ただそれでも、年を重ねれば、大人になれば、こんな無防備なところもきっと治ってくれるはず。
だが、なに一つとして態度を変えずに成長する彼女の姿が、イタチには容易に想像できた。
「あ、そうそう。今日はサスケもいるんだよ? もう寝ちゃったけど」
そう言って、布団をめくると、穏やかに眠っているサスケの姿が露わになる。
二人して、どうしてここにやってきたのか、とうぜん疑問だ。
「ふふ、サスケったら、〝兄ぃを驚かせるんだっ!〟って、意気込んでたんだけどね……」
優しい手つきで、彼女はサスケの頭を撫でる。
彼女とサスケとのやりとりが、頭の中に思い浮かぶようだった。
「ミズナ……。なにかお前は用があったはずだ」
彼女がなにを考えているかは、イタチの頭をもってしても、予想することはできなかった。けれど、なにか考えていることくらいならばわかる。
言い出したのは彼女。サスケはそれに便乗しただけだろう。
「今日のあの、船の話」
「あれか……」
イタチにとって、それは良い記憶ではなかった。家族との時間で忘れかけてはいたものの、ふと思い出して引っかかる、こんな日には余計としか言いようのないものだった。
彼女の隣へ。イタチも布団の中に入る。
「ねぇ、リーダーだったら、その患者は残すって、みんなに言うべきじゃないかな……ぁ?」
――その方が、正しいし。
どこか妖艶に、彼女はそう口にする。
なにが正しいのか。彼女の言うやり方では、多くは救えない。リスクを伴って、帰ってくるリターンは無に等しい。
それの正しさとは――そう、道徳的に正しいのだ。
彼女がまだ純粋だから。きっとそうに違いない。そう納得しかけたけれど……
「それでねぇ。仲間の一人に、患者を殺させるのぉ……そしたら、独断だったって、その仲間を排斥すればいいかな」
……絶句した。
そうそうに、そんな卑劣な手を考え出せはしない。合理性という観点からすれば、確かに一理あった。けれどもそれが簡単に許される行為とはとても思えない。
「それで、どうする? バレたら一巻の終わりだぞ」
「だからぁ、責任感の強い人がいいかなって。それにぃ、どうせ一人放り出す時点で不和は生じるんだから、早いか遅いかの違いでしょ? だったらぁ、遅い方がいいじゃない」
悪びれもせずそう語る彼女に、怖気のようなものが背筋を伝わった。
いつもと何かが違う。強烈な違和感が今になって襲い掛かってきた。
「お前……少し変じゃないか……」
「……そう?」
キョトンとして首を傾げる。その表情や動作は、間違いなくいつものものと変わりなかった。
ただの勘違い。抱いた忌まわしい感情を、単純にそう片付けることは簡易であった。ただそれで終わらせていいとも思えなかった。
彼女が肩を撫でる。そっと片手が背中にまわる。もう片方の手を伸ばし、彼女は窓を指し示す。
「それでねイタチ。綺麗に輝く月や星たちも、あの大きな光の前ではないに等しいでしょ?」
「なにが言いたい?」
まるで熱に浮かされたように、彼女の頰は上気していた。なにかに酔ったように、うわごとのように彼女は言葉を繋いでいく。
「私、イタチに助けられたからぁ、イタチに命を救われたからぁ、私の命はもう全部、イタチのものなの。私の全てはもう全部、イタチのものなの」
「なにを言っている?」
そんなことを望んで助けたわけではなかった。そんなことを思っているなど、露ほどにも考え付きはしなかった。
この異変はなぜ起こったのか。心当たりは一つあった。
「だからね、イタチ。私は、光を照らす闇として、あなたと共に在り続けるわぁ」
闇。そう闇だ。
あのダンゾウの一言から、彼女はここまでおかしくなってしまった。その考えが妥当なはずだ。
抱きつかれていた。彼女の顔には異常なほどの幸福感が滲み出ている。これでいいはずがない。
完全に拒むこともできずに、完全に受け入れることもできずに、この日はもう眠るしかなかった。