私の仕事が終わった。
もう、〝砂〟に行く必要もない。
晴れやかな気分が私を舞い上がらせた。
「なぜ、お前がここにいる?」
「ダメ?」
舞い上がったから、やってしまった。
イタチの寝室で、布団に潜って待ち伏せていたのだ。後々バレて、ミコトさんに怒られるのは覚悟である。
「いや、構わない」
そう言ってイタチは私の隣に。
小言の一つを言われるかと思ったが、そんなこともなく、ホッとする。
「イタチ……お疲れ様……」
「ああ……」
ことの次第はシスイの奴から聞いた。
これでイタチに余裕が生まれればいい。
「そうだ……ミズナ。お前にも礼を言っておかなければならなかった」
「お礼? なんの?」
改まったようだったが、心当たりはまるでない。不思議で首を傾げてしまう。
「オレが火影を目指すことを皆に示すことで治める。アレを考えたのはお前だろ?」
「……バレた?」
そうした方がいいと、いつか、シスイの奴に相談された時に答えたことがある。
私には、それくらいしか方法は思い付かなかった。
「ああ、お前らしい発想だった」
「……む」
少しだけ、私はムクれた。
なんだか、心の中まで見透かされてしまったようで、気に入らなかったのだ。
イタチが私の手を握ってくるのがわかった。
「そうだ、聞いたぞ?」
「なにを?」
「お前が〝砂〟で何をしてたかだ」
ドキリとした。
あぁ、シスイの奴が話してしまったのだ。口止めしてたのに……。
口が軽い。私の中での忍としてのシスイの株が急下落した。
「上手くやってたもん……」
そうやって私は意地を張り、そっぽを向いた。
そうするとイタチは、そのまま後ろから手を回して、私のことを抱き締める。
「もう、お前が危険なことをする必要はない」
そんな言葉をかけられて、私の心は安らいでしまう。
それでも私は首を振った。
「なんだろうと、私はするわ。私は私の一生を、あなたに捧げているんだもの」
私を抱き締める力が強くなる。
「だったら、なおさらだ。もう、お前がいなくなることは考えられない……」
幼少の頃から一緒にいた。
私の中にはいつも、うちはイタチが息づいていた。私の考えの中心には、イタチがいた。
イタチがいないなんてことは、私には考えられなかった。
「イタチの……ワガママ……」
そう非難しながら、抱き締めるイタチの腕に手を重ねた。まだまだ、こうしていてほしかったから。
「かもしれないな……。お前には本当に感謝している」
「もう……イタチったら……。……言い過ぎ」
私が貢献できていることなんて、ほんの少しだ。
それでも何か手助けができればよかった。
子どもをあやすようにイタチは、私の頭に手を置いた。
「本当だ。お前がそばに居るだけで、じゅうぶんに助かっている」
そんなわけがないと思った。
私はイタチの〝夢〟を叶える手伝いをしたかった。だけど、だから、そばに居るだけでは、手助けにすらならないと思った。
「そういうのは、女の子を口説く時に言うことだよ……?」
つい、そんなふうに意地悪に返してしまう。
イタチはフッと笑った。
「お前も女の子だろう?」
迂遠な言い方だった。
数秒の間があいた。
その言葉の解釈をいくつか頭の中に浮かべて噛み砕き、私は全身が火照ってくるのを感じてしまう。
ジタバタと、私はイタチの抱擁から抜け出そうとした。恥ずかしかった。すごくすごく恥ずかしかった。
けれど、イタチの腕に込められた力がそれを許さない。私を離して逃さない。
私は観念して言った。
「むぅ……イタチも男の子なんだね……」
抵抗をやめた私の頭を、満足そうに撫でるイタチが恨めしかった。
なんだかイタチが、私を我が物にしてくれたようで、ほんのちょっと気に入らなかった。
どうにかしてイタチをやり込められないか。私にとってはそれがとても重要なことだった。
「ねぇ、イタチ。 未来の話をしない?」
「未来……か」
なぜか感慨深そうだった。
私はなんとなく得意になる。
「そう、未来。私は、家族と一緒に居られたらなぁ、て思う。サスケの成長を見守って、イタチとずっと一緒」
「父さんと、母さんは?」
「今はケンカ中」
フフッと耳に心地よい笑い声が聞こえる。
だって、こればっかりは仕方がない。でも、いつか仲直りをしなきゃいけないかな。
「オレはそうだな……。まず、火影になる」
「それは確定だね」
一族の会談で、そう言ってしまったのだから。まあ、イタチなら、それくらい軽くこなしてくれるはずだろう。
何も心配はいらない。
「そして、戦争をなくす。世界から争いをなくしていく」
いつの日から変わらないその目標に、私はホッとしていた。
そして変わらず悔しかった。
「私だって手伝えるもん……」
「ああ、そうだな……。これからもお前には助けられる」
「もう……」
噛み合ってないような気がした。きっと、ワザとだろう。
どうしてもこういう時は、もどかしい思いに駆られてしまう。
けど、なにも良い言葉は思いつかない。
「だからオレも……できる限りお前に寄り添いたい」
「イタチ……?」
不思議な気分になった。
イタチから、そんな言葉が聞けるとは思わなかった。
茶化せばいいのだろうか。
「お前の好意に、向き合いたい」
だが、そんな雰囲気ではなかった。
ぎこちなく紡がれたセリフの意味は、私には全く理解できないものだった。
でも――
「――ありがとう」
なぜだか涙が溢れ出てきた。
悲しくないのに、止まらなかった。
永遠と信じたものが変わってしまう時のように憂うく、努力が実を結んだ時のように切ない。
「どうした?」
「なんでもない」
なんでもないワケがなかった。
「泣いているのか?」
「泣いてない」
もちろん私は泣いていた。
白状しよう。私は意地を張っていた。そして、今
力になるには、隣にいるには、強くなくちゃいけない。
だから、私はいつも背伸びをしていた。そうやって、自分の価値を示そうとしていた。
それはずっと、昔から変わらなかった。
全ては私の独りよがりだった。
「ああ。わかってる――」
――甘えていてくれ。
そんなイタチの言葉は、私の心の隙間に入ってきた。
気遣いなんてなくなって、我慢なんかできなくなってしまう。
「イタチ……私ね――」
袖で涙を拭う。
全て勢いのままに言った。
「――イタチと私の〝家族〟がほしいの」
その願いは、私が求めはいけないものだった。その願いは、私自身が認めてはならないものだった。
「……今は……無理だ」
イタチを大いに混乱させてしまうのも当然と言える。
「ごめん、忘れて……?」
言ったそばから後悔した。言わなければ良かった。
こんな私じゃダメなのだから。
「…………」
イタチは答えなかった。ずるかった。
私のことを抱きしめるだけだった。
時間だけが過ぎていった。
***
私とイタチは布団の上に正座させられていた。
ミコトさんに見つかったのだ。
「はぁ……全く……あなた達は……。これじゃ、旅行にも行けないわ……」
そうやってミコトさんは頭を抱えている。
だけど、まだ反抗期だから今日の私は素直じゃなかった。
すぐさまイタチに寄りかかった。
「別にいいじゃん。私たち、なにもないんだし……」
寄りかかる私を、イタチは迎合していた。
私は気分が良くなった。
「何か有ってからじゃ遅いの!」
「イタチを信用してないの? 私はしてるよ?」
そうやって、イタチに腕を絡ませる私だ。
それを見てミコトさんは額を押さえた。もしかしたら、熱でもあるのかもしれない。
このまま私を説得するのは難しいとみたのか、ミコトさんは対象を私ではなくイタチに変えた。
「ねぇ、イタチ。あなた、本当に耐えられる?」
イタチはポーカーフェイスだった。
私は軽くイタチの腕を揺すった。
イタチはポーカーフェイスだった。
「勿論だ」
感情の汲み取れない顔で、イタチはそう言ってみせた。
イタチは私の味方だった。
ミコトさんは呆れたようにうなだれた。
「ねぇ、
そう私はおねだりをする。
ミコトさんは、別に私が特別なことを言ったわけでもないのに、グッとやり込められたような表情になった。
「……別に私も父さんも、あなた達のことを反対してるわけではないわ」
――むしろ、嬉しい限りなんだけど……。
言葉とは裏腹に、その表情は暗いものだった。
その理由は、今の状況にあるくらい、私にも理解できる。
「でも、そんなに焦る必要はないと思うわ。あなた達、まだ十一でしょ?」
十一。普通なら
「……私、焦ってないもん」
理不尽だとは思わない。
私は私なりに幸せで、誰かに文句を言われる筋合いもない。
そう、ただ私は反抗期のこのケンカを楽しんでいただけだった。
「大丈夫よ。大人になったら、ちゃんと認めてあげるから」
ミコトさんはそう言ってウインクをした。
大人になった
イタチは難しい表情をしていた。
「はぁ……これじゃ旅行は無理かしら……」
ため息からミコトさんはそんな言葉を漏らした。
意外だった。
「旅行……いくの?」
一族がピリピリしてたから、そういうことは無意識的に避けられていた。
みんな余裕がなかったんだ。
「ええ、父さんが久しぶりに二人でって、誘ってくれたんだけど……この調子じゃ……」
「じゃあ、代わりに私たちが……」
「それはもっとダメよ」
知ってた。
それにしても、ゆとりがあるというのは良かった。少し前まではみんな精神的に切迫していて、この家は息苦しかった。
「行ったらいいんじゃないか?」
そう言ったのはイタチだった。
「もう……あなたまで……」
ミコトさんは軽く
それにイタチは首を振った。
「今度、長期任務の予定がある。それに合わせれば問題ないだろう?」
「え、ええ、そうね」
それを聞いて、ミコトさんの体調不良は少し落ち着いたようだった。
あまりにも当然と言うべき話だったが、私たちのことを気にするがあまり、気が回らなかったのだろう。悲しいことだった。
「それじゃあ、先に朝食の準備をしてるわね」
少しだけ機嫌よく、ミコトさんは台所へと向かって行った。
私たちは二人だけで残される。
「なあ、ミズナ……」
「なに?」
イタチは寄りかかる私の背中に手を回した。
「言葉に棘があった。機嫌が悪いんじゃないか?」
「別に? ただの反抗期だから」
こればかりは、その日の体調とか、そういう問題ではないのだ。
私が機嫌を悪くする出来事なんてなかった。なにもなかった。
「それならいいんだ……」
イタチの態度は煮えきらなかった。私を受け入れはするものの、どこかそれに気まずさが感じられてしまう。
「そうだ……。ねぇ、イタチ……」
「どうした?」
思いついてしまった。
ああ、私は悪い子だった。
「長期任務って言ったじゃん。少し、ほんの少しで良いのよ……。早く終わらせて帰ってこれない?」
「……善処しよう」
ただ言ってみただけだ。
いや、わかってる。イタチは私の信頼に応えようとしてしまうから。
本当に私は悪い子だった。
自分で自分の気持ちがよく分からなくなった。本当に自分がひどい人間なのではないかと疑わしくなってきてしまっていた。
それでも、待っているのは明るい未来だ。
***
南賀ノ神社境内。
「クソッ、あのガキが……!」
「そのガキに負けたのは誰だ?」
闇の中、二人の男が密会していた。
一人は、うちはヤシロ。白髪で、警務部隊の中では比較的長齢であり、クーデター急進派だった男である。
「愚かだな。束でかかり、ガキ一人に敵わない。もはや、同じ
「……黙れッ!」
『写輪眼』で睨みつけるが、もう一人の仮面の男は動じない。
渦を巻いた模様の仮面の穴からは、『写輪眼』が覗いている。
「少し言葉の使い方を考えた方がいいな……」
「うぐッ……」
うちはヤシロは苦しむが、二人の位置に変化はない。『写輪眼』の幻術だった。
「ぐっ……がは……。はぁ……はぁ……。それにしても……なぜ、フガク様が急に意見を……」
つい先日までクーデターの準備を進めさえしていたのだ。意見を翻すには、あまりにも性急すぎた。
「それなら心当たりがある。うちはシスイの『別天神』だ。ダンゾウのヤツが上手くやると思ったが、そうもいかなかったようだな……」
「ちょっと待て……。その『別天神』とはなんだ? なぜダンゾウがでてくる? 話について行けん」
目の前の男の想像以上の愚鈍さに、仮面の男は呆れ始めた。
「要するに、うちはフガクは、うちはシスイの強力な幻術で操られたということだ」
「なに……!? ならば、すぐに……皆に知らせなければ」
すぐさま行動を起こそうとするヤシロの肩に、仮面の男は手を置いた。
「いま行こうと、負け犬の遠吠えにしかならんぞ?」
『別天神』、という幻術は強力すぎる。その存在を知らなければ、その効果は幻術という常識の範囲外にあり、現実味を帯びなどしない。
いまや発言権のないこの男が言おうと、それは哀れな妄想としか捉えられないことなど容易に想像がつく。
「クソガキが……ッ!」
「ふん、やられたな……。己の実力をわきまえずに、挑発に乗り負けた。そのガキの方が幾つか
もはや、手の施しようがなかった。
付く相手を間違えたかと思案するが、そればかりはどうにもならない。
「……どうすればいい?」
「少しは自分で考えろ……と言いたいところだが、まあ、いい。少しばかり予定とは違うが、オレが出よう」
「……なに?」
裏方に徹するこの男を、そうとも言わしめる現状だった。
だが、この男の強さは知っていた。そればかりに、これからの展開への期待で自ずと口角が上がってしまう。
「いくら強力と雖も幻術だ。解いてしまえば、それで終わる」
「だったらオレでも……」
「ふん、『別天神』を解くと共に、『別天神』には及ばないがこちらから軽い暗示をかける。お前にできるか?」
うちはフガクの実力は本物だった。
それが容易ではないことなど、誰の目からも明らかだった。
「なら……オレは……」
「せいぜい無様を重ねないようにすればいい」
もはやこの男に用などなかった。この一族のクーデターに関する計画のいくつかを立て直す必要があった。
仮面の穴を中心にして、渦が仮面の男を飲み込んでいく。
現れるときも、消えるときも唐突だった。
「うちは……マダラ……」
それが男の名前だった。
木ノ葉隠れの創設者の一人にして、里に反旗を翻した、伝説に語り継がれる
闇は里を蝕んでいた。