なにもみえない   作:百花 蓮

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喪失、救い、束の間

 なんでも卒なくこなす彼女であったが、一つだけ、意外なことがあった。

 彼女は幼少期、チャクラを練ることができなかった。

 

 チャクラというのは、精神エネルギーと身体エネルギーを繋ぐことにより得られる力のことだった。

 だが、なにかの――( )おそらく外的な――( )要因が邪魔をし、精神と身体のエネルギーがうまく練れないのだろう。方法は間違っていない。考えられる理由はこれしかない。

 

 それが彼女の唯一の欠点であり、重大な欠陥でもあった。

 

 うちは一族というのは()のエリート一族であり、その地位もその戦闘能力の高さから来ていた。

 だからだろう。ある日から、彼女は母親から、チャクラが練れないことをなじられることが多くなった。

 

 チャクラが練れないのであれば、忍術はおろか、幻術や体術もまともに使えないのであるから。

 

 だが、彼女の感知能力が高い由縁は、そのチャクラを練る邪魔をしている外的な要因を理解できることからくるものだと予想ができる。

 彼女の母親は足もとを見るばかりだった。

 

 母親の、彼女に対する扱いは、言葉に窮するものになっていった。それでも、彼女は笑っていた。

 

 そして、あの日の夜が来た。

 その日は満月だった。今と同じ、憎らしいほどの月の明かりに、里は照らされていた。

 

 ――九尾襲来。

 

 多くの里の者が、そして忍が命を落とし、住処を追われ、今も禍根を残していったこの事件だ。

 この事件さえなければきっと、一族は――( )いや、これはただの切っ掛けに過ぎず、最早どうしようもなかったのかもしれない。あるべくしてあった結末なのかもしれない。そう思う方が楽だった。

 

 例外なく、彼女の家も被害を受けた。

 大人一人と子供一人、鳥一羽が避難していく。

 

 降り注ぐ()(れき)に、だが、こともなく、彼女たちは避難所にたどり着いた。

 

 人々が死んでいく陰惨な光景の中をすり抜けて、彼女たちは進んだ。

 人の死、というのは、たとえ赤の他人のものであろうと、精神に強いダメージを与える。

 その中を歩いたのだから、精神に変調をきたそうと、誰も文句は言えないだろう。

 

 

 彼女の母親は、ストレスでまともではなくなった。

 

 

 心を守るためだったのかもしれない。彼女の母親は、責任の所在の一切を娘に求めた。道理に合わないことまでも、娘のせいにしてしまったのだ。

 

 彼女は笑って受け入れた。

 

 そして、彼女の母親は、そのストレスの原因をとり去ろうと行動を起こした。

 

 彼女は笑って受け入れた。

 

 まるでそれが、自身の存在意義だったかのように、抵抗なく、満足げに、恐れもせず、苦しみも浮かべず、彼女は笑って――( )

 

 だが、邪魔が入った。

 彼女の飼っていた小鳥だった。

 

 自らのあるじが死に瀕している姿を見て、飛び出してくる。こともなげに、彼女の母親は払いのけるが、次の瞬間には表情が変わった。

 

 彼女の飼っていたあの小鳥は、死んでしまったのだ。

 自らの生死に無頓着な彼女は、それを見て、泣きじゃくった。

 

「ねぇ、ピーちゃん……。ピーちゃん……?」

 

「違う……っ、違うの……」

 

「ピーちゃん……。ピーちゃん……。……なんで……お母さんが……」

 

「いやっ、私が……私は……」

 

 娘を手にかける。自らの行おうとしていたことの罪深さに気がついたのか、逃げるように母親はその場を立ち去る。

 

 残された彼女は、小鳥の亡骸を両手に掬い、ひとしきり、そこで涙を流した。

 そして、力のない足取りで歩いていく。目指したのは、あの、よく彼女たちがまどろんでいた日だまりだった。

 

 思い出が詰まっていたのは、そこだったからかもしれない。彼女は小鳥を埋葬した。涙を流して。

 

 

 そうして彼女は、『写輪眼』を開眼した。

 

 

 立ち尽くす彼女の後ろから、まだ、何も知らない、うちはイタチが現れるのだった。

 

 ここに来て、ようやく彼女が『写輪眼』を開眼した原因を理解する。深い喪失こそが『写輪眼』を開眼する条件だと、経験則からそれはわかる。

 九尾事件で、彼女が自らのペットである小鳥を喪ったこと、それが理由で開眼をしたのだと今まで思い込んでしまっていた。

 

 時期と、状況からの推測。

 だが、真実は残酷だった。

 

 彼女を苦しめたのは、彼女の母親だった。

 彼女は母親に、裏切られた。まだ、穏やかだった日々のなごり、その象徴である小鳥の命が、他の誰でもない母親に奪われたことが、彼女を絶望に追いやった。

 彼女の願いを打ち砕くような、そんな皮肉な筋書きだった。

 

 それだけではない。『写輪眼』を開眼したことにより、彼女に変化が生まれる。生まれてしまう。

 彼女は自身の中に流れるチャクラを認識した。必要なのは切っ掛けだった。全くチャクラを練ることのできない彼女が、悲しみに浸り、『写輪眼』の開眼の際に溢れる特殊なチャクラから、自らに適したチャクラの練り方を、悟った。

 

 彼女ならば、それで当然なのだろう。運命の皮肉とでも言うのだろうか。

 このときに、彼女の行く先が決定付けられてしまったのかもしれない。

 

 

 もしも、もし、父親が戦死していなければ――( )

 

 

 もし、母親が失意の底に沈まなければ――( )

 

 

 もし、九尾事件が起こらなければ――( )

 

 

 もし、自身が彼女の窮状に気付けていれば――( )

 

 

 もし、彼女が()()()に生まれていなければ――( )

 

 

 ――きっと、彼女は普通の少女として、家庭を築き、平穏に生きることができたのだろう。

 

 仮定を積み重ねても意味などはない。いまできるのは、見過ごしてきた過程を辿るだけだ。

 全ては巡り合わせで、結果として、彼女は、天才的な忍としての才覚を発揮することになった。

 それだけの話だろう。

 

 そんな彼女に手を差し伸べたのは……確か、ようやくだった。

 もう全てが手遅れだったのかもしれない。うちはイタチは、自身の家に、『写輪眼』によるチャクラの使いすぎにより、倒れた彼女を運んだのだった。

 

 

 ***

 

 

 気を失った間に連れてこられた、うちはイタチの家で、彼女は目を覚ました。彼女はおそらく、このとき、うちはミコトに対して恐れを抱いていた。

 もう大丈夫だと、鬼気迫るように自分の家に帰ろうとする姿は痛々しいものだった。

 

 彼女が一番おそれていたことはなにか、それはたいてい予想がつく。

 後に親子になる二人の触れ合いに、今まで忘れられていた安らぎが思い出せる。

 

 ただ、今の彼女には、『写輪眼』を開眼したばかりだった彼女には、とうてい享受できるものではなかったのだろう。

 実の母親に、あれほどの仕打ちを受けたのだ。愛の喪失を体感したのだ。

 

 彼女は、愛の拠り所として、家族という在り方に執着していた。

 それがいつからかはわからない。

 だが、彼女の中で、このとき愛が揺らいだのは確かだろう。

 

 うちはイタチの母親に抱きしめられて、彼女は涙を流していた。

 今までの鬱屈を晴らすかのように泣き叫んだ。

 

 どれだけ彼女が我慢を強いられていたかを、思い知った。大人びた彼女であろうと、彼女が特別であろうと、繰り返されてきた仕打ちは、耐えられるものではないのだった。

 

 そして、彼女は風呂へと連れられて行った。

 

「ミコトさん……駄目ですっ。脱がさないでっ!」

 

「いいでしょ……? 女の子どうしなんだから……」

 

「いや……っ」

 

 そうやって、全てが明るみに出た。

 うちはミコトは、自身の母は、疑惑を持っていたからこそ、こうして無理にでも服を脱がせたのだろう。

 

 自身でつけたものとはとても思えない、酷い痣だらけの肌を彼女は晒すことになった。

 さすがの母も、これには眉を潜めていた。

 

「ねぇ、これ、どうしたの?」

 

「転んで……」

 

「ウソじゃない?」

 

「ウソじゃありません!」

 

「そう。じゃあ、ミズナちゃんのお母さんに、直接きいてみるけど……」

 

「……や、やめてくださいっ!」

 

 彼女の取り乱しようは、見るに堪えないものだった。

 その想像できる惨たらしい境遇に、母は、悲痛の表情を浮かべる。

 

「大丈夫よ。私は、アナタを信じているから……」

 

「だったら……っ!!」

 

「本当のことを言っても疑わない。ちゃんと頼ってほしいの……」

 

「…………」

 

 彼女は頑なに話さなかった。

 せめぎ合いに苦しんでいるようにも思えた。救いの手を、とるかどうか。

 

「信じて……」

 

「……あの人には……私がいないと……」

 

 ポツリポツリと彼女は語った。

 自身の厳しい立場について触れず、母親がどんなに苦しい状況に陥っているのか、切々と訴えるだけだった。

 

 そうであろうと、彼女の抱える痛みを推し量ることくらいなら、造作もない。

 彼女だけが抱えるには大きすぎる。(いたわ)るように、彼女のことを母は抱きしめていた。

 

「よく、頑張ったのね……」

 

「……うんっ……!」

 

 信頼関係は、このときに築かれていたのだろう。

 この日は、これで話は終わった。

 

 本格的に彼女の処遇を決めたのが、次の日だった。

 結果的に、彼女にはこの家に一週間だけ居てもらうことと、次に問題が起きた場合には――( )と、彼女の母親に注意を促すことが決められたのだった。

 

 部屋は、一緒だった。

 一人よりも、二人の方が落ち着けると考えたのかもしれない。いや、目を離さないようにと言い含められていたから、見張りの役割もあったのだろう。

 

 それは、彼女が共に居た、初めての夜だった。

 

 

「ねぇ、イタチ……」

 

「どうした?」

 

「私……大切な人を裏切ってしまったの……」

 

 この件については、自身に知らされることはなかった。それが彼女の望みだった。

 

 おかしいとは思っていたが、このとき、彼女の置かれている境遇にはさして興味を持っていなかったからこそ、詮索はしなかった。

 だが、彼女が精神的に不安定で、支えを必要としていることはわかっていた。

 

「そうか……」

 

「ねぇ、アナタのせいよ……? アナタが、こんなところに私を連れてくるから……」

 

「オレが憎いか?」

 

 忍という在り方は、人から憎まれて当然だった。だからこそ、彼女の憎しみを背負うことで、彼女が楽になればと思った。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 彼女には強さがあった。そして、自身の状況を客観的に顧みる力もあった。

 だからこその、この言葉だったのだろう。

 

「だから、ねぇ、ギュッとして?」

 

 同時に、脆さと、弱さを兼ね備えている。

 

「……わかった」

 

 自身に縋る強い彼女を抱きしめて、深い感慨を味わったことは確かに覚えていた。

 自身に劣らない力を秘めた彼女を、こうして慰められることに充足感を覚えたのかもしれない。

 

 彼女の強さに、どうしようもなく憧れていた。

 彼女の弱さが、どうしようもなく愛しかった。

 それは、おそらく、今も変わらない。不安定なそんな彼女だからこそ、こんなにも心を奪われてしまっている。

 

 とにかく、今の彼女は誰にでも縋りたかったのかもしれない。誰でも良かったのかもしれない。

 それでも、それが、うちはイタチだった。それが、自身にとっての幸運だったことには違いなかった。

 

 

 ***

 

 

「じゃあね、イタチっ! また!」

 

「ああ……」

 

 一週間、というのはすぐに過ぎるものだった。束の間の時間だった。

 彼女は、また、あの生活に戻っていく。それがたまらなく悔しかった。

 

 このときの自分にはないが、今の自分には、彼女は自分のためだけにあってほしいという想いがあった。

 過去であるからといい、感情というものは簡単に割り切れるものではない。彼女には、あの母親のもとよりも、自身のもとにいてほしかった。なにより、彼女のためにも。

 

 ああ、だが、このときの自身は何もせずに、ただ見送るだけだった。

 また、あの森に行けば会えると思っていたかもしれない。

 

 結論から言えば、このときから忍者学校(アカデミー)入学までの一年間、彼女と会うことはなかった。

 

 いつも居るはずの場所から、彼女はいなくなった。

 

 彼女との距離は、あの一週間を経て、近くなり過ぎていた。毎日のように会っていた彼女がいなくなり、心から何かが抜け落ちたような喪失感に襲われる日もあった。

 

 無論、彼女が消えてしまったわけではなかった。

 実際に、どこかに存在していただろう。

 それが、どこかがわからなかった。彼女の存在に恋い焦がれていた。

 

「あの……」

 

「あら……あなたは……?」

 

「うちはイタチです。ミズナは……?」

 

「ごめんなさい。今、出かけてるから……」

 

 家に訪ねて行ったこともあった。

 もとより、彼女は家を空けていることが多かった。毎日のように、あの森に居たのだから、家に居なくとも当然だと納得していた。納得してしまっていた。

 

「ねぇ、お母さん。いま、イタチが……」

 

「あなたには関係ないの。大丈夫だよ?」

 

 家に帰ったあの日から、彼女は家にほとんど軟禁状態で居続けさせられていた。

 問題の発覚から、彼女の母親がとった対抗措置だった。

 

 彼女が殺されかけることはなかったものの、彼女の強いられる負担の量はさして変わらなかった。

 まざまざと見せつけられ、彼女にこんな仕打ちをする、彼女の母親へと、恨みに近い感情が募っていってしまう。

 

 そして、彼女は家の中でも、手裏剣術の修行をしていた。

 彼女はまだ、外との繋がりを諦めてはいないのだと、わかった。

 

「あのね、お母さん。私、ちゃんとチャクラ練れるようになったよ? ほら」

 

 彼女はチャクラで指の先に手裏剣を吸着させてみせた。

 

「……そう。よかったじゃない」

 

「だから、私、忍になる。忍者学校(アカデミー)に行くから。いいでしょ?」

 

「…………」

 

「ねぇ、そのために私は今までやってきたんでしょう?」

 

「……ええ」

 

 そうして、彼女は母親から許可を得た。

 忍者学校(アカデミー)に行くとなれば、自ずと外に出ることになる。

 軟禁生活から解放されるには、それしか方法がなかったとも言えるだろう。

 

 親が忍だったから、忍の一族だったから、そんな理由などではなく、彼女は自ら、行く末を選んだ。

 

 一歩一歩、忍への道を進んでいた。

 

 

 そして、その先には、うちはイタチが……。

 

 

 彼女を、そんな道に引きずり込んだのも、間違いなく――( )


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